第103話(追補) 猫に九生あり
心臓を鷲掴みにされたような感覚があって、次瞬――
う、なあっ!
と、
どうやらどこかにずっと横たわっていたようだ。眼前には豊かな緑の大地に、どこまでも続く果てなき青空も見えた。
直後、その者はつい高笑いした。
危うい賭けではあったが成功したのだ。召喚術の最高術式である『
急襲されたのでほんのわずかな時間しか残されていなかったが、万が一を考えて、マントの裏に術式を練り込んでいたのが功を奏したようだ。
さすがに敵もそこまで見抜けなかったのだろう。だから、その者は再度――
か、かかか、と。
高笑いをしようとして、「ん?」と、首を傾げた。
発声が上手く出来なかったせいだ。言葉を出そうにも、どうにも喉の調子がおかしい。
しかも、立ち上がろうとしたが、すぐにバランスを崩して転んでしまった。新しい体にまだ馴染めていないのだろう。
こればかりは仕方がないので、
が。
「――――っ!」
その者はすぐに微動だに出来なくなった。
体が上手く動かせないのではない。むしろ、今はわずかでも動いてはいけない。というのも、眼前には超越種と思しき一匹のヤモリがいたのだ。
「キュイ?」
そのヤモリはじっーとその者を凝視していた。
さっきまではただの死体だったはずなのに、急に魔力経路が巡って、魔核が形成され始めたことに疑問を感じているのだろう。
だから、その者は――
決して怪しいものではありません……
お願いします。どうか見逃してください……
と、天に祈った。もとは亡者だったので、神なぞ全く信じていなかったが、今このときだけは宗旨替えしてもよいぐらいだ……
そもそもからして何かがおかしかった。すぐ目の前にいるのは超越種直系で最終進化したと思しきヤモリだ。
基本的には世界最強こと四竜の
言ってしまえば、万に一つもない、奇跡的な邂逅を遂げてしまったわけだ。
これならば蜥蜴系最強の巨獣バジリスクが百匹ほど集まった巣に放り込まれた方がマシだと思わせるほど、この小さなヤモリは最凶最悪の
もちろん、その者にはヤモリに対する害意など欠片もなかった。
願うことなら、「お邪魔しました」と平謝りして素早く立ち去りたかった。
「…………」
ええい、ままよ!
と、その者はついに覚悟を決めた。目をつぶって、再度夢の中に逃げ込もうとしたのだ。
それからどれだけの時間が過ぎただろうか。恐る恐る、祈るようにして、再度、目を開けてみると――
「――――っ!」
その者の周囲には数えきれないほどの超越種直系の魔物たちがいた。
ヤモリ、イモリやコウモリに加えて、さらには見慣れない怪しげなかかしまでいる。
その者は天を仰いだ。さすがにこりゃあかんと絶望するしかなかった……
やはり突発的な『輪廻転生』では駄目だったのだ。そもそも、いまだに何に転生したのか、またどこに飛ばされたのかも分からなかった。最早、己の準備不足を呪うしかない絶体絶命の状況だ。
そのときだ。
「ここにいるの?」
子供の声が聞こえて、超越種たちがモーゼの海割れのように引いていった。
そうして新たに眼前に現れ出てきたのは、ダークエルフの子供だった――双子の片割れことドゥだ。
「この子?」
「キュイ」
「ふうん。生きているの?」
「キュ」
「そうなんだ」
「キューイ」
「や。分かんない。ちょっと待って」
それだけ言うと、ドゥはじっとその者を凝視した。誰よりも真実を見抜く眼力だ。
その者は必死になって考えた。ダークエルフがいるということは、この緑豊かな場所は『迷いの森』に違いない。本来なら植物系
もしかしたら、土竜ゴライアスの庇護下にあるダークエルフたちはその直系たる超越種の力を借りてこの地で過ごしているのかもしれない。
何にせよ、ここではこのダークエルフの子供に訴えなくてはいけない――害意などきれいさっぱりこれっぽっちもないこと。むしろ、どこかに安全かつ迅速に逃がしてほしいことを。
すると、そんな必死さが上手くいったのか。その者は初めて声を上げることが出来た。
「みゃお」
そして、その者はやっと気づいた。
よりにもよって転生してしまったのが――猫の死体だったことに。
道理で人語を発声出来ない上に、ろくに二足で立ち上がれないわけだと……その者はかえって自身の鳴き声を耳にして項垂れてしまった。
「よし、よし」
だが、意外なことにドゥはその猫の
しかも、「よいしょ」と両腕で抱きかかえるようにして持ち上げると、ヤモリたちに目配せした。
「キュイ?」
「うん。大丈夫」
それだけ言って、ドゥはてくてくと走り始めた。
逆に、その者は感激した。超越種を全く恐れずに、こうも見事にコミュニケーションが取れるとは――
この者こそ、将来の
何せ、今は猫の屍喰鬼である。
力ある者の庇護下に入って、まずはかつての力を取り戻すことに専念しないといけない。
そうして抱きかかえられたままで周囲を見ていると、どうやらここは森ではなく、トマト畑の畝なのだと分かった。猫の背には高く見えた樹々はトマトを育てる為の挿し木だった。
そんなトマト畑を抜けたところで、ドゥはぼふんと誰かにぶつかった。
ドゥが猫ごと倒れかけたところで、ぶつかった相手は咄嗟にドゥの背中を支えてあげた。
「大丈夫か、ドゥよ」
ドゥはこくこくと肯いた。
同時に、猫に転生した者は驚天動地で身震いした。
何せ、眼前には女の吸血鬼がいたのだ。しかも、ただの吸血鬼ではない。
ということは、ここはもしや第六魔王国なのか?
その者の考えもまとまらないうちに、ルーシーは「気を付けるのだぞ」と声を掛けて、ドゥも「うん」と応えてまた走り出した。
その者は身の振り方をすぐさま考え直した。ここがもし第六魔王国だとしたら、このダークエルフの子供を主人と崇めて無心に付いていくだけでは生き残れないかもしれない。やはり付くとしたら第六魔王こと愚者セロか。いやはや猫好きだといいのだが……
と、その者が考えを巡らしている間に、ドゥはふと立ち止まった。
魔王城へと続く、
「おや、ドゥではないですか。
直後、その者は死んだふりをした。
絶対に目を合わせてはいけない相手だった――
よりにもよって喧嘩上等、目と目が合ったら
古の時代を何とか生き抜いたその者にとって、エメスとは人族の国家をほぼ殲滅した最恐最悪の魔王としてよく記憶に残っていた。
「おや、その小汚い物体は何ですか?」
しかも、エメスがその者をガン見してきたので、その者は死んだふりだけでは心もとないと、自らの魂を肉体から抜こうとまで試みた。最早、仙人になる為の修行みたいなものである。
だが、エメスはやはり興味を持ってしまったらしく、
「ほほう。小生に解剖させる為にわざわざ持ってきてくれたというわけですか?」
がーん、と。
その者はまたもや驚天動地で身震いした。
それだけは止めてくれ、主人! と、その者は「みゃご、みゃご」と必死で泣き喚いた。
その真摯な思いが伝わったのか、ドゥは「ダメ」とエメスに伝えた。というか、あの恐怖の魔王相手に断固として拒むことが出来る
やはり、一生付いていきますぞ。主人!
その者は抱きかかえらえたまま、何とかエメスから遠ざかった。
ここでやっと、「ほっ」と落ち着いた。
とりあえず、猫の死体に転生してしまったのは不覚だったが、魔獣として力を付けて、いつかはこの第六魔王国から出て行こうと計画を立て直した。
それまでは仮初の主人に精一杯尽くすしかない。
と、そんなふうにその者が結論付けていると、宿泊施設らしきところの前でドゥはいったん足を止めた。
「セロ様」
その者は「ん?」と主人が声をかけた者に視線をやった。
第六魔王こと愚者セロがどれほどの者か、不遜にも見極めてやろうと思ったのだ。
そもそも、多くの超越種に会って、真祖直系のルーシーとも遭遇して、さらには人造人間エメスまで見かけた後だ。ここまでくると、かえってその者の肝も据わっていた。
が。
「みゃみゃみゃ……」
刹那、その者は気絶した。
セロの機嫌が悪かったのか、魔神が如き禍々しい
どうやらモタの悪戯というか、やらかしに腹を立てていたようだったが、当然のことながらその者にそんなどうでもいい事情など知る由もなかった。
何にしても、凶悪な魔力に当てられて、その者の意識は遠くなっていったのだった。
……
…………
……………………
気づくと、その者は温泉に入れられていた。
正確には、桶に湯を張って半身だけ入浴していたわけだが、すぐそばには先ほどの
というか、このこってりとした血みどろの液体は果たして温泉と言ってもいいものかどうか、その者もわずかに迷ったが、とまれ心地はとても良かった。
実際に、魔核や
ここにきて、その者はじっくりと考えた――
第六魔王こと愚者セロに媚びるのは止めよう、と。
あれはあまりにヤバすぎる。地下世界でも色々とヤバい魔王たちを見かけたことがあったが、そんな古の魔王たちと比肩する力を優に持っている。
第四魔王こと死神レトゥスから逃げてきたその者からすると、セロは同様に危険に過ぎると感じたのだ。
また、ルーシーやエメスもちょっと怖かった。というか、第一印象だけだと、両者とも何を考えているかよく分からないタイプだ。
「みゅ?」
すると、その者が意識を取り戻したことに気づいたのか、ドゥが喉もとをやさしくさすってくれた。
「なあ」
その者は思わず小さく鳴いた。
やはり主人に付いて行くべきだと決めた。色々と浮気しかけたが、ここは初志貫徹だ。
どうかよろしくお願いしますぞ、ご主人。
「なあなあ」
「うん。いいよ」
こうしてその者――第七魔王こと不死王リッチは一匹の猫に転生して、第六魔王国にて
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