第85話 パーティーは覚悟する(聖女サイド:08)
第六魔王国の岩山のふもとでモタたちが
北の街道の先にある温泉宿泊施設の門前では、人狼の執事ことアジーンが「いらっしゃいませ」とにこやかな笑みを浮かべて、聖女パーティーや神殿の騎士たちを出迎えていた。
アジーンは門前に水をぱしゃりと撒くと、手もみまでしてみせる。
そんなアジーンに対する聖女パーティーの面々の反応は様々だった――
モンクのパーンチは即座に「ちっ」と舌打ちした。
アジーンにやられた古傷でも痛むのか、先ほどまでの震えがさらにひどくなっている。騎士たちがやはり病気なのではないかと心配したほどだ。
また、女聖騎士キャトルは彼我の実力差に絶望していたし、エルフの狙撃手トゥレスはどう逃げだすかと算段を立てる始末だ。
一方で、英雄ヘーロスは挑発的な笑みを浮かべていた。アジーンが相当な猛者だとすぐに気づいたからだ。おそらく単独での撃破は無理だろう。
その巴術士ジージはというと、「ほほう」と長い顎髭に片手をやっていた。近接戦闘で敵わないと思わせてくれる敵に会うのは久しぶりだった。
もちろん、ジージの本領は召喚術、魔術や法術といった遠距離戦にあるわけだが……それでも先ほどの田畑にいた
ちなみに神殿の騎士たちはすでに考えることを止めていた。敵う相手ではないと瞬時に悟ったわけだ。
しかも、アジーンの笑みは、さながら今日の晩飯でも物色する喜びに満ちているかのように見えた。あまりに怖気を感じたので、つい剣に手を伸ばす者もいたほどだったが――
「駄目です! 決して手を出してはいけません!」
第二聖女クリーンはそう言って、騎士たちの前に堂々と立って動揺を制した。
クリーンとて、実のところ、よっぽど現実逃避したかった。だが、ここで死ぬのも、何も成し遂げられずに王国に戻るのも、結局は似たようなものだ……
そんな半ば
「ふむ。なるほど」
そんな聖女パーティーと騎士たちを見渡して、アジーンもまた考えた――
まず、ヤバい爺さんがいることにすぐ気づいた。セロの『
次に、その『救い手』なしで手合わせしてみたい剣士もいた。どうやら前回のパーティーよりは優秀な面子を集めてきたようだ。
もっとも、パーティーが充実しているわりに、騎士団は中隊規模ほどしか連れて来ていない。
これにはアジーンも眉をひそめた。以前、あれだけ戦力差を見せつけられたはずなのに、この程度の騎士しか集めてこなかったということは――
もしや、本気で戦いに来たわけではないのかと、アジーンは冷静に判断した。
何にしても、アジーンはにこやかに手もみを続けた。この再会が紛う方なく魔王国にとっての
すると、クリーンがアジーンを真っ直ぐに見据えて言ってきた。
「戦うつもりは毛頭ありません。
「畏まりました。では、セロ様にそう伝えましょう。ところで……そろそろ夕刻になります。急な訪問なので城では受け入れの準備が出来ていません。何でしたら、面談までこちらで休まれてはいかがですか?」
アジーンはそう丁重に応じて、さらに口の端を緩めてみせた。
多分に心の底からおもてなしの精神で発せられた満面の笑みだったわけだが――
その場にいた者たちは有無をも言わさぬプレッシャーを感じて、ただ、ただ、こくりと肯くしかなかった……
まるで人族の肉でも求めて、口の端から涎が垂れるのを我慢しているかのような笑顔に見えたせいだ。おかげで騎士たちはさらなる恐怖に打ちひしがれた。
「もちろん、当施設には温泉もありますから、旅の疲れでも流してみてはどうでしょうか?」
それを聞いて、クリーンは一瞬だけ、温泉とは釜茹での刑の隠語だったかしらと白目になりかけた。
すでに怯えきっていた騎士たちも、「ああ、俺たちは今晩、煮て食われるんだな」と覚悟を決めた。
そのときだ――
「あれ?」
と、ダークエルフの双子ことドゥが門からちらっと顔をのぞかせた。
そして、モンクのパーンチがいることに気づくと、てくてくと転ばずに走り寄って、「ありがとう」と、ぺこりと頭を下げた。
以前、トマト畑の畝で転んで、膝を擦り剝いて治してもらったときにお礼をきちんと言えてなかったことを思い出したのだ。
モンクのパーンチはというと、膝を地に突けて、「おうよ」と、ドゥの頭をわしゃわしゃと撫でてあげた。そんな様子に騎士たちはやっとほっこりした。
一方でドゥはというと、これだけのお客が初日から来ればセロもきっと喜ぶだろうなと考えて、精一杯、ぎこちない笑みを浮かべて言った。
「どうか、泊まって……いって、ください」
そんな一生懸命さが皆にもすぐ伝わった。
巴術士ジージが「たしかにそろそろ暗くなるし、何より長旅は年寄りに堪えるわい」と言うと、英雄ヘーロスも続いた。
「そうですね。せっかくの好意だ。甘えさせていただきますか」
結局、神殿の騎士たちは大部屋のある三階に、聖女パーティーは男女に分かれて二階に泊まることになった。
はたしてどんな監獄なのかと内心びくびくしていたのだが、実際に入ってみると王国の三ツ星級よりもよほどきれいで、内装も凝っていて、部屋や寝具も豪華だったことから、皆もやっと落ち着くことが出来た。
これにはクリーンも驚いたのか、同部屋となった女聖騎士キャトルに言った。
「まさか魔族領にこんな立派な宿があるなんてね」
「そうですね。ただ、警戒は必要です。私が注意していますので、聖女様はお寛ぎください」
「ありがとう、キャトル」
クリーンは素直に礼を告げた。
すると、こん、こん、とドアがノックされたので、「どうぞ」と答えると、女性の給仕が入ってきた。
「温泉の準備が出来ておりますので、いつでもお入りください。また、急なお越しということで、夕食は簡素なものしか出せませんが、お風呂の後に一階の宴会場にて用意しております。セロ様との面談もそのときに出来ますので、それまではごゆっくりください」
その女給は丁寧な言葉遣いで二人にそう伝えた。
認識阻害をかけているようだったが、どこからどう見ても吸血鬼以外の何者でもなかった。しかも、クリーンやキャトルよりもよほど強い……
とまれ、クリーンは人生で初めて魔族に接客されるという貴重な体験を味わって、もうなるようになれとさらにやけっぱちになった。
「では、キャトル。温泉にでも行きましょうか」
「はっ!」
ここまできたらいっそ釜茹での刑も楽しもうかとクリーンは死地に赴くことにした。
こうして一階の入口広間に下りると、巴術士ジージが施設からちょうど出て行くところを見かけた。
ジージによると、狙撃手トゥレスは毛布を頭から被って部屋に引きこもっているようだが、英雄ヘーロスとモンクのパーンチはいかにも冒険者らしく、すでに温泉へと挑戦しに行ったらしい。
「ジージ様は温泉には入られないのですか?」
「うむ。少し散歩に出かけてくる」
「お一人で大丈夫ですか? 何なら、キャトルを連れて――」
「不要じゃ。
「さすがです。どうかお気を付けくださいませ」
クリーンは巴術士ジージと別れて、女湯へと向かった。
万が一を考えて、女聖騎士キャトルは入口で警備をしてくれるそうだ。
クリーンが脱衣室で裸になって、タオルだけを巻いて温泉の方に行くと、湯けむりがもくもくと上がっていた。
それでも温泉の赤々とした色は隠しきれるはずもなく、クリーンは「血だ」と呟いて、その場で卒倒しかけた。
よく見ると、衝立のそばに等身大の土竜ゴライアス様の頭像があって、そこからごぼごぼと源泉たる血反吐が垂れ流しになっている。
「やはり……この血の中に入れということなのね……」
さすがにクリーンもしばし躊躇ったが――
遠くで
……
…………
……………………
「あら?」
意外と心地良かった……
むしろ、死を覚悟した分だけ生き返ったような気持ちになれた……
身も心も芯から洗われたような感じだ。もしかしたら、セロと婚約破棄してからというもの、初めてリラックス出来たかもしれない。
実際に、クリーンは人目も
「あ゛あ゛あ゛あ゛」
と、聖女にはあるまじき濁った声を上げた。
天にも昇るとはまさにこのことかと思った。そして、クリーンは温泉の岩肌にあるオブジェに気づいて、
「これはいったい何かしら?」
と、やや首を傾げた。
その表情はせっかく穏やかなものだったのに、しだいに苦渋に満ちたものへと変じていく。
なぜなら、そこには――
ドゥはセロに頼まれて、こんなところについつい、「えいや」と刺してしまったのだ。
「…………」
しかも、その聖剣のそばにはどうやら先客がいたようだ。
湯けむりで気づかなかったが、他にも入浴していた者がいたらしい。クリーンはまじまじと見てしまった無礼をまず詫びようとした。
だが、クリーンはすぐに青ざめて、「ぎゃああああ」と絶叫した。
というのも、そこにはなぜか――聖職者の天敵である
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