第79話(追補) 宰相ゴーガン

 現王の側近こと宰相ゴーガンが公爵家の家督を継いでいることは以前にも語った通りだ――


 まだ二十代前半と若く、実務能力に長け、一種の人たらしとでも言うべき愛嬌を持ち合わせているので、王国内でゴーガンを悪しざまに言う者はほとんどいない。


 そもそも、公爵家ということから分かる通り、ゴーガンの実家であるフェイクスター家は現王家の分家で、またゴーガン本人はというと、現王から見て従妹いとこの息子である従甥じゅうせいに当たる。


 旧門貴族としては最も家格が高いことも合わさって、口さがない貴族たちでも非難しようがないとも言える。


 もっとも、現王の父の代では、現王家とフェイクスター家とはかなり疎遠の間柄だった。むしろ血を分けた政敵だったと言い換えてもいい。


 それなのになぜ現王が従甥であるゴーガンを可愛がるのかというと、十年ほど前に王子たちが全員、魔族や魔獣モンスターに殺されてしまったからという声もあるが、その一方で現王と亡くなった父王との仲がとても悪かったせいだという話もある。いわゆる敵の敵は味方というわけだ。


 そんなふうにフェイクスター家は先代の王に対して嫌がらせをしたわけだが、それほどの悪評をたった一代で忘れさせてしまうぐらいに、ゴーガンは社交界でも上手く立ち回っている。


 勇者バーバルに似て傲岸不遜な顔立ちのわりに、その高慢さは宰相としての厳格さの表れとみなされ、また一国の重鎮としてはまだ若いにも関わらず、その初々しさを助けようと多くの人々が集まってきてくれる。


 いわば、宰相ゴーガンとは、薄氷の舞台の上を堂々と渡り歩く、当代随一の役者でもあった。


 そう。ゴーガンは、バーバルよりもずっと上手の役者だったのだ。


 そういう意味では、これまで記してきたフェイクスター家にまつわることは全て忘れ去ってもらっても構わない。いや、いっそなかったことにしてもいい。


 何せ、全ては百年の虚構フィクションに過ぎないのだ――


「わざわざ足を運んでもらって悪かったわね」


 宰相ゴーガンは不死王リッチに相対したときのように女性の声音で話しかけた。


 相手は王国最東に領地を持つハックド辺境伯だ。すぐ隣が東の魔族領で、砂漠が広がっていることもあって、涼しげな独特の衣装トーブを身に纏っている。褐色の肌で、いかにも武辺者といった渋い男性だ。


「構わない。それで私に何か用だろうか?」


 特に労いを求めることもなく、ハックド辺境伯は王城の客間のテーブルに着いた。


「もちろん、用があるから呼んだわけだけど……ところで、そこにいる人・・・・・・はなぜここに来たのかしら?」


 宰相ゴーガンが指差すと、ハックド辺境伯の隣に座った者は悪戯小僧っぽい笑みを浮かべた。


「いやはや、まさかこんなに王都がすっからかんになっているとはね。潜入し放題じゃないか。これなら白昼堂々と、この姿で・・・・城内を闊歩しても問題ないんじゃないか」


 そう言って、その者は自らの体を誇示した――


 虫人だ。いや、虫系の魔族だ。頭部だけが緑色の飛蝗で、体はほぼ人族に近い。


 もっとも、マントを纏っているので、薄くて透明な羽は四枚とも背にしまわれていて目立たない。何にしても、王国最東の守護を任されたハックド辺境伯がよりにもよって魔族と共に入室してきたのだ。


 ただ、宰相ゴーガンは「はあ」と短く息をつくと、


「問題あるに決まっているじゃない。まさかとは思うけど、一緒に並んでここまでやって来たわけじゃないわよね?」

「いやいやいや、さすがにそれはしないよ。ちゃんと潜んできたさ」

「本当に?」

「元帝国・・直掩ちょくえん部隊長、現第五魔王国情報官様を信用出来ないと言うのかい?」

「ええ、全く出来ないわ」


 宰相ゴーガンはにべもなく言った。


 虫人は椅子から転げ落ちそうになるも、宰相ゴーガンがハックド辺境伯に疑いの視線を投げかけたので、辺境伯も「はあ」と小さく息を吐いてから、「問題ない」と渋々肯いてみせた。


 その様子に気をよくしたのか、虫人はドンと胸を叩いた。


「ほら、どうだい」

「最近、私の中で貴方の株が暴落気味なのよね」

「ひ、ひどい言い様だな……」

「だって、肝心の第六魔王国の報告がさっぱりじゃない」

「まあ、それについては申し訳なく思うよ。真祖カミラのときとは違って、愚者セロの配下は増える一方で、もともと吸血鬼の国家だったものだから認識阻害などが得意でね。いや、本当に……手こずらされているよ」


 その話を受けて、宰相ゴーガンは苦虫でも噛み潰したかのような顔つきになった。


 大いなる野望の為に第六魔王国は手を組むに値する国家なのか――それを知る為にも早々に王国というカードを切るはめになった。この王国が攻められようが、滅びようが、宰相ゴーガンにとっては実のところどっちでもいいのだが、それでも百年ほど・・・・も、暗躍してきた身としてはそれなりに思い入れがある。


「それで、私はいったい何をすればいいのかね?」


 すると、痺れを切らしたのか、ハックド辺境伯が声を上げた。


「ああ、ごめんなさいね。ハックド辺境伯――いや、自己像幻視ドッペルゲンガーのアシエル」


 宰相ゴーガンがそう言うと、ハックドもといアシエルは肩をすくめてみせた。


 そう。王国最東の守護家は裏切ったわけではない。とうに魔族に乗っ取られていたのだ。


 アシエルは自己像幻視の名の通り、実態を持たない影に過ぎない。殺して影に中に取り込んだ者を完全に複製出来る種族特性を持っていて、また認識阻害も吸血鬼並みに得意なので、殺していない者でも化けることは可能だ。


 だから、宰相ゴーガンはアシエルに話を持ちかけた。


「貴方には勇者バーバルにしばらく認識阻害して成り代わってもらいたいのよ」

「たしかどこかに蟄居させられていたのではないかね?」

「そうよ。でも、今晩あたりから大神殿の研究棟にその身をこっそりと移して、人工人間ホムンクルスにする手術を行うつもりなの」

「その間、バーバルになれと? だが、人工人間にしてしまっては蟄居元に戻せないのではないか? 私はいったいいつまで大人しくしていればいいのだ?」

「それについても考えてあるわ。いずれ諸事情でバーバルには脱獄してもらう予定よ」

「ふむ。つまり、それまで化けていろと」

「お願い出来るかしら?」


 宰相ゴーガンが男の身でしなを作ってみせると、アシエルはやれやれとまた息をついた。


「元帝国・・神殿郡付き巫女で、現第五魔王国の魔王代理・・・・にお願いされて、果たして断れるものなのかね?」

「ふふ。よろしい。じゃあ、しばらくお願いするわね」

「ねえねえ、僕は?」

「今から第六魔王国にでも行ってみたらどうかしら? 正直、配下に任せっきりで、現地に行こうともしない情報官なんてどうかと思うわ。貴方の双子の弟、サールアームに言いつけてあげてもいいのよ」

「げ……それだけは止めてほしいな。あいつ、生真面目だから冗談が通じないんだよ」

「じゃあ、早く成果をあげることね、アルベ」


 それだけ言って、宰相ゴーガンは立ち上がった。


 全ては百年も昔にすでに始まっていた舞台なのだ。手慣れた役者たちはにこりと笑みを浮かべると、舞台袖の暗幕に隠れていった。

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