第34話 人狼の仕事

 セロたちは午前中に畑仕事で一汗かいて、お昼には魔王城に戻ってきた。


 ダークエルフのリーダーこと近衛長エークが言っていた通り、魔王城はすでに屋根まで組み上がっていた。これでもう雨漏りに悩まされることはないだろう。ルーシーに直せと催促されたのがほんの数日前のことなのに、何だかずいぶん昔のように感じる。


 もちろん、今は昼休憩ということで、ダークエルフも、人狼のメイドたちも、あるいはヤモリやコウモリたちも玄関ホールで腰を下ろしてゆっくりとしている。


 そういえば、人狼たちが来てからあまりメイドらしいことをやってもらっていない。


 まあ、魔王城がこんなふうだったから仕方がないとはいえ、本来は熟練したメイドたちだ。セロはせっかくだから少しだけ交流してみようと考えた。


「というわけで、ドバーは何をやっているのかな?」


 セロはまず人狼メイドのドバーに声を掛けた。


 ドバーは人狼の中でも好戦的で、普段から狼の度合いを色濃く残している。いわゆるケモ度が高いというやつだが、他の人狼がほとんど人の姿に寄せているのでよく目立つ。


 狼というよりもどちらかというと狐に近い端正な印象があって、メイド服の上にいつもフードを被って、そこから片耳だけ出している。鋭い目を光らせて、肩にかからないぐらいの短い金髪だ。たしか、掃除と洗濯が得意だったはずだ。


 そんなドバーが低い声で答えてくれる。


「先ほど掃除を終わらせたばかりです」

「掃除? 城内は瓦礫も撤去されたばかりだし、ずいぶんときれいになっていて、あまりやることはなかったんじゃない?」

「いえ、二匹ほどおりました」

「ん? 二匹?」


 聞くと、虫系の魔族の間諜が紛れ込んでいたらしい。ていうか、掃除って……そういう意味だったの? と、セロはやや遠い目をした。


「じゃあ、もしかして洗濯の方も?」

「はい。捕まえた間諜たちの経歴を洗い出したばかりです。いずれ執事のアジーンよりセロ様に報告が上がると思います」

「あ、はい」


 セロがさらに遠くに視線をやると、そんなドバーの頭をこつんと叩く人がいた。同じ人狼メイドのチェトリエだ。メイド長でもある。母性的で胸の圧がすごくすごい・・・・・・


「こら。まだ汚れが残っていますよ、ドバー」


 セロが「汚れ?」と返すと、チェトリエは「ふう」とため息をついた。


「はい、セロ様。ドバーは本業の掃除に集中すると、お城を清潔に保つ方の掃除が疎かになってしまうのです。たまに洗濯物も出しっぱなしですし……ふう」


 そう言って、チェトリエはやれやれと頭を横に振った。


 良かった……一応、ちゃんとしたメイド業もやっていたんだと、セロも「ほっ」と息をついた。


 さて、玄関ホールを見渡すと、休憩中にもかかわらずに人一倍動いている人狼がいた。メイドのトリーだ。こちらはほぼ人の姿だが、狼の耳だけ前にちょこんと垂れている。他の人狼に比べると小柄で、長い紺色の髪を後ろで一つに結って、いかにも冷静沈着で真面目そうな印象だ。眼鏡をかけたらよく似合うかもしれない。


「お疲れ様。精が出るね、トリー」


 セロが声を掛けると、トリーも「お疲れ様です!」と気持ちの良い返事をくれた。


 トリーはもともと修繕が得意ということもあって、魔王城に戻ってきてからはすぐに近衛長エークの右腕として改修工事に関わってきた。今も、畑の方に下りたエークの代わりに現場監督をやっているのでお昼時でも忙しそうだ。


「あの娘は裁縫も得意なんですよ」


 背後から声がした。やはりチェトリエだ。


「私たち人狼は巨狼に変じるたびに服を駄目にしてしまうので、皆が一通り裁縫は出来るのですが、誰もトリーには敵いません」

「へえ、そうなんだ」


 セロは相槌を打った。


 執事のアジーンが裁縫している姿なんてあまり想像出来ないけど……


 そういえば転送されてからこっち、セロはずっと神官服を着ている。着慣れたものだからいいものの、やはり魔王となったからにはそれ相応の服を身に着けるべきだろうか……


 と、セロが顎に手をやって考え込んでいると、いつの間にか、トリーが眼前にいた。


「わあ! びっくりした」

「失礼しました、セロ様。それより、王に相応しい服装をお求めなのですね?」


 セロはもう一度驚いた。もしかして心が読めるのだろうか。


 すると、チェトリエがフォローを入れてくれた。


「いえ、もともと人狼は長らく人族と化かしあいゲームをやってきた歴史がありますので、人族の機微を見るのに敏感なんです。セロ様はまだ魔族になられて間もないですから」

「なるほど」


 セロが短く応じると、トリーはスケッチブックらしきものを取り出して、手早く描いてみせた。それをすぐにセロに見せてくれる。


 だが、セロは度肝を抜かれた。


 なぜなら、一頁目のセロの髪型が魔王城みたいだったからだ。


「こ、これは……?」

「はい。昇天魔王城ミックス盛りの髪型を起点にして、アイアンメイデンスタイルの服装に、強い男性のイメージの象徴としていわゆる男根を大きく描いてみました」


 トリーはいつもの冷静さはどこへやら、「むふー」と一気呵成にまくしたてた。


 セロがまたもや遠くに目をやると、チェトリエはトリーの頭をごんと強めに叩いた。


「こら。いい加減になさい。今は改修のお仕事の最中でしょう」


 チェトリエがそう叱ると、トリーは「申し訳ありません」と戻っていった。


「一つのことに集中すると、あの娘はいつも周りが見えなくなるのです。普段は冷静でしっかり者なのですが……」


 そう言って、チェトリエは再度、やれやれと頭を小さく横に振った。


 まあ、魔王城の改修も順調そうだし、有能なのは間違いないんだろうなと、セロも肩をすくめるしかなかった。


「そうそう、チェトリエ」

「はい。何でございますか」

「さっき迷いの森のダークエルフたちから山菜やキノコをたくさんもらったんだ。調理場に置いておくから、今晩はトマトだけじゃなくて、何か美味しいものが食べたいなあ」

「ご要望はございますか?」

「お任せするよ」

「畏まりました。それでは久々に腕を振るわせて頂きます」


 チェトリエはそう言って、丁寧にお辞儀した。


 どうやら今日は豪勢な晩食が楽しめそうだなと、セロは今から舌なめずりをした。


 そんなふうにして、魔王城改修の面々に声掛けしてからセロとルーシーは前庭に出た。溶岩マグマで渡れない坂道と永久凍土の断崖があるだけの殺風景な場所だが、そこで人造人間フランケンシュタインのエメスが何かを打ち上げている。


 もちろん、午前中のうちにアジーンから聞いていたので、セロにはそれが何かすぐに分かった。


「エメス、『照明弾』の具合はどうなの?」

「まずまずですね。終了オーバー


 だが、すぐにセロは「ん?」と眉をひそめた。


 昨晩の話からすると、『照明弾』というのは満月代わりの丸い明かりだと聞いていた。それなのにセロの眼前で展開されているのは、下半分だけ失敗した花火のような代物だ。


「もしかして……上手くいっていないの?」

「いえ、こちらは『照明弾』ではありません。『白リン弾』と言われているものです」

「『白リン弾』? 聞いたこともないけど?」

「当然です。あまりに凶悪で非人道的な兵器だということで、いにしえの大戦時ですら使用禁止になっていました。終了オーバー

「…………」


 そんな物騒な物をなぜアジーンに向けて使っているのかな……


 いや、まあ、アジーンの性癖的に考えて志願した可能性が高いんだろうけどさ……


 セロは今日一番遠い目をした。


 何にしても、第六魔王国はずいぶんと平和だなと感じた。こんなほのぼのとした日がずっと続いてくれたらどんなに嬉しいことだろうか――


 いつかは人族だ、魔族だと争わずに、共生出来る日が来ればいいのにと、セロはあてのない思いに身を委ねた。


 が。


 そのときだ。


 ふいにトマト畑の方からざわめきが届いたのだ。


 ルーシーがすぐに坂下に視線をやって、「ふむ」と顔をしかめる。


「ルーシー、何かあった?」

「大したことではなさそうだ。気にするな。一応、わらわが見てこよう」

「僕も行こうか?」

「構わぬ。セロはそこにいろ」


 ルーシーのいつになく真剣な表情に、セロは唾を飲み込むも、仕方なく「分かったよ」と応じた。


「いってらっしゃい、ルーシー」

「ああ。いってくるぞ、セロよ」


 こうして、セロはしばらく一人で時間を潰すことになった。


 もっとも、今にもトマト畑では、招かざる客たちの蛮行が始まろうとしていたのだが――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る