第58話 旅は道連れ、世は情け(魔女サイド:02)

「あいたた……」


 モタは額を両手でさすってから、ぶつかった相手を見た。


 そして、すぐに「んんー?」と訝しんだ。何しろ、モタと同様に相手も自身に認識阻害をかけていたせいだ。


 しかも、相当に高度な術式だ。王城の廊下でも阻害の為の呪詞を見かけたばかりだったし、最近はこんなのばかりだなー、とモタはついげんなりした。


 何にしても、モタはその術式を瞬時に読み取った。どうやら眼前にいる少女は魔族のようだ。魔核とマナ経路の同調を目立たなくして、人族の心音のように見せかける高等術式が織り込まれている。


 虫系か、魚系か、はたまた竜か、亡者か、吸血鬼か――種族まではさすがに分からなかったが、これは相当な実力者だなと、モタは警戒してアイテムボックスから杖を取り出そうとした。


「どうしてこんなところに魔族がいるのさ?」


 モタは口を尖らせて、すぐに上体だけ起こして身構えたものの、


「頼む! 後生だ。ここは見逃してほしい。欲しい物があるならくれてやろう」


 意外にも、その魔族の少女はモタを襲うことなく、むしろ手を合わせて懇願してきた。


 モタとしては魔族がそんなことを言ってくるとは露ほども思っていなかったので、唖然とするしかなかった。どうやらこの少女はモタのことを訳ありのスラム住民とでも見て、買収しようとしているらしい……


 モタは「むむー」と呻った。


 そもそも、モタ自身も追われている身なので、あまり事を荒立てたくはない。


 だが、一応は勇者パーティーの端くれという自覚もまだあるので、魔族が王都に潜んでいることを無視していいとも思えない。


 はてさて、ここはどうするべきか――


 と、モタが考えあぐねている間にも、ドタ、ドタ、ドタ、と。


 すぐそばの角を曲がって、十人ほどの追手らしき荒くれ者たちが現れ出てきた。


「む。マズい。もう追いつかれてしまったか」


 少女は背後を見てから呟いた。


 同時に、モタも「ヤバ!」と声を上げた。


 最悪なことに、少女の追手の中に先日モタを探していたゴロツキ冒険者が混じっていたのだ。


 二人は即座に立ち上がると、すたこらさっさと逃げ出した。ちなみにスラムでの捕り物は日常茶飯事なので、誰も気にする素振りを見せない。子供たちなどは「がんばれー」と元気に声を掛けてくるぐらいだ。警備の兵もろくにいないので、すいすいと逃げ切れる――


 ――と言いたいところだが、さすがにスラムだけあってきちんと区画整備されているわけではないし、地面も凸凹で、さらに河川の氾濫でぬかるんでいる。


 おかげで時には道なき道を進み、泥塗れになり、あるいはあばら家の屋根伝いを進んでいくことになる。


 しかも、一人ずつに分かれれば追手もばらけるというのに、どういう訳か、二人して同じ方向へと仲良く逃げている。


「ついてこないでよー!」

「違う! 同じ方向に進んでいるだけだ!」


 たしかに一緒になって並走しているから、少女もあながち嘘は言っていない。


 これにはモタも、変なところで気が合うなー、と渋い顔をした。しかも、逃げることに集中していたせいで認識阻害が疎かになっていたのか、追手のゴロツキ冒険者はどうやらモタの正体に勘付いたらしく、


「こらああ! そこのハーフリングも待てやあああ! 賞金を寄越せええええ!」


 と、大声を上げて追ってきた。


 こうなったらモタのことも見逃してはくれないだろう……


「ほう。何だ。貴女もお尋ね者だったのか?」


 少女が走りながら尋ねてきたが、モタはそれには答えずに逆に聞き返した。


「そっちが追われた理由はー? やっぱ魔族だから?」

「いや。魔族だとはバレていないはずだ。彼らはおそらく盗賊だ。食材を買ったときに、手もとが狂って金貨袋を落としてしまった。それで目を付けられたのだろう」

「ふうん」

「で、そちらはどうなんだ?」

「まあ、何というか……人気者は辛いってこってスよ」


 そんなふうにして二人が並走していると、王都の正門が見えてきた。


 さすがに兵が多い。というか、いつもよりもなぜか多く集まっている。まるでどこかに出兵準備でもしているかのようだ。


 何にしても、このまま正門前を走り抜ければ、盗賊やゴロツキ冒険者の追手は諦めてくれるかもしれないが、逆に兵士の方が怪訝に思って追いかけてくるかもしれない――


 さて、どうするべきか。


 さすがに、モタも、少女も、判断がつかなかった。


 だから、モタは仕方なく、走りながら少女に声をかけてみる。


「ねえ。そこそこ強そうに見えるけど、魔族なんだから盗賊ぐらい倒せばいいじゃん? 何でしなかったのさ?」

「人族の街で本来の姿には戻れん。そんなことをしたら、兵士や騎士団に街の外まで追われることになる。奴らは盗賊などよりよほどしつこい」

「なるほどねー。ちなみに何が出来んのー?」

「『魅了』などの精神異常が得意だが、認識阻害と同時だと長くはもたない。あとは姉上ほど・・・・ではないが、近接戦も一通りは出来るのだが――」

「んー? どったの?」

「実は手もとの武器はなまくらなのだ。剣身がついていない」

「何でよ?」

「武器は必要ないからだ。あるもの・・・・で代用できる。だが、魔族とバレたくはないので、武器の錬成はあまりやりたくない」

「ふうん。まあ、おけー」


 モタは短く答えると、作戦を伝えた。


 少女はそれに肯くと、正門の兵士たちに見つからないようにと、スラムのあばら家が固まって出来ている袋小路にわざと入った。そして、モタは即座に認識阻害で壁を作る。


 当然、その袋小路に追手も次々にやって来るが――


「あれ? いねーぞ」

「どこ行った?」

「間違ったとこに入っちまったか?」

「おい。おめーら、黙れ。少しじっとしていろ」


 十人ほどのゴロツキたちを制するようにして、リーダーの男がじっと目を凝らした。


「これは認識阻害だな。二人ともすぐそこにいやがるぜ」

「でも、ボス。俺たちにはさっぱり分かりやせんぜ。どうすりゃいいんです?」

「俺様が投刃するから、そこに突っ込んでいけ」

「「「へい!」」」


 そうして、リーダーの男がナイフを投げる構えをした瞬間だ。


 モタは少女に声をかけた。


「今!」

「分かった!」


 直後、認識阻害の壁が消えたとたんに、少女の目が妖しく煌めいた。


「「「うっ」」」


 ゴロツキたちは『魅了』の効果で呻いた。


 リーダー以外は全員がへろへろになって崩れかける。


「おい! テメエら、しっかりしろ!」


 もっとも、リーダーが盗賊系のスキルで『鼓舞』すると、全員が額に手をやって、ぶるぶると頭を大きく横に振ってから何とか正気を取り戻し始めた。


 が。


 ゴロツキたちはすぐに異様なものを目撃した。


 というのも、壁が消えたと思ったら、そこには黒いもやがあまりにも色濃く漂っていたのだ。


 さすがにゴロツキたちもそれが魔術の呪詞だとすぐに分かった。それが十個ほどの輪を作って、魔術陣を形成していく。いわゆる大魔術だ。こんなものが放たれたら、ゴロツキ共々、ここら一帯が消失……いや、王都が半壊してもおかしくはない……


 これには少女もギョっとなったが、モタはにやりと笑ってみせると、


「一週間は我慢してよね!」


 刹那、魔術陣がボスを含めてゴロツキどもの腹部に転移した。


 次の瞬間、ピイイイーとか、ぐうううとか、ぎゅるぎゅるとか、ありとあらゆる腹の音が鳴って、ゴロツキたちはその場でひくひくとうずくまった。


「な、何をかけたのさ?」


 少女がその様子に呆然としていると、モタは「ふふん」と鼻の下をこすった。


「お腹を下す魔術と、おしりが緩くなる魔術と、定期的な水分補給が自然と出来るけどすぐにお腹がダメになっちゃう複合術。闇系の最強魔術と生活魔術を掛け合わせて、バーバルやセロに実験していたら出来るようになったんだよねー。もち、わたしのオリジナルよん」

「貴女……相当にヤバいわね。なるほど。追われるわけだ」

「もっとほめてほめてー」

「ふふ。初めて見たよ、こんな奇天烈な大魔術。天才とはまさにこのことだろうな」

「えへへー」


 モタはちょっとだけデレデレした。


 たしかに普通の『麻痺』や『気絶』などの状態異常を与えても、耐性アクセサリーを持っていたら対策される。


 実際に、ゴロツキたちのリーダーは『魅了』に抗してみせた。だが、モタ特製の奇妙奇天烈奇々怪々な状態異常となると話は別だ。


 今では全員がトイレを求めて芋虫みたいに這いつくばって動き始めている。


「これは……本当にえげつないな……」


 少女はそんな様子を白々とした目で見るしかなかった。


 一方で、このときモタは大魔術を使用した後ということもあって、認識阻害が完全に解けてしまっていた。


 だから、少女は振り返って、その正体に気づいて目を丸くした。何せ、本来ならば魔族の天敵たる勇者パーティーにいるべき大人物が眼前にいたのだ。


「――――っ!」


 だが、そのモタはというと、真剣な眼差しを少女に向けてきた。


「ねえ。さっき、欲しい物をくれるって言ってたよね?」


 その表情に少女はごくりと唾を飲み込んだ。命を差し出せとか、魔核やマナ経路をいじらせろとか、いかにも言ってきそうな雰囲気があったからだ。


「一つだけお願いがあるんだけど……わたしを北の魔族領に連れて行ってほしいんだ」

「北の……魔族領だと?」

「うん。探している人がいてね」

「魔族領のどの辺りだ?」

「多分、魔王城付近かな」

「…………」


 少女は「ううむ」と思案顔になって、それから周囲をきょろきょろと警戒すると、意を決して自身にかけていた認識阻害を初めて解いた。


 今度はモタが驚く番だった。


 なぜなら、すぐ目の前に吸血鬼がいたからだ。


 魔王城で見掛けた真祖カミラによく似ている。そのカミラを少女に戻して、よりユニセックスかつ妖しげな男装令嬢にでもした感じと言うべきか。なるほど。剣を持たないわけだ。たしかに血で代用できる。


「私は真祖カミラが次女、吸血鬼の夢魔サキュバスことリリンだ。ふむ。仕方があるまい。これも何かの縁なのだろうな。久しぶりに戻ることになるわけだが、実家まで案内しようか」


 もちろん、このとき二人はまだ知らなかった。ちょっとした案内程度に思っていた旅路が、実は艱難辛苦の大冒険となって、さらには戦争にまで巻き込まれていくことに――

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