第86話 赤湯の奇跡

 来客用の赤湯から、「ぎゃああああ!」と凶悪な魔獣・・・・・が如き咆哮が上がった。


 これには事務室にいたセロもびくりと体を震わせ、「何事だ?」と誰何した。もっとも、ダークエルフの双子ことドゥは廊下をちらりと見るも、頭を横に振るだけでよく分からないらしい……


 セロはすぐに立ち上がって、近衛長のエークに、「何だか嫌な予感がする。行ってくるよ」と告げた。


 そして、事務室から出たとたん、セロはすぐさま隣室から顔をのぞかせたルーシーたちと鉢合わせした。


 もっとも、ルーシーたちは皆、「ヤバっ」といった表情になった。何だか女性陣だけで悪巧みでもしてそうな雰囲気ではあったが、咆哮の方がよほど気になったのでセロは足を止めなかった。


 すると、先ほどドゥが報告してくれた団体客と思しき騎士たちが三階から一階の入口広間へと雪崩れ込んで来た。


 たけき咆哮が聞こえてきた上に、二階の客室にはクリーンも、護衛たる女聖騎士キャトルも不在だったので、もしや先に魔獣の餌にでもされのかもしれないと心配になって駆けつけてきたのだ。


 そんな騎士たちはセロを見かけて、軽く会釈をした。神殿に所属しているだけあって、さすがにセロのことをよく覚えていたらしく、


「あれは光の司祭ではないか?」

「なぜセロ殿がこんなところにいるのだ?」

「もしかしたら、ここは冒険者たちの間で有名な秘湯なのでは?」

「いやいや汗臭い俺たちの肉の代わりに、清らかな神官の肉も一つまみということだろうよ」


 と、そんな物騒な会話をこそこそと交わし始める。


 ちなみに、新しく第六魔王が立ったことは王国では周知の事実だが、その魔王がセロであることはいまだ秘匿されている。


 そのことを知っているのは、今のところ一部の王侯貴族、あるいは大神殿の上層部と聖女パーティーだけだ。


 特に、ここにいる神殿の騎士たちは取るものも取り敢えず、強行軍でクリーンを北の端まで追いかけてきたので、新しい第六魔王がセロだとは知る由もなかった。


 何にしても、セロが渡り廊下を過ぎて、来客用の温泉施設の入口に着くと、男湯の方から英雄ヘーロスとモンクのパーンチが飛び出してきた。


 腰に手拭いを巻いただけのほぼ真っ裸の姿だったが、セロは勇者パーティーから追放されて以来、パーンチと初めて対面した――


「セロじゃねえか……」

「パーンチ……」

「そ、その、何だ……久しぶりだな」

「うん」

「…………」


 互いに無言になるも、パーンチは目を逸らしながら言った。


「悪かったな……バーバルを止めずに」

「構わないよ。パーンチがどうこう言っても、結果は変わらなかったと思う」

「……そうかな」

「そんなものだよ。それより今は魔獣の叫びの方が気になる」

「おうよ」


 セロはモンクのパーンチと肩を並べて歩いた。


 英雄ヘーロスは冷静にその様子を見ていた。周囲を見渡してみると、ルーシーも、人造人間フランケンシュタインエメスも、ダークエルフの近衛長エークも、人狼の執事アジーンも、さらにはドルイドのヌフまで付いてきている。


 とんでもない化け物揃いだ。全員が魔王級と言ってもいい。中にはいにしえの魔王と比肩し得る者さえもいる。なるほど、クリーンが第六魔王国とは戦うべきではないと早々に主張したわけだと、ヘーロスも納得出来た。


 また、そんなヘーロス以上に騎士たちも全員がドン引きして、顔が真っ青になっていたわけだが……すぐそばには双子のドゥとディンがいてくれたので、何とかほっこりすることが出来た。


 もっとも、そのディンとてセロの『救い手オーリオール』の効果もあって、一人で騎士たちを殲滅できるだけの力を有しているのだが……


 それよりも騎士たちは第二聖女クリーンの熱烈な追っかけファンなので、自分たちの身よりも、謎の雄叫びの方がよほど心配だった。


 とはいえ、現場は女湯なのでさすがにセロも入ることを躊躇ったのか、


「ルーシー!」


 と、声をかけた。


 そのルーシーは「うむ」と言って、女湯に入って行った。


 湯けむりですぐには状況が把握しづらかったが、もやの奥には三人の人物の影がうっすらと見えてきた。


 どうやら凶悪な魔獣はいないようだ。そもそも、温泉内にはイモリが幾匹か、気持ちよく泳いでいたので、どこぞの野良の魔獣に襲われるという心配はなさそうだ。


 それに三人で争っている様子もない。むしろ、そのうちの二人は隣同士で温泉に浸って、リラックスして会話しているようにも見受けられる。


 ルーシーはこれはいったいどういうことだと、首を九十度ほど傾げながら近づいた。


 すると、湯けむりの中でも鎧を着こんだ女聖騎士キャトルがルーシーの前に進み出て誰何する――


「どなたですか?」

「ふむ。わらわは真相カミラが長女ルーシーだ。この施設の主人セロの同伴者パートナーでもある」

「え? セロ様の……」

「先ほど、魔獣の雄叫びが館内に轟いたので確認しに来たのだが?」

「…………」


 上げた悲鳴が咆哮に間違えられて、さすがに第二聖女クリーンも恥ずかしくなったのか、あるいはキャトルもつい同情したのか、二人ともしばし無言を貫いてしまったが……


 何はともあれ、赤湯こってりから上体を起こして、クリーンが声をかけた。


「ああ、ルーシー様ですか。キャトル、構いません。通してください。それとくれぐれも無礼のないようにお願いします」

「……はっ」

「いや、妾としてはただ状況を知りたいだけなのだが?」

「はい。お恥ずかしい悲鳴を上げて本当に申し訳ありません。もう何ら問題はございません」


 クリーンがそう言って、深々と頭を下げたので、ルーシーは「ふむん」と赤湯を見渡してみた。


 聖剣のオブジェのそばにはクリーンと生ける屍リビングデッドこと女性の屍喰鬼グールがいて、一緒に温泉を楽しんでいるように見えた……


 そんなあまりにも不可解な状況に、さすがにルーシーも体全体を右に傾げた。


「ところで、聖女殿に一つ聞きたいのだが?」

「はい、何でしょうか」

「隣の屍喰鬼はいったい誰だ? 聖職者が亡者と肩を並べるなど、古今東西聞いたことがないのだが……」

「え? ええと……こちらの屍喰鬼様は第六魔王国に所属している魔族の方ではないのですか?」

「違う」

「…………」


 そのとたん、第二聖女クリーンはまた無言になった。


 実のところ、クリーンは隣にいる女性の屍喰鬼と出会って悲鳴を上げたものの、すぐに第六魔王国の者なのではないかと考え直して、慌てて駆けつけた女聖騎士キャトルを下がらせ、いったん屍喰鬼に謝罪して、今はこうして二人で仲良くお湯をいただいていたのだ。


 ところが、ルーシーによると、この屍喰鬼は魔王国の仲間ではないらしい……


 では、果たして、いったい……


「きゃあああ!」


 聖女クリーンは再度、悲鳴を上げた。


 さすがに今度ばかりはセロたち男性陣も急いで入ってきた。


 おかげでまたまた聖女クリーンは「キャー」と裸を隠して悲鳴を上げざるを得なかった。


 ちなみに、ルーシーが女性の屍喰鬼を退治しようとすると、やけに肌の色艶が良くなって、不思議と生き生きとした屍喰鬼がその場で平身低頭、見事に土下座してみせた。


「勝手に入って申し訳ありません! つい秘湯の匂いに誘われてしまいました!」


 こうして、人族も魔族も関係なく、とにもかくにも男性陣は全員、施設一階の宴会場で正座させられて、クリーンの裸を見てしまったことについてルーシーから説教を食らったわけなのだが……


 その間に女性の屍喰鬼は自己紹介をしてくれた――


「私はフィーアと申します。生前は王国のヒトウスキー伯爵のもとで料理長を務めてまいりました。実はなぜ死んだのか……記憶はあまりはっきりとしないのですが、気づけばどこかで召喚されて、この魔王国に飛ばされて、ふらふらと温泉に惹かれてこのように入っていました」


 物事には大抵予測出来ないことが起こるというが、こうして第七魔王こと不死王リッチの召喚術で魔王国に飛ばされた元料理人の屍喰鬼は、赤湯によって奇跡的に生き生きとした魔核を持ってしまったのだった。


 もちろん、この瞬間、良い研究材料を手に入れたと人造人間エメスの目が怪しくキラリと光ったのは言うまでもない……

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