第50話 魔王セロと勇者バーバル
許してもらうつもりなど、バーバルとて微塵も考えていなかった。
だが、とにかく相手が悪すぎた。眼前にいるのが本当にあのセロなのかと、何度も目を瞬いた。しまいには目を擦り過ぎたせいか、真っ赤に充血してしまったほどだ。
先ほどのルーシーもとんでもない化け物だったが……
このセロはいったい何だ?
いったい何と対峙させられているというのだ?
これは最早、魔王とか、古の魔王とか、もしくは
人族には決して踏み込むことの出来ない頂きに手を掛けてしまったのでは?
「なぜ、セロ……なのだ……」
バーバルは唾をごくりと飲み込んだ。
さっきからひくひくと片頬が痙攣して、武者震いも止まらない。
いや、武者震いならまだマシだったろう。この震えは自らを鼓舞させているものではなかった。根源的な恐怖が身に沁みて、体の機能がおかしくなってしまったのだ。
後悔、悲嘆、あるいは何よりも嫉妬――
そういった様々な感情がバーバルの心の内で混ざり合って、ただ、ただ、ぼんやりとしか、セロを見つめることしか出来ずにいた。
「それほどの力……なぜ……俺のものでは……ないのだ?」
一方で、セロはというと、先ほどからバーバルを真っ直ぐに睨みつけていた。
怒髪天を衝くというが、セロにとって、ここまで感情が昂ったのは初めてのことだった。
これまで自分がどれだけ傷つけられようとも、法術が使えない無能と蔑まれようとも、もしくは屑野郎とも、役立たずとも、罵られたとしても、何とか凌ぐことは出来た。だが、ドゥが――とても大切な仲間が虐められているところを見るのは耐えられなかった。
そんなセロの怒りを含んだ眼光がバーバルを貫く。
「ひいっ!」
バーバルは全身を無数の針で幾度も刺されたような痛みを覚えた。
ただ目を合わせただけなのに、まるで串刺しの拷問でも受けたみたいだ。
だから、バーバルはそんな責め苦による苦痛に堪え切れずに、何とか声を振り絞って弱音を吐いてしまった。
「セ、セ、セロよ……い、一応、聞いておいてやるが、王国に戻るつもりはないか?」
その問いかけに対して、セロはバーバルを見下すかのように顎を上げた。
「王国に戻る?」
「そ、そうだ……今だったら、勇者パーティーに入れ直してやってもいいんだぞ。俺が口利きしてやる」
もちろん、セロは一言も返さなかった。
「も、も、もしくはこうだ! 勇者と魔王のパーティーだ! きっと後世になって吟遊詩人が語り継ぐに違いない! どうだ? 素晴らしいアイデアじゃないか?」
やはりセロは無言のままだ。
「何なら、二人で他の魔王を討伐して、全ての領土が手に入った暁には、その幾つか……い、いや、半分ほどだ。それをやってもいい! どうだ、セロ? 世界の半分だぞ? 俺につかないか?」
「いい加減に黙ってくれないか、バーバル」
セロは静かに言った。
その淡い声音だけで、バーバルの全身はぴしりと凍りついた。
一方で、セロはふいにどこか遠くをじっと見つめた。その眼差しの中に不思議と感傷が
「僕にとって、君は憧れの存在だった」
「は、はは……そ、そうだろう。そうに決まっているさ」
「僕は後衛職だったからね。前衛で身を挺して戦う君の姿に魅力を感じたんだ」
「ふん。その通りだ。何せ俺は強かったからな」
「そんな君に追いつきたくて、僕も武器を持って戦うことを覚えた」
「あまりに未熟だったから、俺はお前を何度も守ってやった」
「そう。君はたしかに守ってくれたよ……」
バーバルはうっすらと笑みを浮かべた。
詐欺師らしくいかにも食いついてきたといった表情を浮かべてみせる。
そして、調子よく何かを言おうとして、すぐさま口を閉ざした――セロの視線の焦点がどこか遠くから、近くの坂道へと戻ってきたせいだ。その眼差しは何だかとても物憂げで、バーバルを落ち着かない気分にさせた。
「ねえ、バーバル。いったい、いつからだろうね」
「……ん?」
「僕が僕自身を守るようになったのは?」
セロはバーバルの足もとを見た。まるでこれまで歩んできた道のりを振り返っているかのような目つきだ。
「そして、僕がモタやトゥレスも守り、パーンチを助け、キャトルの支援までして、最終的には真祖カミラの呪いからかばったように、バーバルまで守ってあげるようになったのは――本当にいつからだったんだろうか?」
その問いかけに対して、バーバルは結局、一言も返せなかった。
「バーバルは気づかなかったのか?」
「あ、ああ……すまない。いったい……いつだったのだ?」
「君が聖剣に選ばれてからだよ。勇者になってから、君は何もかも変わってしまった」
セロはゆっくりと穏やかに答えたはずなのに、その言葉はバーバルの全身をきつく軋ませた。
「あのときから君は、僕にも、モタにも、目をかけなくなった。どこか遠くの方だけ……何より実態のないモノだけを見るようになった」
「し、仕方ないだろう、セロ! 俺は……そう、勇者になったのだぞ! 王国民の為に。その暮らしの為に。七体もの魔王を討伐しなくてはいけないのだ。世界を救わなければいけないのだ。その責任が俺の両肩にはかかっているのだぞ!」
バーバルがすがりつくように言うと、セロは頭を横に振った。
「それは違うよ、バーバル。見当違いもいいところだ」
「……ど、どういう意味だ?」
「君の両肩にかかっていたんじゃない。
しばらくの間、静寂だけがこの場を支配した。
バーバルはその沈黙という名の苦痛に堪えきれずに、セロに向けて懇願した。
「そうだ。たしかにその通りだ。俺が間違っていた。だからだ。仲間というならば……頼む。見逃してくれ、セロ。こんなところでまだ死ねない――なぜなら、俺は勇者なのだ」
が。
セロは淡々と応じた。
「無理だよ、バーバル。なぜなら、僕はもう魔王なんだ」
それはあまりにも皮肉な答えだった。
というのも、セロを魔王にしたのは他でもないバーバル自身だったのだから――
セロはここにきてもう一度、バーバルとしっかり目を合わせた。
「最後に聞きたい。なぜ僕を追放した? それほどに嫌いだったのか?」
バーバルの呼吸は知らないうちに荒くなっていた。セロの拒絶のせいで最早、自暴自棄になりかけていた。こうなったらどうにでもなれというやけっぱちな思いがバーバルに残っていた微かな誇りを刺激した。
そのせいか、心音も、ドクン、ドクンと怒号のように高鳴り始めた。このあまりにも静かな世界で、バーバルだけが熱をもっているようだった。熱き血潮が――熱血の勇者の意思が疼いていた。
だからこそ、バーバルはその熱量のままに喚くしかなかった。
「あ、ああ……そうさ。いっそ! 憎んでいたよ。王都についたばかりの駆け出し冒険者の頃、お前やモタから離れてソロで仕事を受けては失敗を続けた。だが、お前と一緒だと何でも上手くいった! パーンチの野郎も。モタも。お前と一緒なら力が湧いてくると言いやがった! だがな。俺だ! 俺が選ばれたのだ! 俺が勇者だったのだ! お前じゃない! 俺が中心であるべきだったのだ! こうなったらはっきりと言ってやるさ――お前はたしかに役立たずだ! 俺が主役のこの世界で役をもらって立つべき人物ではなかったのだ! だから、俺はお前を追い出した!」
ぜい、ぜい、とバーバルは荒い息を吐いた。
一方で、セロはというと、相変わらず冷めた口ぶりで告げた。
「そうか。分かったよ。もう十分だ」
そして、バーバルに向けて初めて短く笑った。
「むしろ、今となっては君に感謝しているくらいだよ。おかげで僕はこんなにも強くなれた」
直後。
セロは
さながら土竜ゴライアスの一歩の如く、その瞬間に世界そのものが大きく揺れた。たかだか威圧しただけなのに、バーバルが無様によろめいて片膝を地に着けたほどだ。
そして、セロがゆっくりとバーバルに近づくと、逆にバーバルは何かに押し出されるかのようにして後退した。抵抗すら出来なかった。その場で尻餅をついて、セロが踏み込むたびに、その威圧感だけで情けなくもごろんと後ろに転げてしまったほどだ。
だから、バーバルが聖剣を地に刺して、それで何とか体を支えてから、
「くそが! なめるなよおおお!」
と、虚勢を張ってみせるも――
「なめているのは君の方だよ、バーバル。その程度の力量で『愚者』たる僕の前に立つなど、どれほど無礼なことか思い知るがいい」
セロがさらに近づくと、バーバルはついに聖剣から手を離して、その身一つでまた転がっていった。
バーバルは愕然とするしかなかった。
何がセロを変えたというのだ……
どうやってここまで強くなれたというのだ……
「い、いったい……おお、お前に……何があった?」
バーバルは声を荒げた。
セロは地に刺さった聖剣を抜くと、ゆっくりとバーバルのそばへとやって来る。
そして、こんなものはいらないとばかりに、バーバルの足もとに聖剣をぽいと放り投げてみせると、
「聖剣なんかよりも、ずっと大切な仲間を得た。ただ、それだけだよ」
セロは意外にも優しい口調で言ってから、全ての過去と感傷を振り切ってバーバルを挑発した。
「さあ。その剣を手に取れ、バーバル。そろそろ、決着の時だ」
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