第77話 恋の鞘当て
セロたちは朝から完成したばかりの三階建ての温泉宿泊施設を堪能していた。
温泉は全て露天で八つあって、田畑で仕事をしたダークエルフたちを含めた魔王配下専用の赤湯、それと来客用のものが男女別にあって、さらに血反吐こってりとあっさりの二パターンが用意されている。
一階は入ってすぐ大広間になっていて、そこから応接室という名の宴会場、食堂、温泉に通じる渡り廊下、さらにはトマト畑で取れる野菜などの物品コーナー、また武器など工芸品を飾る予定の部屋や事務室などがある。
二階と三階からは宿泊施設になっていて、基本的な客層は冒険者パーティーを想定しているので個室は少なめにして、五、六人が泊まれる中部屋を中心に、三階にも団体用の大部屋が幾つか用意してある。
とりあえず、オープニングスタッフとして人狼から執事のアジーンを派遣して、吸血鬼の中から人当たりの良い者を選抜して職業訓練中だ。もしかしたらここでキャリアを積んで、いずれは魔王城の執事やメイドへとステップアップする者も出てくるかもしれない。
そんなこんなで、昨日の夕方のうちにドルイドのヌフが封印の仕事も無事に終えたということで、迷いの森に帰ろうとしたわけだが、セロがいったん呼び止めて言った――
「ヌフさんに何も報酬を差し上げられないのが少しばかり心苦しいです」
「報酬だなんてとんでもありません。当方にとっては、第六魔王セロ様と繋がりが出来たことが何よりの褒美です」
そんな殊勝なことを言ってくれるヌフに対して、セロもさすがに申し訳なく思った。
「それでは、せっかく温泉宿泊施設が完成したので泊まっていっていただけませんか?」
「それはとてもありがたい話ですが――」
「何でしたら、永久パスポートを差し上げますよ」
ヌフとしては、魔王セロの人となりが分かったし、ダークエルフに仇なす人物でないと理解出来ただけでもう十分だった。
そもそもヌフは社交的な性格ではないので、なるべく早く迷いの森に引きこもりたいのだ。
だが、ここの赤湯の美容効果は非常に高いようで、ヌフも結構気になっていた。それに魔王直々の申し出を無下に断ると、いかにも印象が悪い。
たとえ魔王セロが温和だとしても、その配下であるルーシーや
「畏まりました。それではお言葉に甘えさせていただきましょう」
そんなこんなでセロはヌフを接待して、昨晩は宴会場で盛り上がって、さらにこの施設で起きてからは贅沢に朝風呂を満喫してから、温泉宿泊施設の食堂で真祖トマトを丸かじりしていたわけだ。
残りの喫緊の課題は料理だけだなとセロは強く思い至った。
すると、そんな席上でダークエルフの近衛長ことエークがセロとヌフに話しかけてきた。
「これでヌフが封印を施した場所は三か所目になりましたね」
エークがそう言ったとたん、ヌフはじろりと睨みつけた。
もしかしたら秘密にしたかったことなのだろうか。とはいえ、つい興味が勝ってしまったのでセロはエークに尋ねてみた。
「三か所? 迷いの森と、ここと、あとは?」
「はい。その……第五魔王こと奈落王アバドンの封印です」
エークがちらちらとヌフを気にしながら答えたが、セロは「ん?」と首を傾げた。
たしか奈落王アバドンは高潔の勇者ノーブルによって百年前に封印されたはずだ。だから、セロもヌフにちらりと訝しげな視線をやると、
「そうです。奈落王アバドンの封印は当方で施しました」
「じゃあ、ヌフさんは勇者パーティーに『
「いえ。その盟約をしているのはあくまでエルフのみであって、当方らダークエルフは関係ありません。そもそも、魔王アバドンの封印については、当時、勇者ノーブルが迷いの森にやって来て、当方に依頼したものになります」
なるほど、とセロは思った。もっとも、そうなると最も大きな歴史上の謎を聞きたくなるものだ。
「ずっと疑問だったんですが、なぜ勇者ノーブルは魔王アバドンを討伐せずに封印したのですか? やはり魔王アバドンはそれほど強かったのでしょうか?」
「申し訳ありませんが、この魔王城の封印について他者に多くを語れないのと同様に、魔王アバドンの件についても当方からは何も申し上げられません。いわゆる守秘義務というやつです。ただ、勇者ノーブルは真祖カミラと邪竜ファフニールから話を受けて、当方のもとにやって来たとだけお伝えしましょう」
その言葉に、一緒にいたルーシーが「ほう」と興味を持った。
母親である真祖カミラが絡んでいたので、ヌフもそれを暗に知らせたかったのかもしれない。
何にせよ、そこらへんの詳しいことは、いつか邪竜ファフニールが真祖トマトを食べに来たときにでも聞ければいいかなとセロは考えた。
「さて、当方はこれにて迷いの森に帰らせていただくことにいたします。たまに温泉には寄らせていただきますよ」
「報酬がこの施設のパスポートですいません。何か金品でもあればよかったんですが……」
「構いません。そういったものは、ぜひ
ヌフがそう言うと、食堂が急にしんとなった。
というのも、セロが首を傾げて、「奥方様?」と呟いたからだ。
そんな静寂に堪えきれずに、ヌフも「あれ?」と小首を傾げる。すると、ルーシーが淡々と応じた。
「セロは
「うん……まあ、そうだね」
そのとたん、ヌフの目が女豹のようにキラリと光った。
というのも、実はヌフには悩みがあった――ドルイドとして迷いの森に千年以上も引きこもって、ずっと封印の管理に専念してきたせいで、人並みの恋愛を全くもってしたことがなかったのだ。
同じ種族のダークエルフからは、長老よりもよほど長く生きているとみなされて、そもそも恋愛対象にされていない。かといって、迷いの森から出て探しに行くのは筋金入りの引きこもりとしてとても怖い……
そういう意味では、今回はドルイドの使命感から何とか外の世界に出てきて、高潔の勇者ノーブル以来、百年ぶりに異種族の異性と接して、しかも魔王セロという超優良物件に出会えたわけだ。
てっきり真祖カミラの長女と
「んん、ごほん。そういえば、封印に関して多分きっとおそらくメンテナンスが必要になるやもしれませんから、当方も帰るのはもう少しだけ先延ばしにしようかなあなんて……」
「メンテぐらいなら、妾や、エメス、ドゥやディンでも出来るぞ」
ルーシーがそっけなく答えると、察しの良いディンはすぐに付け加えた。
「はい。そうですね。微力ながら私もお手伝いさせていただきます」
「むしろ外野は邪魔です。
「いえいえ、皆様。お気になさらずに。やはりここは当方のような専門職がいないと、おほほ」
その瞬間、四人の間で火花が散った。
気づかずに悠長にトマトを丸かじりしているのはセロぐらいのものだ。
人狼メイドたちも参戦したかったが、あくまで人狼はルーシーに仕える立場だ。ここはルーシーを応援せざるを得ない。
一方で、エークたちダークエルフもルーシー支持を表向き標榜しつつも、ヌフ派とディン派に速攻で分かれた。もしどちらかがセロとくっついてくれたなら、第六魔王国でダークエルフはこれまで以上に確固たる地位を築くことが出来る。
そんな中で唯一孤軍奮闘となったのは
「つまり、誰がセロに第一妃と言わせるか」
「はい。申し訳ありませんが、たとえルーシー様でも負けません!」
「ご存じないかもしれないのでお教えしますが、恋愛には三つの種類があります。それは――嘘、憎悪、そして支配です。
「当方だって、もう恋なんてしないなんて言いません、絶対に!」
ちなみに、もしここでヌフが素直に迷いの森に帰っていたら、岩山のふもとに
運命の歯車というのはつくづく可笑しな方向に噛み合うものである。
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