第80話 迷わずの森(魔女サイド:07)

 夕方となって、高潔の元勇者ノーブルに連れられて、モタと夢魔サキュバスのリリンは砦の裏門までやって来た。


 湿地帯側とは違って、こちらはずいぶんと簡素な造りだ。


 水堀で囲まれてはいるが、それほど広くも深くもなく、また棘のような逆茂木も設けられていない。


 そもそも、土塁も木塀もさほど高くなく、物見やぐらが幾つか建っている程度で、防御面を考えるといかにも弱々しい……


 もっとも、生きる屍リビングデッドは日中では行動出来ないという弱点があるので、年中じめじめとして日も差さない湿地から離れて、丘陵をそれなりに上がると夕日がはっきりと見えてきたこともあって、こちら側は亡者も近寄ってこないと考えられているのだろう。


 逆に言うと、この防御の薄さは迷いの森のダークエルフから急襲されないという前提に立っているわけで、さすがにモタもそのことをあえて口に出して聞きはしなかった。


 すると、門前で待っていたダークエルフにノーブルは声をかける。


「すでに知らせている通り、今回は真祖カミラの次女リリンの里帰りに同行する形で迷いの森を通過させてもらう。同行者は二名――私と、ハーフリングのモタだ」

「ういす。よろしくお願いしますです」


 モタはいかにも「押忍おっす」と元気よく挨拶した。


 とはいえ、ノーブルからはダークエルフの行商人と聞いていたが、モタからするとごくごく普通の母子のように見えた。


 若い母親とまだ五、六歳ぐらいの女の子で、親の方が大きな籠を背負っている。


 ただ、ダークエルフに限らず、亜人族は見た目と年齢が一致しないことが多々あるから、モタも最初に挨拶をしてからしばらくの間は子供に対しても敬語を使っていた。


「おねえちゃん、かたくるしい」


 だが、女の子にぷんすかとしかめ面で指摘されて、何だ、見た目通りなのかと、モタも普通に話しかけてみたら、


「でも、ねんれいは百五さいなのです」

「え? マジで?」

「えへん」

「ごめんなさい。この娘がからかっているんですよ。まだ五歳です」


 と、子供が無邪気に笑う中で母親に謝られてしまった。


 そんな二人の話によると、今日はこの砦に迷いの森で採れる山菜を売りに来たそうだ。


 迷いの森はとても危険なので、さすがに母子では山菜採りが出来ないものの、ダークエルフの精鋭たちが採ってきた物を役割分担して商いにきたとのこと――


「へー。ダークエルフがお金に興味を持つなんて意外だなあ」


 モタが素直にそうこぼすと、母親の方が丁寧に答えてくれた。


「たしかに森で生活する分には王国通貨は必要ないのですが、あまり交流のない多種族と交易する際に通貨は便利なので、里では貯める方針にしています。それにこの砦なら王国に行かずとも、人族の文化に触れることも可能です」

「そいや、王国ではダークエルフは全く見かけないもんね。まあ、エルフもだけどさ」

「もともと森の外に出たがる種族ではありませんから。私も先日、第六魔王国に働きに出ていなければ、こうして娘を連れて行商には来なかったでしょう」


 モタは「ふむふむ」と相槌を打った。


 セロが治める第六魔王国にどんな仕事があるのか気になったが、まあ、それはこれから行ってみれば分かることだ。モタはとりあえず質問を続けた。


「じゃ、今回はこのの視野を広める為に連れてきたってことなのかなー?」


 ダークエルフの子供はいつの間にかモタの背に乗っていた。以前、リリンを担いだようにモタは難なく子供を背負って歩いている。


「そうですね。お金儲けが主目的というわけではありません。まあ、お金はあっても困りませんが」

「籠に色々と入っているようだけど、何か買ったのー?」

「今日は工芸品を仕入れに来たのです。ここの工房で出来るやじりはよく出来ているのですよ」


 すると、ノーブルが自慢げに「ふむん」と鼻を鳴らした。


「実はこの砦にはドワーフの職人がいるのだ。珍しいだろう?」


 モタは「ほへー」と、目を大きく開いた。


 かつては王国とも交流があったとされる亜人族のドワーフだが、今は大陸北東の山々に囲まれた『火の国』に、これまたエルフやダークエルフ同様にずっと引きこもっている。


 ドワーフと言うと、火と鉄と酒の種族とされていて、彼らが作る武器や装飾品の品質は非常に高く、王国にもほとんど出回ってこない為に貴族たちの間でも高値で取引されている。


 たまに冒険者ギルドにもドワーフとの取り引きを願って『火の国』への遠征依頼が舞い込むが、残念ながら実現したためしがない。


 だから、この砦にドワーフがいるだけでも驚きだ。まあ、ここにはリリンみたいなおかしな魔族がたくさん集まるから、もしかしたらもっととんでもない者がいるかもしれないが……


 何にせよ、モタはちらりと背後に視線をやった。


 丘陵は最北端の海岸に向けてなだらかに下り坂になっていて、砦はいつの間にか、もうずいぶんと遠くの小山の上にある。


 そんな砦を見やりながら、モタはふいに思った――いっそ王国に帰らずに、この砦でしばらく過ごしてみるのもいいかもしれないと。これまで人族の視点からしか物事を見てこなかった。そんな視野の狭さのせいで、セロを追放するバーバルの思惑も見逃してしまった。


 エルフやドワーフと同様に小難しいとされるダークエルフですら、こうして広い見識を身に付けようとしているのだ。そろそろモタもパーティーから離れて、独り立ちするべきかもしれない。


「また戻ってきたいな」


 モタはそう呟いてから、改めて目的地である迷いの森へと向き直った。


 その迷いの森はというと、まさに怪しさ満載だった。もともとこの森には人面樹や食人花、軍隊蜂や狂乱蝶、あるいは悪霊レイスに似た凶悪な精霊たちなどがうようよといて、王国でも長らく危険地帯として指定してきた。


 むしろダークエルフがこの森を封印したことによって、そんな厄介な魔物モンスターが外に出て来なくなったことを喜ぶ向きがあるほどで、王国による正式な危険地帯の区分けとしては、南の魔族領にある『竜の巣』、あるいは南西にある『最果ての海域』と同等に特一級に指定されている。


 そういう意味では、この迷いの森に比べたら、西の魔族領にある湿地帯などはピクニックにでも行くようなものだ。


 実際に、モタも迷いの森にかかっている封印を目の当たりにして、「うひゃー」と先ほどよりも大きく目を見開くしかなかった。


 封印の術式を読み取ろうにも、下手に解読すると状態異常や精神異常の呪詛返しがくる仕組みになっている。


 おそらく封印に使った触媒の欠片でも持っていないと、この森はろくに歩むことさえ出来ないだろう。しかも下手に進めば、あっという間にモンスターハウスに直行だ。


 果たしてこんな危ないところを触媒らしき物も持たずに、いったいこの普通の親子はどうやって進むのだろうかと、モタが興味深々でいたら、意外にもこの親子は森に入らずに北端の海岸付近まで歩いて行った。


 そこには潰れかけの掘っ立て小屋があって、その建物の前にダークエルフが数人ほど武装して立哨している。


 そして、親子は彼らにモタたちのことを説明してから、小屋に入るように案内してくれた。


 迷いの森には行かないの? と、モタが思わず尋ねそうになったとき、狭かった小屋の内部が一気に広がった。どうやら認識阻害がかけられていたようだ。モタでもすぐには気づかなかったぐらいで、これを施した術士は相当な腕だ。


「おやおや?」


 モタはさらに首を傾げた。


 というのも、小屋内には地下に通じる階段があったからだ。


 親子に先導されて、ノーブルやリリンと一緒に下りていくと、そこは地下洞窟になっていた。


「ま、まさか……」


 モタがごくりと唾を飲み込むと、


「えへん。そのまさかだよ」


 リリンがなぜか得意そうに胸を張った。さっきの子供みたいな仕草だ。


 別にリリンが考えた仕組みじゃなかろうにと、モタは苦笑したわけだが、ノーブルも落ち着いているところを見るに、どうやらモタだけが一見さんらしい。


 なるほど。迷いの森の中を進むわけではなく、地下を伝って行くわけかと、何にしてもモタは感心した。


「てか、わたしに教えちゃっていいの? 後で記憶とか消されない?」


 モタがふと心配して、リリンに小声で尋ねると、


「大丈夫だよ。ちょっとだけパーになるかもしれないけど、何とか生きていけるよ」

「パーになるんじゃん!」


 たしかにリリンは魔族のくせに、人族のところに食事を求めてやってくるぐらいパーになっている……


 これはマズいぞと、モタが危機感を抱いて、「帰るー」と振り返った瞬間、ノーブルが声を上げて笑った。ダークエルフの親子もくすくすと笑みを浮かべながら、きちんとフォローしてくれる。


「パーにはしませんから安心してください。そもそも、この地下に入る為には先ほどのダークエルフたちの許可が必要です。いたるところに封印が施してあるので、たとえここの存在を知っていたとしても、簡単に入れるわけではありません。それに、この洞窟自体も迷宮になっているんです」


 そう指摘されて、モタも冷静に周囲を見渡した。


 たしかに階段には封印がかかっているようでもう視認出来なくなっている。さらに洞窟の坑道にも幾つか罠が設置されていて、簡単には攻略出来なそうだ。


 そんなこんなで迷宮探索はモタも元冒険者として得意とするところなので、結局、何のトラブルもなく順調に進むことが出来て、途中の道でダークエルフの母親が、「それではここで失礼します。良い旅路を」と言って別れることになった。重い籠を背負っていたので、どうやら先に里に帰ったようだ。


「ええと……君だけで大丈夫?」


 モタがそう声をかけると、子供は元気に「へーき!」と答えた。


「一人でなんども来ているんだよ」

「そかー。すごいんだね」

「うん!」


 こうして道案内役は子供に代わったわけだが、モタは道中、その子と仲良くなって、闇魔法と生活魔法を組み合わせた秘術を懇切丁寧に教えてあげた。


 もちろん、その傍らでリリンはダークエルフたちのお腹とおけつにいつか被害が及ぶんじゃないかなとハラハラしていたが、一時いっときもしないうちに子供は地上に昇る梯子を指差した。


「あそこ! ここから出られるよ!」


 子供が先導して出ようとしたが、万が一を考えてノーブルが先に上がった。


 夕日がそれなりに差し込んでくるから、どうやら魔王国側から森に入ってまだ浅い場所に当たるのだろう。宙を見上げると、少し離れたところには大きな岩山があった。


 モタはふと目を細めた。見覚えのある岩山だったからだ。あれはたしか魔王城の裏山だった気がする……


 すると、子供が注意してくれた。


「あの山にむかってまっすぐに歩いてね。まっすぐだよ。ちょっとでもそれると、へんなとこにとばされちゃうんだからね。まっすぐね」


 モタは、「ありがとー、バイバイ」と言って、片手を大きく振って子供と別れた。


 目的地はもう目と鼻の先だ。モタは少しだけ緊張してきた。あれだけ真っ直ぐと言われると、逸れてみたくもなるのが人のさがだ……


 もっとも、ここには遊びに来ているわけではない。モタにとってはとても大切な意義のある旅なのだ。


 だから、モタはしっかりと歩みながら、また考え始めた――


 セロに会ったらまず何を言おうか。「会いたかった」かな。それともやっぱり「ごめんなさい」かな。魔王となって、セロが変わっていなければいいんだけど。いきなり攻撃されたらどうしようかな。


 さっきから、ドクン、ドクン、と。


 モタの心音は高鳴る一方だった。静かな森の中にいるせいか、怒号のように忙しない。


 そして、静寂を突き切って、ついに迷いの森という名の長いトンネルを抜けると、そこはたしかに第六魔王国だった。


 しかもすぐ眼前は――なぜか生ける屍リビングデッドで溢れかえっていた。どうやらコウモリたちも迷いの森方面に逃げようとする亡者たちはどうでもいいやとスルーしたらしい……


「ぎゃあああ!」

「キャアアア!」

「うわあああ」


 例によってリリンもノーブルも、むしろモタの絶叫に驚かされた。


 こうしてモタとリリンの旅はついに目的地に着いたわけだが……そこには思わぬおもてなし・・・・・が待ち受けていたのだった。

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