第81話 パーティーは面食らう(聖女サイド:07)

 王国最北の拠点も城塞都市ではあったが、都市全体を囲っているわけではなく、魔王国と接する山間の境界線に分厚くて堅牢な城壁を建てているだけに過ぎない。


 その一方で、都市内は街というよりも、どちらかと言うと村に近い。


 丘陵には田園風景が広がって、いかにも長閑のどかな田舎そのものだ。先ほどまでいたムーホン伯爵領とは違って、ピリピリとした空気は全くなく、村人たちも農作業を続けている。


 これが真逆の最南の拠点だったら第三魔王こと邪竜ファフニールの機嫌一つで壊されるし、そもそも配下の竜の産卵期になると被害が一気に増してしまう。


 かつて英雄ヘーロスが冒険者として竜退治に赴いたことがあるほどで、それだけ北と南では同じ王国でも趣きがまるで違う。


 ちなみに、西の拠点も湿地帯からあぶれた生ける屍リビングデッドの対応があるから大変だ。また、ハックド辺境伯が治める東の拠点は魔物よりも飛砂の被害に悩まされていて、近年はそれを防ぐ為の長城を建設中なのでこれまた忙しない。


 何にしても、今、そんな城壁だけが立派な片田舎に、いかにもそぐわない光景があった。


 聖女パーティーよりも早く、先着していた騎士団があったのだ――


「聖女クリーン様に敬礼!」


 しかも、よりにもよって神殿の騎士団だ。大隊規模で駐屯している。


 これには第二聖女クリーンも額に片手をやって、「あらまあ」とため息をつきかけたが、どうやら王女プリムの『魅了』にかかったわけではないらしい……


「我々は! どうしても! 我々の聖女たるクリーン様と共に! 戦いたいのです!」


 騎士団の隊長たちは皆、「ふんす!」と前のめりで主張した。


「撤退指示の際の鮮やかさ!」

「一兵卒にまでかけてくださる慈愛の笑み」

「何より、大量の亡者から守ってくださった『聖防御陣』」

「我々はクリーン様を守る為なら、火の中、水の中、たとえ死地といえども突き進みましょうぞ!」


 どうやら第七魔王こと不死王リッチと戦って以来、クリーンの熱烈なファンになったそうだ。下手なアイドルの追っかけよりもよほどたちが悪いかもしれない……


 とはいえ、こんな辺鄙な北の端まで押しかけてきて、今さら手ぶらで帰すわけにもいかないので、仕方なしに英雄ヘーロスと巴術士ジージがこそこそと相談を始めた。


「むしろ、好機かもしれません。俺たちだけで先行して偵察しようかと考えていましたが、最低限の騎士団が付いていれば、第六魔王国に対して出兵したという実績も作れるのではないでしょうか?」

「王女プリムやその取り巻きどもに詰問されたときの言い訳作りということじゃな?」

「はい。その通りです。このままパーティーのみで単独行動すれば、俺たちの独断専行と謗られる可能性も出てくるでしょう」

「そう考えると、神殿の騎士団ならむしろ好都合じゃの。王女も大神殿には強く出られまい」


 そんな二人の話し合いを受けて、神殿の騎士団からは精鋭のみ中隊規模で聖女パーティーと共に進むことになった。


 残された部隊が泣く泣く、聖女クリーンを見送ってくれる。大の男たちが泣きはらしながら手をぶんぶん振ってくるわけだから、これほど暑苦しいものもない……


 とまれ、多少のハプニングはあったものの、偵察任務そのものは順調にいった。


 王国領から出て、昼から午後にかけて馬車と馬で北の街道を駆け抜けると、その先には入り組んだ道があった。


 しかも、周囲にはいかにも出来たばかりの田畑まで広がっている。当然のことながら、騎士たちは「こんなもの……北の街道にあったか?」と地図を取り出して首をひねった。


 その一方で、馬車に乗っていた聖女クリーン、さらに乗馬していたモンクのパーンチとエルフの狙撃手トゥレスたちの脳裏にはある種のトラウマが過った――なぜなら、その一角にトマト畑があったせいだ。


「皆さん、ここで止まってください!」


 聖女クリーンが車内の窓を開けて声を張り上げた。


 そして、「ふう」と小さく息をつき、額から落ちる冷や汗を片手で拭ってから、狙撃手トゥレスにちらりと視線をやる。


「ああ、いるな。ヤモリ、イモリ、コウモリに、かかしだ。ご丁寧にここにも一式揃っている」


 それを聞いて、クリーンは頭から血の気が引く感覚があった。


 だが、騎士たちはというと、「だからどうした?」といった憮然とした表情だ。


 もっとも、騎士たちはすぐにギョっとした。モンクのパーンチの様子が明らかにおかしかったからだ。狙撃手トゥレスの『索敵』からこっち、パーンチの武者震いが止まらなくなっている。


 いや、これはむしろ激しい動悸や息切れに近いかもしれない。何か状態異常にでもかかっていたのかと、騎士たちも訝しんで法術をかけてやろうとした。


 そんな騎士たちに対してパーンチは何とか片手で制すると、口をわなわなと震わせながらも必死の形相で訴えた。


「いいか。テメエら、よく聞け。ここから先は死地だ! 生きて帰れると思うな! 特に……トマトだ。あのトマトだけは絶対に! そう! 絶対にだ! 手を出すな! いいか。絶対だぞおおお!」


 騎士たちはパーンチの頭がついにおかしくなったかと眉をひそめた。


 英雄ヘーロスとて、先にパーンチやトゥレスから報告を受けていなかったら、同様の疑いをかけただろう。


 とりあえず、ヘーロスはパーンチをとりなしてから、騎士たちを説得して『斥候スカウト』が出来る者に畑内を分析アナライズさせることを提案した。


 その直後だった。


 分析した騎士が「あわわ」と白目を剥いてその場で卒倒したのだ。


「…………」


 騎士たちはさすがにしんとなった。


 熟達した『斥候』のスキルをもった騎士がよりにもよって調べただけで倒れてしまった。騎士たちは全員、すぐさま武器に手をかけて身構えた。この街道の異常さに誰もがやっと気がついたのだ。


 モンクのパーンチは「それ見たことか」と言わんばかりに腕を組んでいる。


 狙撃手トゥレスもいつの間にか、騎士たちの最後尾についていつでも逃げられるように準備していた。


「…………」


 不気味と言ってもいい沈黙だけがその場に下りた。


 というのも、このとき誰もが悟ってしまったのだ――迷いの森や竜の巣といった特一級とされる危険地帯よりもよほど厄介な場所ダンジョンが北の街道に出来てしまったのだと。


 その一方で、巴術士ジージは果敢にも一人だけ進み出て、入り組んだ街道の様子を調べ始めた。


「何とまあ……これは封印じゃな。しかも古馴染みによる術式じゃ。ほんに懐かしいことよのう」


 その呟きに対して、第二聖女クリーンが反応した。


「ジージ様、何かご存じなのでしょうか?」

「うむ。この街道には封印が施されている。どうやら第六魔王セロはダークエルフだけでなく、その最長老たるドルイドまで手懐けたようじゃな」

「ドルイドですか?」

「本来、そう簡単にはなびかない性格のはずなのじゃが……」

「ということは、迷いの森と同じく?」

「その通りじゃ。入っても迷わされるだけじゃよ」

「ジージ様には解けますか?」

「時間は相当にかかるだろうが、ある程度までは可能じゃな」

「おお!」


 第二聖女クリーンだけでなく、英雄ヘーロスや騎士たちも感嘆の声を上げた。


「まあ、待て。最後までよく聞け。封印の解除を始めると、おそらく敵対行為とみなされて畑の中で蠢いている魔物モンスターたちが一斉に動き出すぞ。どうやら超越種直系の魔物というのは本当のようじゃな。これほどの数がいると、わしでも応戦出来ん」


 今度は分かりやすく、皆が「はあ」と落胆の息をついた。


「とはいえ、喜ぶべきか否か。封印は施されているが、どういう訳かそれが一時的に切られている状態じゃ」


 その言葉に第二聖女クリーンは再度、問い掛けた。


「つまり、今は封印の入り・切りのうち後者になっているということですか?」

「そういうことじゃ」

「もしかしなくとも罠でしょうか?」

「さてな」


 巴術士ジージが小さくため息をつくと、第二聖女クリーンは周囲を見渡してから言った。


「そばの岩山を上って迂回することも出来るのでしょうが、かなり遠くまでいかないと下りられないのでしょうね」


 それを受けて騎士たちがまた地図を広げて、「火の国近くの盆地まで出ないと迂回は無理のようです」と第二聖女クリーンに報告した。


 クリーンは無念そうに俯くと、やや青ざめた顔つきで巴術士ジージに尋ねた。


「やはり、このまま迂回せずに街道を突っ切りましょうか?」


 そう問うたクリーンの声音はやけに震えていた。


 巴術士ジージもさすがに気の毒になってきた。よほどトマト畑とやらにこっぴどくやられたのだろう。遠目からは美味しそうな普通のトマトにしか見えないのだが……と、ジージは首を傾げつつも、他のパーティーの面々にちらりと視線をやった。


 モンクのパーンチは「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」と呟いていた。


 狙撃手トゥレスは自分の体が溶けてゲル状になっていないか、いちいち触って確認していた。


 第二聖女クリーンは赤いものを見かけるたびに、「ひい」と声を上げていた。どうやら英雄ヘーロス以外にまともなのは聖騎士キャトルぐらいで、ヤモリを見かけては「かわいい」と、つんつんと指先で触って謎の交流をしている。


 ジージのため息は深くなる一方だった。そのヤモリが蜥蜴系最強の魔物モンスターであるバジリスクよりも遥かに危険だと気づかないとは……これはよほど鍛え上げないといけないなと思い直した。


 何はともあれ、巴術士ジージは狙撃手トゥレスに歩み寄った。そして、トゥレスが首にかけているペンダントを目ざとく見つける。


 それがかつてダークエルフの里から盗まれた秘宝の一部――いわゆる封印の触媒の欠片であることをジージだけが感づいていた。この街道の封印が一時的に切ってあるとはいっても、ジージたちが入ったとたんに切り替えられる可能性もある。つまり、その触媒はあくまでも保険だ。


 そんなジージの真っ直ぐな視線に、トゥレスも気づいて、やれやれと頭を横に小さく振った。


「ぬしが先導するか。わしがそれを持って先に行くか。どちらが良い?」

「はあ。ご老公には勝てませんね。仕方がありません。お貸しいたしましょう。よろしくお願いします」


 狙撃手トゥレスはそう言ってペンダントを貸し与えて、また騎士たちの最後尾にそそくさと隠れるようにして紛れてしまった。巴術士ジージのため息はさらに深まるばかりだった。


「それでは皆、進むぞ。わしの後に一人ずつ、等間隔についてこい。畑には決して入るな。足もとの虫一匹にも注意して歩け。何がきっかけで襲いかかってくるか分からん。襲われたら最期だと思え」


 そんな巴術士ジージのすぐ後ろに付きながら、第二聖女クリーンは「ひっ、ひっ、ふー」と謎の呼吸を繰り返した。さながら陣痛にでも苦しむ鬼のような形相だ。ジージも背後からそんな息がかかってくるので唖然としたが、さすがに同情したのか、「生温いからやめい」とは言えなかった……


 さて、そのクリーンはというと――


 さっきから、ドクン、ドクン、と心音が忙しなかった。


 静かな田畑の中にいるせいか、まるで怒号のように五月蠅うるさく、体内で轟いている。


 もっとも、封印が切られていたせいか、北の街道自体はすぐに通り抜けることが出来た。皆は地獄の一丁目を運良く通過出来たことで、汗と涙塗れになりながらも喜んだ。


 ただし、その先には――なぜか魔王城は一切見えてこず、三階建ての立派な宿泊施設だけがあった。しかもその門前では、クリーンたちが以前会ったことのある人狼ことアジーンが呑気に水を撒いている。


 そのアジーンはというと、聖女パーティーの一行を見かけて、「おや」と一瞬だけ眉をひそめると、


「いらっしゃいませ! ようこそお越しくださいました!」


 なぜか満面の笑みで声をかけてきた。


 第二聖女クリーンは遠い目になった。何かがおかしいと、ズキズキと頭痛しかしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る