第93話 魔王セロと元勇者ノーブル

 王国の地下で聖女パーティーが第七魔王こと不死王リッチと戦っていた頃、第六魔王国の岩山のふもとでも、セロと高潔の元勇者ノーブルとの戦いが始まろうとしていた。


「セロ殿を見定める為にもこの決闘を受けてほしい。対価は――砦に貯まった百年分の金銀財宝と、何より情報。そう。奈落王にまつわる真実だ」


 ノーブルはそう宣言して、片手剣の切っ先をセロに向けた。


 セロからすれば情報にはあまり興味が湧かなかったものの、金銀財宝の方に「ほう」と、つい目が眩んだ。


 砦は地方都市ほどの規模だったと、モタから宴会中に聞き及んでいたので、それが百年分ともなると、第六魔王国の財政も一気に潤うかもしれない……


「いいでしょう。決闘を受けましょう」


 セロは躊躇わずに答えた。


 そもそも、ノーブルから挑発された時点で、心のざわめきを抑えつけることが難しかった。


 セロがかつて憧れていたバーバル――その幼馴染がさらに目指していた高潔の勇者と戦うことが出来るのだ。得難い機会だったし、何より魔族としての戦闘本能が刺激された。


 もっとも、セロに刃が向けられたことで、コウモリ、ヤモリやイモリたちは色めきだったが、ルーシーがいったん片手を振って制すると、


「セロ、ノーブル双方、戦うのは一向に構わんが場所をわきまえよ」


 そう言って、ドルイドのヌフへと肯いてみせた。


 ヌフもその意図をすぐに理解して、迷いの森の方に移動してから強固な結界を張った。同様に、ルーシーもリリンを引き連れてトマト畑を守った。


 また、モタはコウモリたちに「あっちに行こうか」と伝えて、幾人かの神殿の騎士たちも引き連れて、岩山の洞窟入口へと避難した。


 言うまでもないが、セロとノーブルが本気を出して戦えばこのあたりの地形や環境にも影響を及ぼしかねない――


 何せ、セロは生活魔術のマッチ代わりこと『とろ火スロウフレイム』程度で溶岩地帯を生み出してしまうし、ノーブルとてそのセロに比肩しうる実力者だ。


 それに加えて、どちらも元は人族だったが、今では魔族となっていて、本気で戦った場合の衝動を抑えるのにあまり慣れていない。


 だから、ルーシーからすれば、せっかく魔王城を改修して、トマト畑も拡張したばかりなのに、二人が本能のままに暴れて、またこの一帯に被害が出るなど遠慮してほしいところだ。


「周囲への影響が大きいようなら、この場にいる全員でもって止めにかかる。双方、それだけは理解してほしい」


 ルーシーが改めて釘を刺すと、セロもノーブルもしっかりと肯いた。


 同時に、セロはモーニングスターをアイテムボックスから取り出した。ノーブルは砦のドワーフが作ったらしき片手剣だ――


 セロからすると、近接戦には持ち込みたくはなかった。


 モーニングスターは本来、固い防御を打ち砕く為に使用される武器だ。手数では片手剣には勝てないので、懐に踏み込まれた時点でセロは圧倒的な不利へと陥る。


 一方で、ノーブルもセロの装備をよく知らなかったのか、その武器に目を見張った。


 棘付き鉄球の付いたモーニングスターを片手剣で受け止めるのは愚策に過ぎる。もし剣が折れたら主武器を失うわけだし、そもそも鎖が巻き付きでもしたら相手に良いようにやられてしまう。


 結局のところ、ノーブルとしては距離を少しでも縮めたいし、セロとしてはなるべく中距離を保ちたい――


 そんな思惑が戦う前に交錯した。


 直後だ。


「それでは始めよ!」


 ルーシーの掛け声と共に、まずノーブルが一気に前進した。


 が。


 ノーブルはふと天を仰いで足を止めた。


 なぜなら、セロが初手から魔術を放ったからだ。基礎的な生活魔術ではない。火系統の初歩こと『火球ファイアボール』だ。


 その発動だけでセロの残り魔力マナは半分ほどにごっそりと減ってしまったわけだが、


「……馬鹿な」


 ノーブルは頬を引きつらせて呆然とするしかなかった。


 というのも、上空から天を覆うばかりの『隕石メテオフレイム』が落ちてきたからだ。


 これにはノーブルだけでなく、ルーシーも、リリンも、ヌフも、セロに対して一ダース分の悪態をついてから結界をさらに強めた。


 また、呑気に観戦していたモタに至っては、あんぐりと口を開けて、「嘘……でしょ」と腰を抜かしていた。


 何しろ、『隕石』とはこれまで神話にしか残っていないような超特級・・・魔術だったからだ。神が世界を創造する際に、あえて全てを破壊する為に地上に降らせたと、古書には記述がある。


「う、おおおおおおおお!」


 ノーブルは堪らずに絶叫した。


 初手からいきなり最高潮クライマックスだ。だから、ノーブルも最大の秘策を出さざるを得なかった――『聖防御陣』だ。


 本来、代々の聖女にしか伝えられてこない門外不出の法術だが、百年前にノーブルは親密だった聖女から教わっていた。


 しかも、長い年月をかけてオリジナルよりも高い強度を誇る、ノーブルにとって最強の盾とでも言うべき秘中の秘だったわけだが、


「ぐああああああああ!」


 そんなノーブルの雄叫びは爆発音でしだいに掻き消されていった。


 実際に、隕石が落下してくると同時に、夜空は昼のように明るくなって、耳をつんざくほどの衝撃波が伝わった。


 大地が揺れて、爆発で地面がめくり上がり、強烈な爆風が吹きすさんで――結果、岩山のふもとには巨大なクレーターと、地下水脈である血反吐が噴出して、あたり一面は炎に包まれて真っ赤に染まった。


 ルーシー、リリンやヌフに加えて、皮肉なことにノーブルの『聖防御陣』おかげで周囲には何とか影響が出ていない上に、


「ぐ、うう……」


 当のノーブルもギリギリで無事のようだった。


 とはいえ、その身はすでに襤褸々々ぼろぼろで、片手剣を杖代わりに何とか立っているといった有り様だ。


「こちら、から、いくぞ……『聖防御陣』!」


 だが、今度はノーブルが逆襲する番だった。


 壁のように展開された防御陣が四方八方からセロへと押し寄せてきたのだ。


 もっとも、セロはその攻撃をかつて見たことがあった。聖女クリーンがセロを王国から追放する際に放ったものだからだ。


 あのときセロは『聖防御陣』に囲まれて背中を焼いた。たしかにこの攻撃は魔族にとっては天敵のようなものだ。しかも、これだけの強度を持っていると、簡単には打ち破れない……


 しかも、セロにとっては具合の悪いことに、自らの『隕石』によって出来た溶岩マグマ地形クレーターのせいで周囲に逃れることが出来なかった。もちろん、ノーブルもそれを見越して、セロを追い詰める為に放ったわけだ。


「まいったな……」


 セロは困りつつも咄嗟に考えた。


『聖防御陣』は光系の法術なので、ここは闇系の魔術で相殺するしかない。


 ただ、セロには残り魔力が半分ほどしか残っていない。ノーブルはセロのそんな特殊体質を知らないはずだから、今の『隕石』を見た後では魔術勝負を続けて仕掛けてくるとは思えない。とはいえ、こうやって遠距離で魔術や法術を打ち合う展開はセロにとっては好ましくない……


 何にしても、考えていても埒が明かないので、セロは闇系の生活魔術を『聖防御陣』に向けて放つことにした――


「あー! それ、わたしのオリジナル!」


 直後、モタが声を張り上げた。


 そう。セロが放ったのは、モタがよくセロやバーバルを実験体に試し撃ちをしていた『放屁スカンク』の闇魔術だった。


 当然のことながら、ルーシー、リリンやヌフたちはまた一ダース分の悪態をついて、すぐに鼻を塞いだ。


 同時に、『放屁』が『聖防御陣』にぶつかって、相殺されるのと同時に周囲に異臭と爆風が起こった。


 モタが思わず、「ぎょえ」と蛙みたいな鳴き声を上げたことからも、その臭さは想像出来るだろう。放ったセロ自身でさえ、鼻がもげるかと思ったくらいだ……


 だが、次の瞬間、セロは「ん?」と眉をひそめた。


 いつの間にか、視界からノーブルが消えていたのだ。もっとも、セロもすぐに気がついた――


 ノーブルは『聖防御陣』を放った際に宙に飛び上がっていたのだ。片手剣を振りかざしてセロのもとへと一気に下りてくる。


 ただ、ノーブルにとって誤算だったのが、爆風によって体勢が崩されてしまったことと――


「く、臭い……」


 何より、あまりの異臭が上に昇ったことで涙目になっていたことだ。


 そもそも、臭いは鼻につんとくるだけではなく、目にもくる。セロはそこまで計算して放ったわけではなかったが、結果的にモタの悪戯がセロを大いに救った格好になった。


「喰らえ!」


 セロは即座にそんなノーブルに向けて釘付き鉄球を放った。


「ちい!」


 ノーブルは宙でそれを片手剣で受けざるを得なかった。


 とはいえ、上空に飛んだ時から覚悟はしていた。こうなったら、後は力と力の押し合いだ――


 その勝負に、今度はノーブルが勝った。


 釘付き鉄球をいなして、何とか着地すると、ノーブルはついにセロの懐に入った。


「取った!」


 ノーブルは片手剣で連撃を繰り出そうとした。


 いまだ涙目で視界は最悪だったが、セロが主武器であるモーニングスターを手放したことは分かった。補助武器が何であれ、もう取り出す余裕はないはずだ。


 が。


 その直後だ。


 突然、ノーブルの視界が暗闇に覆われた。


 というのも、セロはアイテムボックスから煙玉を取り出して、それを地に放ってすぐに煙幕を張ったのだ――


 そもそも、今回、ノーブルにとっての最大の誤算はセロの戦い方をよく知らないことにあった。


 勇者パーティーにいた頃、セロは法術ではなく、アイテムで仲間を支援するスタイルを取っていた。


 光の司祭セロと言えば、モーニングスターを振り回す凶悪なイメージがつい先行してしまうが、アイテムボックスにある物を駆使して戦うのが本来の戦い方だ。


「くそ……見えん!」


 と、ノーブルは片手剣を振って、煙を散らしながらも焦っていた。


 何もかもが後手だった……


 一方で、セロにとっては、ほとんどが読み通りだった。


 何しろ、セロはノーブルの戦い方をよく知っていた。高潔の勇者の伝承については、バーバルから耳にタコが出来るぐらい聞かされた。それが今になって活きた。


 つまり、ノーブルはセロの手の内をほとんど知らなかったが、セロはほぼ全て把握していたわけだ。実力の近い者同士の戦いにおいてこの差はあまりにも大きい。


「どこに行ったのだ!」


 涙目と暗闇で対象を見失ったノーブルに対して――


 セロはアイテムボックスから補助武器であるメイスを取り出す時間を稼ぐと、横合いからノーブルを突き上げた。


 もっとも、さすがは元勇者だけあって、ノーブルはバックステップしてかわすと、うっすらとした闇の中で数合、撃ちあった。


「――――っ!」


 だが、そこでノーブルはふいに体勢を崩した。


 足もとに釘付き鉄球が落ちていたのだ。セロは視界を悪くして、その場所にあえて誘導したわけだ。


「しまった!」


 次の瞬間、ノーブルの手から片手剣が弾かれていた。そして、その喉もとにメイスの先が迫る――


「降参だ」


 ノーブルは両手を上げて、そのポーズを作った。


 良い勝負が出来ると考えてセロに挑んだわけだが、終始押されっぱなしだった。まさに完敗だ。


 ただ、ノーブルはむしろ晴れやかな顔つきになっていた。


 その一方で、余裕に見えたセロだったが、実のところ、これが唯一の勝ち筋だった。


 魔術・法術勝負では特殊体質のせいで何発も撃てないから、最初に違いを見せつけるしかなかった。


 また、近接戦では技量的にまともにやっても勝てないから、中距離にいる間に相手に何らかの異常を付与して優位に持ち込むしかなかった。


 さらに、最後の打ち合いはノーブルの剣術に憧れたバーバルのものを何度も見ていたからこそ対応出来たわけで、結局は出たとこ勝負だった。


「ふう」


 セロはやっと息をついた。


 もっとも、『隕石』や『放屁』のせいでルーシー、リリンとヌフたちが珍しく睨んでいるから、セロにとっての本当の戦いはこれからと言ってもよかったわけだが……


「さて、これでセロ殿に全てを話す時が来たようだな」


 ノーブルはそう言って、セロを真っ直ぐに見つめた。






 こうして第六魔王こと愚者セロは高潔の元勇者ことノーブルから百年前の真実と、この世界の成り立ち、さらにはセロたちにとっての本当の敵を知らされることになる。


 後世の史書にはこう残されている――混迷を極めた時代に初めて奈落・・を覗いた者こそ、勇者ではなく、実は愚者であったと。


 もちろん、このときセロはまだ、そんな奈落の底に蠢く者たちがいるなど知る由もなかったわけだが……

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