第89話 邂逅(魔女サイド:09)

「やれやれ、おぬしは相変わらずじゃのう。手が焼けるわい」


 モタ、夢魔サキュバスのリリンと高潔の元勇者ノーブルはその声で振り向いた。


 そこには巴術士ジージが呑気に杖を突きつつ散歩していた。どこかでヤモリやイモリとすでに面識を得たのか、真祖トマトを一つもらって丸かじりまでしている。


「魔術陣がぶれるのは心の乱れ――大切なのは構え。しかと定める気概じゃ。何度もそう教えてきたじゃろう? そもそも、術式をきちんと構築していないとは何事じゃ。おぬしは無詠唱を好むわりに、いつも術式の導き方が適当なのじゃ」

「ジジイ! いいからさ。手伝ってよー!」


 モタが涙声を上げると、巴術士ジージは杖でこつんとモタの頭を叩いた。


「これ! ジジイではない。ちゃんと名前を呼びなさい」

「ジージ師匠!」

「よろしい」


 巴術士ジージはそう応じて、杖を掲げて魔術陣の上書きを行った。


 まるで黒板に模範解答でも書いているかのような鮮やかさだ。しかも、さすがに魔術師協会の重鎮だけあって迅速かつ正確だ。リリンもその手際に驚いて、「このお爺さん……ヤバくない?」と、呆気に取られている。


 何にしても、ジージの助力もあって、これで問題なく岩山のふもとには『炎獄インフェルノ』が敷かれることになった。無限湧きしてくる生ける屍リビングデッドは転送と同時に焼かれるはずだから、この一帯もしばらくすれば落ち着くはずだ。


「ありがと、ジジイ!」


 モタが喜んで飛びつこうとすると、巴術士ジージはモタの額に手刀を入れた。


「だから、ジジイではない。それに大魔術を暴発させるとは何事じゃ。勇者パーティーに入ったと聞いて、やっと一人前の魔術師になれたかと思っていたのじゃが……はあ、やれやれじゃ。わしはおぬしをそんなふうに育てた覚えはないぞ」

「だってえ……」

「だってもへちまもないわ。まあ、いい。今はそれどころではない」


 普段なら正座させられて、巴術士ジージの説教がみっちりと半日は続くところだったが……


 ジージ自らが珍しく話を途中で打ち切ってくれたので、モタはついつい、「ほへ?」と首を傾げた。


「さて――」


 巴術士ジージは短く息をつくと、高潔の元勇者ノーブルと向き合った。


 しばらくの間、無言のままで二人はじっと見つめ合った。久しぶりの再会を喜んでいるというよりも、ジージはどこかノーブルを非難しているように見えた。何だか一触即発といった、剣呑とした雰囲気だ。


「まさか、おぬしが生きていたとはのう」

「それはこっちの台詞だ」

「しかも、魔族になり果ておってからに……」

「ふん。そっちは人族のままでよくもまあそこまで長生き出来たものだ。呆れ果ててしまうよ」

「おぬしには聞きたいことが山ほどあるのじゃが、とりあえず先に一つだけよろしいか?」

「何だね?」

「まさかとは思うが、おぬしまで第六魔王こと愚者セロのもとに付いているなんてことはないよな?」


 巴術士ジージが鋭い目つきで問うと、高潔の元勇者ノーブルはにやりと笑った。


「それをこれから確かめに行くところだよ」

「そうか。それほどの人物か」

「ああ。少なくとも、噂ではな」

「ふむん。ほんに……まいったことじゃ。元勇者がよりにもよって魔王と結託するかもしれんとはな」

「ところでジージよ。こちらも一つだけ先に聞きたいのだが?」

「何じゃ?」

「なぜ、貴方がここにいる? こんな魔族領にまで、弟子のモタをわざわざ探しに来たというわけでもあるまい?」

「ここには聖女パーティーのお供で来ただけじゃ。それ以上の理由はないよ」

「ふうん」


 今度は高潔の元勇者ノーブルが探るような眼差しを向けた。


 当然のことながら、若い頃から偏屈で有名だった巴術士ジージがそんな単純な理由でここまでやって来るはずがないと、ノーブルとてとっくに見抜いていた。


 もっとも、ノーブルにしても、果たしてジージが何を探りたいのか、ある程度は分かっていた。


 百年前にはたとえ仲間といえど話せなかったことでも、長い時が過ぎて、逆に今だからこそ語れることもある。どのみち魔王セロの実力を見定めて、全てを話すつもりでここまで出張って来たのだ。


 そういう意味では、ジージも当事者だったのだからちょうどいい。ノーブルはそう考えて、小さく息をついて肩をすくめてみせた。


 そんな二人を傍目から見て、リリンはモタに話しかけた。


「ねえ。何だか、仇敵にでも会ったみたいな感じだね?」

「百年近く音信不通だったせいじゃねー」


 と、モタが気のない返事をしたときだ――


 遠くから魔獣が如き咆哮・・・・・・・が上がった。


 巴術士ジージが「まさか!」と血相を変える。


「つい信用してしまったが、魔獣を放つなど、結局は魔族ということか……」


 ジージはそう呟いて、リリンにちらりと視線をやってから、モタとノーブルに向き直った。


「わしは戻る。この先に今晩泊まる予定だった温泉宿泊施設がある」


 それ聞いて、ノーブルは首をひねった。魔王城があると言うなら分かるが、よりによって魔族領に温泉宿泊施設とは……さすがのジージも年をとって耄碌したのかと、やや哀しい目つきになった。


 ジージもそんなノーブルの痛々しい視線に気づいたのか、


「本当じゃ! 百聞は一見に如かずという。何なら見に来ればいい」


 そう言って、ジージは足早に戻っていった。


 モタはその後姿を目で追ってから、リリンに尋ねた。


「そんな施設あんの?」

「ない」

「そかー。ジジイもついにボケたかー」

「それよりも、これからモタはどうしたいんだ?」


 リリンからすると、師匠のジージを追いかけるのか、それともセロがいるかもしれない魔王城に行くのか、どちらにするのかと問い掛けたわけだ。


 というよりも、その肝心の魔王城が山頂からごっそりと消えていた……


 じっと目を凝らしてみると、かなり強力な封印がかかっていることに気づいたが、リリンはそんな変化を探るよりモタの希望を優先してあげた。


 そもそも、今回の旅はモタの目的を果たす為にあったのだ。


 そのモタはというと、「んー」と岩山をじっと見つめた。


 山峰が途中から不自然にぶつ切れになっている。どうやら認識阻害で断崖絶壁に見せているようだ。おそらく、ここにはもともと坂道があって、頂きに上がれるのだろう。


 モタはそう見て取ってから、リリンに尋ねた。


「ねえ、ここの坂道から魔王城に行けるのかな?」

「うむ。その通りだ。姉上の認識阻害がかかっているが……さすがに気づいたか?」

「もちのろんですよ。でもでも、たしかー、正面にも坂があったはずだよね?」


 そのタイミングで先ほどの魔獣に喰われたと思しき女性の悲鳴が二つも続けて聞こえてきた。


 モタ、リリンとノーブルは白々とした目になった。もしかしなくとも、この第六魔王国はやはりヤバい場所なのではないかと、三人とも来たことをちょっぴりだけ後悔した……


 そんな思いを払拭するかのように、リリンが「んんっ」っと咳込むと、


「もちろん、正面の坂からも上がれるぞ。何なら、先ほどのモタのお師匠さんを追って、温泉宿泊施設とやらを確認してから、正面から魔王城に上がることにするか?」

「そだねー」


 モタは短く答えて、ヤモリ、イモリやコウモリたちに「バイバイ。迷惑かけてごめんよー」と別れを告げた。ヤモリたちも「キュイ」と惜しんでくれる。その様子にリリンは驚いた。


「よくもまあ、モタは魔物モンスターと仲良くなれるな」

「そう? ふつーじゃない?」

「断じて普通じゃない」

「えへへ」

「だから褒めてないってば」

「そいやさ。リリンってば、わたしの弟子になったんだよね?」

「ふむ。何なら、モタお師匠様。早速、この真祖トマトを使って、一品教えてくださってもいいんだぞ?」

「それはもちろん構わないけどさ。まずはジジイに紹介しないとね。孫弟子を喜んでくれるはずだよ」

「とはいっても、私は別に召喚術も、魔術も、教えてもらう必要はないんだけどな」

「何を言うんだい。料理で大切なのは構え。しかと定める気概じゃよ……にしし」

「モタはろくな師匠にならない気がする」


 そんなふうな会話をしつつ、トマト畑をぐるりと回って歩いてみたが、リリンはずっと驚きっぱなしだった。


 リリンが知っているトマト畑よりも四倍ぐらい広くなっていたからだ。しかも、魔王城正面の坂は溶岩マグマ地帯になって塞がれていたし、もう一方の坂は永久凍土だ。


 さらには、たしかに立派な温泉宿泊施設まで出来ている。


「何だか実家じゃないみたいだ……」


 リリンは遠い目になるしかなかった。


 家を出て久しぶりに帰ってくると疎外感を覚えるとよく言うが、リリンは今まさにちょうどそんな感傷的な気分に浸っていた。


 何はともあれ、モタはその温泉宿泊施設の暖簾をくぐった。


「ごめんくさいー」


 すると、吸血鬼の女給が対応してくれた。


 認識阻害をかけてはいるが、当然モタたちにはバレバレだ。


「いらっしゃいませ。おや……もしかして、そちらは真祖カミラ様の次女リリン様ではないですか?」


 さすがにリリンは吸血鬼の中でも有名らしく、その女給は「ルーシー様でしたらこちらにいらっしゃいますよ」と宴会場にすぐ案内してくれた。


 廊下には巴術士ジージが立っていて、憮然とした顔つきで腕を組んでいる。どうやらさっきの魔獣の咆哮と、続いた女性の悲鳴は大したことではなかったようだ。


 モタが宴会場の後ろの扉から入ると、上段ではルーシーらしき吸血鬼が男性陣に滔々と説教をかましていた。真祖カミラに生き写しの美しさだったので、モタはカミラがまさか生きていたのかと一瞬だけギョっとした。


 その横には、ぽつんと第二聖女クリーンが泣き晴らした顔つきで正座している。


 普段の聖衣と違って、浴衣を着崩していたので、意外と着痩せするナイスバディだったのだなと、モタは変なところで感心した。


「あっ」


 そして、モタはついに一人の背中を見つけた――


 見間違えるはずもない。駆け出し冒険者の頃からずっと追いかけてきた後姿だ。


 ちょっと細身で……


 どことなく頼りなくて……


 でも、いつもモタたちを守ってくれて……


 駆け出し冒険者となって村を出てから、ずっと一緒に成長してきた――


「セロ」


 モタはそう呟くと、短い歩幅がしだいに大きくなった。


 とた、とた、と駆け出して、つい堪えきれずに「セロ!」と大声を上げた。その声音だけでセロも誰だかすぐ気づいたようだ。


「モタ?」


 セロが振り向いたときには、モタはもう飛びついていた。


 しっかりと抱きしめて、二人してごろりんとその場で寝転がった。


 モタは涙目になってセロを見つめることが出来なかった。セロの表情も、魔族となってからどんなふうに変わってしまったのかも分からなかった。だが、セロの感触だけはよく分かった。優しい温もりも。馴染みのある匂いも。神官のくせに意外と肉付きのいい体つきも――


「ごめん」


 モタはそれだけを繰り返した。


 涙声になっていたので、何を言っているのか、モタ自身もよく分からなかった。


 ただ、セロはすぐに悟った。王城の客間で耳にした言葉はモタの本意ではなかったことを――


「本当にごめんね……セロ」

「構わないよ、モタ。こうして会えたんだ。本当に良かった」


 モタはぎゅーと抱きしめた。


 セロも強く応じてくれた。それだけで二人は十分に分かり合えた。


 もちろん、その場にいた皆はぽかんとした。ダークエルフの双子ディン、人造人間フランケンシュタインエメスとドルイドのヌフは強烈な好敵手ライバルが現れたことに戦々恐々とした。


 一方で、ルーシーはむしろ優しい笑みを浮かべていた。


「本当に良かったな、セロよ」


 そう呟いてさえいた。以前にセロから聞いていたからだ。セロには兄妹とも、姉弟とも似たような関係の大切な存在がいると。


 それよりもルーシーは宴会場の後ろにいた妹のリリンの存在に気がついた。


 そのリリンはセロとモタとの再会をまるで我がことのように感じ入って涙を流していた。だが、ルーシーの視線を受けると、小さく会釈を返してきた。


 また、その隣には、セロの『救い手オーリオール』があっても、勝てるかどうか難しいほどの実力者――高潔の勇者ノーブルが控えていた。


 ルーシーは「これはとんでもない一日になったようだな」と思いつつも、この場をいったん締めることにした。


「さて、長話はここまでだ。今日は色々と積もる話もあるだろう。このまま宴会にでもするか」


 その瞬間、宴会場では「おお!」と歓声が上がった。






―――――



リッチ「そろそろいいかなー」

宰相ゴーガン「第六魔王国もさぞかし混乱しているんだろうなー」

第六魔王国「わーい」


さて、この話にて魔女サイドは最終回となります。あとは、聖女サイド→勇者サイド→セロ回で少しだけまわして、第二部は終了となります。もう少しお付き合いくださいませ。

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