第49話 屑野郎

 勇者バーバルはダークエルフの双子のドゥを尾行していた。


 先ほどの岩山のふもとまで来て、洞窟内に入るのかと思いきや、ドゥは坂道にかかっていた認識阻害を解いた。これにはバーバルも、「あんなところに道を隠していやがったのか」と舌打ちした。


 ドゥはまた走り出した。


 てくてく。とことこ。しかも、たまにころりんと転がった。


 モンクのパーンチだったなら、ハラハラドキドキしながら陰ながら応援したかもしれないが、バーバルにはそんな余裕などなかった。むしろ、なかなか進まないのでしだいに苛立ってきたほどだ。


 とはいえ、バーバルとて一応は勇者だ。


 子供の頃から勇者は王国民を守る為の存在だと教えられてきたし、そんなふうにして人族の守護者として立派に務めた高潔の勇者ノーブルに憧れてもいた。


 だから、バーバルはドゥに追いつくと、


「おい、手を貸せ。セロのもとにさっさと案内しろ」


 そう言って、片手を差し出した。


 手を貸さないならいっそおんぶでもして連れて行こうかとも思ったが、ドゥはというと、急に背後から話しかけられたせいか、びくりとしてその場で「きゃ」と尻餅をついてしまった。


 さらにはバーバルを見て、ふるふると震えて後退していく。


「…………」


 勇者バーバルは無言になった。


 こんな子供にすら虚仮こけにされたかのように感じた。


 そして、ふいにバーバルの脳裏に今日のことが過っていった――トマト畑の魔物モンスターたちに散々にやられて、仲間たちからはトマト泥棒だと指差されて、そしてルーシーにはせいぜい玩具程度と見下された。


 そもそもからして、聖女クリーンがバーバルを操ろうとしていることも最初から気に食わなかった。なびかない強情な女だと思ってはいたが、どうにも頭が固すぎる。女というのはおつむの緩い王女プリムぐらいがちょうどいいのだ……


 何にしても、そんなふうに全てが上手くいかない中で、バーバルがせっかく差し出してやった手も掴まずに、あろうことかいまだに腰を落としたまま後退あとずさっていくこの子供は、バーバルにとって目障り以外の何物でもなかった。


 直後だ。


 パンっ、と――


 甲高い音が坂道に響いた。


 バーバルは差し出していた手で、ドゥの片頬をぶったのだ。


 そのとき、バーバルの心の中に何かがふいに目覚めた。嗜虐性が悪魔の姿をとって、内なる闇からその顔をのぞかせてしまったのだ。


 ドゥは頬を押さえて、怯えた目でバーバルを見つめていた。


 一方で、バーバルはにんまりと笑った。今日初めて自分が上位の存在になったと感じられた。


 そして、ドゥの腹に躊躇なく蹴りを入れた。ただし、その瞬間、バーバルはわずかに後悔した。何てことを仕出かしたのかと、一応は自責の念に駆られたわけだ。勇者がやっていいことでは決してなかった。


 だが、すぐに自己正当化に努めた。所詮、この子供はダークエルフだ。もちろん、ダークエルフは魔族ではなく、エルフと同様に亜人族に当たるが、いずれにしても、わざわざ魔族領に住んでいる頭のおかしい連中に違いない。


 それに、こいつらは勇者が守るべき人族ではない――


 そんなふうに考えたら、バーバルの気持ちは楽になって、いっそ歯止めがきかなくなっていた。


 ドゥは四つん這いになって嘔吐えずいていたが、バーバルはまたその腹部を蹴り上げた。坂の上の方にころころとボールのように転がったところをバーバルは歩み寄って踏みつける。じりじりと足に力を入れると、ドゥこそが玩具のように見えて何とも気分が良かった。


 バーバルはそこでやっと気分が晴れて、ドゥを暴力から解放してやった。


 が。


「セロ様……」


 ドゥは震える声でこぼした。


 バーバルにとって、それはあまりにも禁忌にも近い名前だった。


「セロ……だと?」


 ドゥはいまだに四つん這いになって、エークに言われた通り、勇者パーティーが来たことを伝える為に何とか懸命に坂を上がろうとしている。


 そんなドゥの短い白髪をバーバルは力任せに掴んだ。ひょいと軽く持ち上げて、断崖まで持っていく。ずいぶんな高さだ。ここから落とせばさすがに助からないだろう……


 バーバルの心の中の悪魔は小さく笑った。


 一方で、ドゥはじたばたとした。バーバルの腕を両手で掴んで足掻きだす。


「はん! せいぜい、抗ってみせろよ!」


 バーバルは冷たく言い放った。


 そんなふうにドゥが情けなく足掻く様は――まるで今日一日の自分自身を見ているかのようだった。


 絶対的な力を前にして、無力にもがいている。ルーシーの前に立ったバーバルそのものだ。本当に滑稽でしかない。非力で、脆弱で、あまりにも情けない。


「ちい!」


 バーバルは舌打ちして、ドゥを崖下には落とさずに坂道へと投げつけた。


 それから、傷つき、目に涙を溜めて、ぜいぜいと息苦しそうにしながらも、「セロ様……」と片手を伸ばして求めるドゥに対して、「本当に目障りな奴だ」と、バーバルはついに聖剣に手をかけた。


 だが、そこでバーバルは立ち止まった。


「いったい、何だ……これは?」


 奇妙な光景を目の当たりにしたからだ。


 というのも、ドゥの傷がしだいに治っていったのだ。


 この子供が瞬時に法術を使っているようには見えなかった。そもそも、法術を使えるのはエルフであって、ダークエルフは魔術の方が得意なはずだ……


 しかも、あれほど苦しそうにしていたドゥはというと、今では安らかな表情になっていた。口もとに笑みさえ浮かべている。まるで心から愛する者の腕の中に包まれているかのようだ。


 そんなドゥがもう一度だけ、今度ははっきりと告げた――


「セロ様」


 直後だ。


 バーバルは悪寒がした。


 背後に何かがいると、はっきりと感じ取った――


 ただ、それは何か・・としか表現しようがなかった。悪鬼羅刹とも、人修羅とも、簡単に形容していいものではない。それは強いて言うならば、いっそ世界や運命――もしくはバーバルにとってはそのものだった。


 逆に言うと、あまりにその存在が巨大過ぎて、バーバルでは全く理解が覚束なかった。


 だから、恐る恐ると振り返ってみると、そこには――


 がいた。


 それは誰よりも力強い存在。


 誰よりも気高い存在。そして、誰をも導こうとする存在だ。


 何より、バーバルが駆け出し冒険者だった頃からずっとそうありたいと願ってやまなかった絶対的な強者――そう。セロがそこにはいたのだ。


「バーバル!」


 その咆哮だけでバーバルは無様にも倒れかけた。


 そして、すぐさま思い知らされた。この力強さはルーシーの比ではないと。


 最早、ただの魔族ではない。


 これこそが紛う方なく、正真正銘の魔王――


「セ、セロか……こここの役立にゃくたたずの……屑野郎きゅずにゃにょうめ」


 バーバルは何とか強がって、声を絞り上げた。


 もっとも、その声はがくがくと震えて、ろくに音になっていなかった。


 セロはそんなバーバルを無視していったん素通りすると、ドゥを抱きかかえた。セロの『救い手オーリオール』によって、ドゥはすでに完全回復していた。


「セロ様……勇者パーティーが来ました」

「うん。分かった。よく頑張ったね」

「てへ」

「すぐに気づけずに本当にごめんよ」

「いいのです。セロ様……本当に温かい」


 そんなドゥにセロもやさしく笑みを返すと、岩山に背中をもたれかけるように座らせてあげた。


 そして、やっと振り向いた。さながら足もとにいる蟻一匹でも踏みつけてしまおうかといったふうに――セロは冷たく言い放ったのだ。


「バーバル、君こそ屑野郎だ。僕はもう君を絶対に許さない」

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