第59話 作られた熱狂(聖女サイド:01)

 王国南西にある辺境伯邸で行われた園遊会はすでに三日目に突入していた。


 女聖騎士キャトルは同い年で仲の良い王女プリムの誘いを受けてやって来たわけだが、その肝心のプリムはというと、いつも多くの貴族たちに取り囲まれているので挨拶ぐらいしかまだろくに出来ていなかった……


 この三日間で貴族の男たちは山での狩猟にいそしみ、女たちは田園の穏やかな風景、美しい湖での水浴び、それに美食などに舌鼓を打っていた。最早、園遊会というよりも、ちょっとした団体旅行みたいな雰囲気になっていたが、さすがにこれだけの権力者が一箇所に集まれば、裏でこそこそと動き回るやからも出てくる。


 実際に、辺境の長閑さに比して、王国を取り巻く現状は厳しくなる一方だった。


 キャトルは自慢の長い金髪をいじりながら、「ふう」と小さく息をつくと、園遊会初日の晩のことを思い出していた。武門貴族の妻や娘たちの会合に顔を出した後すぐに、父シュペル・ヴァンディスの部屋に呼びつけられたのだ――


「非常に不味い事態になった」

「急にどうなさったのですか、お父様?」

「どこから漏れたのか不明だが、勇者バーバルが魔王にまた・・敗北したことが王都で話題になっているそうだ」

「…………」


 キャトルからすれば何もかもが寝耳に水だった。


 辺境伯邸へと馬車でゆっくり移動している間に勇者パーティーが勝手に出陣していたことにも驚かされたが、よりにもよって魔王に再度負けるなどとは……


 しかも、敗北した事実よりも、それが王都で話題になり始めた方をシュペルが憂えているということは、父はとうに勇者パーティーの連敗を知っていて、娘のキャトルに隠していたことになる。


 とはいえ、キャトルはまず事実確認を急いだ。


「敗れた相手というのは、やはり第七魔王の不死王リッチですか?」

「いや、違う。北の魔族領に新しい魔王が立ったそうだ」

「は? 北……ですか? 真祖カミラを討ったばかりだというのに……ということは、あの日、出会わなかった長女のルーシーあたりでしょうか?」

「実のところ、そこまでは詳しく分からんのだ。詳しい情報については王都に戻ってから精査しなければならない。何にしても、これから園遊会は荒れるぞ」


 シュペルはそう言って、椅子にどさりと背をもたれた。


「ところでお父様。勇者パーティーの皆はいったいどうなったのでしょうか?」

「全員、無事に戻って来たそうだ」


 それを聞いて、キャトルはやっと、「ほっ」と息をついた。


 だが、キャトルが穏やかでいたのはそこまでで、いったん目つきを鋭くすると、この事態を隠し通してきたシュペルに食ってかかった。


「ところで、お父様。勇者パーティー敗北の報をいつからご存じだったのですか?」

「園遊会の少し前からだ。神殿の騎士団の上層部から秘密裏に情報を受け取った」

「なぜ、私に黙っていたのです?」

「すまなかったな。とはいえ、本件は現王の命で緘口令が敷かれていたのだ」

「緘口令?」

「そうだ。現王と教皇との協議によるもので、たとえ実娘といえど、おいそれとは口に出せなかった」

「どうして教皇猊下までもが……?」

「知らんよ。もともとこの情報自体が大神殿からもたらされたものだと考慮すると、何かしら理由があるのだろうな。もっとも、どこから王国民に情報が漏れたのか――そちらの方がよほど気掛かりではあるのだが」


 シュペルはそうぼやくと、手近にあったグラスを掴んで、無作法にも一気にあおった。そして、ぼんやりと宙を見つめながら呟く。


「何にせよ、今回の勇者はもう駄目だな。王命ですでに蟄居させられたそうだよ」

「それでは、勇者パーティーは?」

「すぐにでも解散となるだろう。だが、新たな魔王がどう動くか未知数だ。魔王に対抗出来るパーティーをすぐにでも編成し直さなくてはいけない。今晩もこれから武門貴族の集まりに出てくるが、当然その話題が中心になるだろうな」

「そうですか……」

「何ならお前が中心になるか?」


 シュペルがからかうような視線を流してきたので、キャトルはすぐさま頭を横に振った。


「冗談はよしてください。武家の娘としてはたしかにほまれではありますが、さすがに己の実力はわきまえているつもりです」

「ふむ。欲がないな。まあ、何にしても、新しいパーティーは厳しい状況下に置かれるはずだ。何しろ勇者がいないのだ。よほどの人材を集めないと国が荒れかねない。お前のことは引き続き押しておくから、新しいパーティーのことはくれぐれもよろしく頼んだぞ」

「はっ!」


 キャトルは敬礼しつつも決意を新たにした。


 バーバルとは肌が合わなかったから、新しい仲間たちが自らを高みに導いてくれる存在であってくれたらと望むばかりだ。果たしてセロは戻ってきてくれるのだろうか……


「そうそう、それとここだけの話だが――」


 シュペルは声を小さくすると、室内にもかかわらず用心深く警戒してみせた。キャトルは辺境伯の実家でもまだ魔族の侵入を疑っているのかと目を見張った。


「聖女クリーンが懲罰房に入れられたそうだ」

「聖女様が? 懲罰とは……いったい何をなさったのですか?」

「分からん。勇者パーティー敗北の報といい、今回は大神殿がやけに絡んでいる。しかも、聖女の件については主教イービルが命じたことらしい。何にしても、奴と関わるとろくなことにならん」


 キャトルは「はあ」と深いため息をつくしかなかった――


 それがちょうど三日前、園遊会初日の晩のことだった。あれからシュペルはというと、社交界の最中だというのに、いつもよりもよほど忙しく動いている。


 園遊会そのものもいつの間にか、貴族たちの疲れを癒す為の小旅行といったおもむきから、魑魅魍魎が跋扈する伏魔殿にも似た雰囲気に変じていた。


 今日はやっと最終日で、各界で目立った功績を残した人々が褒章を受けるということで、昼過ぎから辺境伯邸の広い前庭にて盛大な式典が行われているところだ。高名な魔導騎士、芸術家や吟遊詩人などが次々に呼ばれている。


 すると、唐突に邸の正門に馬車が三台着いた。


 キャトルは眉をひそめて、いったい誰が来たのだろうかと見ていたら、まず大神殿の主教フェンスシターが出てきた。これには式典に出席していた貴族たちもざわついた。


 主教フェンスシターは小太りの中年男で、立場的には日和見なので主教イービルの腰巾着とも小間使いとも言われている俗物に過ぎない。とはいえ、聖職者が貴族の園遊会にやって来るのはいかにもおかしい。生臭坊主だと公言しているようなものだからだ。幾ら俗物と評判の男とて、まともな感性があるなら立ち寄りもしないはずだが……


 さらに、馬車からは二人の人物が進み出てきた。それらの人物を見て、貴族たちの騒々しさは一気に増した。キャトルの耳にも嫌でもひそひそ声が届く――


「なぜ冒険者なぞが来たのだ?」

「田舎の魔物モンスターでも狩りにやって来たのでは?」

「しかしながら、もう一方の御仁は……? どこかで見かけたことがあるような、ないような……」

「ま、まさか! そんな馬鹿な! こんな式典に御出でなさる御方ではないぞ!」


 そんな騒々しさを掻き分けるかのようにして、武門貴族でも勇猛果敢として知られる精悍な辺境伯がわざわざ皆の前に進み出てくると、喧騒を止めるようにと両手を広げる仕草をした。


 主教フェンスシターの後を歩いてくるのは、英雄ヘーロスだった。三十代前半の好男子で、強者に相応しい屈強な体格に、よく焼けた浅黒い肌――いかにも叩き上げの冒険者なのだが、その戦歴は凄まじい。個人ソロで北の魔族領にある『竜の巣』の毒竜討伐まで果たしたことがあるほどだ。


 そんな英雄ヘーロスが前庭の中央に来たとたん、口さがない貴族たちは先ほどまで冒険者と蔑んでいたはずなのに、すぐに掌をくるくると返し始めた。


「勇者よりも勇者らしい英雄とはまさに彼のことだな」

「バーバル様のことは聞きましたか? 何でもまた負けたそうですよ」

「勝手に魔王退治に赴かれたとか。以前から神殿の騎士団からも独断専行に過ぎると嫌われていましたからな」

「それでは、いったい今後、勇者パーティーはどうなるのかしら?」


 そんなひそひそ話と共に、英雄ヘーロスからしだいにキャトルへと視線が移ってくる。


 どうなるかと問われても、実のところ、キャトルの方が知りたいぐらいだ。そんな不躾な貴族たちの視線に堪えきれず、キャトルはつい目を伏せてしまった。


 さらに、主教フェンスシター、英雄ヘーロスに遅れて、一人の老人が杖をついてゆっくりと歩んできた。そのとたん、老いて引退していた公侯爵たちが一斉に跪いた。そんな姿に驚いて、他の貴族たちも次々に倣っていく。


「よい。とうに引退した爺だ。皆もおもてを上げられよ」


 その老人は穏やかに言った。


 キャトルも跪きつつ、いったい誰なのかと訝しんだが、すぐにひそひそ声で理解出来た――術士のジージだ。


 百年ほど前に高潔の勇者ノーブルと共に戦った大魔術師らしい。


 そして、魔術師協会の重鎮として、多くの後進を育て上げ、長らく王族の魔術指南役も勤めてきた大人物でもある。亡くなられた先代の王から「師父」と敬われていたこともあって、その頃を知っている者たちは自然と膝を地に突いたわけだ。


 もっとも、ここでもまた百年前の話に絡んで勇者パーティーの噂が増えて、キャトルに一方的な視線が集まってきた。キャトルもいい加減に辟易したが、そこにふらりとまるでキャトルを守るかのようにして王女プリムがやって来た。


「まあ、今日の主賓がそんなにしょげた顔をしていては駄目ですよ」

「……え?」


 王女プリムに急に手を引かれて、キャトルは主教フェンスシター、英雄ヘーロスや巴術士ジージのもとに連れてこられた。いつの間にか、父シュペルもそばにやって来ている。


 そんな前庭の中央にて、辺境伯が貴族たち全員の注目をいったん伯自身に戻すと、


「皆様にご紹介しよう。まず、フェンスシター卿だ。本来なら聖女クリーン様にお越しいただく予定だったが、聖女としての外せない所用があって、急遽来られなくなってしまった。代理としてわざわざこのような場にお越しいただいた卿には深く感謝を申し上げたい」


 辺境伯がそう説明すると、会場からはまばらな拍手が上がった。


 そんな拍手が静まるタイミングを見計らって、シュペルが集まった人物の紹介を辺境伯から引き継いだ。


「次に、皆さんもご存じやもしれないが、数々の冒険と功績で知られる英雄ヘーロス殿だ」


 そのとたん、武門貴族たちを中心として大声と拍手が上がる。


 シュペルは「こほん!」とわざとらしく咳払いして、その声援を止めると、今度は老人のそばに立った。


「そして、どの功績によって称えればいいのか、不詳の身では――」

「よい。年寄りは気が短いのだ。手短に頼むぞ」

「はっ! それでは、かつて王家の魔術指南役でもあらせられた巴術士ジージ様だ」


 直後、会場からは「やはりか」とか、「まさかこんな場所でまみえるとは」とかといった言葉が上がった。


「最後に、我がヴァンディス家の長女ではあるが、聖騎士のキャトル。それからこの会場には来ていないが、引き続き、モンクのパーンチ殿、狙撃手のトゥレス殿にも参加していただく」


 そこまでシュペルが言うと、さすがに貴族たちの喧騒は否が応でも増していった。今、ここで何が宣言されるのか、誰もがすぐに気づいたのだ――


 シュペルは再度、会場が静かになるのを待った。そして、会場をいったん見渡してから辺境伯と声を合わせた。


「本日、勇者バーバル様が蟄居した状況を鑑みて、新たに聖女クリーン様を旗頭にした魔王討伐のパーティーを結成した。我々はこのパーティーにて魔王討伐を行うことをここに宣言する!」


 会場は歓喜に包まれた。


 勇者バーバルの敗北の報はそれだけ不安を掻き立てていたのだ。


 その一方で、キャトルだけが落ち着かない顔をしていた。なぜなら、新しいパーティーにセロはともかく、魔女モタの名前もなかったせいだ。


「モタは……どこに行ったのかしら」


 そう呟くも、すぐに王女プリムがやって来て、「さあ、主賓なのだから皆に改めて挨拶に行きましょう」とまたもやキャトルを引っ張っていった。その日、キャトルはそれこそ一生分の社交界での挨拶をすることになって、勇者パーティーにいた頃よりへとへとになったのだった。

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