第54話 パーティーは解散する(勇者サイド:11)

 セロたちの晩餐会から時間を少しだけ前に戻したい――


 聖女クリーンはセロたちから逃げようと、聖鶏グリンカムビの翼を宙に放った。


 その瞬間、クリーンの身は光に包まれて、空高く舞い上がった。そして、鳥となって羽ばたいた。もっとも、自ら行き先を決めて飛んでいるわけではない。ただ、風の流れに身を任せて、定められた地点へと帰巣しているだけだ。


 そうはいっても、先ほどまでの緊迫した死地から逃れられたこともあって、クリーンはとても心地良く空中飛行を楽しんでいた。


「あら、もう着くのですね」


 しばらくすると、王都が見えてきた。


 あまりに空の旅が良かったものだから、クリーンは「残念」と小さく息をついた。


 大神殿のそばの人目のつかないところにでも着地するのかと思っていたが、クリーンはすぐに異常を感じた――上空でいきなり謎の渦に巻き込まれてしまったのだ。どうやら『転送』の術式にかかったらしい。


「どういうことかしら?」


 聖女クリーンは焦った。


 だが、痛みや悪寒などは感じなかった。


 気がつけば、巨大転送陣の門が置いてあった大神殿の地下へと強制的に戻されていた。


 もしかしたら、クリーンが詳しく知らなかっただけで、大神殿の上空には宙からの侵入者に対する設置罠でも張ってあったのかもしれない。何にしても、最後だけは想定外ではあったが、聖鶏の翼でこうして無事に帰ってこられたことにクリーンは「ほっ」とした。


「さて、他の人たちは――?」


 聖女クリーンが地下広間を見渡すと、勇者パーティーも全員揃っていた。


 勇者バーバルはどこか虚ろな目をしていた。モンクのパーンチはお腹を押さえてうずくまっていた。そして、エルフの狙撃手トゥレスは特に怪我なども負っておらず、二人のそばで静かに腰を下ろしている。


 さらには、そんなパーティーを遠巻きに囲むようにして、黒服の不気味な神官たちが立ち尽くしていた。たしか、研究棟でたまに見かける者たちだ。この塔や禁書庫などに出入りして、表には全く出て来ず、いにしえの時代の研究だけに没頭している狂信者みたいな連中だったはずだ。


「…………」


 聖女クリーンはすぐに無言になった。


 明らかにおかしい状況だったからだ。曲がりなりにもこれだけの神官がいるというのに、勇者バーバルも、モンクのパーンチも、いまだに法術による回復を受けていない。


 仮にも神官なのだから怪我の手当てぐらいするべきでは――と、クリーンが聖女として指摘しようとしたら、今度はコツ、コツと、遠くから靴音がした。


 クリーンが視線をやると、そこには一人の聖職者がいた。


 大神殿の主教イービル――三主教の一人で、教皇候補とまで目されている男だ。


 まだ三十代後半のはずだが、その顔つきは情熱と狂気と冷徹と気難しさが不可解に結合した合成人キメラみたいで、宗教家というよりはむしろ政治家であって、その思想も独裁や全体主義にほど近く、公平や正義なぞ、とうにどぶに吐き捨てたと言わんばかりの苛烈な人物だ。


 もちろん、敵対する者は手段を選ばずに全て容赦なく葬り去ってきている。いわば、光に包まれた大神殿において唯一、陰のような存在こそがイービルだった。


 教皇の有力候補とはいえ、日の当たる場所にはそぐわない人物で、そのことを本人もよく自覚していることもあって、あくまでも黒子に徹している。だからこそ、イービルは重宝されてきた。


「最悪だわ……」


 聖女クリーンはそう囁いて、すぐに目を伏せた。


 今回の出来事が主教イービルにいったいどれだけバレてしまったのか……


 それだけが気がかりだった。イービルとは幾つかの祭祀祭礼でわずかに言葉を交わした程度の付き合いしかなく、派閥的にも敵対はしていない。


 だから、ここを上手く乗り切れば、クリーンも神殿内での地位を脅かされずに済むはずだと計算した。


 が。


「まさか優等生の君がこんな火遊びをするとはね」


 主教イービルは蛇のように絡みつく声音で聖女クリーンの前に立った。


 どうやら何もかもバレていたようだ……


 クリーンは瞬時に狙撃手トゥレスを睨みつけた。だが、トゥレスはいかにも心外だといったふうに、顎でくいっと勇者バーバルこそ密告者だと差した。


 何にしても、イービルはそんな仲間割れも気にせずに淡々と話を続ける。


「北の魔族領にて新たな第六魔王が誕生して、その魔王に勇者バーバル様が敗北したことについては……まあいいでしょう。勝敗は兵家の常です。神官たる私がどうこう言えるものではありません」


 そこでいったん言葉を切ると、主教イービルは聖女クリーンのそばに来て、息がかかるほどに顔を近づけてからその耳もとで囁いた。


「しかしながら、そんな勇者パーティーに聖女が独断で加わって、さらにこの門や聖遺物まで無断使用していたとなると話は別です。君は品行方正で通っていましたから、多少の情状酌量はあるでしょうが、良くて独房入り、悪くて人知れず流刑となるでしょうね」

「――――っ!」


 それはあまりにも重すぎる処罰だった。


 聖女クリーンが憤慨してまじまじと見つめ返すも、主教イービルは顔色一つ変えなかった。


 ということは、今回の件だけではなく、セロを追放して新たな第六魔王にしてしまったことまで含めて、勇者バーバルは洗いざらい全て漏らしたわけだ。クリーンは額に片手をやって、ズキズキと痛む頭痛を何とか抑えつけた。


 すると、別のところから声が上がった。


「俺たちは……いったいどうなる?」


 聖女クリーンとは対照的に、勇者バーバルはぼんやりと尋ねてきた。


「さあね、勇者様。それを決めるのは私ではないですよ。王侯貴族です。まあ、勇者様についてはせいぜい蟄居にて自由は奪われるでしょうね。その後のことは知りません。社交界は魑魅魍魎の世界です。控えめに言って、彼らの玩具にされるのは間違いないでしょう。お察ししますよ」


 主教イービルの口調には全く察するような気配りなどなかったが、勇者バーバルはというと、「はあ」とため息をついて俯いてしまった。


 もっとも、その直後にイービルが周囲の黒服神官たちに意味ありげな目配せをしたのを聖女クリーンは見逃さなかった。


「…………」


 しばらくの間、地下の広間には静寂だけが続いた。


 そんな静けさを破るかのように、イービルは広間の中央にて芝居がかった仕草で両手を広げてみせると、


「とはいっても、この国には勇者パーティーが必要です。そもそも、すぐにでも聖剣を取り戻さなくてはいけません。その責任が貴方がたにはあります」


 そんなふうに糾弾しておきながらも、主教イービルの口ぶりにはどういう訳か、聖剣などどうでもいいといったふうなニュアンスが不思議とあった。聖女クリーンが訝しんでいると、イービルはさらに大げさな身振りで話を続ける。


「勇者バーバル様の蟄居にてパーティーも一時的に解散となるでしょう。となると、代わりの勇者パーティーが必要になります。いや、この場合、聖剣に選ばれていないわけですから、勇者と名乗るべきではないのでしょう。むしろ、救国の英雄パーティー、もしくは贖罪の――」


 そこまで言って、主教イービルは聖女クリーンへと真っ直ぐに手を伸ばした。


 クリーンは内心で、「まさか!」と叫んだ。イービルが『贖罪の聖女パーティー』と言いたげだったのは明らかだ。


 もちろん、クリーンからすれば願い下げだった。北の魔族領は化け物たちの巣窟だ。あんなところに二度も行きたくはない……


 だが、イービルはどうやらすでに全て理解しているようだ。そういう意味では、今度のパーティーは見せしめみたいなものだ。北方に新たに立ち上がった魔王国がいかに凶悪なのか、王国民に知らしめる為の犠牲が必要なこと――


 だからこそ、イービルはいかにも死刑宣告でも告げるかのようにクリーンに対して含み笑いを浮かべてみせた。


「もちろん、私の一存では決められません。ただ、今回の不祥事を贖って独房入りや流刑となるのか、それとも決意を新たに魔王討伐に赴くのか――君に残された選択肢はそれほど多くないと思いますよ。そもそも、君自身は祭祀祭礼用のお飾りにはもう飽いていたのでしょう?」


 その瞬間、黒服の神官たちがやっと動いた。


 聖女クリーンの四肢を鉄枷で拘束して、強引に連行しようとする。


「そんな! 私は、この国の為に良かれと思って――」

「時間は差し上げますよ。懲罰房でよくよく考えることです。己に課された運命さだめについてね」


 こうして聖女クリーンは暗闇の中に数日ほど放り込まれた。


 ほとんど日が入らず、トイレもなく、ネズミがたまに肌を齧り、虫が幾匹も体を這いずり回るような劣悪な環境で、クリーンは手足を縛られて横になってじっと過ごした。


 食事はスープだけで、それも床にぶちまけられた。主教イービルが語った通り、「良くて独房入り」ということは、最悪の場合はここよりもさらにひどい環境でずっと幽閉されることになるわけだ。


 だから、懲罰房からやっと出されたときには、クリーンは日のもとを無様によろめきつつも、パーティーを再編して魔王セロとまた対峙することを選ばざるを得なかった――






 そんな暗闇と似たような場所ではあったが、王都の外縁部にある貧民街スラムにとある人物はじっと潜んでいた――魔女のモタだ。


 あれからモタには追手がついていた。北の魔族領に行こうと冒険者ギルドに寄ってみたらお尋ね者にされていたのだ。何とか逃げ出したはいいものの、このままでは一人で魔族領に行かざるを得ない状況だ。さすがにそれは幾らモタでも厳しい……


「うー。せめて一人だけでもいいから前衛がいてくれればなー」


 もっとも、このとき魔女モタはまだ出会っていなかった――モタの人生を百八十度も変えてくれる人物に。モタの本当の冒険は、これから始まろうとしていた。






 また、そんな暗闇とは対照的な華やかさの中に女聖騎士のキャトルはいた。園遊会はやっと始まったばかりで、貴賓や行事などを変えてまだ幾日かは続く――


 武辺者のキャトルにとっては苦痛以外の何物でもなかったが、もちろん、このときキャトルもまた知らなかった。そんな煌々と明るい場所にもかかわらず、世界そのものを陥落させる為のドス黒い陰謀が渦巻いていたことなど。






 王城から離れた塔上の一室に勇者バーバルは蟄居させられていた。


 ランプの明かりだけで、窓もなければ、隙間風さえ入ってこない。外の音とてろくに聞こえない薄暗くて狭い部屋だ。ここに入れられてからというもの、現王も、王女プリムも、あるいはパーティーの仲間たちも一切訪れては来ない。


「俺も勇者ノーブルと同じ運命か……ふん。憧れに近づけたとでも思うべきかな」


 そんな皮肉を言う余裕ぐらいはあったが、バーバルは己をほとんど死んだ人間同然だと認めていた。


 勇者として返り咲くことはもう決してないだろう。魔王に二度も負けたのだ。かつてノーブルは奈落王アバドンを討伐せずに封印しただけで失脚させられた。今頃、キャトルの出ている園遊会ではバーバルに対する罵詈雑言で埋め尽くされているに違いない……


 それに、身分をはく奪されて、改めて冒険者になることだって出来はしないはずだ。よりによって聖剣を魔王国に置き忘れてきたのだ。その罪をどのように贖わせるか。王国の上層部はそろそろ決断したはずだ。


「なぜ……俺はあれほど……セロに嫉妬してしまったんだろうな」


 とても不思議な気分だった。


 勇者と呼ばれていた頃は、あんなにセロに執着していたのに……


 今となってはそれがあまりに馬鹿げた負の感情だったと理解出来る。己の愚かさを客観的に分析して、そんなふうに冷めた目で自身を捉えることも可能になっていた。


 そもそも、セロ討伐を思いついたのはなぜだったのかと考えを巡らす――たしか、どうしようもないほどに他愛のない思いつきでしかなかったはずだ。第七魔王こと不死王リッチの討伐失敗後に、王女プリムの寝室にて、こんなことを寝物語として話したことがあった。


「不死王リッチなど俺の敵ではなかった。俺一人で十分に倒せたはずなのだ」

「では、聖女クリーン様が邪魔をしたと?」

「その通りだ。屑野郎セロほども役に立たない女だった」

「ですが、バーバル様は幼馴染のセロ様が抜けてから、ずっと調子がよろしくないと噂で――」

「そんな噂を信じるな!」

「…………」

「勘弁してくれ、プリムよ。貴族どもはいつも無責任に好き勝手なことばかり言うものだ」

「では、セロ様が魔王になった今、白黒はっきりとさせるタイミングなのかもしれませんね」

「全くだよ。すぐに分からせてやるさ。どちらが本当の主役なのかな」


 こうして王女プリムに誇示するかのようにして、バーバルは北の魔族領に赴くことを決断してしまったわけだ。


 もっとも、今となってはさながら熱き血潮が凪のように引いてしまったかのように――そんな短絡的な決定をした自分をなじってやりたい気分だった。


 おそらく熱に浮かされていたのだ。聖剣に選ばれ、勇者となって、王女プリムと結ばれて、王国の未来を一身に背負って、自分自身をより大きく見せつけたかった。そんな子供じみた誇りの為に、ずっと付き合ってきた幼馴染を追放してしまった。


「愚者というならば……俺の方がよほど愚かだよ」


 バーバルは己の仕出かしたことに苛まされて頭を両手で抱えた。


 不可能だとは分かっていたが、もう一度だけセロに会って確かめたかった。二人の間にまだ友情があるのかと。あるいは、セロはバーバルを赦してくれるのかとも。


 もちろん、それがどれだけ身勝手な言い草かは分かっていたし、バーバルも今度こそセロに誠心誠意で謝罪するつもりでいた。


 が。


 そのときだった。


 コン、コン、と――部屋のドアが叩かれたのだ。


 そして、バーバルが返事をするまでもなく、ドアは勝手に開くと、入って来たのは黒服を纏った神官たちだった。


「何の用だ?」

「バーバル様、是非とも我々に協力していただきたいのです」

「セロを倒せということなら土台無理だぞ。最早、あれは人の手に負える存在ではない」

「ならば、簡単な話です。貴方も人でなくなればいい」

「はあ? いったい、何が言いたい?」


 黒服の神官の一人が代表してバーバルに近づくと、途方もないことをその耳もとで囁いた。バーバルはつい鸚鵡返しする。


人造人間ホムンクルスに……なれだと?」

「かつて我々の祖先は人造人間フランケンシュタインという失敗作を生み出しました。しかし、今の我々ならばそれを超える技術を持っていると自負しております。より安全に、かつ汎用性の高いモノを造れることでしょう」

「俺に化け物になれというのか?」

「魔王を倒す為です。もちろん、すぐに答えを求めているわけではありません。じっくりとお考え下さい」

「馬鹿な。そんなモノになるわけなどなかろう?」

「ここで老いるまで蟄居させられるか、あるいは処刑されるのか――どちらにしても、今の貴方を助けられるのは我々しかおりません。そのことをくれぐれも忘れないようにお願いいたします」


 そう言って、黒服の神官たちは恭しく部屋を出ていった。


 薄暗い塔上の一室でバーバルはまた両手で頭を抱えた。黒服の神官の言う通りだ。バーバルにはろくな未来などないのだ。人知れず処分されるか。そうでなければ化け物になるかだ。


 もちろん、このときバーバルは知らなかった――彼の運命さだめはすでに悲劇という名のくびきから決して逃れられないものになっていたことを。

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