第35話 パーティーは転送する(勇者サイド:09)

 王国では昼過ぎから急に雨が降り始めた。


 勇者バーバルはフードを深く被って、人々の間を縫うようにして大神殿まで急ぎ足でやって来た。


 大神殿とはいっても、ここには神殿以外にも数多の施設がある。たとえば、騎士団の詰め所、神学や法術の研究機関、あるいは医療施設などもあって、その中央広場も憩いの場として開放されているので王国民によく利用されている。


 バーバルはそんな大神殿に入って、中央広場を手早く通り過ぎると、法術の研究棟が立ち並ぶ一角を訪れた。そこには雨にもかかわらず、バーバル同様にフードを深く被った女性の神学生が木陰で雨宿りをしていた。


「勇者バーバル様でいらっしゃいますね?」

「ん? ああ、そうだが」

「お待ちしておりました。聖女クリーン様がお待ちです。こちらです、どうぞ」


 その女学生はひそひそ声で勇者バーバルに伝えると、足早に先導した。


 そして、周囲をうかがいつつも、研究棟の中でも一際古びた塔の中に裏手から入った。どうやら地下に通じる螺旋階段があるようだ。足もとを照らすのは女学生の持つランプの明かりだけだ。


 バーバルはその階段を下りながら尋ねた。


「他の者たちはどうした?」

「皆様はすでにお着きです」

「そうか」


 別に、バーバルが遅刻したわけではない。


 時刻を指定して、一人ずつ来るようにと聖女クリーンから言われていただけだ。


 それだけクリーンにしても、今回の件は周囲にあまり知られたくないということなのだろう。この女学生も子飼いの者に違いない。


「やけに黴臭いな」


 バーバルが文句を言いながら螺旋階段を下りきると、そこからさらに長い廊下が続いていた。


 蜘蛛の巣が張っていて、埃も積もっている。濡れた靴だと滑りそうだ。どうやら書庫のようだが、いかにも禁忌の研究でも行っているといった雰囲気がある。


「少々お待ちください」


 すると、最奥で女学生は立ち止まって、扉を二回、それから間を置いて五回、ノックした。


 そのとたん、認識阻害が解けたのだろう。壁だと思っていた部分が薄れていき、さらに奥に進めるようになった。


 女学生はそこで足を止めて、「私はここまでです」と伝えると、勇者バーバルに先を促した。バーバルが一番奥にある物々しい扉に手を掛けて入ると、そこは広間になっていた。すでにモンクのパーンチ、エルフの狙撃手トゥレスがいる。


 広間の中央には、やけに大きな門が置いてあった。


 その門はやけに禍々しかった。まるで古書などに伝わる『地獄の門』のようだ。ここから地下世界に通じていると言われても、バーバルは決して驚かなかっただろう。


「本当にこの門で大丈夫なのか?」


 勇者バーバルは門のそばにいた聖女クリーンに尋ねた。


 一方で、聖女クリーンは「はあ」と大きなため息を返してみせた。モンクのパーンチにも、狙撃手トゥレスにも同じことを聞かれたからだ。


「問題ありません。午前中のうちに、転送先の座標も確認しておきました」


 聖女クリーンはそう言って、三人を見渡した。


 それに対して、狙撃手トゥレスが訝しげに聞いてきた。


「実験は行ったのか?」

「いえ、やっていません」

「再度、聞きたい。本当に大丈夫なのか?」

「私を信じてくださいとしか今は申し上げられません」


 その言葉を聞いて、狙撃手トゥレスは大げさに肩をすくめてみせると、


「信じろと言われてもな。私は森の民だから、信心深いわけではないのだよ。特に、人族と、人族の信奉する神など信じたくもない」


 そんな皮肉に対して、意外なところからパンっと甲高い音が上がった。モンクのパーンチが拳を力強く掌に当てた音だ。


「でもよ。結局、ずっと昔にこれを誰かが使ったんだろ?」

「はい。そうです。百年前に勇者ノーブル様がお使いになられたと記録が残っています」

「……あー、すまん。ノーブルってどんな奴だっけ?」


 モンクのパーンチがそう聞き返すと、全員が、がくりとよろめいた。


 聖女クリーンはまた「はあ」と息をついて額に片手をやりつつも、


「最も高潔な勇者と謳われた方です」


 そう教えると、次いで勇者バーバルがどこか感慨深い表情で補足した。


「百年以上も前に、第三魔王の邪竜ファフニールと第六魔王の真祖カミラが王国内で幾度も戦っていたのを仲裁し、さらには第五魔王の奈落王アバドンを封印した御方だ。その封印以降、王国では蝗害が出ていない」


 その言葉を聞いて、モンクのパーンチは「ああ!」と手を叩いた。


「思い出したよ。お前が駆け出しの頃に、さんざんっぱらキャンプで熱く語っていた奴じぇねえか。たしかその勇者ノーブルのファンなんだろ?」

「うるさい、パーンチ。黙れ」

「はん!」


 二人はまた睨み合ったので、聖女クリーンもさすがに慣れてきたのか、気にせずに作業を続けた。


「それでは皆様、よろしいでしょうか? 門を開放いたします」


 聖女クリーンがはっきりと告げると、勇者バーバルとモンクのパーンチは「ちい」と言ってから互いに顔を背けた。狙撃手トゥレスはいまだに不服そうだ。


 だが、クリーンはそんな三人に構わずに法術の祝詞を謡った。


 そのとたん、門は禍々しい渦を描き始める。いかにも地獄に通じていそうな感じだ。


 さらに、クリーンは三人にアイテムを手渡した。


「皆様、この聖鶏グリンカムビの翼をお持ちください」


 どうやら狙撃手トゥレスだけはそれが何か知っていたようで感嘆のあまりに呻ったが、他の二人は首を傾げるだけだった。勇者バーバルが渋々とアイテムを片手に尋ねる。


「これはいったい何なんだ?」

「羽先にご自身の血を付けて、宙に放れば、この大神殿の近くに戻ってこられます」


 すると、今度はモンクのパーンチが鼻で笑った。


「こんな大層なもんを持っているんなら、出し惜しみせずに兵や騎士にも持たせりゃいいのによ」

「これは聖遺物です。世界に数枚もありません」

「…………」


 それを聞いて、勇者バーバルもモンクのパーンチもギョっとした。この門といい、聖遺物といい、それだけ聖女クリーンの覚悟の深さが分かったからだ。


 だが、バーバルは「ふん」と息をつくと、


「なあに、聖遺物など使わずに済むさ。帰りは凱旋するわけだからな」

「バーバル様。くれぐれもセロ様を殺さないようにお願いします。魔族に転じていないなら、大神殿で保護して解呪に専念させます。また、魔族に転じていた場合は、捕縛して王国内で魔王認定してから処刑いたします。今回はそういう流れです。承諾いただけないのなら、私は協力いたしません」

「分かったよ。昨晩もあれから耳にタコが出来るくらい聞かされたからな」

「本当に大丈夫ですか?」

「しつこい!」


 勇者バーバルが怒鳴ると、その場はしんとなった。


 もっとも、聖女クリーンはとっくにバーバルの癇癪に慣れていた。


「それでは行きましょう。まず私から入ります」


 聖女クリーンが淡々と言って、門の渦の前に立つと、狙撃手トゥレスが「待て」と言った。まだ何か不服でもあるのかと、クリーンが振り向くと、


「狙撃手である私が先行する。魔族領では何があるか分からん。魔物モンスターなどの接敵をすぐに感知できる者が行くべきだ」


 狙撃手トゥレスはそう言ってから、意外にも躊躇することなく、さっさと門の中に入っていった。


 一瞬で渦に飲み込まれて、その姿は消える。


 聖女クリーンは狙撃手トゥレスの評価を見直した。もっとも、とある疑念・・・・・についてはいまだに消えないままだったが……


「じゃあ、次はオレだな。セロの前に、強い魔物でも出てこねえかなあ」


 モンクのパーンチはそう言って、門の中にひょいと飛んだ。


 広間に残ったのは勇者バーバルと聖女クリーンだけだ。やけに静かになった。


 直後、勇者バーバルは聖女クリーンを咄嗟に抱きしめると、その唇を強引に奪った。


「な、なにを、なさるのですか!」


 聖女クリーンが勇者バーバルを突き放して、唇を右手の甲で拭うと、バーバルはにやりと満足そうに笑った。


「約束だ。セロは殺さずに捕まえてやる。だが、その代わりに俺のもとに来い! 俺の女になれ! 抱かせろ! それが条件だ」

「こ、この期に及んで……そんなことを言うのですか?」

「さあ、どっちだ? 俺はどっちでもいいんだぞ。お前が俺のものにならないと言うなら、あるいは協力しないと言うなら、これから魔族領に行ってセロを見つけ次第、ぶっ殺す!」


 勇者バーバルがそう断言すると、聖女クリーンはその気迫に身震いした。


「分かりました……」

「ああん。聞こえんなあ?」

「貴方と……付き合います」


 再度、聖女クリーンは強引に口付けされた。だが、今度は勇者バーバルの下唇を噛み切った。すぐにバーバルは「ぺっ」と血を吐き捨てる。


「ふん! 俺は強情な女の方が好みなんだよ。さあて、今夜が楽しみだな。ふはは」


 それだけ言って、勇者バーバルは門の中に意気揚々と入っていった。


 その後姿を見送りながら、聖女クリーンは目もとを拭い、悔しさで震える拳をギュっと握り締めつつも、いつか必ず王国で頂点に立ってこの日の仕返しをしてやると、第六魔王国に一歩を踏み出したのだった。

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