第72話 パーティーは準備する(聖女サイド:05)

 その日の夕方。聖女パーティーに属する面々はいったん別れて、それぞれ準備をしていた――


 英雄ヘーロスは王都郊外の共同墓場にいた。その中でも比較的新しい墓石の前に立つと、ヘーロスは持ち寄った高級酒を惜しみなく墓石にかけた。


「よう、相棒。ついに勇者パーティーに入ってしまったよ。いや、正確には聖女パーティーか。まあ、どちらでもいいさ。何にせよ、俺が救国の為に働くんだぜ。いやはや、本当に偉くなっちまったものだ」


 英雄ヘーロスはいったん夕日に視線をやりつつも、独り言を続けた。


「俺の隣にお前がいてくれないことがいまだに慣れないよ。あれからもう十年も経つというのにな」


 そして、「よいしょ」とその場に座り込むと、ヘーロスは残っていた酒をあおった。


「なあ、いったい、どうしてお前は呪われてしまったんだ? 勇者になるはずじゃなかったのか? それなのにあの日、大神殿に一人きりで行って、なぜ魔族になって戻って来てしまった?」


 ヘーロスは片手剣に手をやった。それはかつて無二の親友を斬った得物だ。


 駆け出し冒険者時代の同僚でもあったその親友は、意気揚々と聖剣を抜きに大神殿に行ったはずなのに、どういう訳か行方不明となって、しばらくして郊外で呪人となって見つかった挙句、解呪も間に合わずに魔族と化してしまった。


 それから街に侵入しようとして、対応した兵たちを傷つけたことによって、当時冒険者として討伐依頼を受けたヘーロスは探し出して斬らざるを得なかった……


「だからこそ、俺は真実を見極めたいのだ。呪いとは何か。そして魔族とはいったい何者なのか」


 ヘーロスはまた酒を呷るも、すでに酒瓶には一滴も残っていないことに気づいてから、「やれやれ」と頭を横に振って、墓石に真摯な眼差しをやった。


「これから魔王となった光の司祭セロに会ってくるよ。そいつがいったい何を知っているのか。何を知らざるのか。偵察任務とはいえ、いずれにせよこの剣で聞いてくるつもりだ」


 ヘーロスはそう呟いて、やっと立ち上がった。


 直後、その頬を冷たい風が過った。赤々とした空はみるみるうちに大地の影に支配されていった。ヘーロスは「じゃあな」と墓石に別れを告げると、そんな暗がりの中にゆっくりと進んだ。






 術士ジージは王国外縁にある貧民街スラムの古塔に戻ってきた。


「おうい、帰ったぞ」


 そう声をかけると、モタが『お手伝いのおばちゃん』と呼んでいた高弟サモーンが出迎える。


「おかえりなさい、ジージ様。そうそう、数日前にモタがここに来ましたよ」


 直後、ジージは顔をわずかに歪めた。


「あやつはいつも勝手に来て、勝手にどこかに行きおる。まるで猫みたいな奴じゃな」

「樽に入っていた『捨てモタ』を拾ってあげたのはジージ様でしょう?」

「わしの経歴の中でも最大の汚点じゃよ。まあ、いい。それで、あやつは何か言っておったか?」

「いいえ。特に何も。ジージ様によろしくといった程度ですよ」

「どこに行ったかぐらいは分からんか?」

「そういえば、謝りに行きたいと言っていましたね」

「は? あやつが謝るじゃと? よせよせ。雪でも降ってくるぞ。はあ、嫌じゃ嫌じゃ」


 ジージは纏っていた外套を玄関先に掛けると、「もしや新たな天候調整魔術の一環やもしれんな」とさらに皮肉を言った。もっとも、辛辣な言葉のわりにはモタを語るときのジージの口の端は少しだけ緩んでいた。


「そうそう、雪が降ってくるといえば、同じくらい珍しいことが起きているらしい。光の司祭と謳われたセロなる若者が真祖カミラの呪いによって魔王になったそうじゃ」


 すると、サモーンは「そう。そのセロですよ」と、ジージに指を差した。


「まさかと思うが……モタのやつは魔王セロに会いに行くと言っておったのか?」

「はい。飛び出して行きました」


 サモーンがにっこりと笑うと、ジージは深いため息と共に額に片手をやった。これは雪どころか、槍でも降ってきそうだなと、何だか無性に嫌な予感しかしなかった……






 王都にあるヴァンディス侯爵邸にて、女聖騎士キャトルは父シュペルに詰問していた。


「北の魔族領へと兵を動かしたのは父上ですか?」

「いや、違う。私ではない。そもそも王命による出兵ではなかったのか?」

「どうやら違うようです。少なくとも現王は命じていません。とはいえ、宰相ゴーガン様に掛け合ってもごまかされたので、詳しいことは結局分かりませんでした……まさかと思いますが、大神殿が動かすことなどあり得るのでしょうか?」

「それこそあり得ん。神殿直属の騎士団なら話は別だろうが、それでも亡者対策や聖女の護衛などに限られるはずだ。そもそも、他の各騎士団は武門貴族の有力者が仕切っているし、王都の抱える兵ならば同門の将軍の差配だ。私の耳に入ってこないのはおかしい。となると、王命によって急遽動いたとしか考えられないのだが……」


 そこまで言うと、シュペルは眉をひそめつつも、椅子に座って足を組んだ。


「それよりも、王都の兵が少なくなっていることの方がよほど問題だ」

「魔族が入り込む件ですか?」

「そうだ。この状況は好ましくない」


 先日も園遊会後の祝宴会場に第七魔王こと不死王リッチの配下バンシーが入り込んだばかりだ。


 それまではキャトルも、シュペルの杞憂ではないかと疑っていたほどだったが、今ではこの王都が魑魅魍魎が跋扈する舞台に見えてくるものだから恐ろしい……


「何にせよ、お前は己の役割をしっかりと果たせ」

「はっ!」






 その頃、モンクのパーンチは王城の一室で手紙を書いていた。


 それは出身村にある教会で預かっている子供たちに宛てたものだ。


 パーンチは王都の西北西にある山のふもとにある小さな村の出で、酪農で賑わっているので決して寒村ではないのだが、それでも娯楽は全くと言っていいほどないに等しい。


 だから、子供たちにとって、勇者パーティーに所属するパーンチの活躍は何よりお楽しみの英雄譚だ。


 そもそも、戦闘狂とも言えるパーンチが、戦闘種族の魔族に呪いつきを経由してまでなろうとしないのは、魔族になったら人族の村には寄れなくなるし、子供たちにも会えなくなるからだ。


 その孤児院を支えているのもパーンチの給金によるところが大きいので、幾ら戦いが好きだとはいっても、今のところ、死ぬことも、魔族になることも、パーンチにとっては選択肢にない。


「そうは言っても、この戦いが終わったら……オレもそろそろ村に戻って身の振り方でも考えないとな」


 パーンチはふと村の生活に思いを馳せた。


「喧嘩ばかりしていたオレを好いてくれる奴なんているものかねえ」


 そして、同い年ぐらいの村娘たちのことを思い出していた。小さな頃はちょっかいばかりかけるやんちゃ坊主だったから、嫌われて当然だ。とはいえ、結婚して、村業を支えるのもまた戦いなのだ。


 パーンチは「はあ」と息をつくと、王城の窓から宵の空に浮かぶ長い雲を見上げた。この儚げな雲が故郷にまでずっと繋がっていると強く信じて――


「待ってろよ、子供(ガキ)ども。兄ちゃん、なるべく早く帰ってやるからな」






 エルフの狙撃手トゥレスは宵闇に紛れて、ある人物の後をつけていた。


 その人物とは、かつてモタが王城の広間の柱からこっそりと見かけた人物だ。いわば本物の・・・裏切り者と言っていい。


 実は、その場にはトゥレスもモタ同様に隠れて裏切り者たちの動向を探っていたのだが、結果的にはモタに邪魔される格好となって、裏切り者たちの真意まで掴むことが出来なかった。


 だが、今日はついに尻尾を掴めそうだ――


 その裏切り者はわざわざ神官服を纏って、フードを目深に被って大神殿までやって来ると、人もまばらな広場を足早に横切って、研究棟の中でも一際古びた塔の裏手から地下に降りて行った。


「ふん。まさか私を誘っているのか?」


 トゥレスは眉間に皺を寄せたが、ここでは暗殺者としての誇りプライドの方がまさった。


 この地下には一度行ったことがある。どのみち一本道だ。もっとも、隠し通路などがある可能性もあるが、それならそれで『探索』を得意とするトゥレスにとって見つけるのも容易い。何せ、かつてはあの迷いの森に侵入したことさえあるのだ。


 もっとも、トゥレスはその螺旋階段を下りようとして、ギョっとして足をひっこめた。


 理由は単純だ。いつの間にか、この階段に封印がかかっていたからだ。このまま下りて行っても、永遠にたどり着けずに迷わされるだけだろう……


 進むか、退くべきか――いずれにせよ、このときトゥレスにとって疑心が確信に変わった。


「なるほど。これで合点がいった。まさか王国の中枢そのもの・・・・・・が私たちを欺いていたとはな」


 トゥレスはそう呟いて、塔の裏手からいったん退いてから、他に動きがあるかどうか見届ける為に、しばらくの間、すぐそばの木陰に隠れることにしたのだった。






 同時刻に、第二聖女クリーンは大神殿の執務室にいた。


 窓からじっと夜空を眺めていたが、ぼんやりしていたせいか、広場を横切ったトゥレスの存在には気づかなかった。


 英雄ヘーロスはあくまでも偵察だと言っていたが、残念ながらそれは政治をよく知らない冒険者の短絡的な考え方に過ぎない――聖女パーティーには結果が何より求められている。聖剣奪取か。魔王対抗か。どちらかの目的をすぐにでも果たさないと、王侯貴族の玩具にされる可能性がある。


 いや、むしろ社交界は勇者パーティーに代わるていのいい玩具こそ求めている。だから、せめて壊してはいけない玩具だと認識させる為にも、聖女パーティーは早急に結果を出さなくてはいけない。


 もちろん、これは長らく大神殿にて培われたクリーンの政治的な嗅覚に過ぎないが……


 それでも、クリーンはどうしても気がかりなことがあった――


「なぜ、これほどまでに私たちを急かそうとするのでしょうか?」


 たしかに聖剣が失われたのは失態以外の何物でもなかった。すぐにでも取り戻す必要がある。


 とはいえ、現在の第六魔王国は明らかにおかしい。人族の王国が簡単に対抗できる存在ではない。そのように嘘偽りなく報告も上げている。それなのに、ここにきてなぜ愚者セロをわざわざ刺激する真似をするのか――


「どうにも、何かに踊らされている気がするのです」


 英雄ヘーロスや巴術士ジージは希代の実力者だ。王国にはまだ虎の子の聖騎士団がいるとはいえ、この二人を失うようなことがあったらかなり痛手のはずだ。


「もしかして……聖剣奪取や魔王対抗が目的ではない?」


 クリーンはそう囁いて、ズキズキと痛む頭に手をやった。


 その問いに対する答えはあまりにも闇深いものだ――英雄ヘーロスや巴術士ジージの早急な死。それこそが本来、このパーティーにて求められているものだとしたら?


「いやいや、考えすぎですね。私の悪い癖です」


 どうやら今日もしばらくは眠れない夜を過ごすことになりそうだ。クリーンは「はあ」と深いため息をつくしかなかった。






 深夜、大神殿の研究棟の奥にある古びた塔の地下――


 巨大転送陣たる大きな門がある広間に、裏切り者はやって来ていた。


 そこにはすでに、裏切り者と同様にフードを深く被った者と、宰相ゴーガン、また主教フェンスシターもいた。


 もっとも、フードの者は興味深そうに転送門をずっと調べている。宰相ゴーガンはにこにこと他愛のない笑みを浮かべているが、主教フェンスシターはというと、どこか挙動不審でそわそわとしていた。いかにも一刻も早く、この広間から立ち去りたいといったふうだ。


 すると、フードの者が振り向きもせずに裏切り者に声をかけた。


「おや、もう少し待たされるかと思っていましたよ」

「そう皮肉を仰らないでください。わざわざお客様に先に来ていただいたというのに、そこまで失礼なことは致しませんよ」


 裏切り者が軽やかに会釈をすると、先客は被っていたフードを脱いだ。


 この広間で先に待っていたのは――第七魔王こと不死王リッチだった。


 それほどの大物が簡単に入って来られるほどに、王都の警備は作為的に緩くなってしまっていたのだ。


 しかも、宰相ゴーガンの手引きがあったとはいえ、不死王リッチをここに迎え入れたのはよりにもよって主教フェンスシターだ。聖職者にとって亡者は決して許せない不倶戴天の天敵のはずだ。


 つまり、王国も、大神殿も、そこまで根もとから腐敗していたわけだ――


「一応、遅れた理由をお聞きしてもよろしいか?」

「腕の良いネズミに追いかけられていたのです。古の盟約とやらに囚われている下らない者ですよ」

「ふふ。エルフの考えていることは本当によく分かりませんな。味方なのか。敵なのか。何でしたら、処分するのにわれが手を貸して差し上げますぞ」

「それは勘弁して・・・・くださいませ。これ以上、お客様の手を煩わせるわけにはいきません。何にしても、この塔の裏口には宰相ゴーガンがすでに封印を施しております。もう問題はありません」


 裏切り者はそう言ってから、またつまらない口癖・・・・・・・が出てしまったといったふうに、「おやおや」と口もとに片手をやって、頭を小さく横に振ってから粛々と告げた。


「それでは不死王リッチ様。始めると致しましょうか。戦争の開始です」


 直後、不死王リッチも鷹揚に肯いた。


 そして、広間に生ける屍リビングデッドを召喚し始めた。


 その亡者たちが次々と転送陣たる大きな門をくぐっていく。当然のことながら、行きつく先はかの岩山のふもと――第六魔王国だ。


 主教フェンスシターは「ひい」と小さく悲鳴を上げた。大量の亡者を間近で見て情けなくも失禁しかけている。もっとも、宰相ゴーガンは涼しい顔をしたままだ。亡者が息のかかる距離まで来ても、顔色一つ変えない。


 その一方で、裏切り者はくつくつと小さく笑っていた。


 まずは第六魔王こと愚者セロのお手並みを拝見するとしよう。大いなる目的の為に組むべき相手か。それとも潰すべきなのか。どちらにしても、第六と第七の魔王のいずれかにはここで退場してもらいたいところだ。


 そんなふうに考えながらも、裏切り者――王女プリム・・・・・は不死王リッチをじっと見つめながら、また含み笑いを浮かべるのだった。

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