第51話 決着

「セロめ。後悔させてやる」


 バーバルは聖剣を中段に構えた。そして、勇者が持つ自動パッシブスキルの『ブレイブ』と併せて、法術によってさらに身体能力ステータス向上効果バフを上掛けしてから、いきなり必殺技と言っていい聖剣による連撃を繰り出した。


「喰らえええ!」


 実体を持たない不死将デュラハンに対しては不発だったが、ほとんどの魔物モンスターはこの怒涛の中段突きで止めをさしてきた。あの真祖カミラでさえも、この連撃で倒したほどだ。


 そもそも、バーバルとて決して弱くはない。曲がりなりにも勇者なのだ。


 駆け出し冒険者の頃とは違って、様々な魔物や魔族を討伐して実績を積んできた。セロの『導き手コーチング』によって下駄を履かせてはいたものの、バーバルもそれなりに力と経験を得てきたのだ。


「……むう?」


 だが、バーバルはすぐに眉をひそめた。


 全て難なくセロにかわされていた。いや、それは正確ではない。


 突こうとも、斬ろうとも、バーバルの剣先がどういう訳かセロに一切届かないのだ……


「君は本当に学習しない人だね」


 セロはため息をつくしかなかった。


 そうはいっても、連撃を繰り出し続けるバーバルには理解が及ばなかった……


 そんなバーバルの不審そうな顔つきを見て、セロはやれやれと肩をすくめてみせると、一歩だけ踏み込んであげた。


 そのとたん、バーバルは押し返されるようにして一歩だけ後退した。同様に、セロが数歩進むと、バーバルも剣を振りつつも数歩後退させられていた。


「そ、そんな……まさか……」


 ここにきてバーバルもやっと気づいた――


 いまだにセロの放つ威圧感プレッシャーに押されて、バーバルは近づくことさえ出来なかったのだ。いわば、向かってくる強烈な突風に向けて剣を素振りしているようなものだ。前に踏み込めないのだから届くはずがない。


「ちくしょう! ふざけるなああああ!」

「ふざけているのは君の方だよ」


 セロはそう言い返して、右拳を真っ直ぐ突き出した。


 ただのストレートパンチだ。それをバーバルの眼前で寸止めした。


 だが、バーバルには顔がもげたような感覚がたしかにあった。数瞬、視界が真っ暗にもなった。走馬灯まで見えた気がした……


 そのせいか、バーバルは恐怖のあまりにその場でへたりこんで失禁してしまった。


 さらにセロがこつんとその額を小突くと、バーバルは尿を垂らしながら坂道をぐるんぐるんと転げ落ちていった。そして、岩山のふもとで自らの糞尿に塗れてばたりと倒れる。


 全身の痛みがひどくて、立ち上がることも出来なかった。確実に骨が何本かいっている。最早、瀕死といっていい。セロからは小突かれただけだ。いや、より正確に言うなら、ゆっくりと歩み寄られて、デコピンを受けただけだ。


 それだけでバーバルはもう襤褸々々ボロボロになっていた……


 当然、戦意もとうに失っていた。這いつくばりながら、「無理だ……無理だ……」と繰り返して、セロから見苦しく逃げだす始末だ。


「バーバル様!」


 そのときだ。


 ちょうど聖女クリーンがやって来た。


 クリーンはバーバルを見るなり、すぐさま法術によって完全回復してあげた。なぜ坂道を転がり落ちてきたのかクリーンには分からなかったが、もしかしたら設置罠にでもかかったのかもしれない……


 とにもかくにも、クリーンはバーバルと合流出来て、「ほっ」と息をついた。


 が。


 ボンっ、と。


 風船が弾けたような音がすぐそばでした。


 次の瞬間、クリーンは「え……?」と絶句した。眼前の光景を受け入れるのに時間がかかった。


 というのも、バーバルの頭部が棘付き鉄球で潰されていたのだ。惚れ直したはずの熱き男の頭がすぐ眼前で消えていた――最早、一生のトラウマものと言ってもいいだろう。


 それでも、クリーンは何とか冷静さを保つように努めた。すぐにバーバルを『死者蘇生リザレクション』したのだ。寿命や死後長時間経っていなければ、対象の魔力マナが失われていない限り、さして対価も必要なく、法術によって蘇らせることが出来る。もちろん、これほどの芸当が出来るのは位の高い聖職者ぐらいだ。


 一方で、セロからしても、クリーンが来てくれたことで「ほっ」と安堵していた。


 これでやっと少しは力が出せる。何せ、これまではどうやって力を抑えるか、試行錯誤していたのだ。


 バーバルと戦うことよりも、むしろセロ自身と戦っていたと言った方がいい。地面を這っている一匹の蟻を踏みつける力加減は本当に難しいものだと、セロはいっそ勉強になったぐらいだ。


「ぶはっ!」


 何にしても、バーバルは生き返った。


 そのとたんに頬をさすった。頭が付いている。首も繋がっている。


 今のはいったい何だったのだと、考え込むよりも先に生存本能が胸もとを探らせた。聖鶏グリンカムビの翼を鎧下のポケットから取り出そうとしたのだ。


 が。


 その直後、バーバルの両腕が飛ばされていた。


 セロが坂に落ちていた石礫を拾って投げつけたのだ。セロにとっては試し投げみたいなものだったが、今の魔王セロにとって、勇者の肉体はあまりに脆弱に過ぎた……


「セロ様!」


 クリーンはそこでやっと坂上のセロの存在に気づいて、バーバルを再度回復してから、セロへと得意の笑みを向けた。


「お願いします! お止めください! これは……不幸な行き違いなのです!」


 もちろん、クリーンには元婚約者としての打算があった。


 セロは聖職者として生真面目で、お人好しな性格だった。だから、かつて婚約を誓った女の笑みでごまかせるかもしれないと考えたわけだ。


 だが、セロはクリーンに一瞥もしなかった。


 むしろ、クリーンが来たのだから幾らでも回復可能だろうと、やっと魔王と勇者がきちんと戦える状況が整ったことでかえって笑みを浮かべてみせた。結局のところ、セロもすでに根っからの魔族になってしまったわけだ――


 同時に、セロの魔力マナの波長が禍々しいほどにドス黒く変色した。


 全てを焼き尽くす業火に似た魔力を身に纏って、その額には入れ墨のような魔紋もはっきりと浮かび上がった。クリーンは思わず、「嘘……」と呟くしかなかった。


 魔族はその体に特徴的な魔紋を持つ。そして、強い魔族ほど体の上部にそれが現れ出る。ルーシーなら犬歯に、エメスなら頭に打ちつけられた釘に――それぞれ戦意が昂ったときに魔紋が顕れる。つまり、額にそれが浮かんだということは、それこそが魔王の証。最強の魔族であることを示すものだ。


 そんなセロが挑発するように言った。


「なあ、バーバル。早く立てよ」


 もっとも、バーバルはとうに戦う気など失くしていた。


 飛ばされた腕と一緒に聖鶏の翼を落としてしまったようで、「どこだ! いったいどこに消えた!」と喚き始める始末だ。


「うるさい」


 セロはそう言って、棘付き鉄球でまたバーバルの頭部を潰した。


 クリーンは「ひいいっ!」と白目を剥きかけたが、何とか気持ちを落ち着けてバーバルを再度蘇生した。


 ここにきて、バーバルはついに土下座して嘆願した。


「セロよ……たたた助けてくれ。勇者なんて、ど、どうでもいいい。何なら……聖剣だってくれてやる。魔王セロとは……もう戦いたくない」


 この言葉には、さすがにクリーンも「バーバル様!」と怒鳴った。


 戦意を喪失するのも、敗北を認めるのもバーバルの勝手だが、少なくとも聖剣は王国の至宝だ。


 勇者には大神殿から貸し与えているに過ぎない。それを魔王に差し出すなど、気でも触れたのかと言いたかったが――たしかにあんな殺され方を繰り返されれば、ただでさえおかしかったバーバルがさらにおかしくなっても仕方がないかもしれないと、少しぐらいは同情した。


「嫌だよう……もう死にたくないよう……」


 バーバルは頭を地につけて、セロに向けて泣き崩れていた。


 一方で、セロはついに岩山のふもとにやって来た。気づけば、いつの間にか、バーバルとクリーンを取り囲むようにして仲間たちも揃っていた。


 だから、セロは魔王らしく、今回の処遇について各人に尋ねることにした。


「近衛長エーク、どう思う?」

「セロ様。お言葉ですが、どうも何も……この者は本当に勇者なのでしょうか? 戦う価値を見出せませんが?」

「ふむん。では、ディンは?」

「ドゥにした仕打ちを許せません。《迷いの森》に招待して、食人植物のお相手を願いたいぐらいです」


 ディンが珍しくぷんすかと怒っていたので、セロはやや身を引いてしまった。


「え、ええと……アジーンはどうだろうか?」

「実験体によろしいのではないでしょうか。手前てまえも一人だけだと、なかなかにきついものがあります。もう一人増えてくれると、とても助かります」


 アジーンはそう言いながらエークをちらっちらっと見た。


 同好の士のはずだから、エークも手を挙げてくれるだろうと期待していたらしいが、残念ながら魔王城のリフォーム以外に温泉施設などの建設まであって多忙で、それどころではないらしい……


「じゃあ、それについてエメスの意見も聞きたい」

「貧弱な人族など必要ありません。終了オーバー


 もっとも、エメスはにべもなく断った。アジーンは明らかに落胆していたが、とにもかくにも、セロはそこまで意見を集めてから、「ふむふむ」と肯いてみせて、最後にルーシーへと視線をやった。


「どうかな、ルーシー?」

「殺せ」


 即答だった。さらにルーシーは続ける。


「セロよ。魔王とはそういうものだ。勇者は敵だ。生かす意味がない。ただ、聖女については知らん。たしか聖女とは、王国の祭祀祭礼用のお飾りだったはずだ。それこそエークの言葉ではないが、わらわたちにとって何の価値も見出せない存在だ。煮るなり焼くなり、好きにしろ」


 セロは腕を組んだ。それからしばらくじっと考え込む。


 バーバルに対しては「絶対に許さない」とも言ったし、「決着をつけよう」とも告げたが、その一方であまりにもバーバルが情けなく見えた。


 今も、バーバルは「平(ひら)に! 平に!」と地に額を擦りつけて土下座している。


 これが本当に勇者なのか。パーティーでふんぞり返っていた男だったのか。あるいは、セロが憧れた存在だったのかと、我が目を疑うほどだ。


 そもそも、一応は同郷の幼馴染なのだ。何だかんだと最も多くの時間を共に過ごしてきた。


 それに、今は離れ離れになってしまったが、セロがバーバルを殺してしまったと聞いたら、モタがきっと哀しむような気もした……


 もちろん、今となってはバーバルと和解したいとも、謝罪してほしいとも、これっぽっちも思ってなどいなかったが――


 セロはついに決心して、自らの言葉で仲間たちに語った。


「皆には甘いと言われるかもしれない。でも、この第六魔王国は仲間を決して見捨てない国にしたい。それがたとえ、僕を見捨てた者だとしても――僕は最後に手を差し伸ばしてやりたい」


 セロがそう言うと、全員が「ふう」と息をついた。


 そのお人好しさ加減については皆がとうに分かっていたことだ。


 そういう魔王がいてもいいと思ったから配下に加わった。そもそもセロの『救い手オーリオール』に惚れ込んだ者たちばかりなのだ。その力強さがやさしさを含んでいることも十分に理解している。そういう意味では、もしセロが道を誤るようなことがあったら、それを正すことこそ臣下の務めに他ならない。


 エークも、アジーンも、ディンも、互いに顔を見合わせたが、反対意見は出さなかった。ルーシーも、エメスも、どうやら今回だけはセロに従うつもりのようだ。


 が。


「待って」


 と。坂上からてくてく、ドゥが下りてきた。


 そして、セロのそばに来て、神官服の裾をギュっと掴むと、ふるふると頭を横に振ってみせた。


「必ずや未来への禍根になります。セロ様、どうかお考え直し下さい」


 セロはその長台詞に驚いた。


 禍根なんて難しい言葉を知っていたのかと。あるいは、ドゥがいつになく真剣に見つめていることにも、セロはつい目を丸くした。


 ドゥは誰よりも真実を見抜く力を持っている――


 セロたちはそのことを知っていたので、小さな仲間の言葉をすぐに信じた。


「分かったよ、ドゥ。ありがとう」


 セロは短く答えて、土下座しているバーバルにまた視線をやった。


「やはり、剣を取れ。ここで決着をつけてやる。僕の誉れとなれ、バーバル」


 魔族にとっては強者と戦って死ぬことこそ誉れだ。もっとも、バーバルは人族だからそういう慣習など持ち合わせていないだろうが、何にしてもここは魔族領だ。だから、せめてセロたちのルールで殺めてやろうと思った。それがセロにとってバーバルに対してのせめてもの友情なさけだ。


 すると、バーバルは地に落ちていた聖剣には手をつけずに言った。


「セロよ。その前に一言だけいわせてくれ」


 バーバルはそこまで言うと、「ふうう」と息を大きく吐いてから、手の中にこっそりと隠していた血塗れの物・・・・・を宙高く放った。


「本当にすまなか――」


 だが、言い終わる前にバーバルの姿は掻き消えた。


 その場には、聖剣だけが取り残されていた。


 セロたちはついぽかんとしたが、クリーンがまだいることに気づいて、全員でじっと見つめた。


「え? ええと、その、あのう……今回の件は本当に申し訳ありませんでした。あと、セロ様。返す返す、婚約破棄の件、無礼をお許しください。その上で、まげてお願い申し上げます。どうか王国と王国民だけはお助けくださいませ」


 そう懇願してから、クリーンも「それでは失礼いたします」と、聖鶏の翼を放っていなくなった。


 やや白々とした空気が流れたが、ルーシーが「くく」と笑いながら、


「その気になったら王国ごと滅ぼせばいいだろう。どのみち大した者たちでもない」


 と言うと、皆でそれもそうだなと思い直した。


「さあ、魔王城に帰ろうか」


 こうしてセロたちはまるで何事もなかったかのようにそれぞれの仕事に戻った。もっとも、これ以降、第六魔王国は世界中から様々な思惑を含んだ眼差しを受けることになるのだが――もちろん、セロたちは知る由もなかった。

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