第55話(追補) 魔王たち
この世界は三つの層に分かれている。
天界、地上世界、地下世界だ――このうち地下世界は統治者の性質によって、霊界、魔界、地獄の三つに分かれている。それぞれ順に、第四魔王こと死神レトゥス、第二魔王こと蠅王ベルゼブブ、第一魔王こと地獄長サタンが治める領域だ。
地下世界は天界と比して『冥界』と称されることもあるが、何にしても冥界はこの三勢力によって長らく拮抗していた。かつては数十もの魔王が乱立していたこともあったが、結局のところ、そのほとんどは叩き潰されるか、そうでなければ現在の三王の配下になっている。
一方で、地上世界は『大陸』と称されて、東西南北を四人の魔王が支配していた。
東の砂漠地帯を第五魔王こと奈落王アバドン、西の湿地帯を第七魔王こと不死王リッチ、南の険しい山岳地帯を第三魔王こと邪竜ファフニール――そして、穏やかな自然の広がる北の魔族領については第六魔王こと愚者セロが改めて治め始めたばかりだ。
もっとも、大陸で最も大きな支配領域を持っているのは人族が治める王国だ。
本来、魔族が本気を出せば、王国など簡単に滅ぼされるはずなのだが……人族の国家は地政学上でも絶妙なバランスの上に立つことでこれまで存続してこられた。
というのも、いずれかの魔王が王国を滅ぼせば、地上で最大の版図を持つこともあって、一気にパワーバランスが崩れてしまう。必然的に
結局のところ、他の魔王を全て叩き潰すだけの戦力が整っていないうちは、地上の魔王たちも身動きが取れないジレンマに陥っていたわけだ。もちろん、それ以外にも天界に潜む
ある者は興味など一切示さずにいたし、ある者は秘密裏に人族と親密な関係を築いていたし、もしくはある者は背後から権謀術数にて支配しようとしていた。
そういう意味では、地上の魔王たちの中ではセロだけがまだ立場を明確にはしていなかった。その間にも、他の者たちはとうに蠢いていたのだ――
「お義父様。なぜ動かないのです? 真祖カミラが討伐された以上、この地上ではお義父様こそが最強。今こそ、大陸に覇を唱えるべき時宜ではないのですか?」
海竜ラハブは玉座の前で義父を叱責していた。
もっとも、玉座とはいっても、城もなければ広間も椅子もない。今、『天峰』にあるのは天まで届きそうな塔と、巨大な山だけだ。
その大山がラハブの詰問を受けて、「ん?」とぴくりと動いた。
土竜ゴライアスと比しても遜色のない、山の如き強大な存在――それが第三魔王こと邪竜ファフニールだ。
ただし、土竜とは違っていかにも禍々しい魔力を放っている。魔紋は螺旋を描くようにして両角に現れて、ため息一つで周囲には害が及ぶ。かつては毒竜と呼ばれて、古の大戦では西の魔族領に広大な血の湿地帯を作り上げたとされる大物こそがファフニールだ。
対照的にラハブは長い金髪を誇る、美しい女性の形をとっていた。シンプルな白い貫頭衣のみを纏った姿はさながら邪竜に対する巫女のようだ。
「お義父様の力があれば、地上はおろか、地下をも統治することが出来るはずです」
ラハブはそう言い切るも、当のファフニールは「ふう」と小さく息をつくだけだ。
「義娘よ。人族の国家などと絡むのは止めておけ」
「なぜです?」
「人族の背後には天族がいる。天使どもと関わるなぞ……ただ、ただ、煩わしいだけだ」
「もう! ただの面倒臭がりではないですか!」
「そもそも、勇者を侮ってはいかん」
「……え?」
「あれは人族最後の希望だ。人族が減れば減るほど、その力が増すように『
「お義父様らしくありません。今さら、勇者程度を恐れているのですか?」
ラハブがそう言って挑発するも、やはりファフニールは面倒臭そうに鼻で息をついた。
「ふん。当代の勇者如きなぞ知らんよ。そもそも、真祖カミラが討伐されたとはいうが――」
邪竜ファフニールはそこで言葉を切って、「まあ、いい」と急に話すのが億劫になったといったふうに、またごろんと山のように横になってしまった。
ラハブはというと、「お義父様!」と頬を膨らませたが、ファフニールは微動だにしなかった。こうなったらいっそ自ら全ての魔王を討とうかとラハブは思いついたが、義兄たちがわらわらと現れてラハブを猫可愛がりし始めるものだから、機先を制されてしまった……
こうして第三魔王国は大陸の覇には興味も示さずに、しばらく沈黙を貫くのだった。
「おや? 来るのでしたら、事前に連絡ぐらい欲しかったものですな」
第七魔王こと不死王リッチは不機嫌そうに言った。
華美を極めた悪趣味なマント、それに煌めく王冠でリッチはその身を着飾っている。もっとも、中身は骸骨なので傍から見ても表情はいまいちよく分からない……
今は西の魔族領にある要塞のような墳丘墓の石室にいて、棺に腰を掛けて一人で魔術書を読んでいたようだ。古墳内の室内とはいえ、やはりここにも宝石類や金貨などが山のように積み上げられている。もしかしたら、大陸で最も裕福なのはリッチかもしれない。
すると、石室に入ってきた男はリッチの小言に対して小さく笑みを浮かべてみせた。
「これは失礼しました。しかしながら、このような場所に逐一やって来られる連絡員など、王国中を探しても見つからないものでしてね」
直後、生活魔術で灯された明かりがその男の表情を照らした――
その人物は王国の現王の側近こと宰相ゴーガンだった。
宰相とはいってもまだ若い。王国の貴族には武門貴族と旧門貴族といって、いわば武家と公家のような大きな派閥があるのだが、ゴーガンは後者を代表する公爵家の家督をすでに継いでいる。
若くして実務にとても長けていたというのもあるが、このゴーガンは現王に対するおべっかが何より上手かった。社交界でも花形で、バーバルのように傲岸な顔つきをしているものの、意外なことに敵対勢力の取り込みを得意としていて、実際に今も人族の天敵である亡者――その親玉とでも言うべき不死王リッチと親密そうに話している。
が。
不思議なことに、ゴーガンは園遊会にも行かずに墳丘墓に赴き、さらにその手には不死将デュラハンの兜を掴んでいた。
「デュラハンを召喚するのも、
「こればかりは仕方ないでしょう? 墳丘墓に入ろうとしたら襲われたわけですから」
「まあ、自動的に侵入者を撃退するように命じていますからね。だからといって、壊す必要もなかったでしょう?」
「ならば、次からは湿地帯で呼び掛けたら素直に誘導してくださるようにしていただきたいものですね」
「誘導すれば、本当に
不死王リッチはその部分を強調して尋ねた。
だが、宰相ゴーガンは「ふふ」と口の端を歪めると、デュラハンの兜を握力だけで砕いてしまった。
「少しだけむしゃくしゃしたことがあったのよ。せっかく可愛がっていた犬がおいたをしちゃってね」
しかも、口調が女性のものに変わっている。
不死王リッチはやれやれと肩をすくめてみせるも、王国の宰相ゴーガンが勇者バーバルでも倒せなかったデュラハンを容易に捻り潰したことにも、それに加えて口ぶりが変じてしまったことにも気に留めずに話の先を催促した。
「それで、可愛がっていた犬というのは?」
「貴方のところにもキャンキャン吠えにきたでしょう?」
「ああ。あの……雑魚のことですか」
「そう。あまりに雑魚過ぎて、新しく立った第六魔王にも返り討ちにあってしまったわ」
「それはお悔やみ申し上げますとでも言うべきところですかな」
不死王リッチが皮肉を返すと、宰相ゴーガンは「所詮、駄犬よね」とため息をついた。
しばらく二人は言葉を交わさずに沈黙だけが続いた。いや、より正確にはリッチが魔術書をめくる音だけが石室に響いた。その魔術書にも興味が失せたのか、リッチは本をぱたんと閉じると、やっと宰相ゴーガンに向き合った。
「ところで、わざわざここまで愚痴を言いにきたわけではないのでしょう?」
「良いこと思い付いちゃった」
「は?」
「近々、第六魔王国に攻め入る予定なのよ」
「王国がですか? しかしながら、勇者がやられたとなると、一筋縄ではいかないのでは?」
「それは問題ではないわ。王国にはまだ英雄もいるし、長生きしている妖怪みたいな爺さんもいるし、それに虎の子の聖騎士団だって控えている。そもそも、勇者パーティーなんて冒険者上がりの徒党でしかないわけだし」
「それはとても頼もしいことですね」
「で、頼もしいついでに、貴方にお願いしたいわけよ」
「今度は何ですか?」
「一緒に第六魔王国を攻めない?」
「…………」
不死王リッチは眉をひそめた。
もちろん、骸骨なので表情は全く読み取れない。ただ、気が乗らなかったのはたしかだ。
そもそも、リッチは戦場で死ぬことこそ誉れなどという古い考え方を持った魔族ではなかった。もとは第四魔王こと死神レトゥスの配下だったこともあって、いかに強者から逃れて世捨て人同然に生き永らえるかに関心があった。
だからこそ、リッチは独自の嗅覚で考え込んだ――果たしてこの誘いは断れるものなのかどうかと。
もし断ったら、先の話に出てきた英雄、妖怪爺や聖騎士団の矛先がこちらに向かうのではないかと考慮したわけだ。
今でこそ宰相ゴーガンとは親密なふりをして話し合ってはいるが、生を謳歌する人族の国家と、その生を憎む亡者の国家がいつまでも親しく出来るはずもない……
とはいえ、共通の敵を作っておけば、少なくともその間は王国から攻め込まれることはないし、それに宰相ゴーガンに貸しを作っておくのも悪くはない。リッチはそう考え直して、鷹揚に肯いてみせた。
「構いませんよ。段取りはそちらでお願いします」
「ありがとう。じゃあ、また連絡をしに来るから」
宰相ゴーガンは満足げに言うと、踵を返そうとしていったん立ち止まった。
「そうそう、貴方の部下を一人貸してもらえる?」
「なぜですか?」
すると、ゴーガンは手にしていたデュラハンの兜の残骸をぽいと適当に投げ捨てた。
「もちろん、
その答えを聞いて、不死王リッチは「はあ」と息をついた。何に使うのか、おおよそ見当がついたからだ。
もっとも、亡者は金銀財宝の触媒さえあれば幾らでも召喚出来るので、リッチとしては部下が潰されても、投げ捨てられても、痛くも痒くもないわけだが……
「分かりました。適当なのを見繕って持っていって構いませんよ」
「ありがとう。じゃあ、メイドにでも扮してもらえそうだし、バンシーあたりでも一人借りていくわ」
宰相ゴーガンは不死王リッチにそう伝えると、今度こそ石室から出て行った。リッチはその後姿を見送りながらも、けたけたと笑った。
「それでは、しばらくは第六魔王国と王国との戦争を傍観するとしましょうかね。せいぜい楽しませてもらいたいものですよ」
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