第12話 終わらせる者

 吸血鬼のブラン公爵といい、今回の土竜ゴライアスといい、今日一日だけでやけに死を身近に意識させられるものだなと、セロは「ふふ」とつい苦笑してしまった。あまりにも過酷な出来事が凝縮し過ぎではなかろうか?


 同時に、ふいに思い出した――


 魔族にとっては戦って死ぬことこそ本望なのだ、と。


 セロは全身の軋みを何とか堪えながらも、「ふう」と小さく息をついた。


 眼前にいる敵が世界最強の一角こと土竜ゴライアスだからといって、いったいいつまで怯えているつもりなのか。セロは両頬を思い切りパンっと叩いた――己を奮い立たせろ。死を恐れるな。相手に喰らいつけ。この死地にこそ、まさに望むべく最高の誉れがあるのだから。


「いくぞ」


 そうはいっても、セロにはもう攻撃手段がろくに残っていなかった。


 モーニングスターではまた甲羅で弾かれるだろう……


 それに初級の生活魔術ではあのエネルギー波には対抗出来そうにない……


 物理攻撃も、魔術も効かない相手にいったいどうすればいいというのか。セロは険しい表情になった。ここにきて、一か八かに賭けてみるしかなかったせいだ。


 これまではずっと無意識でやってきたことだ。コントロール可能かどうか不安だったが、どのみち背に腹は代えられない。そもそも、そんな背中を押してくれたルーシーが教えてくれたことだ――セロの本質とは誰かを導くことにある、と。


「やるしかないか……」


 セロは真っ直ぐに土竜ゴライアスを見つめた。


 力を見せつけよというのなら――


 いいだろう。せいぜいここで限界まで見せつけてやろうじゃないか。


 果たして、己を導いた・・・・・先にいったい何があるのかを。そう。『導き手コーチング』によって自らをどこまで高められるかを。


「せめて一矢報いる!」


 セロはついに覚悟を決めた。


 そして、左手を膝にやって何とか立ち上がった。


 ここが死地だ。ならば最高の頂きに手を掛けてみせようじゃないか。それで最期に花々しく散ることが出来るならそれこそ本望だ。


 セロは左胸のあたりを右手で掴んだ。


 心音を確かめる。トクン、トクン、と静かな波がしだいに昂っていく。


 それが怒号のように高鳴りだした。セロは体の内から信じられない程の力が漲っていると感じた。


「でも、まだだ……もっと僕は高みを目指せる」


 セロは己の自動スキルに意識を集中した。


 その瞬間だった。


 不思議なことに、セロの脳裏でふいに感傷が過ぎていった。


 さながら走馬灯が流れていくかのように。セロはなぜかじっと過去を見つめていた――


 小さな頃にバーバルとよくちゃんばらをした。バーバルの方が強かった。おかげで毎日、傷だらけになったものだ。悔しかったのでセロは回復する為の法術を学んだ。


 その法術は一度たりともろくに成功したことがなかった。バーバルは馬鹿にしたように笑っていたが、こうも言ってくれた――俺がお前を守ってやるさ。共に力を高めていこう、と。だからこそ、セロは冒険者見習いとしてバーバルに付いて行った。その背中を追いかけ続けた。


 この世界の主人公はバーバルなのだと信じて疑わなかった。当時のバーバルにはそれだけの魅力と力強さがあった。セロはただの端役で、バーバルの物語を引き立てる為に存在しているのだと思っていた。それでいいと、十分だとも、セロは納得していた。


 そう。わきまえていたはずだった――


「呪いにかかった司祭など、このパーティーの面汚しだ。さっさと出て行け!」


 あのときの言葉がまだ耳朶にこびりついている。


 いつから何もかもが変わってしまったのだろうか……


 今となっては、セロは魔王となって、こうして死地にて試練を受けている……


 セロはそんな感傷を追いやると、ルーシーにちらりと視線をやった。そのルーシーはというと、両手を組んで無心に祈ってくれている。


 以前はバーバルの為に強くありたいと願ったものだが、ほんの一日しか経っていないのに、もうずいぶんと遠くに来てしまったようだ。


 現在、セロと共にいてくれるのはルーシーだけ……いや、違うか。もしかしたら、魔王城に仕えていた執事やメイドたちが戻ってきてくれるかもしれないし、ルーシーは長女だと言っていたから姉妹もいるはずだ。それにセロだって、これから大切な仲間を見出すことが出来るかもしれない……


 だからこそ、そんな思いと共にセロは、はっきりと心に刻んだ。


「出て行けなどと、僕は決して言わない」


 もしセロが新たな魔王として立つならば――どんなに蔑まれ、あるいは虐げられようとも、手を差し伸べられる強さを持った王でありたい。あるいは、一度信じたならば決して見放さない王でありたい。


「僕は自身を導こう。高みへと! いつまでも君と共にいられる、最高の頂きへと!」


 それこそがこの世界で最も愚直な者として、セロの存在意義アイデンティティなのだから――


 直後だ。


 地底湖にいたはずなのに、セロのもとに一条の光が下りた。


 セロの心音が、さらに一段、ぐんと高鳴った。愚者としての呼称が借り物の『ロキ』ではなく、『エンダー』に変じていったのだ。


 エンダー ――そう。全てを終わらせる者のことだ。


 土竜ゴライアスの色を失った目にも、その煌めきは眩かったようで、「そ、その天啓は、いったい……」と戸惑って、ほんのわずかな間だけ、エネルギーの収束を止めて口を閉ざしかけた。


「土竜ゴライアスよ。これで試練を終わらせてみせる!」


 セロは高らかに宣言した。


 次の瞬間、土竜ゴライアスの頭部に黒いもやのようなものがかかった。


「ちい! 何が起きている?」


 土竜ゴライアスは咆哮を上げた。


 もやの正体は――先ほどの地底湖上壁にいたコウモリたちだった。


 こんな結界内で土竜ゴライアスに高密度のエネルギー波を放たれたら、セロ共々に消失してしまうと理解したらしく、今だけでもセロに味方してくれたようだ。


 もちろん、一時的にセロと手を結んだことで、『導き手』によって強化されたコウモリたちは土竜ゴライアスの眼前で羽ばたいて、超音波を放ち続けた。土竜ゴライアスは視力を持たないので、セロの位置を見失ってしまった。


「ふざけるな! この羽ネズミどもが!」


 土竜ゴライアスが尻尾のミミズを振るうも、コウモリたちは素早く散じて当たらない。


 しかも、その頭部に何匹も張り付くと、糞をまき散らし始めた。どうやら猛毒のようで、土竜ゴライアスでも相当に嫌がっている。


 まあ、そりゃあ、顔にうんこかけられたら最悪だよね……


 と、セロも少しは同情したが――


 そんなセロはというと、すでに土竜ゴライアスのそばまでやって来ていた。


 そして、風の生活魔術『そよ風ブリーズ』の呪詞を呟いた。土と風は互いに属性の相性が悪いので、土竜ゴライアスには効くかもしれないと考えたのだ。言うまでもなく、セロの『そよ風』は強化されて、最上級魔術の『暴風ストーム』レベルに至っている。


 さらに、『そよ風』をモーニングスターの棘付き鉄球の部分に付与して、セロはそれをぐるんぐるんと回した。


 持てる限りの力でもって、セロ自身もその場で回って遠心力もかけた。コウモリたちが察してくれて一斉に離れていくと、同時に土竜ゴライアスがやっとセロを見つけたといったふうにエネルギー波をはっきり向けてきた――


「ゴライアスよ! 今度こそ喰らえええ!」


 セロはハンマー投げの要領で、モーニングスターを投げつけた。


 それが土竜ゴライアスの口の中に入ると、付与されていた『そよ風』がまさに暴風となって、収束していたはずのエネルギーも渦巻いて、口内で盛大に暴発した。


「ぐおおおおおおおお!」


 土竜ゴライアスは雄叫びを上げた。


 その叫びは空気を震わせ、大地さえも揺るがしたが――


 しばらくすると、口から煙を上げて、いかにも暴発に耐えきれなかったといったふうに土竜ゴライアスはどてんと地に転がった。


「よし!」


 セロは拳を天に挙げた。


 土竜ゴライアスが全力を出していたかどうかはさておき、何にしてもセロは試練に打ち勝った。


 すると、セロのそばにルーシーが駆けて来た。どうやらゴライアスが張っていた結界はもう消えていたようだ。


「ふふ。セロといると、本当に退屈しないな」

「こっちはもうぼろぼろだけどね。さすがに死ぬかと思ったよ」

「ただ覚悟を見せるだけでよかったというのに……」

「え?」

「ゴライアス様の波動を前にしても恐れずに立っていることができれば合格だったのだ。少なくとも、かつて母はそう語ってくれた。それをまさかこんなふうに返り討ちにしてしまうとはな」

「……それを早く言ってよ」


 セロは唇をツンと立てて抗議した。


 そもそも、ルーシーが「死ぬなよ」なんて言っていたから、つい真剣勝負してしまったのだ。


 ルーシーはというと、「くくく」といかにも悪戯好きっぽく笑っている。セロはすぐに嵌められたと気づいた。もしかしたら、セロは尻に敷かれるタイプかもしれない……


「やれやれ。よくもまあ、やってくれたものだ」


 土竜ゴライアスは声を掛けてきた。


「『愚者エンダー』か。これまた懐かしい称号だな」


 セロはつい身構えてしまったが、どうやら土竜ゴライアスは報復してくるつもりはなさそうだ。


「ええと……ゴライアス……様、大丈夫ですか?」


 さっきまで戦っていたのでつい呼び捨てにしていたが、さりげなく敬称を付け直して、セロは心配そうに尋ねた。


「ふん。われを誰だと思っている。この程度、かすり傷にもならんわ」


 そのわりに大きな口から血反吐がだらだらと垂れ流れっぱなしだけど、本当に平気なんだろうかとセロは首を傾げた。


 何にしても、セロは気になっていた質問をぶつけることにした。


「ところで、ゴライアス様。この愚者エンダーという新たな称号は、いったいどういうことなんでしょうか?」

「さあな。先も言っただろう。我はもう地上の営みに興味はないと」

「むう」

「ただ、もしかしたら世界はこれから荒れるのやもしれないな。そのとき、其方は自らの役割を果たすのだろう。今は時機を待てとしか言い様がない」


 土竜ゴライアスはそう言って、「ふん」と息をついた。


 どうやら思っていたよりも、とっつきやすくて面倒見の良い竜のようだ。


「いずれにしても、愚者のセロよ。試練によくぞ打ち勝った。新たな魔王としてこの地を統治することを認めよう。真祖カミラに代わって、北の魔族領の安寧を目指せ」


 セロは胸を張って、「はい!」と大きく返事をした。


 直後、先ほどの光の一条のように、土竜ゴライアスから放たれた小さな煌めきがセロの手もとにぽとんと落ちてきた。


 よく見ると、それはペンダントだった。


 暴風によって折れてしまった土竜ゴライアスの牙の欠片がペンダントのトップには付いていた。


「これはいったい……?」

「持っていけ。統治の役に立つはずだ」

「ありがとうございます!」

「ふん。我に傷一つ付けた記念とでも思うがいい」


 傷一つというけれど、やっぱりさっきから血反吐は止まっていないどころか、地底湖が血の色に染まりそうな勢いだった。いや、本当に大丈夫なんだろうか……


 こうして、セロは土竜ゴライアスに別れを告げて、ルーシーと一緒に地底湖から離れていくのだが、愚者エンダーという称号といい、不思議なペンダントといい、自分が得たものがどれほど価値あるものなのか、このときはもちろんまだ知るはずもなかった――


 ただ、セロは目指すべき高みに向けて、確実な一歩を踏み出していた。

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