第83話 バーバルは決意する(勇者サイド:14)
「目覚めの気分は如何ですか?」
「……最悪だよ」
バーバルは薄暗い一室で意識を取り戻した。
見慣れない天井なので、どうやら手術室でも、蟄居先の塔上でもなさそうだ。おそらく大神殿の研究棟の一室に寝かされているのだろう。
とはいえ、塔上で謹慎していなくても大丈夫なのかと、バーバルは眉をひそめた。
そのことを問い掛けようとして……バーバルは「ふん」と短く息をついて止めた。こんな頭の可笑しな改造手術をやる連中のことだ。どうせ身代わりでも用意しているに違いないと考え直したのだ。
ということは、今、この時点で、バーバルは禁固刑から解放されたわけだ。
そう……
久しぶりの自由だ……
どこかに逃げてしまおうか。少なくとも、こんなところで素直に寝ていていいものか。
と、バーバルはふいに思いついて、改造手術後にはたして体がどれほど自由に動かせるのか、ためしに力を入れてみた。
が。
「う、ぐえええっ!」
直後、全身を針で刺したかのような痛みが走った。
さらに、バーバルは自らの両手が視界に入ったとたん、急に吐き気まで覚えた。
そこに付いていたのが、明らかにまともな手ではなかったせいだ――
右手は義手で、特殊な金属で加工されていた。また、左手は……よく分からなかった。これまでの左腕よりも長くなっていた気がする。しかも、指先には長い爪まで付いていた。おそらく何かの魔獣の腕が移植されたのだ。
すると、すぐ横にいた黒服の神官がまた声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「……構うな」
「何でしたら、落ち着くまで目隠しをするなり、『
「言っただろ! 俺に構うな!」
そう怒鳴ってからバーバルは「ううっ」と、喉奥から込み上げてくるものを何とか飲み込んだ。
酸っぱさが口内に広がり、鼻をつんとつく臭いでいかにも気分が悪い……
何にしても、バーバルはベッド上でじっとして、天井の染みをしばらく数え続けた。
少しは落ち着く必要があったし、自らの体を視界に入れる気にもなれなかった。幻肢痛というわけではないが、もとあったものがそこにないというだけで、さっきから無性に体が痒かった。
それに両腕だけではなかった。ちらりと見えた胸にはおそらく竜の鱗が張り巡らされていた。両肩には何かの獣人の毛が生えていたようだったし、剥き出しの筋肉に継ぎ接ぎだらけの皮膚、足にはえらのようなものもあった――まさに醜い
「今しばらくは横になってお休みください。体調が落ち着きましたら、最後の施術を行います」
「まだ……あるのか?」
「仕上げです。とはいっても、バーバル様には馴染みのあるものですよ」
「どういう意味だ?」
「単刀直入に言えば、呪いを最終段階まで受けて頂きます」
それを聞いて、バーバルの頬は引きつった。
「お嫌ですか?」
「ふん……最早、こんなふうになり果てた身だ。今さら後には戻れん」
「良い心掛けです。もっとも、先程も言った通り、バーバル様の体は呪いに慣れているはずなので、それほど苦労はしないでしょう」
黒服の神官がそう繰り返すと、バーバルは「ん?」とまた眉をひそめた。
「待ってくれ。慣れているとは、いったいどういうことだ?」
「おや、気づきませんでしたか? バーバル様はすでに呪いにかかっているのですよ」
その言葉を聞いて、バーバルはごくりと唾を飲み込んだ。改造手術と同時に呪いも受けたということだろうか?
たしかにさっきから胃がむかむかして気分が悪いが、それはこんな変な体にされたからだと思っていた。そもそも、
「まさかお気づきにならなかったのですか? 呪いを受けたのは、改造手術を受けるよりもずっと以前のことですよ」
「ずっと前だと? ふざけるな。これまで呪いを受けたことなどなかったはずだ」
バーバルは呪いによって追放してしまった
「はは。ご冗談を。受けていたではないですか。聖剣に選ばれたときから、この日までずっと」
バーバルは黒服の神官をまじまじと見つめた。
それから、急にすとん、と。腑に落ちるものがあった。聖剣を手にしたとき、たしかに体内を熱き血潮が巡った。
勇者になった喜び。セロやモタを追い抜けるという高揚。もしくは、高潔の勇者ノーブルの頂きに手をかける奇跡に
「ほんの微量の呪いですよ。それこそ
「ということは……俺はあのときから……呪人になっていたということか?」
「その通りです。
「だが、魔族や魔物の攻撃を受けて、状態異常や精神異常にかかったとき、その都度回復してきた。微量の呪いだというのならば、そのたびに一緒に治っていたのではないか?」
「聖剣を持つたびにかかり直すように仕掛けてありました」
「狂っている! 呪いだぞ!」
「たかだか呪いですよ。おかげで多少は強くなれたでしょう?」
「なぜ……そのような馬鹿げたことを?」
「勇者として持つべき
「意味が分からん。それでは聖剣などではなく、呪いの剣ではないか」
「なるほど、言い得て妙ですな。いずれにしても、バーバル様はそのときからずっと呪われていたのです」
黒服の神官はそう言って、微笑を浮かべ続けた。
バーバルは「ちい」と舌打ちした。
聖剣を抜いたときからバーバルの内に巣食ってじわじわと蝕む、この闘争本能――
大切な仲間たちをかばいもせず、自らが主役で勝者だと思い込み、頂きを目指して幼馴染すら振り落とす。この醜いまでに傲った熱き血潮は、まさか呪いによるものだったのだろうか? バーバルは聖剣の加護によって、あるいは勇者の呪縛によって、己の意思まで見失っていたというのか?
「俺はいったい……何者なのだ」
バーバルがそう呟くと、黒服の神官はそっと耳もとで囁いた。
「そういう問いかけは、むしろ
「何が言いたい?」
「早く力を得るべきです。そして、舞台に上がって、バーバル様の力を解き放つのです。そのとき、貴方は初めて
バーバルは呆然とせざるを得なかった。
なぜ、黒服の連中はこれほどまでに
いや、この頭のおかしい黒服たちだけではないのだろう。聖剣による勇者選定に関わっている大神殿とて同じ穴の
となると、いったい、勇者とは本当に
「さて、それでは数日ほど、ゆっくりとお休みくださいませ。体調が戻り次第、最後の手術を実施いたします」
そこまで言って、黒服の神官は立ち上がって薄暗い部屋から出て行こうとした。
「待て」
「はて……如何しましたか?」
「もういい。本格的に呪いを……いや、最後の手術をしろ」
「よろしいのですか? 魔族となるのですよ。人族として、少しぐらいは最後の時間を楽し――」
「いらん!」
バーバルは「ふう」と息をついた。
「もういい! 俺が俺でなくなるとしたらむしろ本望だ! こうなったら力を得てやろうではないか。いっそ何もかもを破壊する純粋な力そのものになってやるさ!」
バーバルは右拳を固く握った。
義手が馴染んでいないせいで、ろくに力を入れることさえ出来なかった。
こんな醜い体になってしまっては、セロやモタと共にいることはもう出来ないだろう。こんな狂った連中の計画に乗ってしまったのだ。引き返すことなど許されない……
こうして熱血の勇者と呼ばれた男は――世界を破壊し尽くす悪魔にでもなってやると決意したのだった。
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