第70話(追補) 妹たちの家出
吸血鬼の
何をやっても長女のルーシーには敵わなかったからだ。武技も、魔術も、血による多形術も、さらには勉学も、礼儀作法までも、ルーシーは完璧に過ぎて、次女リリンのつけ入る隙すらなかった……
これでルーシーが冷酷非情で、血も涙もない吸血鬼だったならば、リリンも「性格ぐらいはマシかな」と溜飲を下げたはずだが、そもそもルーシーはポーカーフェイスで感情をあまり表に出さなかった。それは多分に母たる真祖カミラによる帝王学の影響だったのだが、その教えを平素もきっちりとこなしてみせるあたり、リリンも「完敗だ」と白旗を上げざるを得なかった。
もっとも、リリンは次の第六魔王の座を狙っていたわけでも、それに姉にどうしても勝ちたいわけでもなかった。
それでも、真祖カミラの血を最も色濃く受け継いだ吸血鬼として、いつも姉と比べられてきたので、せめて一つぐらいは何か誇るものを持ちたかった。
「さて、どうするべきか……」
ルーシーは片手剣と双剣を得物とするので、同じ武器ではいつまで経っても敵わないと考えて、ためしにリリンは槍を手に取ってみたわけだが、
「リリンの姉貴。申し訳ないのだが、槍だけは止めてくれ」
「ん? どうしてだ?」
「あたしとキャラが被るんだ」
「…………」
末妹にそう抗議されて、リリンは「はあ」と思わず片手を額にやった。
実のところ、戦闘に関してリリンは末妹にも劣っていた。というか、末妹は武術がよほど気に入ったのか、日々、人狼の執事アジーンなどと稽古をかわしている。
ルーシーよりもよほど時間を割いて、徹底的に鍛え上げているはずだが、それでもまだまだ姉には全く届かない。そういう意味では、得物を変えたのはおそらく末妹にとって大きな挫折だったはずだ。剣では姉に敵いませんと言っているようなものだからだ。
そんなわけでリリンは仕方なく弓を手に取ってみたわけだが、ある日、ルーシーが流鏑馬で涼しい顔をしながら
また、リリンの美的センスにはいまいち合わなかったのだが、不格好な斧を手にして、上手く振り回せるようにと筋トレをこなしていたら、魔王城のそばに出てきたジョーズグリズリーという巨大な
というか、リリンが手に取る武器にルーシーもいちいち、「ほう」と興味を持つらしく、
「今度は鉄扇か。これはなかなかに難しいものだな」
そんなふうに言いながら、リリンが扱いに困っているそばで執事のアジーンの急所を的確に叩いて悶絶させているものだから、いい加減にリリンも嫌になってきた。
その後も、鞭、三節棍、七支刀やチャクラムなども一通り試してみたが、
いや、ルーシーからすればただの素直な感想に過ぎないのかもしれないが、リリンからすれば皮肉以外の何物でもないのだから、最早どうしようもない……
ちなみに、ルーシーに叩きのめされるたびに執事のアジーンはというと、
「とっても……ご褒美です」
などと意味不明な供述をしていたわけだが、そんなある日、執事のアジーンが「はあ、はあ……」と魔王城入口の
どうやら槍でも末妹はルーシーに全く敵わなかったらしく、アジーンの見事な
「姉上様のばかあああ!」
と、泣きながら家出してしまったらしい。
これにはさすがにルーシーも珍しくしゅんとなって、リリンが
とまれ、その後に人狼や同族の吸血鬼を使ってまで、しばらくの間、末妹の大々的な捜索を行ったわけだが、
「どうやら男漁りをしているそうです」
そんな驚愕の報告がもたらされて、妹探しはいったん打ち切りになった。
母たる真祖カミラは何かしら事情を知っているようだったが、娘たちにそれを話すことはついぞなかった。
リリンは時折、月夜に魔王城から王国の方をぼんやりと見つめながら、「そうか。お前は恋に生きることにしたか」と呟いた。そんなリリンの顔には、羨望とも、嫉妬とも、もしくは悲哀とも取れない複雑な感情が滲み出ていた。
何にしても、そろそろリリンも決断するべきときがきていた。
そんなタイミングで第六魔王国をちょうど訪ねる者たちがいた――
第三魔王こと邪竜ファフニールとその義娘の海竜ラハブだ。真祖トマトの出荷日ということで遊びにきたわけだが、このとき二人は珍しい者を連れていた。
その者は王国の料理人だった。どうやら『竜の巣』が繁殖期で、竜たちが餌を求めて活動的になったので、それらを宥める為に近郊の王国貴族が遣わしてきたようだったのだが……当然のことながら邪竜ファフニールはその者を丸呑みしようとした。
だが、その料理人は必死になって邪竜ファフニールの説得を試みた。曰く、「人族や亜人族を丸呑みするよりも、よほど美味しいものがある」と。
そして、邪竜ファフニールはともかく、義娘の海竜ラハブに気に入られて、こうしてルーシーに自慢する為に第六魔王国に連れてこられたようだった。
「どうぞお召し上がりくださいませ」
その料理人は文字通り命を賭けた、生涯最高のフルコースを全員に提供した。
「…………」
もっとも、真祖カミラも、ルーシーも、その料理に対して眉一つ動かさなかった。
邪竜ファフニールも生肉や真祖トマトを丸かじりする方がよほど良いらしく、結局のところ、海竜ラハブだけが「なかなか美味いのになあ」と舌鼓を打ったわけだが――
このとき、リリンの人生が一変した。
まさに天の啓示を受けたと言ってもいい。とはいえ、リリンにはこれら料理を称賛する言葉を持たなかった。どう評すればいいのか。初めての口内での競演に、理解することさえ覚束なかったのだ。
「…………」
だから、真祖カミラやルーシーと同様に、リリンも何もコメント出来なかったわけだが、その一方でリリンはこの奥深い世界に飛び込みたいと感じていた。
この味を自ら再現してみたかった。他にも料理があるというのなら挑んでみたかった。何より、ぴくりとも表情を動かさなかった母や姉を自分の料理で動じさせてみたかった。
末妹が誰かに恋に落ちたというなら、リリンは料理に焦がれてしまったのだ。
これまで魔王城と第六魔王国しかろくに知らなかったリリンの世界は一気に広がっていった。
「外に出たい……王国に行ってみたい」
こうして邪竜ファフニールたちが帰った後に、リリンはついに決断した――
魔族は根本的に食事をしないので、料理を学ぶなら人族か亜人族を頼らなくてはいけない。王国の領地に潜んで暮らす場合、お金を持っていないと生活が出来ない。
だから、行き掛けの駄賃というわけではなかったが、その晩、リリンは人狼メイドたちの目を盗んで、魔王城の宝物庫にこっそりと忍び込んだ。
が。
真祖カミラにあっけなく見つかってしまった。
「ねえ、リリン。貴女……なぜこんなところで、金銀財宝に手を付けているのかしら?」
「これから王国に行きます」
「どうして?」
「料理を学びたいのです」
「そんなものを学んで、いったいどうしたいの?」
「当然、料理を作るのです。これは私にとっての戦いです」
「じゃあ、もう一つの大事な戦いからは逃げるつもりなのかしら?」
長女ルーシーと戦うことから逃げるのかと、真祖カミラは鋭い視線でリリンを貫いてきたのだ。
もっとも、リリンはそれをあえて真正面で受け止めた。もしかしたらルーシーの方がリリンより料理に関しても才能があるかもしれない。だが、それでもいい。たとえルーシーに負けたとしても、リリンにとって納得出来るものを作りたい。ただ、がむしゃらに美味しいものを目指したい。そして、いつかは頂上にだって手を掛けてみたい。
その結果として、母たるカミラや長女ルーシー、あるいは出奔した末妹や執事のアジーンが微かにでも笑みを浮かべてくれるのならば――それこそリリンにとっては本望だ。
「そうです。今、私は逃げます。しかしながら、これは戦略的な撤退です。必ず反撃を仕掛けるつもりです。ただし、私の戦場で、私の戦い方で、私なりにベストを尽くす形で――いつか母様と姉上様に向き合います」
リリンがそう言い切ると、真祖カミラは意外にも微笑を浮かべてくれた。
「第一真祖として命じます。悔いのない戦いをしなさい。それと……いってらっしゃい。体だけは大事にね」
「はい! 行ってきます、お母様!」
こうしてリリンも家出した。
紆余曲折を経て、王国の
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