第102話 泥の竜、虫、幻視(砂漠サイド:01)

 王国東の魔族領には砂漠が広がっている。


 かつての蝗害の影響で草木はとうに枯れ果て、湖や川も枯渇して干上がり、街の形跡もあるにはあるが、それらとて煉瓦造りの廃屋が地衣に覆われて、いたるところに蜘蛛の巣が張り巡らされているといった有様だ。


 気温は昼に暑く、夜に一気に冷めていく。


 開墾によって平坦な大地が続くこともあって風もとても強い。


 近年は飛砂による被害が目立ってきたので、王国の人々はここを『死の大地』と呼び、東の拠点ではハックド辺境伯領が中心となって、長々と植林までして砂の浸入を防いでいるほどだ。


 もっとも、数百年前までこの地には、王国よりもよほど広大な版図を持ち、豊かな大地の実りにも恵まれて、北方のドワーフ、南方のエルフとも積極的に交流してきた、人族史上最大かつ最強の帝国・・があった。


 しかも、多様な亜人族と混血して屈強となった兵たちが、聖剣に匹敵する様々な武器を手にして、第五魔王こと奈落王アバドンに対して長らく挑んできたわけだが――結局、それらも全ては無に帰してしまった。


 そんな帝国の成れの果てこそ、この砂に覆われた東の魔族領である。


 ちなみに、今のエルフやドワーフが人族に積極的な関わりを持とうとしないのも、この虚しい大敗北のせいによるところが大きい。


 何にしても、この東の魔族領は人族、亜人族双方の手から離れてずいぶんと経っている――現在ではアバドンの影響なのか、虫系の魔物モンスターや魔族の住処となってしまった。


 特に、高潔の元勇者ノーブルによってアバドンが封印された後では、そんな虫たちも領内に引きこもって表立って出て来ないせいで、旧帝国の実態が分かりづらくなっている。


 そもそもからして、この死の大地をわざわざ調査するほどの余裕が王国にもない。


 それに加えて、アバドン配下の将が王国の内部にまで巣喰ってしまって、東の魔族領に足を踏み込ませまいとする――代表的なのが東の守護者ことハックド辺境伯本人だし、また何より、宰相ゴーガンに扮した泥竜ピュトンだ。


「ふう。やっと着いたわ。やれやれ。全身が砂だらけ……本当に我が祖国ながら勘弁してほしいわ」


 そんなピュトンがかつての帝国の中枢たる神殿の遺跡群までやって来た。


 ピュトンは竜種なので種族特性として『飛行』を有している。だから、上空より降り立ったわけだが、それでも飛砂は横殴りの雨のように降りかかってくる。


「もう嫌になっちゃう」


 ピュトンは宰相ゴーガンの姿のままで周囲を見渡した。


 ここには第五魔王と帝国兵たちとの戦いの痕跡が今もありありと残っていて、大地には巨大な傷が幾つも付いて深い崖となっている。


「私が一番遅く到着したでしょうから、皆はもう揃っているはずよね?」


 ピュトンはそう独りちると、断崖絶壁の上に危なっかしく乗っている神殿の跡地で歩を止めた。


 幾本かの折れた石柱以外には、神殿内部の造作として残っているのは、せいぜい石畳と祭壇ぐらいしかない。


 もっとも、ピュトンが祭壇に近づくと、その蓋が勝手に開いて地下へと通じる階段に変じた。高度な認識阻害が掛かっていたのだ。


 そこを下りていくと先客がいた――飛蝗バッタの虫系魔人の双子こと、アルベとサールアームだ。


 封印されたアバドンに代わって、今も虫たちを配下に治める第五魔王国を代表する魔族で、緑色の孤独相が情報官のアルベで、茶色の群生相が指揮官のサールアームだ。


「あら、意外……まだ来ていない人たちがいるのね」


 ピュトンがそう言って薄暗い石室を見回すと、緑色の虫系魔人アルベが応じた。


「あの二人なら、まだ来ていないよ。少なくとも、アシエルの方は北の魔族領に逃れる格好ポーズを取るわけだからね」

「嫌だわ。私は大陸西端の海岸線から戻って来たのよ。わざわざリッチの後片付けをしてきたんだから。それに比べたら、北なんてすぐ目と鼻の先じゃない?」

「うん……まあ、本当にご苦労様」


 実際には山岳に隔てられているので、距離ほどには近くはないのだが、泥竜ピュトンの愚痴に付き合っていると半日はかかるので、緑の虫系魔人アルベはさっさと話題を変えた。


「そういや、バーバルは抱き込まなくて本当によかったの?」

「バーバル? いったいどうして?」

「一応はアバドン様に突き刺さった聖剣を抜けるようにと、高潔の元勇者ノーブルに似た魔力マナ経路はまだ残しているわけなんでしょ?」

「ああ、その件ね。結局、上手くいかないみたいなのよ。私も最初は聖剣を抜く為の道具として期待していたんだけど……その実験は失敗だそうよ」

「あちゃー。呪いによる魔力経路の操作って、半世紀ほど、ずっーと頑張っていなかった?」

「古の技術ってのは、今の時代に再現するのがとても難しいらしいわ。何にせよ、小難しい御託ばかり並べて保身に走るものだから、その黒服どもチームは皆殺しにしたわ」

「容赦ないね」


 泥竜ピュトンは「ふん」と鼻を鳴らした。


「ついでに言うと、バーバルにはちょうど旅に出てもらっているの」

「旅? 可愛い子には何とやらってやつ?」

「勘弁してちょうだい。翼の素材を採らせるために、有翼ハーピー族の巣まで行かせたばかりよ」

「何だか……バーバルで好き放題に遊んでない? 有翼族には女王オキュペテーがいるでしょ? あれはかなり強いよ。勝てるのかな?」

「知らないわよ。そこらへんに飛んでいる有翼族の翼でももぎ取って帰ってくれば御の字でしょ。そういう意味では、バーバルについては今のところ黒服どもの玩具になるぐらいがちょうどいいんじゃないかしら。まあ、いざというときにはバーバルだって使ってやるわよ」

「リッチを倒す手駒にしたくせに……いやはや手厳しいね」


 緑の虫系魔人アルベがやれやれと頭を横に振ると、茶色の双子サールアームが言葉短く、


「来た」


 とだけ告げた。


 同時に、階段をゆっくりと降りてくる足音がする。


 皆は首を傾げた。気配は二人分あるのに、足音が一人だけしかしなかったせいだ。


「…………」


 だから、全員が無言で警戒して、階段を注視していると――


 そこには王女プリムが現れた。


「あら、プリム様。お忍びでエルフの森林郡に赴かれたのでは?」


 宰相ゴーガンの癖が抜けないのか、泥竜ピュトンは恭しい身振り手振りで王女プリムを出迎える。


 その口調も、先ほどとは打って変わって、王女プリムの遅延を咎める機微は欠片も残っていなかった。


「ええ、もちろん行ってきたわ。でも、いつもの会合だから大したものじゃないし。それに私の場合、ここに来るにもさして苦労はしませんし」

「なるほど。私も・・飛んできましたが、今日は特に風が強くて、飛砂がひどくありませんでしたか?」

「あら、砂漠は海に似て気紛れなのね。私のときにはずいぶんと凪になっていたわよ」

「さすがはプリム様。神に見守られていらっしゃるようで」


 泥竜ピュトンは慇懃に言葉を尽くして、石室の奥にある上座へと王女プリムを招いた。


 一方で、その様子を緑の虫系魔人アルベは憮然と見つめていた。どことなく腹に一物あるといった様子だ。


 それも当然だろう。今でこそみすぼらしい石室だが、ここはもともと帝国の最高司令室であって、かつ魔族たちにとっては玉座の間だ。


 そこに人族たる王女プリムが何食わぬ顔をしてぬけぬけと入って来た。たとえ協力関係にあるとはいっても、快く迎えられるほど、アルベも面従腹背しているわけではない。


 しかも、上座に平然と座った人族の王女にはよりによって、魔族にとって天敵たる存在が取り憑いているのだ。だから、アルベが何事か嫌味でも口に出そうか、といったタイミングで――


 茶色の双子サールアームがまた短く呟いた。


「よく戻ってきたな」


 その瞬間、王女プリムの影が二つに分かれた。


 そして、自己像幻視ドッペルゲンガーのアシエルは一方の影となって立ち上がったのだ。


 王女プリムは入室途中から気づいたようだったが、泥竜ピュトンと緑の虫系魔人アルベはそれぞれ、「あら」、「おおっと」と声を上げた。それほどにアシエルの認識阻害は優れていた。ドルイドのヌフと比しても遜色ないレベルだ。


「ねえねえ、アシエル。駆け落ちの方は上手くいったの?」


 そんな幻視アシエルに対して緑の虫系魔人アルベが尋ねると、立ち上がった影がわずかに揺らいだ。真っ黒なので表情などが全く読み取れない……


「さてね。とりあえず、バーバルのそっくりさんはハックド辺境伯邸内に秘かに閉じ込めてあるよ」


 泥竜ピュトンはそれを聞いて肯いてみせると、


「分かった。そっくりさんの処遇については引き継ぐわ」


 そのタイミングで王女プリムは身を乗り出してきた。


「将来、吟遊詩人に語り継がれるぐらいの愛の逃避行になったのかしら?」

「あまり期待はしないでほしい。それでも、細工は幾つかしてきたよ」

「これで王国はしばらく、私たちの駆け落ちならぬ――王女誘拐・・・・の虚報でてんやわんやになるわけね。何だか、他人事のようで本当に楽しみだわ」


 王女プリムは「きゃあ」と可愛らしくはしゃぐと、泥竜ピュトンとハイタッチを交わした。


 今回の駆け落ち騒動はこの二人の自称・・女子が考案したものだ。まあ、王女プリムはまだ少女でも十分に通るが、泥竜ピュトンは――というところで、緑の虫系魔人アルベはあえて考えるのを止めて、


「とりあえず、アシエルもお疲れ様」


 そう言って同僚を労ってあげた。


 何にしても、こうして魔族四人がやっと揃ったことで、緑の虫人こと情報官のアルベはてきぱきと報告を始めた。


「僕からは二つあるよ。まずは悪い方から。第六魔王国に潜入していた虫たちがまたやられた。それなりに実力者を送ったんだけどね。あの国は魔王セロになってから相当に力をつけているよ」


 すると、泥竜ピュトンが不思議そうに首を傾げた。


「結局、貴方自身は第六魔王国に行ったのかしら?」

「行ったさ。途中までね」

「途中?」

「うん。だって、北の街道に入ったら超越種のモンスターハウスが出来ていたんだよ」

「…………」


 そんなアルベの言葉に全員が押し黙った。


 一瞬、アルベが嘘でもついてお道化どけているのだろうと誰もが思ったわけだが、当のアルベはというと真剣そのものだ。


「迷いの森を抜けるのは自殺行為だし、山岳地帯は超えるのに時間がかかるしで、僕の部下たちは『火の国』をこっそりと経由して何とか潜入したよ」

「ちょっと待ってよ。その超越種の群れってのは、魔王セロの配下になっているのかしら?」

「悪いけど、正確なことはまだ分からない。でも、トマト畑を守っていたから餌付けされている可能性は高い」


 直後、皆がぽかんと口を開けた。


 超越種がトマトで餌付け出来るのだとしたら、それこそ世紀の大発見だ。


「ま、まあ、落ち着きましょう。超越種の件はとりあえず脇にいったん置いておいて――」


 泥竜ピュトンは両手で皆を制して、緑の虫系魔人アルベに魔王セロに関して尋ねた。


「呪いによって人族が魔族になったばかりだと、なかなか破壊衝動を抑え切れないはずだけど? 真祖カミラの長女ルーシーとはまだやり合っていないのかしら?」

「いないようだね。おそらく、神官だったことが功を奏しているんだと推測出来るかな。もしくは、人族よりも魔族になった方がよほど性に合っていた可能性もあるよ」

「根っからの魔王だとしたら、それはそれで怖い存在よね」


 ピュトンがため息をつくと、アルベはにやりと全員に笑ってみせた。


「逆に驕ってくれるならやりやすいんじゃないかな。さて、今度は良い方の報告だよ――何と! 高潔の元勇者ノーブルの居場所が分かった」


 その言葉に、ピュトンも、双子のサールアームも、幻視のアシエルも「はっ」と息を飲んだ。


「しかも、今話題にしたばかりの魔王セロのもとにいたよ。何とまあ魔族になっていたそうだ」


 その瞬間、全員がそれぞれ顔を見合わせた。


 御年百二十歳を超えていまだ壮健な巴術士ジージではあるまいし、聖剣の封印が百年も続いていることから、不死者になっている可能性が高いとは想定してきた。ドルイドのヌフと共に迷いの森に引きこもっているのだろうと思われていたのだが……


 ちなみに、この情報は人狼メイドのドバーにやられた蛾の魔人が子飼いの虫に短い暗号文だけ持たせて、アルベのもとに唯一届けられたものだ。


 それだけ聖剣による封印の触媒となるノーブルの居場所は、アバドン配下の者たちにとって重要な情報だった。


「さらに付け加えると、ドルイドのヌフも一緒に魔王セロのもとにいるようだ。どうやら二人共、隠れることを止めたらしいよ。もっとも、ダークエルフの精鋭や人狼のメイドたちが四六時中張り付いているから、虫程度では近づくことも出来やしないけど」


 アルベがそう言って締め括ると、ピュトン、双子のサールアームや幻視のアシエルはあからさまに落胆した。


 そもそも、高潔の元勇者ノーブルも、ドルイドのヌフも相当な強者だ。ピュトンたち四人がかりで挑めば倒せるだろうが、こちらの損害も相当に出るはずだ。当然、虫だけではどうにかなるはずもない。


 さらに彼らを庇護している魔王セロも底知れない。迷いの森のダークエルフまで配下にしているのだ。何より、謎の超越種の存在も気掛かりだ。


 結局、ノーブルやヌフからすれば、迷いの森よりも安全だと判断したから表に出てきたに違いない。


「…………」


 だが、そんなふうに気落ちする魔族たちに囲まれて、一人だけ――そう。意外なことに、王女プリムだけは口の端が裂けそうなくらいに、にやりと愉しそうな笑みを浮かべてみせた。


「だったら、むしろ簡単じゃないかしら?」


 四人の魔族が視線をやると、王女プリムはこともなげに言った。


「セロに殺させればいいのよ。やり方は幾らでもあるわ。それにノーブルが表舞台に出てきたということは、元勇者として何かしら動くつもりでいるんじゃないかしら? まずは彼の思惑を調べる必要があると思うの。そしてセロに止めを刺してもらう。難しいことではないわ」


 王女プリムがきっぱりと断言すると、四人の魔族はその場で跪いた。


 その様子はさながら第五魔王こと奈落王アバドン――いや、その同朋・・に敬するかのようだった。皮肉屋のアルベさえも素直に叩頭している。どこか狂信者の目つきでもって、四人は共にプリムを崇めたのだった。

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