第33話 続 トマト畑

「トマトすごく美味しいねー」

「うん」


 トマト畑では、朝から牧歌的な声が上がっていた。


 美味しいと言ってかぶりついているのがダークエルフの双子ことディンで、こくこくと肯きつつもリスみたいに小さくかじっているのがドゥだ。


 最近はトマト畑に認識阻害をかけていない。


 ヤモリ、イモリやコウモリたちに加えて、『迷いの森』のダークエルフたちが農作業を手伝ってくれているからだ。


 今朝もセロやルーシーが混じって、早くから収穫作業に精を出したばかりだ。もちろん、採ったトマトや野菜はダークエルフたちにもお裾分けしている。これでドルイドが釣れるなら――という思惑ももちろんあるが、森の恵みの山菜やキノコなどと交換して、狼人のメイド長ことチェトリエに調理してもらいたいというのがセロの本音だ。


「そういえば、この畑って他の吸血鬼が夜盗に来ることってなかったの?」


 セロが素朴な疑問を発すると、ルーシーはトマトの果汁をちゅうちゅうと吸ってから答えた。


「真祖トマトはよく知られている。夜盗などしたら母カミラと敵対するようなものだ。よほどの死にたがりか馬鹿でなければそんな真似はしない」

「なるほどね。ダークエルフが盗ろうとしなかったのと同じ理屈か」


 セロはそう言ってから、広々とした畑を眺めた。


 それにしてはずいぶんと面積がある。これまで虫食いの被害が多かったにしても、これだけの量を消費するのは魔王城にいるだけの人数では難しかったはずだ。ということは、それなりの分量を贈答用にでもして出荷していたのだろうか……


 そんな疑問をルーシーに尋ねてみると、


「そうだな。まず南の魔族領にいる邪竜ファフニール様が毎年かなり食べていくな」

「食べていく? てことは、ここに来るの? たしか第三魔王だよね?」

「ふむ。そろそろ来てもいい時季ではあるのだが……もしかしたら母が討たれたと知って、喪に服してくれているのかもしれない」

「意外に仲がいいんだね」

「昔は最悪だったそうだぞ。散々、殺し合いに明け暮れた挙句、気づいたらトマトで繋がっていたと母はよく笑っていた」

「互いを許したということなのかな?」

「さあな。今度、ファフニール様が来たら聞いてみるといい」


 セロは「分かったよ」と言って、遠くに目をやった。


 そんなふうに殺し合いまでした者を果たしてセロは許せるだろうか……


 ただでさえ、セロにとっては踏ん切りのつかない者が二人いるのだ。もちろん、勇者バーバルと聖女クリーンだ。


 いずれ王国がセロを魔王認定したら、バーバルは必ずやって来るだろう。そのときセロはバーバルと戦って止めを刺すのか、それとも真祖カミラたちのように互いを許し合うのか――


「まあ、そのときが来たら考えようか……今はまだいいや」


 セロはそう呟いて、どこか遠く、王都の方に視線をやった。


 そして、がぶりとトマトを頬張ってから、ルーシーと一緒にまた畑に入ろうとした。


 だが、セロの足はそこで止まった。妙なモノを見つけたせいだ。畑の一角に小さいプールのようなものがあった。


 最初は肥溜めでも作ったのかなと思ったが、臭ってこないし、色もおかしい。何しろ赤色なのだ。もしかしてトマトでも潰して発酵しているのだろうかと考え直したが――そこからひょっこりと、イモリたちが顔を出した。


「あれ? こんなところにいるんだ?」


 セロがイモリたちに手を振っていると、ルーシーが教えてくれた。


「ヤモリたちばかりズルいと昨晩の国防会議の前に要望が出たので、地底湖から引っ越してきてもらったのだ。何せイモリたちは水辺でないと生息出来ないからな」

「じゃあ、あの赤い色の液体は?」

「ゴライアス様の血反吐だ」

「…………」


 何でも地底湖はすでに真っ赤になっているそうだ。


 ていうか、ここらへんの水って地下水脈を伝ってきている気がするけど……本当に大丈夫なんだろうか……


 セロは天を仰ぎながら、他にも気になったものを指差した。幾つか農作業用に畑内に桶が並んでいたが、そこにも血反吐が入っていた。その桶は井戸から汲み取ったものらしいが、調べてみると当然のように血反吐が溜まっていた……


「セロよ。安心しろ。エメスが調べたところによると、肥料としては最適なのだそうだ」

「本当に?」

「成分分析とかいうのをやって、太鼓判を押していた」


 セロは「うーん」と腕組みをした。


 まあ、元第六魔王の人造人間フランケンシュタインことエメスがそう言うなら信じるしかないか。


 ただ、今年の出荷分はまだしも、来年からはトマトの赤々しさが血反吐に見えてきそうで嫌だな……


 セロはそんな心配をしたが……そうはいっても皆はというと全く気にしていないようだし、むしろ土竜様のご利益があるとまでルーシーは言い出す始末だしで、今はイモリたちが来てくれたことだけ素直に喜ぼうか……


 セロはそう考え直して、ふと足を止めた。


 ちょうど足もとをヤモリが通り掛かっていたからだ。


 もっとも、このヤモリは魔物モンスターなので、たとえセロが踏んでも全く問題ないどころか、押し返してくるぐらい力持ちではあるのだが、それでもセロとしては大事な仲間なので心情的に踏みたくはない。


 ところが、いつの間にか畑の畝間には小さな溝が出来ていた。そこをちょうどヤモリたちが伝って移動しているのだ。


「これ、すごくいいね。踏む心配をしなくて済むしさ」

「ふむ。これはエメスが発案したのだ。『塹壕』だそうだ」

「なるほどね。言い得て妙だね」


 セロが納得すると、次にそのヤモリたちの移動先が気になった。


「ところで、畔道に所々あるこの小さな盛り土は何なんだろう? 全て目抜きがされているけど?」

「それもエメスによるものだ。『トーチカ』というらしい」

「あまり聞かない言葉だね。ヤモリたちの住処になっているのかな?」

「それも兼ねているが、何でも侵入者に対して土の魔術による十字砲火を加えるそうだ」


 まあ、虫退治に必要な設備なのかなと、これにもセロは肯いた。


 最後に、畑の間に立っていたとある物・・・・を指差す。


「かかしがあるみたいだけど、意味なんてあるのかな? コウモリたちがいれば、鳥とか獣とかの被害はほとんどないんじゃない?」

「セロよ。観察は大事だぞ。よく見てみろ」

「うーん……ああ、なるほどね。コウモリたちの止まり木になっているのか」

「そういうことだ。あれもエメスが作ってくれた。正確には自動撃退装置ラバーデセプションというそうだ」

「ん?」


 何だか、かかしなのにけったいな名前が付いていたけど……まあ、いいか。


 セロがそんなことを思いつつ、いったん畑から出てみると、ちょうど裏山沿いの坂道を下ってくる者たちがいた。ダークエルフのリーダーで近衛長のエークと人狼の執事アジーンだ。二人が揃ってやって来るなんて珍しい。


「どうしたんだ?」


 セロが声を掛けると、まずエークが答えた。


「はい。迷いの森のダークエルフが農作業を手伝う際に休憩所が欲しいということで、現場確認と簡単な測量の為にやって来ました」

「なるほどね。魔王城の改修は順調なの?」

「もちろんです。そろそろ内装に取り掛かろうかと考えています。ちなみに、玄関ホールに飾るセロ様の像は金がいいですか? それとも魔王城の屋根をぶち抜くような巨大石像にしますか?」

「どちらもいらないです」


 セロが即答するも、エークは食い下がってきた。


 そんなふうにすがりつくエークを無視して、今度はアジーンに話しかける。


「エークがこっちに来たのは分かったけど……アジーンはなぜ? 執事としての仕事なんてこっちで何かあったっけ?」

「いえ、執事としてではなく、今はエメス様の実験に付き合っているところです」

「実験?」

「昨晩の『照明弾』の件でございます」


 セロは「ああ」と肯いた。


 何でもあまりに眩しいから遠くでやってくれと魔王城近辺から追い出されたそうだ。


「そうだ。セロ様」


 すると、エークが襟を正してから声を掛けてきた。


「ドゥとディンをお借りしてもよろしいでしょうか? 測量の手伝いをやってもらいたいのです」

「構わないけど、本人たちはどうなの?」

「問題ありません」

「……せん」


 そんな四人に手を振って、セロとルーシーは坂道を上がっていった。


 エークとアジーンはしばらく時間がかかるそうなので、ルーシーはいったん坂道に認識阻害をかけた。もし二人の用事が早く終わっても、ドゥとディンなら封印同様に認識阻害も解くことが出来るから問題はない。


 こんなふうにして、その日の午前中はまったりと過ぎていったのだった。

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