第14話 トマト畑

「ふふ。魔物モンスターだけでなく、まさかダークエルフまで従えるとはな」


 ルーシーはセロの脇腹を小突いてきた。


 肝心のセロはというと、百面相をしている最中だ。


 ついこの間まで勇者パーティーの一員に過ぎなかった。しかも、役立たずとまで言われて追放されたばかりだ。


 それなのに諸事情で新たな魔王として立ったら、とても大切な仲間が一人だけ出来た。さらに、すぐに臣下たちまで付いて来てくれた。あまりにとんとん拍子に進んでいくのでセロからしてみれば、どうにも実感が伴わない……


 すると、ダークエルフのリーダーことエークが恭しく言ってきた。


「本日をもちまして、私は『迷いの森』の統率者を辞任いたします」

「え? それはまたどうして……?」

「どうしてもこうしてもありません。今後は、セロ様のお側にずっと控えさせて頂きたく存じます」

「えーと、その、あのう……」


 セロがあたふたしていると、ルーシーが代わりに答えてくれた。


「構わぬぞ。それと近衛の選別はそちに任せよう」

「はっ! 畏まりました!」


 そう応じて、エークは意気揚々とダークエルフたちのもとに戻っていった。


「指示を出してくれてありがとう。助かったよ」

「ふむ。セロも早く、上に立つ者としての自覚を持たなくてはいけないな」

「何だかいつまでも慣れない気がするなあ……そういえば、参考までに聞きたいんだけど、ルーシーのお母さんは配下の人にどんなふうに接してきたのかな?」

「ろくに接していないぞ」

「ん?」

「そもそも母はわずかな眷属しか従えていなかった。だから、ブラムのように母に対抗して、数を頼りに勘違いするやからも出てきたわけだ」


 ルーシーが小さくため息をつくと、セロはいまいち理解が覚束ないといったふうに眉をひそめた。


「ちょっと待って。眷属って……吸血鬼だけってこと?」

「もちろん、その通りだ。他に何がいる?」

「いや、だって魔物やダークエルフたちはどうしたのさ?」

「当然、配下になどなっていない。もちろん、敵対はしていないが、魔物はともかく、ダークエルフについてはせいぜい隣同士でわずかな付き合いがあった程度だ」

「…………」


 セロは目をつぶって天を仰いだ――


 ダークエルフのエークはセロの首に土竜の加護アミュレットがかかっているのを目ざとく見つけて、すぐに臣従を申し出てきた。


 魔物だってそうだ。コウモリたちとは洞窟内で『導き手コーチング』によって共闘したからともかく、地底湖付近のイモリたちも、今もセロの神官衣の裾に居心地良さそうに張り付いているヤモリたちも、この加護のおかげで使役テイム出来た。


 ここにきて、セロもやっと、とんでもない物をもらってしまったと自覚するに至った。


「それより、セロよ。わざわざこのふもとまで戻ってきたのは、見せたいものがあったからなのだ」


 ルーシーが珍しく上機嫌でスキップを始める。


 進んだ先は岩山沿いの坂道だ。もちろん、今は認識阻害がかかって断崖絶壁に変じている。


 すると、その断崖とは別方向にある小高い丘に対して、ルーシーは右手をかざして認識阻害を解いてみせた。


 そのとたん、広々としたトマト畑が現れ出てきた――


 幾つもの畝に挿し木があって、そこにトマトが赤々となっている。


 他にもニンジンやレタスなどの野菜もあるようだが、ルーシーはトマトを二つもぎ取ると、水の生活魔術で簡単に洗ってから、そのうちの一つをセロに投げて寄こした。


「食べてみよ。美味しいぞ」

「うん。じゃあ、ご馳走になるよ。いただきます」


 手にしたトマトは完熟で大きなサイズだ。


 意外とずっしりと重くて、よく張っていてそれなりに固い。


 だから、セロが大きく口を開いて勢いよくかぶりつくと、ぶしゃっと果汁が顔中に吹き出てきた。


「はは。セロは食べ方が下手だな。いいか、よく見ておけ」


 ルーシーはそう言うと、トマトを横に持ち替えてから吸血鬼の尖った歯でぶすりとを刺して、ちゅうちゅうと果汁をいったん吸い出した。そして、片側をかじる。次いで、もう片方の汁を吸ってからがぶりといく。そうやって、一滴の果汁も落とさずにきれいに食べ切った。


 一方でセロはというと、口もとも足もとも見事に赤くなっている。


 もっとも、肝心の味は抜群で、最初は鼻に酸味がツンときたものの、すぐに果物にも負けない甘みが口内に広がっていった。果物代わりに食べても良さそうなほどだ。


「ごちそうさま。とても美味しかったよ」

「ふふん。そうだろう? 何せ、魔族領でも『真祖トマト』は絶品とされているからな。わらわの主食でもあるのだ」


 そんなブランドがあったのか……


 もしかしたら、魔族の間でお土産とか贈答とかにされているのかな……


 と、セロはつい遠い目をした。たしかにかなり面積のあるトマト畑だ。ただ、わりと虫食いになったものも多い。それだけ自然農法で美味しいということだろうが、人族の村人たちは生活魔術などで上手く虫を寄せつけないようにしていた。そういう意味では、魔族の農業は遅れているのかなともセロは感じた。


「でも、吸血鬼って血を吸うイメージだったんだけど、トマトで大丈夫なの?」


 セロがそう問い掛けると、ルーシーは「むっ」と渋い顔をした。


「よく勘違いされているようだが、吸血鬼は血など吸わないぞ。そもそも、鉄臭いし、ドロドロしているし、健康にも悪い。あんなものを吸うのは蚊ぐらいだ。一緒にしてくれるな」


 へえ、そうだったんだ。迷信ってやつかな……


 あと、吸血鬼って意外なことに健康を気にしていたんだ……


 そんなふうにセロが新たな発見をしていると、コウモリたちがセロの周りを飛んで、「キイ、キイ」と鳴き出した。不思議なことに、セロには何となく言っていることが分かる気がした。やはり土竜の加護のせいだろうか――


「ねえ、ルーシー。コウモリたちがトマト畑を守りたいんだってさ」

「ほう。言葉が分かるのか?」

「まあ、何となくだけどね」

「まさかトマトを食べたいわけじゃなかろうな」


 ルーシーの警戒に対して、セロがどうだろうかと首を傾げると、コウモリたちはまた、「キイ」と鳴いた。


「トマトには興味ないってさ。虫しか食べないから大丈夫だって」

「ふむ。疑って悪かったな。つまり、虫から守ってくれるわけか。それはとても心強いな」


 そう言って、ルーシーが片手を伸ばすと、その先にコウモリたちが止まった。ルーシーもそんな可愛さに負けたのか、頭のあたりをさすさすしてあげている。


「セロ様。ルーシー様。お待たせいたしました」


 そのとき、ちょうどエークがやって来た。


 二十人ぐらいのダークエルフの精鋭を連れて来ている。その全員がセロとルーシーの前でまた跪いてみせた。


「近衛を選抜しましたので、紹介させてください」


 エークはそう言うと、二十人に次々に挨拶をさせた。


 ルーシーは一度で全ての名前と特徴を覚えたようだったが、さすがにセロには難しかった。


 そんな精鋭の中から唯一の子供らしき双子の姉妹ことドゥとディンが前に進み出てきた。ドゥは白髪を短く、男の子っぽくしていて、ディンはいかにもふわっとしたお嬢様といったふうだ。ダークエルフの年齢は外見では分かりづらいが、少なくともセロよりもずっと若い気がする。


「この二人をお側付きとさせて頂きたく存じます。何なりとお申し付けください」


 セロは「分かりました」と応じてから、気になっていたことがあったのでその話を振った。


「そういえば、認識阻害されていたわけだけど、ここにトマト畑があることはダークエルフたちには分かっていたのかな?」

「はい。もちろんです。我々ダークエルフは森の中のこと、あるいはその付近で起きたことなら全て知っております。そのトマト畑については、カミラ様やルーシー様がよくお世話をしていたようなので、さすがに手は出しませんでした」


 セロは「なるほどね」と肯いた。


 つまり、無駄に敵対行為は取らなったということか。


 そして、セロは思いついた。ルーシーが許可してくれるなら、今後はダークエルフにもこの畑をお世話してもらってもいいかもしれないと。


 すると、ヤモリやコウモリがセロの心中を読んだのか、急に寄ってきた。どうやら、ここは任せろと言いたいらしい。セロは「じゃあ、仲良く頼んだよ」と呟いてから、


「それよりも、むしろ今は――」


 そう言って、峰の方に視線をやった。魔王城はまだ半壊したままだ。


「さあ、城に帰ろうか」


 セロがそう告げると、ルーシーは共に並び立った。


 ダークエルフの精鋭たち、ヤモリやコウモリもその後について来てくれる。


 一気に大所帯になってしまったわけだが、もしかしたらこれなら城もすぐに復旧するかもしれないと、セロもルーシー同様についついスキップしたくなったのは内緒だ。


 何にしても、こうして有史上、最も強固な大要塞とされた魔王城と最終ダンジョンのリフォームが始まろうとしていたのだった。

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