第52話 晩餐会(前編)
夜になったので、国防会議のときと同様に皆には魔王城二階広間のロングテーブルを囲むように座ってもらっていた。もちろん、全匹ではないが、ヤモリ、イモリやコウモリたちもいる。なぜかかかしまでいるが、セロはとりあえず気にしないことにした。
そもそも、今のセロにはもっと気になることがあった――
それは今晩、これから供される食事についてだ。
勇者パーティーが来る前に、『迷いの森』のダークエルフからもらった山菜などを人狼のメイド長ことチェトリエに「調理をお願いね」と渡していた。
幾ら魔族が食事をしなくてもいいからといって、元人族のセロからするとさすがに毎日トマト丸かじりだけでは物足りない。それどころか、そろそろまともな食事が恋しい……何ならこっそりと隠れて、最寄りの王国の街の大衆食堂にでも駆け込もうかと考え詰めているほどなのだ……
とはいえ、今日はチェトリエによる肝煎りの料理だ。同じ人狼メイドのドバーやトリーはちょっとあれな部分があったが、さすがにメイド長だけあってチェトリエは優秀だ。まず間違いは起きないだろう。
「皆様、大変お待たせいたしました」
そんなチェトリエの声と共に、他の人狼メイドたちがロングテーブルに食事を配していった。同時に、皆からは「おお!」と歓声が上がる。
出てきたのは――うど、タラの芽、ふきのとう。
また、それら定番の山菜に加えて、さらに木の実やキノコまで種類も彩りも豊富だ。
が。
「お……おう?」
セロは首を傾げた。
というのも、ほとんどが生なのだ。調理した痕跡がどこにも見当たらない。
いや、待て。落ち着け……慌てる時間じゃない。もしかしたら生のように見えて、実は細かく調理してあって、わざと生のように見せているだけなのかもしれない……
「それではどうぞ。皆様、召し上がってください」
「いただきます!」
セロも含めて全員が山菜を手で摘まんでぱくりと食べた。
「もぐ、もぐ……うん、味がしない」
セロは遠い目になった……
いや、もちろん素材の味はする。むしろ生だけに引き立っている。
さすがはダークエルフ。森の民と言われるだけはある。見事な山菜だ。王城でもこれほどのものは食べたことがない。だが、肝心の調理が加わったようには思えない。これは如何なることかとチェトリエに視線をやるも、「ふふ」と微笑んでいる。
「セロ様にはこれをどうぞ」
なるほど。単なる前菜だったのか。
そりゃあそうか。人族だった頃に王侯貴族と食事を共にしたことがあったが、あのときもコースで色んな食べ物が順に出てきて驚いたものだ。さすがメイド長たるチェトリエだ。そういった人族のコース料理の知識も持っているらしい。
「どれどれ?」
そうしてセロの眼前にぽんと置かれたのは――塩だった。
「……ん?」
文字通り、塩だけだった。
小皿に塩がこれ見よがしに少々乗っている。
「こ、これは……?」
「はい。こちらは大陸北東にある火の国から取り寄せました岩塩になります」
「岩塩? ルビーのように真っ赤に輝いているけど?」
「とても希少な塩になります。今となっては火の国は鎖国していて、何ら交易などはございませんが、かつては火の国と言えば、高級酒、独自の刀や甲冑に加えて、こうした岩塩などの食材も特産品でした」
「それをまた取り寄せたってことかな?」
「いえ。この岩塩は魔王城にてずっと保存されていたものになります。塩には賞味期限がございませんから……とにもかくにも、癖のある山菜にはこれら岩塩をまぶしてくださいませ」
セロは恐る恐ると山菜に岩塩をまぶした。
以前、これまた王侯貴族との食事会でスープにぱらぱらと何かをまぶしたら、その瞬間に料理の生活魔術がかかって、スープ上に火が上がるような演出が施されていたからだ。
だが、そういったことは何ら一切微塵も起こらず、山菜に岩塩がふりかけられて、セロはそれをぱくりと食べた。
「もぐ、もぐ、もぐ……」
次の瞬間、セロは天を仰いだ。
普通の塩を振っただけの山菜だった……
むしろ、火の国の岩塩と聞いて期待が高まっただけ、失望も深かったと言っていい。というか、その岩塩も見た目がきれいなだけで、味はごくごく普通だった……
セロは「ふう」とため息をついた。もしかしたら、セロの拙い知識と技術でもって、これから可及的速やかに人狼たちに料理とは何かを教育する必要があるのかもしれない。
こんなことだったら、聖女クリーンを逃がさずに捕まえておけばよかった。あの人は一応、完璧超人みたいなものだから、料理もきちんと出来るはずだ。セロは目をつぶって、惜しい人材を手放したことを初めて悔やんだ。
ちなみに癖のある山菜は塩だけではきついので、一応おひたしでも出てきた。お酒が欲しかったが、ルーシーに聞いたら魔王城にはトマトジュースしかないらしい……
ルーシーのお母さんこと真祖カミラなんてワイングラス片手に妖艶な微笑を浮かべていそうなイメージがあったからセロにはとても意外だった。何にしても、お酒は料理にも使うので、今度ブラン公爵(故人)のところにでも家探しに行こうかなとセロは思いついた。
すると、そのルーシーがさらに意外なことを言ってきた。
「セロが調理したものを食べたいと言っていたからな。
ルーシーはかいがいしく、まるで新妻みたいにもじもじした。いつの間にかエプロンまで着込んでいる。おかげでロングテーブルを囲っていた皆が、からかうように「ひゅう」と歓声を上げた。
とはいっても、セロは生温かい面持ちでその食事を待った。何しろ、長らくこの魔王城に仕えていたメイド長がこの有様なのだ。ルーシーには悪いけど、その主人が作る物などたかが知れている……
「待たせたな。これだ。もちろん、皆の分もあるぞ」
出てきたのは、何と!
トマト、山菜とキノコのスープだった。本当に調理された食事だ。
「…………」
セロはごくりと唾を飲み込んだ。
いや、待て。落ち着け……これまた慌てる時間じゃない。
もしかしたら、美味しそうに見えて、最終決戦兵器みたいな味かもしれないぞ……そもそもこの第六魔王国には料理どころか食事の文化すらろくにないのだ。たとえメスマズだったとしても、それを受け入れる度量を示さなくてはいけない……
セロはそんなふうに悲観的になって、震える右手を何とか隠しつつも、とりあえずスープだけ啜ってみた。
「もぐ、もぐ――」
直後、セロはまた天を仰いだ。
「うん! すごく美味しい!」
何だこれは! トマトベースでめちゃコクがあってしかも甘辛い。大きな木の実をひたして食べるとさらに濃厚なハーモニーとなる。セロにとっては、久しぶりにきちんと調理されたものを食べているといった実感が湧いてきた。
なぜだか涙まで出てきた。というか、涙がとめどなく溢れてきた。もしかしてこのキノコ……セロの状態異常耐性を貫通してくる毒性をもっていやしないよな?
それはともかく、このトマトスープ――セロはさほど料理に詳しくないのだが、それでもとても複雑な味だということは一口だけでもすぐに気づいた。まるで幾種類ものスパイスが入っているといったふうなのだ。
「ルーシー、すごいよ! こんなに料理が上手かったなんて!」
「ふふ。セロめ。褒めてくれるな。照れるではないか」
「ところでさ。このトマトのスープ、どうやって作ったの?」
「ん? トマトのスープだと?」
「うん。この赤いスープだよ。本当に濃厚で複雑でクリーミーな味だよね。何杯もいけるよ!」
「当然だ。それは――ゴライアス様の血反吐だからな」
「…………」
その瞬間、セロの口からだらだらと血反吐が零れ落ちたことは言うまでもない。
ちなみに、セロ以外の皆は――
「さすがゴライアス様!」
「食べるだけでご利益がありそう」
「これは栄養価が非常に高いものです、
「くふふ。セロがそこまで気に入ったというなら血反吐レシピシリーズで毎日作ってやるぞ」
とか言っていたけど……何だかどんどんこの魔王城が血反吐塗れになっているのは気のせいだろうかと、セロは額に片手をやったのだった。
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