第30話 パーティーは不審がる(勇者サイド:07)

 魔女モタが出奔した夜――


 王城の広い客間では、勇者バーバルが一人きりで窓から外を眺めていた。


 すると、ドアをノックすることもなく、モンクのパーンチが入ってきた。勇者バーバルは「ふう」と短く息をついてから、振り返ることもなく言った。


「遅いぞ」

「遅いも何も、オレしか来てないじゃねえか」


 モンクのパーンチが口を尖らせると、勇者バーバルは肩をすくめてみせた。


「トゥレスは少しだけ席を外している。すぐに戻ってくるはずだ」


 そう応じて、勇者バーバルはやっと振り向いた。


 モンクのパーンチは「ん?」と目を細める。


「おい、バーバルよ。その額の傷はいったいどうした?」

「額の傷だと?」

「ああ。真っ赤だぞ。どこかにぶつけたか?」


 勇者バーバルは額をさすった。


 魔女モタの部屋のドアにぶつかって出来たものだ。バーバルは「ちい」と舌打ちした。


「それよりトゥレスがいないのは分かったが、キャトルとモタはどうしたってんだ?」


 モンクのパーンチがそう尋ねながら適当な席に着いて足を組むと、勇者バーバルは上座へとゆっくり移動した。


「キャトルはしばらく参加出来ない」

「どうしてだよ?」

「園遊会に出るんだそうだ」

「はあ?」

「プリム王女に招かれたらしい。王城ではなく、どこぞの遠方にある辺境伯の邸宅でやるから、しばらくは勇者パーティーに参加出来ないと侯爵家から連絡が来た」

「やれやれ。お貴族様の遊びには付き合いきれんな」

「遊びではない。せめて社交界と言ってやれ。れっきとした貴族の仕事だ」

「どっちだって構わんさ。似たようなもんだろ。それより別の聖騎士でも探したらどうだ?」

「勘弁してくれ。キャトルはヴァンディス侯爵家の令嬢だ。いわば、俺たちの最大の後援者スポンサーなんだ。くれぐれも邪険に扱わないでくれよ」

「ふん」


 モンクのパーンチは鼻を鳴らした。


 こないだその後援者の令嬢に向けて、そこの壁を叩いて強がったのはどこのどいつだと言いたげな態度だ。


「で、モタの方はどうしたんだ?」


 モンクのパーンチがそう聞くと、勇者バーバルは急に渋い表情になった。


「おい。まさか、まだ喧嘩しっぱなしってことはないだろうな?」


 モンクのパーンチは身を乗り出して、勇者バーバルを詰問しようとした。


 だが、そのタイミングで、トン、トン、という几帳面なノックの音がした。


「私だ。入るぞ」


 それだけ言って、エルフの狙撃手トゥレスは入室した。


 そして、勇者バーバルやモンクのパーンチから離れた場所に静かに着座すると、弓を取り出して弦を張り始める。


 モンクのパーンチはちらりと視線をやってから、勇者バーバルにまた口撃しようとしたが、「ん?」と首を傾げた。狙撃手トゥレスの外套に何か汚れがあることに気づいたのだ。


 普段から神経質なくらいに身の回りの物に気遣っているトゥレスにしては珍しいことだ。


 だから、モンクのパーンチがそれを指摘しようとしたら――


 こん、こん、と。


 これまた丁寧なノックが室内に響いた。


 モンクのパーンチは再度気勢を削がれた格好となって、さすがに頬を膨らました。一方で、勇者バーバルは「構わん。入ってくれ」と扉外の人物に言った。


 すると、「失礼します」と聖女クリーンが入ってきた。


 魔女モタではなく、聖女クリーンが来たことにモンクのパーンチは眉をひそめたが、とりあえず狙撃手トゥレスにまず言ってあげることにした。


「おい、トゥレスよ」

「何だ?」

「外套が汚れているぞ。右肩の少し後ろのあたりだ」

「そうか」


 それだけ応じて、狙撃手トゥレスは肩を払った。


 どうやらうっすらと黒い雫のようなものが付着していたようだ。


 モンクのパーンチはすぐに興味を失くしたが、聖女クリーンは思わず息を飲んだ。


 トゥレスの肩についていたモノに心当たりがあったからだ。払われてしまったのでもう調べようもないが、もしかしたらあれは呪詞の可能性が高い。しかも、認識阻害にまつわるものだ……


 王城で認識阻害とはこれはいったい如何に――と、聖女クリーンは不可解な面持ちで狙撃手トゥレスを見つめたが、別段、いつもと様子は変わりなさそうだった。何にせよ、クリーンは小さく息をついてから、勇者バーバルにきつい視線を投げかけた。


「ところで、こんな夜更けに私を呼びつけた理由は何でしょうか?」

「そんなにかっかしてくれるな。俺とお前の仲だろう?」

「どんな仲なのかは存じ上げませんが、これからは正式に大神殿に申請して、向こうの執務室での面会を希望なさってください」


 聖女クリーンがそう言うと、モンクのパーンチは「ひゅう」と口笛を鳴らした。


「見事に嫌われちまったもんだなあ、バーバルよ」

「うるさいぞ、パーンチ」

「はん」


 勇者バーバルとモンクのパーンチは睨み合った。


 聖女クリーンはまたつまらない諍いでも始まるのかと嫌になって、席を立って帰ろうとした。それを見たとたん、勇者バーバルは慌てた。


「まあ、待て。クリーンよ。用件ならちゃんとあるのだ」


 それを聞いて、聖女クリーンはやれやれと座り直した。


 もっとも、勇者バーバルが用件を切り出すよりも早く、モンクのパーンチはいったん室内をさっと見渡してから、


「ところで、モタは本当にどうしたんだ?」


 そう尋ねると、聖女クリーンも「そうそう」と続いて、


「モタはなぜ走って出掛けていったんですか?」


 と、勇者バーバルに質問した。


 これにはバーバルも不審に思ったようで、眉間に皺を寄せてみせた。


「モタが走って出掛けただと?」

「ええ、そうです。つい先ほどです。ずいぶんと急いでいたようですが……」

「おい、バーバルよ」

「何だよ、パーンチ?」

「まさか、テメエ。モタをまた怒らせるようなことを言ったんじゃねえだろうな?」


 モンクのパーンチが今度はさすがに怒りを露わにすると、勇者バーバルは「おい、待て」と両手を掲げてみせた。


「そんなことは言っていない」

「本当か?」

「ああ、誓うよ。クリーンにパーティーに入ってもらうとモタには伝えただけだ」

「もちろん、私はお断りいたします」

「…………」


 白々とした空気が流れた。


 勇者バーバルはというと、何とも言えない表情だ。室内では、狙撃手トゥレスだけがいかにも我関せずといったふうに作業に没頭していた。


 そんな雰囲気に、モンクのパーンチは「はあ」と大きなため息をついてから聖女クリーンに尋ねた。


「なあ、クリーン様よ。モタは何か言っていなかったか?」


 パーンチの質問に対して、狙撃手トゥレスが微かに反応した。


 聖女クリーンはそれを見逃さなかったが、何はともあれ素直に答えてあげることにした。


「セロ様がどこに転送されたか聞かれました」


 それを聞いて、モンクのパーンチは「まさかなあ」と頭を掻いた。


 聖女クリーンも同様に、魔女モタがセロを探しに出た可能性に思い至るも、幾ら魔女モタが天才とはいえ後衛職一人だけで北の魔族領を旅することは無謀だと判断した。


 いずれどこかで冒険者を雇う可能性があるから、今から触れでも出しておけばモタを捕まえることはそう難しくはないだろう……


 それよりも、勇者バーバルは、「ふん」と息巻いて、いかにも嫌な奴セロの名前を聞いてしまったといったふうに表情を歪めてみせると、


「今日、皆に集まってもらったのは他でもない。そのセロのことなのだ」


 そう伝えて、やけに殺気のこもった眼差しで室内全体を見渡したのだった。

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