第106話 パーティーは遭遇する(聖女サイド:14)

 王国北端の山間の城塞ではちょっとした騒ぎが起きていた。


 というのも、遠方から馬車が一台、ごと、ごと、とゆっくりやって来たせいだ。


 もしや、元勇者バーバルと王女プリムを乗せた逃避行の馬車ではないか……


 と、兵や騎士たちが慌てふためきつつも、全員が身を乗り出して監視する中で、シュペル・ヴァンディス侯爵と聖騎士団長モーレツは「はあ」とため息をついた。


 馬車に飾られたエンブレムがとある貴族の家紋を表していたからだ――旧門七大貴族が一つ、ヒトウスキー伯爵家だ。


「皆、下がれ。あれは秘湯馬鹿・・・・だ。各自、持ち回りの役割にすぐ戻ること」


 モーレツの一言で、「何だあ」と皆はがっかりした様子で城塞の中にすごすごと入っていく。


 その一方で、馬車はいかにも優美に田舎道を駆け上がって、シュペルとモーレツの前でいったん停まった。


 馬車の物見窓が開くと、そこからは白塗り化粧で麻呂眉の壮年の男性がひょっこりと顔を出した。


「これはシュペル卿にモーレツ卿ではないか。久しぶりでおじゃるな」


 本来ならシュペルの方が侯爵家なので家格は高いはずだが、ヴァンディス家はあくまでも武門貴族の筆頭であって、それに比してヒトウスキーは伯爵家だが旧門貴族かつ七大家にも当たる。その為、王侯貴族ではヒトウスキー家の方が高貴とされる。いわゆる、政治力学的なねじれ現象だ。


 そもそも、ヒトウスキー伯爵といえば、「彼がかしずくのは現王ではなく、秘湯だけ」――という言葉で語られるほどの奇人変人、もとい過激な風流人だ。


 だから、シュペルも、モーレツも、ヒトウスキーが馬車から下りずに挨拶を済ませたことに対して腹は一切立てなかった。


「ええ、お久しぶりです。ヒトウスキー卿」


 とはいえ、シュペルは穏やかに応じつつも、内心では舌打ちをせざるを得なかった……


 たしかに第六魔王国にある温泉宿泊施設については娘のキャトルから一通り報告は受けていた。


 第二聖女クリーンのお供についた神殿の騎士たちも全員が入浴して、その湯加減の良さに心を奪われたと方々に話して回っていることも耳にしていた。


 が。


 まだ二日しか経っていないのだ……


 それにもかかわらず、ヒトウスキー伯爵はすでにこんな片田舎にまで駆けつけて来ている。たしかに所領は遠くないが、この情報収集能力かつ決断力は並大抵のものではない。


「まさかな」


 シュペルは忌々しく呟いた。


 ヒトウスキー伯爵にまつわる、とある噂がふいに脳裏を過ったせいだ。


 それは眼前にいるこの風流人こそ旧門貴族の陰に隠れて、王国の暗部に通じる諜報機関を束ねている猛者なのではないかというものだ。


 実際に、おじゃる麻呂と揶揄されがちなヒトウスキーではあるものの、シュペルも、モーレツも、そんなヒトウスキーの佇まいに只者ならぬ強者の貫禄を感じたことが度々あった。


 しかも、ヒトウスキー家自体も十年ほど前になぜか・・・家人の粛清があったらしい。変わり者ばかり集まっていた家人がほとんどいなくなって、今ではヒトウスキー伯爵の秘湯巡りに付き従う家人もわずかばかりだとか……


 もしかしたら、この秘湯巡りとて、情報収集の一環なのやもしれない――


「ところで、ヒトウスキー殿。本日はどのようなご用件で?」


 シュペルは改めて気を引き締めてから尋ねた。


「おほほ。戯れを仰られるな、シュペル卿よ。麻呂がここに来たということはもう言うまでもあるまい」

「まさかとは思いますが……このまま北の魔族領を突き進んで、第六魔王国にある温泉にでも向かわれるおつもりですか?」

「ほう。したり! やはりあるのじゃな。秘湯がそこに!」


 シュペルは「あちゃー」と額に片手をやった。気を引き締めたのにこれだ。相手の飄々としたペースに流されてしまった。


 どうやら、さすがのヒトウスキーでも魔族領に関することなので、そこまで確定的な情報を持たずにやって来たようだった。上手く騙せば、追い返すことも可能だったわけか……


 ともあれ、ヒトウスキーが温泉を通じて第六魔王国に興味を持っていることも確かだ。


 今の第六魔王国は秘匿すべきことだらけなので、はてさて何を知りたいのか、シュペルが探りを入れようとすると――


 そんなタイミングで意外なことに、第二聖女クリーンが門前に戻ってきた。


「ヒトウスキー伯爵がいらっしゃったと聞きましたが……」


 はて、どんな繋がりだ、とシュペルもさすがに眉をひそめた。


 だが、ヒトウスキーはわざわざ馬車から下りて来て、ずいぶんと仲良さそうにクリーンと軽い抱擁を交わした。


「聖女殿、聞きましたぞ。大変なお役目を果たしたばかりでおじゃると?」

「ありがとうございます、ヒトウスキー様。何とか聖剣を取り戻すことが出来ました」

「ほう。それは重畳。現王もさぞお喜びになるでしょうな」


 そんな二人に対して、シュペルは不躾だったが質問した。


「ところで、大神殿の聖女様と旧門貴族のヒトウスキー殿とはいったいどのような繋がりで?」


 当然の疑問だ。クリーンは断じて生臭坊主などではない。


 貴族との繋がりを持っているなど、神に仕える聖職者にとっては百害あって一利もない。主教イービルですら、社交界とは距離を置いている。実際に先日、園遊会にやってきたのは腰巾着の主教フェンスシターだった。


 もっとも、ヒトウスキー伯爵は笑い飛ばしてみせた。


「ほほほ。そう勘ぐることでもおじゃらんよ。のう、聖女殿?」

「うふふ。はい。そうですね。かれこれ三年ほど前になりますか」

「そうでおじゃるな。最初は秘境でガスに満ちた温泉に入って、麻呂が窒息死しかけたところを大神殿に運ばれて治療してもらったのがきっかけだったでおじゃるか?」

「いえ、違いますよ。たしか断崖絶壁にある温泉に入ろうとして滑落して瀕死になったところを運ばれてこられて、私が治療を担当させていただいたのです」

「そうであった。そうであった。懐かしいのう。もうあれから三年も経つのでおじゃるか」

「…………」


 シュペルは無言になった。


 一瞬でも王国諜報機関の最重要人物だと見立てた自分を罵ってやりたい気分だった。結局はやはり秘湯馬鹿だったのだ。


「それより、聖女殿もやはり赤湯とやらには入ったのでおじゃるか?」

「もちろんです! あれは人生で最高のお湯でした……」


 クリーンはぼんやりと遠い目になりつつも、頭痛と胃痛塗れだったのに赤湯に入ったとたんに治って、それ以降は何だか憑き物でも落ちたかのように穏やかに過ごしていることをヒトウスキーに滔々と伝えた。


「それほどの湯か!」

「はい!」


 シュペルも、モーレツも、何言ってんだこの二人は――といった顔つきで仲良く話しているところを見つめていたわけだが、ふと嫌な予感がした。


 このままだとヒトウスキー伯爵は間違いなく、馬車で勝手にごとごとと魔王国に突撃するだろう。


 果たして第六魔王国がそれをどう捉えるだろうか?


 頭のネジが一本緩んだ旧門貴族の戯れときちんと認識してくれるならいい。だが、最悪の場合は戦争の口実になるかもしれないし、何より人質にされかねない……


 ただでさえ勇者パーティーが勝手に侵攻し、また聖女パーティーと神殿の騎士団も無断で訪問したばかりなのだ。二度は許したとしても、三度目もそうだとは限らない。とはいっても、赤湯を前にしたヒトウスキー伯爵がシュペルの諫言を聞き入れてくれるとも到底思えない……


「では、早速、麻呂も行くとしようかの」


 この瞬間、シュペルの頭部には十円ハゲが出来た。


 こうして王国筆頭の武門貴族であるヴァンディス侯爵家と、旧門七大貴族のヒトウスキー伯爵家が揃って魔王国を訪問する羽目になったわけだが――セロはもちろんのことながら、ドワーフ訪問で慌てふためていたモタも、こんな急展開になるなど予想すらしていなかった。

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