第107話 若女将(前編)
「そんな早々にお客さんも来ないだろう」
と、悠長なことを言っていたセロに対して、モタは「セロの馬鹿ーっ!」と声を張り上げて罵りたい気分だった。
いきなりの宿泊客――それも『火の国』のドワーフの団体客、いや、より正確に言えば公式な外交使節団が訪れてきた。
人族の歴史から数百年もの間、その姿を消していた貴重な亜人族がわざわざ重い腰を上げてやって来たのだ。まさに歴史的な快挙と言っていい。
もっとも、そんな奇跡的な訪問の窓口となってしまったのが、よりにもよってモタだったことに、モタ自身もさすがに困惑するしかなかったわけだが……
一見すると、ドワーフはモタと同じくらいの背丈しかないが、全身がゴツゴツとした筋肉質で、ちりちりの長い黒髪と顎髭が特徴的な種族だ。
その身には王国でよく着られている板金鎧ではなく、甲冑と言われる独特な防具を纏っている。また、武器も刀と呼ばれる片刃の剣で、王国でたまに出回るときには至高の芸術品として高値が付くほどだ。
ちなみに、この二十人の中にはもしかしたら女性もいるのかもしれないが……モタからすると全員が小汚いおっさんというか、落ち武者に見えてくるから不思議だ。そんなドワーフに共通しているのは、全員が短気で喧嘩っ早そうなところだろうか。
というか、ほんのりと赤ら顔なので、すでに酔っ払っている気さえしてくる……
「ちょいとここでお待ちくだせーやす」
そのせいだろうか。モタもなぜかべらんめえ口調になって応答してしまった。
怖そうな種族だからあんまり怒らせないようにしなくちゃなあと、モタはとにかく急いで接客のプロたちを探しに出かける。
が。
事務室、物品コーナー、展示室や休憩所などを見回ってみても誰一人としていない……
「どゆこと?」
モタは首を傾げた。
今日はたしか丸一日研修に当てると、宿の大将こと人狼アジーンは早朝に言っていた。
もしや、寝惚けていて聞き間違ったのか。そうでないなら、研修を早々に切り上げ、皆で外にでも出て、畑作業でも手伝っているのだろうか……
「まずいなあ」
「おーい、若女将?」
すると、ロビーからドワーフの声がしたので、モタは若女将の件を否定するかどうか迷いつつも、「ほーい」と愛想よく出て行った。
ここらへんがモタの性格の良さというか、人好きのするところなのだが、今回に関しては悲劇しか呼びそうにない……
どうやらドワーフたちはすでに甲冑を脱いで、さっさと一風呂浴びたいといった様子だ。これ以上待たせて外交的な問題にでもなったら困るので、モタも仕方なく腹を括ることにした。
「まずこれら荷物を置きたいのだが、どのような部屋があるのだろうか?」
「えーと……まず部屋は二階に個室、パーティー用の五、六人部屋と、あとは三階に大部屋がありやす」
モタがそう言うと、ドワーフの中から代表して一人が進み出てきた。
二十人の中では比較的若くて凛々しい――気がするものの、やっぱり気のせいかもしれないとモタはすぐ考え直した。それだけドワーフは皆、似たりよったりに見えてしまう……
何にしても、その若者はオッタと名乗った。モタと名前が似ていたので、ちょっとだけ親近感を覚えてしまったのは内緒だ。
そんなドワーフの代表オッタがモタに丁寧に告げた。
「部屋は男女別にしたい。男は大部屋にて雑魚寝で構わない。女は五人いるので、パーティー用の部屋で頼む。とりあえず、部屋に案内してほしい」
全員筋肉質な上に髭面なのに、女性もいたのかとモタは軽いカルチャーショックを受けた……
「それと宿泊費は幾らなのだろうか?」
さらにモタはつい、「うっ」と呻った。
パーティー用の部屋や大部屋の値段なんて聞いていなかったからだ。
個室の金額なら払ったばかりだから分かるが、王国の安宿よりもかなり低かったので、モタはてっきりセロが気を利かせて値引きしてくれたのだと思い込んでいた。
とはいえ、この施設自体は王国の三ツ星級と比しても遜色ない。
セロの性格を考えると、そんなに
もちろん、このときモタは、セロが「しばらくはオープン価格で王国の安宿と同じくらいでいい」とアジーンに伝えていたことなど知るはずもなかった……
そんな金額に対して、ドワーフの代表オッタはやや渋い顔を作った。
「実は、路銀はさほど持って来てはいないのだ」
当然だ。外交団なので、宿泊は魔王国持ちだと認識していた。
そもそも、火の国は現在、王国とは一切交易をしていないので王国通貨など持ち合わせていない。
「仕方あるまい。夜食に供しようと思っていたのだが、こちらの物納で如何だろうか?」
そう言うと、オッタはにやりと笑みを浮かべて、アイテムボックスから酒樽を幾つか取り出した。
火の国で酒造された最高級の
ちなみに、火の国の麦酒もやはりほとんど出回ってこないので、王国でも好事家の貴族がオークションにかけて、日本円で換算して云千万円ほどで落札するほどである。
ドワーフ代表のオッタもそんな事情は一応は知っていたので、交渉ごとの初手としてまずは強気に出て、せいぜいモタのペースを崩してやろうと思っていたのだが……
「うーん」
そんな超が付くほどの高級な酒樽を幾つも出されても、モタは全く動じないどころか、本当にこんな年季の入った樽程度で宿泊費代わりになるのかなあと訝しみつつ、
「まっ、おけおけ」
と、つい生返事してしまった。
このとき、オッタは思わずモタに若女将としての貫禄を垣間見たわけだが、モタからすれば、とりあえずドワーフたちを部屋に上げて、温泉に案内して寛いでもらって、その間に皆を探したい一心でしかなかった。
何なら、宿賃はモタが一時的に負担してあげたっていい。勇者パーティーで稼いだ給金はまだ十分に余裕がある。
そんなわけでドワーフ全員をさっさと温泉に誘導してから、モタは再度、施設内を探し回ることにした。さっきは入らなかった調理室をちらりと覗いてみると、
「フィーア!」
早速、料理長こと
「モタさん、どうしたんですか?」
「うええええん」
モタは泣きついた。
孤島に流されて、やっと船影を見かけたような気分だ。
そんなモタをあやしながら、フィーアが事情を聞き出すと、なぜ宿に誰もいないのかを簡単に説明してくれた――
「大将のアジーンさんは魔王城に行っています。このお昼休みを利用して、極上燻製肉コレクションが本当に無事なのかどうか、確かめに行くのだそうです」
「ふむふむ。昨晩、わたしもちみっと盗み食いしたなあ」
「ええと……それから、吸血鬼の給仕さんたちは迷いの森にいったん戻っています」
「ほへ。それはなぜー?」
「棺に入らないと休んだ気になれないということで、それぞれの棺を取りに行ったのです」
モタは天を仰いだ。ということは、どちらも
問題はドワーフたちがどれだけ長く温泉に入ってくれるかだ。出てくるまでにスタッフが戻ってこないと、モタとフィーアだけで孤軍奮闘する羽目になる……
「何にしても、モタさん。私はすぐにお夕食の準備に取り掛かります。ドワーフの皆さんも長旅でしたでしょうから、軽食よりも、お腹にがつんと入る食事の方がよろしいでしょう」
「分かった。わたしは何をすればいい?」
「作り終えた食事を宴会場に順次運んでください。二十人分のフルコースになります。お願いします」
モタは仕方なく、「らじゃ」と答えた。
給仕たちが戻ってくるまでの辛抱だ。こうなったら一丁気合入れて、乗り越えてみせますか、とモタは「ふんす」と、逞しく腕まくりをしてみせたのだった。
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