第99話 百年前の真実

 第六魔王国の岩山のふもとで、高潔の元勇者ノーブルはセロに向き合った。


「さてと、これでやっとセロ殿に全てを話すときが来たようだな」


 もっとも、そう告げたタイミングで、ちょうど聖女パーティーが転送されて一人ずつ戻ってきた。


 その中心にいる第二聖女クリーンはというと、女聖騎士キャトルに肩を貸してもらってやっと歩けるといった状態だ。法術でも回復出来ないほどのダメージを向こうで負ってしまったのだろうかと、セロはやや心配になった……


 とはいえ、クリーンは責務に駆りたてられてよろよろと前に進み出ると、セロに全てを報告した――


生ける屍リビングデッドを転送していたのは第七魔王こと不死王リッチでした。そのリッチを討ったのですが、どうやら召喚された偽者ダミーだったようで、これから王国に戻り次第、神殿の騎士団を総動員してでも本体を捜索し、必ずやセロ様の眼前にて彼奴の魔核を叩き潰してご覧にいれましょう!」


 もっとも、クリーンはそう断言した後で、なぜかちらちらと怯えるような視線を周囲にやった。


 不思議なことに、先ほどとはずいぶんと地形が変わっていた。ふもとにはクレーターが出来ていて、ヤモリたちが急いで修復しているし、むしろここを湖にでもしようかとイモリたちも活躍している。


 クリーンはそんな様子を眺めつつも――もしリッチ程度の雑魚をまた逃すようなことがあったら、お前の顔面がこのように変形するんだぞ――というセロのささやかな脅しなのではないかと思えてきた……


 しかも、さっきからルーシー、夢魔サキュバスのリリンに加えて、ドルイドのヌフまでもがやたらとピリピリしている。きっとセロに最大の戦果をもたらさなかったことで、彼女たちの顰蹙ひんしゅくを買ってしまったのだろう……


 クリーンは頭と胃を同時に抑えながらも、「よよよ」と涙を流しかけた。何だか中間管理職の悲哀のようなものを感じざるを得ない状況だ。


「なるほど。そうでしたか。何はともあれ、リッチ討伐の件、本当にお疲れ様でした。とりあえず、立ち話もあれですし、まずは宴会場に帰りましょうか」


 そうはいっても、セロの意外にも穏やかな一言で、全員で温泉宿泊施設に戻ることになった。


 第二聖女クリーンからすれば、大神殿の地下に魔王がいたことにもっとツッコミがくるかと、内心びくびくして身構えていたのだが、よくよく冷静に考えてみると――ここには高潔の元勇者ノーブルが魔族に、また光の司祭セロも魔王になって存在しているわけだし、さらにはそんな凶悪極まりない魔族たちと聖女パーティーや神殿の騎士たちがつるんでいる。


「もう、何がなにやら……」


 クリーンはここ数日の出来事によって、そろそろ自我崩壊アイデンティティクライシスが起きそうな予感があった。いっそ元婚約者のセロを新たな神として崇め奉ってもいい気までしてくるから不思議なものだ……


 さて、こうして宴会場に戻ると――


 ちょっとした騒ぎが起こっていた。第六魔王国の料理長に就任したばかりの屍喰鬼グールのフィーアがうっすらとなっていたのだ。


 しかも、どうにも体調不良らしく、先程から妙な虚脱感を覚えるらしい。巴術士ジージがすぐに近づいて、フィーアの状態ステータスを見立てたところ、「これはまさか!」と驚愕で目を見開いた。


「もしや不死王リッチに何かあったのやもしれん。一般的に召喚士が死ぬと、召喚されたものも消滅する。ただ、この屍喰鬼グールの娘はすでに赤湯によって魔核を得ている。その定着がまだしっかりとしていないせいで、存在が希薄になってしまっているのじゃろうて」


 そんなジージの指摘に対して、クリーンは「ならば不死王リッチの生存確認を急がないといけませんね」と呟いた。


「うむ。それもそうじゃが……もう夜も遅い。動くことは出来んじゃろう。となると、やはり奴の話が先決になるじゃろうて」


 と、ジージがちらりと視線をやったように、今晩の宴会場での主役はやはり高潔の元勇者ノーブルだった。


 そのノーブルはというと、セロたちに勧められるままに宴会場の上段に進んで、いったん「ふう」と落ち着いてから――


「それでは語るとしようか。その前に質問者が多くいると話しづらい。申し訳ないが、質問はセロ殿とジージに限ってもらってもよいだろうか?」


 皆にとっては特に問題などなく、こくりと肯いた。


「では、順に話していこう。まずは第五魔王こと奈落王アバドンを討つに至った経緯からだが、これにはもちろん、私が勇者でアバドンが魔王だったという関係性以上に、当時の第六魔王こと真祖カミラと第三魔王こと邪竜ファフニールの存在が強く関わっている」


 ノーブルがそう切り出すと、ジージが「ふむ」と合いの手を入れた。


「当時、王国領内ではその二人がよくしのぎを削って喧嘩しておったな?」

「その通りだ。特に東の貴族領で魔王同士が喧嘩していると騒ぎになったものだが……実のところ、その二人は王国を潰そうしていたわけではない。むしろ逆だった」


 ノーブルはそう言うと、ルーシーやリリンに意味ありげな視線をちらりとやった。


「その二人は、東の魔族領で発生して王国内に流れてきた蝗害の対応をしてくれていたのだ」


 すると、そこでセロが「はい!」と手を挙げた。


「蝗害とは何ですか?」

「そうか。セロ殿は知らぬか。たしかに王国ではもう百年ほども発生していないから、出身地によっては知らない世代が出てきても仕方ないことなのかもしれないな。蝗害とは、虫系のモンスターハウスのようなものだ。大量に発生して、人族や魔族関係なく、家畜、田畑、草原や森林などを移動しながら喰い荒らしていく凶悪な魔物災害だ」

「それをなぜ真祖カミラと邪竜ファフニールが止めていたのですか?」


 セロがまた質問すると、ルーシーが「そうか」と呟いた。


「真祖トマトか?」

「その通りだ。それ以外にも二人とも領内に幾つか田畑や水源も持っていた。だから、王国という水際で蝗害を食い止めたかったわけだ。もちろん、当時の人族はそこまで知らなかったから、二人が王国領で暴れまわっている印象の方が強かったし、蝗害の被害が二人の戦いによるものとされたことも多々ある」

「ふむん。そこまではわしも知っておる。蝗害の発生源がアバドンであったことも。その二人から発生源であるアバドンを討つことをお主が依頼されたこともな」

「ああ。当時、アバドン討伐の際にジージにはある程度は話していたからな。むしろ、ジージにとって理解しづらいのは、なぜ二人がアバドンの討伐ではなく、秘かに封印を依頼してきたかということだろう?」


 ノーブルはジージに逆に尋ねてから、全員を見渡した。


 どうやら答えをすでに知っている者がいるようだった。当事者であるドルイドのヌフはもちろん、あともう一人――いにしえの魔王こと人造人間フランケンシュタインのエメスだ。


 そのエメスが一言ずつ、ゆっくりと語った。


「簡単に想定出来ます。奈落王と言うぐらいですから、アバドンのもとにも奈落・・があったからなのでしょう、終了オーバー


 その事実に対して、ノーブルははっきりと首肯してみせた。


「そういうことだ。アバドンはもともと天使だったそうだ。かつて東には強大な帝国があって、天使アバドンを中心にして、奈落から凶悪な魔族が這い上がってこないように守護していたらしい。だが、あまりにも長い年月が経ったことによって、アバドンは奈落の瘴気か何かで呪われて魔族に変じた。結果として、奈落王となったアバドンによって帝国は滅ぼされた。しかしながら、アバドンは奈落に蓋をするという目的だけはなぜか遂行し続けて、呪いという名の膿を吐き出す為に蝗害を世界中にばらまき続けた」


 ノーブルがそこまで語ると、宴会場はやけにしんと静かになった。


 まず、帝国という国家が耳慣れなかったし、さらに天使という存在もいまいち理解しづらかった。セロたち王国で育った者からすると、よほど古い文献を好んで読まない限り、滅多にお目にかかれない言葉だ。


 もっとも、さすがにジージは年季が違ったらしい。


「なるほど。それでアバドンを討てなかったわけじゃな。討伐したら奈落が開いてしまうということか? じゃが、それはそれで何とも妙な話じゃな」

「ふむ。妙……とは?」


 ノーブルが逆に疑問を呈すると、ジージは顎鬚に手をやりながらこぼした。


「地上の魔王たち――真祖カミラや邪竜ファフニールにとっては、逆に地下世界の魔王と連係が取れる良い機会ではないか? なぜそれをみすみす逃すのじゃ?」


 ジージはそう言って、人造人間エメスにちらりと視線をやった。


 もっとも、エメスも頭を横に振るだけだった。古の時代から生存しているとは言っても、エメスは長らく魔王城にて囚われて、休止状態ハイバネーションだった。そういう意味では、現代に下るほど知らないことが増えるのだろう。


 また、ルーシーやリリンも母たる真祖カミラからは何も聞かされていないようだった。


 結局、ジージは「ふむう」と煮え切らない表情を浮かべつつも、ノーブルに話の先を促した。


「たしかに私もその点は気にはなったよ。だが、何にしても真祖カミラと邪竜ファフニールから出された依頼クエストは、蝗害が年々ひどくなってきて、そろそろ手がつけられなくなってきたので、奈落ごとアバドンを封印してほしいという内容だった。もちろん、二人の魔王の言葉を信じるかどうか、ずいぶん迷ったものだが……少なくとも、二人がこれまで長らく蝗害の被害を抑え込んでくれたのは確かだった。その点では私も利害が一致した。そして、封印と言えばドルイドと謳われていたので、私は迷いの森に赴いて、ヌフに全てを説明して協力を頼んだわけだ」


 そこでいったん言葉を切ってから、ノーブルはヌフにちらりと探るような視線をやった。


 すると、ヌフは「ふう」とため息をついてから、ノーブルに対して「話してもらって構いません。当方の不手際だったのですから」と告げた。


「分かった。結果、アバドンと戦って弱体化させ、封印することになったのだが、ヌフ一人の力では無理だった。アバドンの配下も多くいる中で、封印に集中することが出来なかったのだ。そこで即席ではあったが、封印がもう一つ必要となった」

「なるほど。それでやっと合点がいった。本物の・・・聖剣を封印の為に使用したわけなのじゃな?」


 ジージの問い掛けに、ノーブルはこくりと肯いた。セロも、エメスも、当然クリーンも、「本物?」と眉をひそめた。


「その通りだ。私はアバドンに聖剣を突き刺してその動きを封じて、私の魔力マナ経路と同調させる形で封印を施した。つまり、アバドンには私自身を触媒とした聖剣による封印と、ヌフによる封印の二つで対処したわけだ。ただ、私が死ねば、一つ目の封印が解かれる。人族の寿命は短い。だから不死者になることに決めた。王国で私の流刑が決まったとき、当時の聖女と相談して、先ほどの岩山のふもとに送ってもらったのだ」


 そこでセロが、「はっ」となった。


「迷いの森と魔王城の中間に送られたということは、当時の聖女や、ドルイドのヌフだけでなく、もしかして真祖カミラもあなたを匿う協力者だったということですか?」

「ああ。そうだ。こうして私は呪いを受けて魔族になって、隠れ住む為に湿地帯と迷いの森の間に家を築いた。まあ、いつの間にか、呪人たちの砦になってしまっていたがね」


 ノーブルが自嘲気味に言うと、リリンが「良い場所ですよ」とフォローした。ノーブルは微笑で返してから、セロに向き直った。


「これが百年前の真実だ。アバドンはまだ封印されている。だが、それを解こうとする者たちが百年間、王国で暗躍してきた。おそらくあのとき倒せなかったアバドンの配下が蠢いているのだろう。自らが魔王になるのではなく、アバドン復活を目論むほどだから、よほど忠誠心が強いらしい。何にせよ、封印は私かヌフのどちらかが倒れれば解かれる可能性が高くなる。これまでヌフは迷いの森にいたので狙われずに済んだが、それでも聖剣の封印を施した私を探すかのようにして、吸血鬼のブラン公爵の手下や勇者パーティーなどが魔族領を彷徨ってきた」


 この発言には、ルーシーも、聖女クリーンも顔色を変えた。


 ルーシーからすれば、ブラン公爵と勇者パーティーを使ってまで真祖カミラ討伐を企図した者の正体が薄々と見えてきたからだし、またクリーンからすれば、勇者パーティーを動かせる位置にいた者――要は王族に近しい立場の者がずっと王国を影から牛耳っていたとはっきり理解したからだ。


「さて、ここからは私の頼みだ」


 ノーブルはそれだけ言うと、セロに真っ直ぐに向き合った。


「どうか第五魔王こと奈落王アバドンを私と共に討ってほしい。もちろん、ただでとは言わない。砦そのものを第六魔王国の支配下に置いてくれても構わない。あの砦はこの大陸において人族と魔族の唯一の交易の出島みたいになっていて、小さいながらも王国に匹敵する収益を得ている。そもそも、この魔王城から流れ込んだ物も多くあるしね。そう言われると取り戻したくなるだろう?」


 ノーブルがそう言ってウィンクすると、リリンが「やべ」という顔つきになった。持ち出した金銀財宝がまだ相当に残っているのだ。


 もっとも、セロは当然の疑問を投げかけた。


「でも、それでは奈落に蓋をする者も、封じる物もなくなって、凶悪な魔族が出てくるのでは?」


 ノーブルはその問いに対して、突き上げてくるような思いに駆られるままに語った。


「これは元勇者としての意地なのだよ。私は宿敵たる第五魔王アバドンを討った後に奈落を下りて、第四魔王こと死神レトゥス、第二魔王こと蠅王ベルゼブブ、そして第一魔王こと地獄長サタンも討ちに行くつもりだ。だからこそ、下りて行った後の奈落の守護、もしくは再度の封印をセロ殿にお願いしたいのだ」


 それは元勇者としてのせめてもの矜持なのか。


 それとも、ノーブルの本性からくる高潔すぎる意思なのか――


 いずれにしても、ノーブルはセロに向けてささやかな笑みを作って懇願した。


「少しばかり、我儘に過ぎるかね? だが、私は元勇者として、どうしても奈落の底に潜む者たちと戦ってみたいのだ……もしかしたら、根っからの魔族になってしまったのかもしれんがね」

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