第71話 最先端の砦(魔女サイド:05)

 西の魔族領の湿地帯と、迷いの森との間の緩衝地帯にその砦はあった――


 それはより正確に言えば、丘上に建てられた連郭式の山城で、湿地側には深くて幅広い水堀があって、堀の斜面には杭のような逆茂木、またうずたかく積まれた土塁と分厚い木塀によって生ける屍リビングデッドの浸入を完全に防いでいる。


 その堀にかかった跳ね橋を渡って、大きな鉄門をくぐると、薄暗い坑道となっていて、丘を上る長い階段がしばらく続く。


 そして、再度、鉄門をくぐると、今度は日の明かりと共に一つの街が現れる。


 まず広場があって、そこから真っ直ぐに大通りが伸びている。どうやら手前から雑多な市場、次いで飯屋、酒屋などがあって、しばらく進むと住居、さらに奥の曲輪には工房や舞台なども見える。


 他にも迷いの森側のなだらかな丘陵には田畑も広がっていて、どうやらこの砦内だけで自給自足が可能なようだ。


 もっとも、呪人はともかく魔族は食事をしないので、飯屋、酒屋や田畑などは必要ないはずだが、もとは人族だった名残りなのか、この砦に住む者たちは食事を取る習慣が根強く残っているらしい。


 おかげで、おいそれとは人族の街には入れない魔族がここにぶらりとやって来て、元人族の作る料理に舌鼓を打っていく。


 その魔族にしても吸血鬼ばかりでなく多彩な者たちが集まっている――竜が人化していたり、虫系、魚系、獣系など多種多様な魔族が中央通りを闊歩する。どうやら夢魔サキュバスのリリンのように、魔族の中にも変わり者が一定数はいるということだろう。


「ほへー」


 モタはそんな光景に感心しきりだった。


 呪いつきの人族とはいえ、元人族以外の魔族と見事に共生していたからだ。


 まあ、モタとてリリンと仲良くなった今では、魔族が単純に人族を憎んで戦いを仕掛けてくるだけの戦闘種族――といったステレオタイプな見方には疑問を感じるようになっていたが、こんな街並みを見てしまうと、これまでの価値観がいかに固陋ころうだったか痛感させられる。


「さて、どうだね、この砦は?」


 そんなタイミングを見計らったかのように、高潔の勇者もとい砦のリーダーことノーブルがモタに尋ねてくる。


「びっくりしたー」

「どこらへんがだね?」

「当然だけど、魔族だって生活しているんだなーって」

「ふはは。いったい魔族を何だと思っていたのだね?」

「んー。魔物モンスターとそんなに変わらない生き物だと思ってた」

「なるほど。元人族として、その考え方はよく分かる。敵に感情移入してしまっては剣を振るえなくなるからな。魔物程度に認識しておくのが一番良い」


 モタは「ふむう」と肯きながら、ノーブルをちらちらと観察した――


 かつてバーバルが持っていた襤褸々々ボロボロの姿絵はかなり若い青年時代に描かれたものだったのだろう。


 眼前にいるノーブルはそれより老いてはいたが、それでも堂々とした金髪の美男子で、性格的にも気さくで、それでいて思慮深く、人々の前に立って導いていく気高さがあった。


 高潔の勇者という二つ名だからもっと潔癖なのかと思っていたが、意外に朗らかで親しみやすい。


 ただ、モタには当然ながら疑問があった――


「王国では、ノーブルは流刑になって死んだとされていたんだけど?」


 そんなふうに言葉を濁さずストレートに聞くと、ノーブルは苦笑を浮かべてみせた。


「あながち間違いではないよ。流刑されたのは本当だ。当時の聖女によって北の魔族領に転送させられたわけだからね」


 ノーブルが『当時の聖女』と語ったときに、わずかに感傷的になったのをモタは見逃さなかった。


「まだ魔族の動きが活発な時期だったから、ほとんど裸一貫で魔族領に流されるのは死刑に等しかった」

「でもさ。第五魔王の奈落王アバドンを封印したんでしょ? なぜそんな重い刑を受けたのさ?」

「さあね。それこそ、私が知りたいぐらいだよ」


 ノーブルはそう言って、「ふむん」と息をつくと、どこか遠い目をしながら話を続けた。


「結局、負けてしまったということなんだろうな――百年前、奈落の王ことアバドンにね」


 モタは首を傾げた。


 その言葉の意味がいまいち分からなかったせいだ。


 もっとも、ノーブルはすぐさま真剣な表情になると、次の曲輪に入る橋の前でモタと向き合った。


「さて、モタ君。次は私が聞く番だ。いいかな?」

「ういす」

「一応、確認しておきたいのだが、君は勇者パーティーに所属していた魔女のモタ君だ。間違いはないね?」

「ういうい」

「なぜ、そのパーティーを離れて魔族領ここまでにやって来たのだ?」

「セロを探しに来たの」

「セロとは、やはり勇者パーティーに所属していた光の司祭で、先日北の魔族領にて新しく立った第六魔王こと、愚者セロで相違ないかい?」


 ノーブルがそう尋ねてきたので、モタは驚きのあまり口をぽかんと大きく開けた。


「おや、魔王の件はまだ知らなかったようだな」

「ええと、セロが……魔王になった?」

「その通りだ。これは迷いの森のダークエルフからもたらされた情報だが、先日、真祖カミラの長女ルーシーの助力もあって、土竜ゴライアスの加護を受けたことで、正式に魔王として立ったそうだ。しかも、先日、当代の勇者バーバルと聖女クリーンによる討伐隊をすでに退けている」

「ええええーっ!」


 モタはつい、その場でひっくり返りそうになった。


「じゃあ、バーバルは? まさか討ち取られてないよね?」

「最新の情報では、勇者バーバルは聖剣を置き去りに逃げかえって、王都にて蟄居となったらしい。そして、今は聖女クリーンが魔王に対抗するパーティーを再編している。どういう因果かは知らないが、私の友人で、モタ君の師でもあるジージが加入したようだ」


 ここまでくると、さすがにモタもノーブルに盛大に担がれているのではないかと疑った。


 だが、からかっているようには全く見えなかった。ノーブルの表情は真剣そのものだ。ただ、数日前まで王都にいたモタでも知らないことを、なぜこんな辺鄙な砦にいるノーブルが知っているのだろうか……


 そんなふうな疑心がモタの顔にありありと出ていたせいだろうか、


「ふふ。実は、ここには意外と最新の情報が集まるんだ。何せ、食事にしろ、工芸品にしろ、あるいは美術品や演劇にしろ、人族の街に認識阻害してまで行きたがるような変わった連中がよくやって来るものだからね」


 ノーブルはそう言って、リリンにちらりと視線をやった。


 リリンはというと、「それほどでも――」と褒められてもいるわけでもないのに頬をぽりぽりと掻いて照れている。


 さらにノーブルはモタを連れて橋を渡りきると、次の曲輪の広場で開かれていた『蚤の市』の方にくいっと顎を向けた。


「それに加えて、ここにはダークエルフの行商人もよく来ている。彼らは王国の人族よりも遥かに第六魔王国に詳しい。何しろ、今は第六魔王こと愚者セロの庇護下にいるそうだからね」


 モタは目が点になった。


 そろそろ理解が追い付かなくなってきた。果たしてセロは北の魔族領に転送されてからというもの、いったい何を仕出かしてしまったのだろうか。


 モタよりもよほど色々とやらかしている気がするのだが……


「そういうわけで、勇者パーティーに所属していた魔女ことモタ君に最後の質問だ」


 ノーブルは市場の真ん中でいったん立ち止まった。


「君は新しく立った第六魔王に会って、はてさて何をするつもりなんだ?」


 その口ぶりは穏やかだったが、モタに対して射抜くような視線が浴びせられた。


 回答如何いかんによってはこの砦から叩き出すぞといった気迫を放っている。それもそうだろう。この砦はダークエルフの支援によって建てられたものだ。


 ということは、第六魔王国との敵対を誰も望んではいない。だから、もしモタがセロを害する意思を持つようなら、いっそここで捕らえて、ダークエルフに身柄を預けて処分する可能性だってあるわけだ。


 もっとも、モタも怯むことなく語った。


「セロに謝りたい。誤解だったとはいえ……わたし、セロにひどいこと言っちゃった。だから謝って……そいで、出来たらまた仲良くなって……そいでそいで――」


 モタはつい百面相した。


 セロが魔王になっているなんて全くもって知らなかった。


 そもそも、これまでは魔族は全て敵だと思い込んでいた。魔王とは問答無用で倒すべき魔物モンスターの親玉みたいな者だとずっと認識してきた。


 だが、魔族が必ずしも敵だとは、もう言い切ることも出来なくなっていた――


 人族にも善人や悪人がいるように、魔族にだって同じことが言えるのかもしれない。少なくとも、リリンは良い奴だし、眼前にいるノーブルだってもとは高潔の勇者だ。


 だから、モタは惑いを打ち消すかのようにぶるんぶるんと頭を横に振った。


「その後のことは……まだ分かんない。セロと話し合ってから決める」


 ノーブルはモタの答えを聞くと、やさしい微笑を浮かべた。そして、すぐにその笑みを努めて消してから、またモタをじっと直視した。


「これは質問ではない。むしろ、私からモタ君へのお願いだ」


 ノーブルはそう言って、モタだけでなくリリンにもちらりと視線をやった。


「二人はこれから迷いの森を通って、魔王城に行くつもりなんだろう? ならば、私もそれに同行を願いたい」

「ええと……なぜ?」


 モタがリリンと目を合わせてから代表して尋ねると、ノーブルははっきりとこう答えたのだ。


「この砦のリーダーとして、新しい魔王に挨拶をしなくてはいけないというのが表向きの理由だが、これでも私はかつて勇者だったんだ。だからこそ――その人となりによっては、私は魔王セロを討つつもりだ」

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