第82話 閑話休題
聖女パーティーが北の街道を抜けてやって来る少し前のことだ――
セロは温泉宿泊施設のスタッフである人狼の執事アジーンや吸血鬼たちを入口広間に集めてから、今後の運営方針について打ち合わせをした。
施設の上っ面はすでに完成している。また、土竜ゴライアス様が垂れ流す血反吐、もとい赤湯は見た目こそあれだが、入ってみると王国のどの温泉よりも素晴らしい。それに部屋なども問題ない。
王国から来る冒険者からすれば、辺鄙な場所に出来た木賃宿と蔑む向きもあるだろうが、実態はその中枢にある三ツ星級と比しても遜色がないほどだ。
だからこそ、残る問題は食事、あと何より接客なのだ――
人狼のアジーンはまだいい。魔族の中でも珍しい種族だし、亜人族の
そもそも、アジーンは執事として第六魔王国に長らく仕えてきた。その経験値の高さを考慮すると、向こう側から敵対してこなければ何ら問題ないはずだ。
一方で、吸血鬼たちの方はやや不安が残る。認識阻害などが得意な種族なので、かけていれば十分にごまかせるだろうが、バレたときに困るかもしれない。実際に、その場合はどう対応するのかと問いかけてみたら、
「殺っちゃいましょう」
「そこらへんの木陰に埋めておけば問題ありません」
「何なら呪いをかけて魔族にしてしまえばいいのではないですか?」
「要はバレなければいいのですよ。先に目を抉るとか、耳や舌を切るとか――」
人当たりの良い吸血鬼を選んでもこれだ。
普段は棺の中で眠っているから大人しいのであって、敵対してしまえばそこは南の魔族領の竜たちと並ぶ戦闘種族――結局のところ、セロはもう一度だけ、ルーシーにしめてもらうことにした。
何はともあれ、やってみないことには始まらない。今のところはクレームが出るたびにそれを直していくことで、きちんとした実績を作って、口コミで評判を築いていくしかない。それでも駄目なら改めて考え直すべきだろう。
というわけで、セロは再度、スタッフの皆に向き合って、開口一番、
「今日から早速営業を開始します」
と宣言した。直後、アジーンを中心にして吸血鬼たちからも盛大な拍手と喝采が上がる。
もっとも、目にたんこぶとか、顔が半分変形している吸血鬼たちもいるにはいるのだが、いやはや本当に大丈夫だろうか……
「ええと……初日から早々に冒険者がやって来るとは思えないけど、各自でしっかりと準備して、最高のおもてなしを実践出来るようにしてください。僕は元冒険者だったので、接客について詳しく語ることは出来ませんが、とりあえず今の時点で何か質問はありますか?」
「セロ様、幾つか質問をよろしいでしょうか?」
アジーンが周囲を見渡して、皆を代表して手を上げた。
「はい、どうぞ」
「値段はお幾らほどに設定するのですか?」
「料理が出せないし、今はまだ何もかも試行錯誤のオープン価格ということで、王国の安宿と同じくらいにしておきたいと思います」
「それと、もし不心得のある冒険者が来た場合は如何いたしましょうか?」
「摘まみ出してください。お金は儲けたいけど、スタッフが傷つくとか、嫌な思いをするとか、そういうものは望んでいません。特に冒険者は
「畏まりました。善処いたします。以上です」
「他には?」
「――――」
「ふむん。それでは皆さん、今日からよろしくお願いします」
その言葉で施設のスタッフたちは会釈してから散っていくと、セロはダークエルフの双子ことドゥを呼んで、封印の触媒となる聖剣を手渡した。
「今は封印を切ってあるから、この聖剣をドゥの気に入った場所に飾っておいてくれるかな」
「分かりました」
ドゥはこくりと肯くと、どこかにてくてくと走っていった。
セロはその後姿を見送りながら「うーん」と一回だけ伸びをした。
どのみち当分お客は来ないだろう。王国北側の拠点は魔族や
だから、その間に料理とか、接客とか、色々と質を高めていければいいかなとセロは呑気に考えていた。
すると、そんなタイミングで一階の事務室からダークエルフの近衛長ことエークが出てきてセロを手招きする。
「セロ様、少しだけよろしいでしょうか?」
セロは「いいよ」と答えて事務室に入った。
事務室とはいっても、机が数台あるだけの簡素なものだ。内装については客室を優先して仕上げたので、こればかりは仕方がない。
「実は、セロ様にご相談がございまして……」
「珍しいね。エークが相談なんて」
セロがそうこぼすように、エークはもともとダークエルフのリーダーで、迷いの森の管轄長をやっていただけあって、問題事は何でも自己解決するし、むしろこれまでは逆にセロの相談に乗ってくれていた。
「はい。その……とても言いにくい話なのですが……恋愛のご相談をさせていただきたいのです」
セロは思わず、「ほう」と呻いた。
当然、相談に乗れるほどセロは恋愛経験が豊富ではない。いや、むしろ皆無だと言っていい。
勇者パーティー時代に聖女クリーンという婚約者はいたが、それも名ばかりで、そもそも手を握ったことも、デートしたことすらなかった。
あとは異性でよく知っているのは、せいぜい魔女のモタぐらいだが……どちらかと言うとモタとは付き合いが長い分、兄妹みたいな関係に近い。
だから、セロは「大丈夫かな」とこぼしながらいったん椅子に座った。
ちなみにこのとき、隣の展示室には、ルーシー、ダークエルフの双子ディン、
「ええと、僕が恋愛相談に上手く答えられるかどうか、自信はないけど……まあ、頑張ってみるよ。少しでも参考になってくれれば助かる」
「ありがとうございます。それでは、まずお聞きしたいのですが――」
「うん」
「セロ様の好みの女性のタイプはどういった方でしょうか?」
セロはつい、「ん?」と首を傾げた。
これは相談というよりも質問じゃないかなと思ったわけだが、もしかしたら相談の為の前振りかもしれないので素直に答えてあげた。
「一緒に法術……いや今は魔術か。その勉強をしたり、学術書の話題で盛り上がったりしてくれる人かな。共通の趣味があるとやっぱり良いよね」
隣の展示室から、「ちっ」という舌打ちがたくさん漏れてきた。
言うまでもないが、隣室の全員とも魔術が得意なタイプだ。これでは全く差が付かない……
「それでは、セロ様は年上、年下、どちらが好みですか?」
エークがやけに棒声になっているのが気になったが、これにもセロは答えてあげた。
「うーん……同い年ぐらいが一番かな」
隣室では、ディンが「よっしゃー!」とガッツポーズをした。
この面子の中では、ディンはまだわずかに十歳なので、結婚というにはさすがに早い。だが、年齢的にはセロに一番近い。
そもそも、人族の間では年の差婚が避けられる傾向にある。ちなみにルーシーはまだしも、古の時代から生きているとされるエメスとヌフのどちらが年上なのかは第六魔王国では完全に
「では、セロ様は恋人に何をしてほしいですか?」
さっきから質問ばかりだなとセロは思いつつも、「うーん、何だろうなあ」とこぼしてから続けた。
「やっぱり、料理が食べたいかな」
これはむしろ、恋人にしてほしいことというよりも、今のセロが魔王国に求めていることだったが、何にしても隣室ではルーシーが「うむ」と胸を叩いた。血反吐スープの実績があるからだ。
「逆に、セロ様は恋人に何をされたくないですか?」
「距離を置かれたくないなあ。無理解や無関心が一番嫌かな」
これも多分にバーバルとの一件でパーティーから追放されたことが影響していたが、隣室ではこれまたルーシーに一日の長があった。
今のところ、ルーシーがややリードだ。エメスとヌフは暗澹たる顔つきになっている。
「ところで、セロ様の
突然、ストレートな質問が来たなとセロも驚いた。
というか、そろそろ相談はどこにいったのかと問いかけたかったが、もしかしたらエークは自身の性癖について思い悩んでいるのかもしれないと考え直した。
ところで、実はこのエークも齢三百歳にしてまだ独身だ。
恋愛が奥手というよりも、リーダーになるだけあって生真面目なので、一分一秒を無駄にせずに生活する、とても
その厳格さのおかげで、せっかく見目も良く、能力も高く、地位もあるのに、異性がなかなか寄り付かない。
また、あれな性癖だって、若い頃に人面樹や食人花など、いわゆる
それはさておき、最近セロはルーシーが真祖トマトに牙を立ててちゅうちゅうと吸っているところが可愛らしいなと思っていたので、
「性癖かどうかは分からないけど、犬歯かなあ」
と、ちょっとばかしのろけた。
直後、隣室からはなぜか複数の壁ドンがあった。
セロはギョっとしたが、誰かが展示物の設置中にでも落としたのかなと気にしないことにした。
「では、セロ様。ここからは単刀直入に伺います」
セロは、「よし」と身構えた。
ついに相談が来るのかと、エークと真っ直ぐに向き合った。性癖についてはナーバスな問題だから、上手く相談に乗れるかどうかは難しいかもしれないが、エークとは真摯に付き合ってあげたいと考えていた。
が。
「奥方様は何人欲しいですか?」
ズコっと。セロは思わず椅子から滑り落ちそうになった。
いや、待て。エークはあくまでも相談と言っていた。もしかしたら、近衛長として第六魔王国の将来に関する真剣な相談なのかもしれない。
だとしたら、これもやはり真面目に答えないといけないなと、セロは「うーん」と顎に手をやった。
とはいえ、セロは元人族で平民だった。魔族の慣習がいまだに身についていないし、王侯貴族のように複数の夫人を娶る感覚も持ち合わせていない。
だから、現在のセロの基準で言うならば、結婚するとしたら当然――
「一人かな」
その瞬間、隣室から凄まじいまでの
セロもついびくりと身を震わせたほどだ。もしかしたら、呪いのアイテムでも飾っているのかなと、セロは不安になった。
「さて、それでは最後の質問です――」
エークがそう切り出すと、セロもさすがに相談とは何だったのかと眉をひそめた。
「トマト好き、まだ十歳、頭に釘、それと千年以上引きこもり――このうちどれがよろしいでしょうか?」
セロは白々とした視線をエークに送った。
いっそ固有名詞を言ってくれた方がまだ良い気もしたが、何にしてもセロからすれば、
だから、セロがその人の名前をはっきりと告げようとしたときだ――
てくてく、と。
廊下から足音が聞こえて、とん、とん、と事務室のドアが叩かれた。
セロが「どうぞ」と声をかけると、ドゥが急いで入ってきた。
「セロ様、大変です」
「急にどうしたのさ?」
「お客様なのです」
「え? お客? もう来たの?」
「はい。それもいーーーっぱいなのです」
ドゥが両手を広げてジェスチャーした。これはよほどのことだ。
セロはエークとつい目を合わせた。どうやら今日は久しぶりに大変な夕方になりそうだった。
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