第109話 離間の計(砂漠サイド:02)

 大陸東に広がる砂漠こと『死の大地』――


 その北東、『火の国』の山々のふもとにほど近いところに旧帝国の中枢たる神殿の遺跡群はあった。


 とはいえ、帝国の栄華もすでに失われて久しく、今では断崖絶壁の突端にぽつんと祭壇が取り残されているぐらいだ。


 その地下遺跡にて、王女プリムは四人の魔族――泥竜ピュトン、虫系魔人の双子アルベとサールアーム、それに自己像幻視ドッペルゲンガーのアシエルと共に、今後の第六魔王国への対策を話し合っていた。


「魔王セロは明確な弱点を抱えています。それはある意味で、彼にとっての最大のトラウマと言ってもいいものよ」


 王女プリムがそう言い切ると、緑色の飛蝗こと虫人アルベが尋ねる。


「そんな都合の良い弱点が魔王セロに本当にあるのかい?」

「ええ。もちろん。彼は勇者パーティーから手酷く追放されたせいで、誰を本当に信じたらいいのか分からない状態に陥っているはずです。そもそも、魔族は実力を中心とした縦社会ですから、その周囲は魔王の強さに追従しているだけで仲間意識は薄い。その一方で、当のセロは元人族として、横への強固な繋がりを求めている――これは彼にとって、ちょっとしたジレンマと言えます」

「まあ、その気持ちは分かるけどね」


 アルベはそう応じると、他の三人をじろりと見渡した。


 実のところ、アルベ、サールアームやピュトンは最初から魔族だったわけではない。アバドンが天使として君臨していた頃に、帝国の軍や神殿に所属していた元人族なのだ。


 もっとも、これまた全員、純粋な・・・人族というわけでもなかった。というのも、帝国では虫人、魚人や獣人などとの混血を積極的に認めて強兵を育んできたからだ。


 実際に、アルベたちもそんな血が幾つも混じり合った混血種ハイブリッドであって、天使アバドンが魔王になった際、共に呪いを受けたことで魔族に変じた経緯いきさつがある。


 そんな四人に対して、この場では唯一、純粋な・・・人族たる王女プリムがさらに話を続ける。


「要は、その強い魔王という点が重要なのです。魔王セロのもとに元勇者ノーブルがいて、しかもそのノーブルが魔族に変じているのならば、私たちにとっては大変好都合だと言えます。お分かりでしょう?」

「うん。二人を競わせるわけか。どちらが魔王に相応しい強さなのかどうか」

「そういうことです。私の見立てでは――現状、ノーブルに分があると考えております。元勇者としての力量に加えて、百年間も隠れて力を研磨してきたはずですから、そう簡単にはぽっと出の魔王になぞ負けないはずです」


 さて、そんなふうにして王女プリムが示唆してみせた『離間の計』だが……本来ならば、あながち間違ってはいない。


 強い魔族が並び立つなら、そこには必ず争いが生じる。だから、その不和を突く――


 ただし、王女プリムにとって計算外だったのは、すでにそんな魔族同士の格付けが終わっていたことだった。


 もし人狼メイドことドバーが虫の間諜をきれいに掃除していなかったら、セロとノーブルとの戦闘結果がきちんと届いていたはずで、王女プリムもまた違った計画を立てていたことだろう。


「だからこそ、ノーブルがセロに戦いを挑むように工作を仕掛ける必要があるのです」


 結果として、王女プリムは誤った前提条件のまま、第六魔王国に心理戦を挑むことになる。


 そんな策に対して、緑の虫系魔人アルベは「ほう」と感心したように合いの手を打った。


「離間工作ということは、敵陣に乗り込む必要があるわけか。これは相当に骨が折れそうだね」

「しかも、認識阻害に長けた吸血鬼や、封印を得意とするドルイドがいる渦中に飛び込むのです。相当な力量と覚悟が必要になるでしょうね」


 そう言って、王女プリムは幻視アシエルに視線をやった。


 幻視アシエルは黒い影のまま、こくりと肯くように揺らめいた。


 認識阻害や封印に長けた人物がいる中に潜入するとしたら、自己像幻視ドッペルゲンガーを於いて他にはいない。むしろ、吸血鬼やドルイドが相手ならば、アシエルからしても不足はない。


 そんな幻視アシエルの覚悟に対して、王女プリムと三人の魔族は心の中で素直に賛辞を贈った。


 さらに、王女プリムは一気呵成にまくしたてる。


「アシエルによる第六魔王国への心理戦と同時に、王国に対してもまた工作をかけます」

「まだあの国でやり足りないことでもあったのかい?」


 緑の虫系魔人アルベが呆れたといったふうに肩をすくめてから、王女プリムに尋ねると、


「あら、嫌ですわ。すごく中途半端なままじゃないの?」

「何がさ?」

「王国と第六魔王国との戦争です。北の各拠点に騎士団を集めたまま睨みつけていても、何も起こりはしませんわ」

「あれは貴女やピュトンが動きやすいように王都から多くの兵を引き剥がしたかっただけじゃないのかい?」

「もちろんそれもありますが、些事に過ぎません」


 王女プリムはそう答えて、「ちっち」といったふうに指を振った。


 たかだか些事で動員されたのだとしたら、騎士団にとっては堪ったものではないはずだが、何にせよ王女プリムの『魅了』にあっけなくかかってしまったのだから文句の一つも言えまい……


「あの時点では勇者パーティーの進攻に対して魔王セロがどう反応するのか分からなかったから、牽制の意味合いもあったわけですが――本当の主旨は、第六魔王国とのどさくさに紛れて封印の森を焼き払ってでも、ドルイドのヌフや高潔の元勇者ノーブルを誘き出すことにあったのです」

「でも、その二人はすでに魔王セロのもとにいるよ?」

「その通りです。おかげで、逆にやりやすくなったと言えます。第六魔王国との戦争を継続して起こして、その混迷の最中にヌフの寝首をかけばいいのですから」

「そんなに簡単にいくものかね」

「だから、ここでピュトンに仕上げをしてもらうわけですし――」


 というところで、王女プリムは言葉を切ると、宰相ゴーガンに扮した泥竜ピュトンは愉しそうに付け加えた。


「ついでに聖女パーティーにはもう一踊りしてもらうっていうことよね?」


 その問いかけに対して、王女プリムはにんまりと笑った。


 虫系魔人のアルベとサールアームはちらりと目を見合わせてから、


「じゃあ僕たちはまたお留守番か」


 と嘆くと、王女プリムも、泥竜ピュトンも、どこか労うように二人の肩をぽんと叩いてあげたのだった。






「といったことを敵は今頃考えているのではないかと想定されます、終了オーバー


 第六魔王城の玉座の間で人造人間フランケンシュタインエメスが現況分析をして得られた情報を伝えると、広間に集まっていた者たちは憤慨した。


「そもそも、私は魔王になる気など毛頭ないのだが……」


 高潔の元勇者ノーブルがそうこぼすと、ダークエルフの近衛長エークが逆に尋ねる。


「しかし、ちょうど良かったのではないですか? もし第七魔王こと不死王リッチが消滅したのだとしたら、西の魔族領がぽっかり空いたわけですし、砦からは近いでしょう?」

「あの湿地に湧いて出てくるのは亡者ばかりだぞ。正直なところ、治めるにしても土地が不毛すぎる」


 すると、ダークエルフの双子ことドゥの足もとに隠れていた猫がなぜか、憤るかのようにしてノーブルに「なあ!」と抗議した。


 最近、ドゥによく懐いて、セロによって第六魔王国公認の飼い猫ペットとなったリッチだが、わりと強気にがしがしと猫パンチをノーブルにお見舞いする。


 とまれ、そんな可愛らしい不満はさておき、秘蔵していた燻製肉コレクションの無事を確認したばかりの人狼の執事アジーンが明言した――


「そんな些細なことよりも、我々がセロ様の実力だけに忠誠を誓っていると思われているのが心外ですな」

「え? 僕にそんな惹かれる部分なんて他にあったっけ?」


 セロがいかにも弱気に聞き返すと、それこそアジーンは悲嘆に暮れた。


「我らが王よ。情けないことは仰らないでください。もともと我々人狼は先代の第六魔王こと真祖カミラ様、あるいは長女ルーシー様に長らく仕えてきた身です。そのルーシー様がお選びになった殿方に、誠心誠意、尽くさせて頂くのは当然のことです」


 アジーンがそう言ったとたん、セロも、ルーシーも、『お選びになった殿方』の部分でつい照れ隠しなのか、わずかに俯いてしまった。


 これはいけないと咄嗟に思ったのか、ダークエルフの双子ことディンがセロに勢いよく駆け寄る。


「私はセロ様のこと大好きですよ!」


 しかも、愛らしい無邪気な笑みを振り撒いてみせる。さすがは幼き女豹――すでに百戦錬磨の貫禄さえある。


 いったいどこでそんなことを覚えたのやら……と、皆が首を傾げる中で、ドルイドのヌフはいかにも出遅れて、「しまった」といった表情をした。


 まあ、出遅れたのも仕方がない。ずっと考え事をしていたせいだ――王女プリムはヌフの寝首をかきたいらしいが、はてさてどんな手段を使ってくるのだろうか、と。


 自分が仕掛けるなら認識阻害でセロか、親しいダークエルフにでも化けて背後をとるはずだが……


 というところで、ディンの大好きです宣言を耳にして、それどころではなくなってしまった。とはいえ、出遅れたのは仕方がないことなので、ここは一丁、大人の余裕を見せつけることにした。


「当方も、せいぜいセロ様のことを気にしてあげてもよろしくてよ」


 何だか下手糞なツンデレお嬢様みたいな台詞になってしまったが……ヌフはなるべく気にしないことにした。ここらへんが所詮、千年以上も婚活せずにいたドルイドの限界だ。


 というか、寝首をかかれるよりも、いっそ精神的なダメージを多大に負ってしまったこともあって、ヌフはやや涙目になって項垂れた……


 それもさておき、そんな女豹同士のどうでもいい牽制に全く興味のないドゥが、ちらちらとセロに視線を投げかけてきた。


 どうやら広間への闖入者――先ほど空から降って落ちてきた夢魔サキュバスのリリンがドゥの介抱もあって、やっと目を覚ましたらしい。


「ここはどこ……? 私は誰……?」


 かなり危険な状態になっているようだったが、セロが「大丈夫?」とリリンに声を掛けると、


「む? これは魔王セロ様。ええと……挨拶が大変遅れまして、誠に申し訳ございません。私は前代の第六魔王こと真祖カミラが次女、夢魔のリリンと申します」

「うん。ルーシーから聞いているよ。ところで、なぜ空を飛んできたの?」

「空を? はて? たしか……モタに何かされたような微かな記憶が……」

「あー、ごめんね。モタのせいか。どうせ可笑しな魔術の実験にでも付き合わされたんでしょ?」


 セロが申し訳なさそうに尋ねると、リリンは「うーん」としばらく眉間に皺を寄せた。


 本来ならモタに対して怒りだしていいはずなのに、第一に浮かんだのがモタの涙と鼻水塗れの表情だった。


 つまり、モタはリリンに何かをしてほしかったわけだ。それが果たして何だったのか。しっかりと思い出そうとこめかみのあたりを指先でとんとんと突いてから、直前のモタの台詞を復唱してみる――


「というわけで、いいからセロを呼んできて!」


 リリンがモタの真似をして言ってみると、セロは「ん?」と首を傾げた。


「ドワーフが団体さんで外交に来ているの! ほら、立って、出て、そう! 魔王城の方を向いて! ――今、思い出しました。その後に私はここに飛ばされてきたのです。セロ様、どうやらドワーフの外交使節団が温泉宿泊施設に到着して、よりにもよってモタ一人で対応しているようなのです」


 このとき、玉座の間にいた全員が「ドワーフの外交使節団?」、「しかもモタ一人?」と仰天したのは言うまでもない。

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