第91話 約束
その晩の宴会を最も堪能したのは、セロではなく――むしろ英雄ヘーロスとモンクのパーンチだったのかもしれない。
二人とも温泉宿泊施設二階の男部屋に着くと、そのあまりの豪華さに驚き、童心にでも帰ったのか、ベッド上で跳びはねた。
次いで、「俺が先だ!」、「いーや、旦那には負けんぜ!」と、我先にと赤湯に入って、こってりとあっさりを比べ、これまた子供みたいにばしゃばしゃと泳ぎだした。
さらには、衝立向こうから魔獣が如き咆哮を聞きつけて、第二聖女クリーンの意外に着やせするナイスバディをちゃっかり目撃したせいか、「むはー」と
もちろん、しばらく宴会場で正座させられたものの、今は
聖剣を取り戻すことも、魔王討伐すらも忘れて、いかにもその日暮らしの駆け出し冒険者に戻ったかのような感じで精一杯に楽しんでいるものだから、傍目から見ていても存外と気持ちいい。
そんな二人に比べると、エルフの狙撃手トゥレスは近衛長のエークに睨まれているせいか、さっきから、
「私は木、私は葉、私は土……」
と、呟きながら宴会場の端に移動して縮こまっていた。
迷いの森の
また、第二聖女クリーンと女聖騎士キャトルは浴衣に着替えて、食事を楽しみながらも、セロの様子をちらちらと逐一確認しているようだ。
クリーンは肝心の聖剣についてどう切り出すか悩んでいるようだったし、キャトルはモタやパーンチと同様にセロに謝罪の言葉を口にしたいのに、生来の口下手のせいでそのタイミングを計れずにいる。
一方で当のセロはというと、そんな聖女パーティーを見渡してから、一人だけ、やけに真剣な顔つきをしている人物にちらりと視線をやった――巴術士ジージだ。
そのジージはいったん席を立って、魔族側のテーブルに「よいしょ。勝手に失礼するぞ」と着いた。高潔の元勇者ノーブルのちょうど正面だ。その隣にはドルイドのヌフも座っている。
直後、当然のことながら、
「――――っ!」
と、人族側の誰もが固唾を飲んだ。
というのも、第二聖女クリーンが散々、今晩だけは魔族に決して粗相のないようにと注意を促していたからだ。
それをまさか巴術士ジージが率先して破るなどとは、さすがに誰も想像していなかった……
「さてと、宴も
すると、話を振られたノーブルは「ふう」と短く息をついて、ジージを真っ直ぐに見据えた。
「何を聞きたいのだ?」
「なぜ、百年前におぬしは第五魔王こと奈落王アバドンを封印したのだ? 当時のおぬしの実力なら、勝てぬ相手ではなかったはずじゃ」
「あのとき、貴方はたしか――」
「アバドンの配下ことピュトンなる化け物の相手をさせられておった」
「そうだったな。あの
そこまで言って、ノーブルは隣にいたドルイドのヌフにちらりと視線をやった。
「はい。当方です。他のパーティーメンバーは、それぞれの役割を果たしていたと記憶しています」
「たしか……戦士アタックが虫系の魔族の幹部、暗黒騎士キャスタが迫りくる敵の集団を一人で抑えてくれて、あと遊び人のアプラン・ア・ト・レジュイール十三世は……多分どこかで遊んでいたのかな」
「ふむ。じゃからアバドンと直接対峙して今も生きているのは、おぬしらだけになる」
巴術士ジージがそう言って二人を睨みつけると、ノーブルはどこか遠い目をした。
「他の皆は……悔いなく生きたのだろうか?」
ノーブルがぼそりとこぼすと、ジージは意外にも素直に答えた。
「安心せい。全員、大往生じゃったよ。取り残されたのは、結局……わしらだけじゃ」
ただ、その言葉はあまりにも感傷的に過ぎた。
宴会場が静まりかえっていたせいもあってか、その寂しげな声音はさながら水面に落ちた一滴のように皆のもとに広がっていった。
「そうか……皆、無事に逝けたか」
ノーブルはわずかな間だけ天を仰いだ。
魔族になったことで、人族との繋がりは絶たれてしまったが、長らく苦楽を共にしたパーティーメンバーが天寿を全う出来たと聞いて、胸のつっかえでも取れたかのようにノーブルは微笑を浮かべた。
そんなノーブルに対して、ジージはここぞとばかりに容赦なく切り込んだ――
「当時のわしには分からなかったが、奈落王アバドンのもとにそこにおるドルイドを優先的に連れて行ったということは、もともと討伐ではなく、封印することを主目的にしていたわけだったのじゃな?」
「ああ、その通りだよ」
今度はノーブルの方が素直に答えた。もっとも、ジージはさして驚いてはいない。
「やはりか。おそらく、それ以前におぬしが仲裁を務めた、真祖カミラと邪竜ファフニールあたりの入れ知恵なのじゃろう? その二人にいったいどんなふうに
宴会場は今や一滴どころか、水を打ったかのように静かになっていた。誰も彼もが、ノーブルとジージの話に耳をそばだてていたのだ。
「そうだな。
ノーブルはそう言うと、急に席を立った。
そして、なぜかセロのもとへと、ゆっくりとやって来る。
「その前に、私はどうしても確かめなくてはいけないことが一つだけあるのだ。こうして第六魔王国に来たのも――」
が。
そのとき、バタン、と。
宴会場の後ろの扉が開いて、近衛長エークの部下、ダークエルフの精鋭たちが入ってきた。
「セロ様、大変です! 岩山のふもとがなぜか『炎獄』と化しています! またその付近から生ける屍が大量に湧いているとの報告もあります!」
それを聞いて、ノーブルはもちろんのこと、モタとリリンも「あちゃー」という顔つきになった。
セロは何か事情を知っていそうだなと感づいて、隣にいたモタに尋ねる。
「何か知っているのかな?」
「え、えーと、そのう……何というか、本日はお日柄もよくと言いますか」
「ねえ、モタ?」
「なーに、セロ?」
「また何か
再度、セロはにこやかに尋ねた。
ただし、その表情は涼やかに笑っているはずなのに、隣にいたモタはというと、汗だくになっていた。
セロはもちろん気づいていた――さすがに付き合いが長いだけあって、こんなふうにモタが言葉を濁すときは、大抵何かやらかした後なのだ。
「ごめんよ、セロ。迷いの森から出てきたときに、
モタは「てへ」と舌を出した。
すると、ノーブルとリリンも説明を加えた。
「セロ殿よ。私からもフォローさせてもらいたい。無限に転送されてくる亡者を焼く為に、モタは炎系の設置罠を仕掛けただけなのだ。魔王国に対する害意は一切ない」
「私もフォローするよ。モタは調子に乗って大魔術を暴発させてトマト畑まで焼くところだったけど、ジージさんが助けてくれたんだよ」
「…………」
最後のは何のフォローにもなっていなかったが……
セロはとりあえず巴術士ジージに「ありがとうございます」とお礼を言った。
もっとも、ジージとしても不肖の弟子がやらかすところだっただけに何だかこそばゆい。
何はともあれ、セロはしゅんとなっているモタにさらに尋ねる。
「無限に転送されてくるってどういうこと?」
「どうやら王国から生ける屍さんたちが転送されてこっちに来ているみたいなのさー」
その一言に、第二聖女クリーンは「そんな馬鹿な!」と声を荒げた。
だが、巴術士ジージが落ち着いた口ぶりで会話に割って入ってくる。
「そういえば、たしかに岩山のふもとでおかしな祝詞の波長があったな。なるほど、あれは法術による転送じゃったのか。その転送陣から生ける屍が湧いてくるから、『炎獄』なんぞを設置していたわけなのじゃな」
セロはそこでふと気づいた。岩山のふもとに転送させられるといえば――
「もしかして、そこはクリーンが僕を転送した場所に当たるんじゃないか?」
「まさか!」
そう言って、第二聖女クリーンは絶句した。
可能性があるとしたら、第一聖女アネストが亡者を一体ずつ法術で転送しているか、もしくは以前クリーンが座標を定めた、大神殿の地下にある門を通ってきているか――その二択だ。
大量に転送されているということなら、後者でほぼ間違いないはずだが……
そもそも、大神殿の地下に亡者がいる時点で何よりおかしい。聖職者にとって、亡者は不倶戴天の敵なのだから。
とはいえ、その経緯はともかくとして、王国から亡者が送られてくるなど、これは戦争行為以外の何物でもない。各騎士団の急な出兵といい、この亡者の件といい、いったい王国は――いや王女プリムは何を考えているのか。
クリーンもさすがに頭がおかしくなりそうだったが、何にしてもこの場でセロに対して平身低頭謝るしかないと考えた。
だが、そのタイミングで高潔の元勇者ノーブルが冷静に提案してくれた。
「当代の聖女殿、まずは現場をきちんと確かめてみては如何か?」
その提案に乗って、聖女パーティーはいったん宴会を打ち切って、岩山のふもとに即座に向かった。
宴会場にいた全員で赴くとあまりに大所帯になってしまうので、パーティー全員と神殿の騎士たち数人、さらにセロ、ルーシー、
実際に現場に行ってみると、たしかに生ける屍が何もない空間から扉を開くように現れ出て、その都度『炎獄』で即座に焼かれていた。
今はとりたてて何も問題ないようだ。コウモリたちも「キイ」とセロにじゃれてきたので、セロも「うん、分かった。大変だったんだね」と会話している。汚れた土壌については後でクリーンにでも直してもらうつもりのようだ。
ただ、亡者が転送されてくる様子を見て、さすがに聖女パーティー全員は眉間に皺を寄せざるを得なかった。
特に、モンクのパーンチや狙撃手のトゥレスは前回バーバルと共に転送されてやってきていただけに、
「これは間違えねえよ、聖女様」
「ああ、大神殿の研究棟地下の門から来ているのだろうな」
と、苦虫でも噛み潰したような顔つきになっていた。
その一方で、ドルイドのヌフと
「どうやら、一方通行の転送陣のようですね。もちろん、閉じることは可能ですよ」
「逆に、こちら側から開くことも可能です。何なら、この無礼の代価として、このまま王国に攻め込みますか?
その話を受けて、ルーシーも肯いてみせた。
「そうだな。ちょうど良い機会だ。懲らしめて金でもせびるか。どうだ、セロよ?」
「まあ、たしかに……こんなふうにいつまでも湧いて出てこられると面倒臭いよね。じゃあ、ちょっと行って来ようか」
このときセロとしては無限湧きの根元を断つ程度の感覚であって、別に王国をどうこうしようとは微塵も思っていなかった。
そもそも、第六魔王国ですらまだ統治し始めたばかりなのだ。さらに王国の面倒までは見切れない。
ところが、第二聖女クリーンはというと、そうは捉えなかった――
このままでは王国が滅ぼされる。
もちろん、ここで抵抗して、魔王セロを討つなど土台無理な話だ。
となると、クリーン自らがこの不可解な現象を調査して、至急報告した上に、後始末もつけて、迷惑をかけたことを平謝りするしかない……
「お待ちください、セロ様。どうか、どうか、このクリーンめにご命令ください」
最早、土下座でもする勢いである。
クリーンは頭痛と、急にやって来たキリキリと軋む胃痛を何とか抑えつつもセロに懇願した。
「この騒動の禍根を断てと。そして、第六魔王国に安寧をもたらせとも」
王国の聖女としてはあるまじき発言だったが、クリーンがいかに必死なのかはセロにもよく伝わった。
というか、セロとしてはむしろドン引きしていた。それほどにクリーンの表情には鬼気迫るものがあった。
微笑みの聖女と謳われた元婚約者がこんな形相になること自体、到底信じられなかった。どうやらセロの知らない間にクリーンも相当に苦労してきたようだ……
「わ、分かりました。では、クリーンよ。調査と報告をお願いします」
「はっ! このクリーン、全力をもって亡者どもと第六魔王国に歯向かう愚か者どもも
「い、いや、そこまでしなくとも……」
「では! 行ってまいります!」
クリーンは「ふんす」と鼻息荒く、支度を始めた。
こうして、ヌフが転送陣をこちらからも開いて両通にすると、聖女パーティーは慌てて王国に戻っていったわけだ。
一応、見届け人としてエメスがついていったが、きっと王国にある巨大転送陣の門に興味を持っただけだろうなとセロは思った。
何にしても、こうしてセロたちは岩山のふもとに取り残されたわけだが、そこでようやく宴会場での続きとばかりにノーブルがセロにまた向き合った。
「つい横槍が入ってしまったが……私としては改めて確かめなくてはいけないことがある」
そして、セロに向けて片手剣を抜くとその剣先を突き付けたのだ――
「元勇者として第六魔王に正式に申し込む。私は剣で語ることでしか相手の本性を知ることが出来ない。だから、セロ殿を見定める為にもこの決闘を受けてほしい。対価は――砦に貯まった百年分の金銀財宝と、何より情報。そう。奈落王にまつわる真実だ」
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