第110話 バーバルは冒険する(勇者サイド:17)
バーバルは南の魔族領にある『竜の巣』までやって来ていた――
それに『竜の巣』とは言っても、そのほとんどは旧王国領の廃墟に過ぎない。
おそらく、もとは南の辺境伯領だったのだろう。それが産卵期などで気の立った竜たちに襲撃されて後退して、ここら一帯はしだいに廃れてしまったといったところか……
そうはいっても、破壊され尽くした城壁や、寂れた街の家々の陰に竜たちはいて、今は日中ということもあって涼んでいるようだ。
そもそも、この南の魔族領は最も日が強く降り注ぐわりに、天峰を超えた先にある海域の暖流によって、気温と湿度が大陸のどの地域よりも高くなって、日中はとても蒸している。
だから、竜たちもろくに動かないし、今は産卵期でもないので比較的大人しい。
というか、妙に不格好な
そういう意味では、竜たちの
「たかが、でかいだけの蜥蜴のくせにその態度はむかつくな」
バーバルが「ふん」と鼻息を荒くすると、黒服の神官が冷たく言い放った。
「竜たちと戦うようなら、首輪を起爆しますよ」
「ちい。そんなことをしたら、貴様らの実験とやらも終わりだろうに?」
「それでも、ここで竜たちに食い千切られるよりはマシです」
「貴様は――俺がこんな蜥蜴どもに負けると思っているのか?」
「分かりませんよ。ただ、時間の無駄だとは思っています」
黒服の神官がそう答えると、バーバルはまた舌打ちをした。
さすがに黒服の神官もバーバルの扱いに慣れてきたのか、「負ける」などとはっきりと言って、自尊心を傷つけるような真似はしなかった。
それと意外なことに、バーバルもきちんと諫言に従った。どうやら、そんな心境の変化にバーバル自身が戸惑っているようだ。
思い起こしてみれば、勇者パーティー時代のバーバルは聖剣、もとい呪いの剣に支配されて、傲岸不遜に振る舞ってきた。
とはいえ、駆け出し冒険者時代のバーバルはセロやモタの言うことをよく聞いて、むしろリーダーとして調整役に徹していたのだ。
だから、そんな昔のことが何だか懐かしく感じられて……諫めてくれた黒服の神官に対してさほど悪い気はしていなかった。ちょっとした面倒臭いツンデレである。
「そういえば、これまで貴様にずっと聞いてこなかったが――」
バーバルがそう言って、竜たちを無視して歩き出すと、黒服の神官はその後ろに従いながら応じた。
「急に改まって何ですか?」
「貴様の名前は何と言うのだ?」
「…………」
唐突な問い掛けに、黒服の神官は押し黙った。
そもそも、いまだにフードを目深に被って、この蒸し暑い最中でも顔すら出さないでいる。
もっとも、以前に口づけを交わした神官とは別人であることは、バーバルもとうに理解していた。魔族になって『魔眼』が備わったおかげで、相手の
この黒服の神官は手術前後からずっと付き添ってくれている人物だ。
たしか一度だけ黒服を脱いだときには、
ただ、今もなぜか声音に認識阻害をかけてノイズが混じるので、男なのか、女なのかはよく分からない――何にしても、こうして不思議な付き合いというか、奇妙な縁が出来たわけだ。だから、バーバルも黒服の神官に多少の興味が湧いた。
「どうした? まさか不死となって、名前すら忘れたのか?」
「そういうわけではありません。個体名は……被検体615号です」
「で、肝心の名前の方は?」
「ところでバーバル様は、雪がどうして白いか知っていますか?」
「はあ?」
質問に対して意味不明な質問で返されたことで、バーバルもさすがに面喰ったが、とりあえず答えることにした。
「さてな。自分がどんな色だったか忘れてしまったからではないか。俺だって忘れたいことはたくさんあるよ」
そんなやや感傷的なバーバルの返事だったが、結局のところ、黒服の神官は何ら応じようとはしなかった。まるで色どころか、言葉すら忘れたかのように沈黙を貫いたのだ。
とまれ、バーバルたちは『竜の巣』こと南の街道を進みながら、天峰には入らずに、エルフの森林群の外縁を回る格好で、徒歩にて数日ほどかけて、大陸南東の奥地にまでやって来た――
ここは有翼族が暮らしている山に当たる。
天峰のある南の山脈とは異なって、あくまで独立峰で、大陸でも最高の四つの峰が菱形に並んでいる。
しかも、バーバルたちはちょうど昼前に着いて、天気も良かったこともあって、それぞれの屋根に日がかかって黄色く輝いていた。王国のライ麦畑のような色合いで、山頂には雪も積もってまさに絶景だ。
「ちい。邪魔なのが来やがった」
バーバルは舌打ちした。
絶景の中に
これまで一度たりとも人族と交流を持ったことのない亜人族こと有翼族にとって、バーバルたちは望まない客人に違いなかった。
幾人かが、ばさ、ばさ、とはっきりと威嚇するように翼の音を立てて、宙を旋回し始める。
ただし、決してバーバルたちに声を掛けては来ない。無言の圧力だ。
「ふん。これ以上進んだら、命はないぞといったところか。しゃらくさい」
バーバルはそう言って、いかにも「今度こそ攻撃していいんだよな?」といったふうな視線を黒服の神官に投げて寄越した。
当然、黒服の神官もこくりと肯いた。
この地に来たのも、鳥人の翼を得る為だったからだ。バーバルに翼を与えて、『飛行』出来るように手術を施したかったのだ。
「そうこなくてはな。不死王リッチ程度では己の実力がどれほど上がったのか、さっぱり分からなかった。これはちょうど良い機会だ」
バーバルがそう言って、一歩を踏み出すと――
鳥人たちは四つの編隊に分かれて、宙でバーバルの前後左右を取った。
そこからは一方的な蹂躙が始まった。上空から四方八方、畳みかけるように攻めてくる鳥人たちに対して、バーバルは有効な攻撃手段を持ち合わせていなかったせいだ。
唯一、地につくほど長い左腕が蛇のように鳥人に喰らい付こうと伸びたが、難なくかわされてしまった。その上で、バーバルは鳥人たちの嘴や爪で毟られ続けた。
もっとも、バーバルは笑みを浮かべ続けた。
「この程度か。つまらん」
というのも、鳥人たちの攻撃はバーバルの竜鱗に傷一つ付けられなかったのだ。
「これで理解した。俺は強くなった。そろそろ、終わりにするぞ」
バーバルはそう言って、左手を地に強く叩きつけた。
その瞬間、石礫が無数に上がって、滑空していた鳥人の進路を妨害した。
直後、バーバルは右手の義手を剣の形に変えて、反転――背後から攻めようとしていた鳥人を一気に貫こうとする。
が。
次の瞬間だ――
やけに甲高い鳴き声が轟いた。
バーバルは驚き、「うっ」と呻いて、鳥人を刺し損ねてしまった。
同時に、バーバルの背筋に悪寒が走った。直上にあまりに強大な
なぜここまで接近されるまでに感づかなかったのかと、バーバルは自らを罵った。
「貴様はまさか――」
そして、バーバルは両目を大きく見開いた。
上空を優雅に羽ばたいていたのは、よりにもよって空の支配者と呼ぶに相応しい貫禄の有翼族だった――女王オキュペテーだ。
他の有翼族があくまでも鳥の獣人だとしたら、女王オキュペテーは天使か妖精のようだった。
その肌はアネモネのように純白で、また双眼は
また、その身には胸と腰に
かつて真祖カミラを見たときも、その美しさには舌を巻いたものだが、このオキュペテーもまた別格だった。カミラが魅惑的な美しさだとしたら、オキュペテーは理知的なそれと言うべきか……
「糞が! 体が動かん」
何にしても、バーバルは以前、魔王セロと対峙したときのように死を身近に感じていた。
あのときより遥かに強くなったと思い込んでいたが――結局、上には上がいるということを思い知らされた格好だ。
もっとも、今ではバーバルも魔族になった。
魔族にとっては、戦って死ぬことこそ誉れだ。これほどの強大な相手ならば不足はない。
かつてセロに対してはみっともなく命乞いしてしまったが、このときバーバルは己の命を賭ける覚悟が出来ていた。
「面白い。女王よ。来るがいいさ! 俺の全力でもって破壊し尽くしてやる!」
バーバルはそう吠えて、右手の剣を真っ直ぐに構えた。
「…………」
だが、意外なことに女王オキュペテーは優雅に滞空するだけだった。
その手には顔ほどの大きさのある水晶が握られていた――有翼族に受け継がれてきた未来予知の魔石だ。女王オキュペテーは水晶とバーバルとを交互に見比べると、ふいに、
「そうか。貴公か」
とだけ、呟いた。
バーバルは眉をひそめた。
「俺が……どうかしたのか? 会うのは初めてのはずだ」
「ふむ。何をしにここに来た? 貴公が来るにはまだ早いはずだ」
「は? 何を言っている?」
「なるほど。知るはずもないか。まあ、いい。ならば、再び問おう――なぜここにやって来た?」
再度聞かれたので、バーバルは会話の取っ掛かりとして、素直に答えることにした。
「貴様の翼をもぎに来たのだ。その漆黒の翼があれば、空もさぞ高く飛べるのだろうな」
そんなバーバルの挑発に対して、宙にいた鳥人たちは一斉に鳴き喚いた。
耳をつんざくほどの五月蠅さだったが、女王オキュペテーが「静かにせよ」と囁いたとたん、逆に耳に突き刺さるほどの静寂がやって来た。
「ほう。貴公は翼が欲しかったのか。よかろう。くれてやる」
「何だと……?」
「エルフなぞにやられた同族をこの先の峰で鳥葬にしている最中だ。幾人かいたはずだから好きなだけ持っていくがいい」
そこまで言うと、女王オキュペテーはもうバーバルに興味も失くしたと言わんばかりに、また宙高く上がり始めた。
「待て! なぜ、そう簡単に翼を寄越す? それに、ここに来るのに早いとはいったいどういう意味だ?」
すると、女王オキュペテーは静かな態度を崩さずに淡々と告げた――
「貴公こそが未来に与えてくれるからだ。ならば、今のうちにその礼をやっても構わんだろう」
「その水晶で何を見た? 俺はいったいどうなるのだ!」
「逆に問おう。どうなりたいのだ?」
最近はやけに質問に対して質問で返ってくる奴ばかりだなと、バーバルも顔をしかめたが……
その問いかけに対して、バーバルはまだろくな答えを持っていなかった。
何者かになれば見える地平もあると、わざわざこんな果ての峰までやって来た。だが、バーバルはまだ自身が何者なのかすら分かっていなかった。
「俺は、ただ――」
そんなバーバルを嘲笑うかのように、今度こそ女王オキュペテーは、手も、声すらも
届かない高みに上っていった。
他の鳥人たちも付き従って、このふもとにはバーバル以外には誰もいなくなってしまった。
バーバルは「ふう」と一つだけ短い息をついた。
「おい、もう出てきていいぞ」
いや、もう一人いた。黒服の神官が認識阻害で隠れていたのだ。
もっとも、女王オキュペテーにはバレていたはずだが、空の女王にとって小さな羽虫程度は気にも留めなかったらしい……
「これで翼が手に入るのですね」
「貴様にはあの有翼族の女王の言っていた意味が分かったか?」
「分かるはずもありませんよ」
「それもそうか。自らの名前も知らないのだものな」
バーバルは苛立ちのあまり、皮肉を返したのだが、それが存外、黒服の神官の気に障ったらしい。
黒服の神官は女王オキュペテーが飛び去っていった峰の雪化粧に遠く視線をやると、
「雪が白いのは、自分の色を忘れたからではありません」
そんなことを急に言ってきた。
「ほう。では、なぜなんだ?」
「雪の小さな結晶によって、あらゆる光が乱反射して、全ての色が混じり合うからです。まるで
黒服の神官はそう言って、「こほん」と咳き込むと、自らの声にかかっていた認識阻害を解いた。
「私の名前はセラと言います」
「ふん。ちゃんとした名前があったではないか」
「もう誰も呼ばなくなった名前です。何より、使わなくなった言葉です。果たしてこの世界に映す意義があるでしょうか?」
その声はたしかに女性のものだった。むしろ、色を持たない無垢な少女の震える声音だった――
なるほど。隠したかったわけだ。これではバーバルに侮られるだけだ。
もっとも、バーバルは
「行くぞ、
少しだけ喜色の混じった声をかけてから、地平線に向かって進んでいった。
―――――
雪にまつわる質問の
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