第10話 転送された先は姥捨て山でした

 吸血鬼のブラン公爵を倒して、その残党が慌てふためいて逃げていく様を見送ってから、セロは魔王城の前で腕組みをしつつも、


「魔王になったのはいいんだけどさ。せめて魔術の一つぐらい使えないとなあ……」


 と、自身の特異体質についてため息混じりに嘆いた。


 ルーシーの『魔眼』によって教えてもらったばかりだが、セロは自動パッシブスキルの『導き手コーチング』に魔力マナのほとんどを吸い取られるかのように持っていかれるので、他のスキルを使うだけの余力がない。


 おかげで司祭時代は法術をろくに扱えなかった。


 今では魔王となったわけだが、魔術の一つも使えない魔王など前代未聞だ。


 だが、ルーシーはいかにも何を言っているのだといったふうに眉をひそめてみせる。


「魔術ならとっくに使えるようになっているぞ」

「……え?」


 セロはついぽかんとなった。


「だって、ルーシーがそう教えてくれたばかりじゃないか」

「それは暗黒司祭ダークビショップのときの話だ。今はブランを倒したせいか、成長して愚者ロキとなった」

「何か大きく変わったの?」

「魔力量が倍以上になっている。もちろん、自動スキルに魔力のほとんどを持っていかれるという体質自体は変わっていないが、以前よりも余った魔力量が増えているからスキルは使えるようになったはずだ」

「そういうことか!」


 とはいえ、大したことは出来ないらしい……


 それでも、セロは興奮していた。何せ、初めての魔術だ。


 法術じゃないのが残念だが、魔術なら散々、魔女のモタが詠唱しているのをすぐそばで見てきた。


 だから、物真似ではあったが、セロはいかにも初心者がやるように右掌を開いてから真っ直ぐ前方に突き出し、聞き覚えのある呪詞を唱えてから、魔王城から下へとずっと伸びている山腹の道に落ちていた枯れ枝に向けて――


とろ火スロウフレイム


 と、放った。


 野営で炭に着火するときにモタがよく扱っていた生活魔術だ。


 セロはスキルが使えなかったから、ずっと火打ち石で火花を散らしてきたわけだが、簡単に火起こしをするモタを何度も羨ましく思ったものだ。


 それはさておき、セロの掌からは、ぽんっと――


 いかにも消え入りそうなとろ火が現れて、ふらふらと宙を彷徨った。


「すごい! 出来た!」


 セロは幼子のようにはしゃいだ。


 村人でも扱える初歩的なものとはいえ、生まれて初めての魔術だ。うれしくないはずがない。


 そんな微かな火は不安定に揺らめきつつも、ゆっくりと宙をうつろって、やっとぽつりと枯れ枝に落ちた。


 セロはというと、せっかくだからそれを種火にでもして、ルーシーに何か調理でもしてあげようかと山腹の方に一歩踏み出した――


 その直後だ。


 轟々、と。


 大きな火柱が幾つも立ち上がった。


 しかも、それは業火に変じて、山腹一帯は通行不能の溶岩マグマと化していった。


「…………」


 セロはその結果に白々とした表情を浮かべた。


 それから、ゆっくりと「どういうこと?」とルーシーへと振り返る。


「魔王になったのだ。それぐらいは当然だろう」

「いやいやいや、当然って……生活魔術の『とろ火』だよ。初級中の初級だよ。村人なら子供が練習で扱うものだよ。それが溶岩って……いったいどうなっているのさ?」


 セロが詰め寄ると、ルーシーは「はあ」とあからさまにため息をついた。


「前にも言ったが、セロ自身にも『導き手コーチング』がかかっているのだ。最下級の生活魔術の『とろ火』が最上級の攻撃魔術の『炎獄ヘルファイア』になってもおかしくはない」

「おかしくはないって……ていうか、これ、消えるのかな?」

「水の魔術で相殺すればいい」

「そうか。分かった。じゃあ、早速――」

「いや。止めよ、セロ。むしろ、このままでいい。魔王城は峰にあるとはいえ、四方に開けすぎていた。いっそもう一方も通れないようにしようではないか」


 ルーシーにそう提案されたので、セロはもう片方の山の中腹にある道にも魔術を使うことにした。今度は水の生活魔術だ。コップに入れる指先ぐらいの氷塊をイメージして、


粒氷アイスグレイン


 そう唱えると、小さな欠片が指先から生じて、ぽろりと地に落ちた――


 次の瞬間、カチカチ、と。


 眼前の一帯が氷漬けになった。というか、永久凍土の断崖絶壁が出来上がってしまった。


「…………」


 セロは遠い目をしつつも、しばらくは魔術を使うのは止めようと思い至った。コントロールも出来ないうちに下手に使うと、ここら一帯に地殻変動でも起こしかねない……


 仕方がないので、セロはいったん魔術とは違う話題をルーシーに振った。


「そういえば、この魔王城には他に誰も住んでいないのかな?」

「ふむ。今はわらわしかいないぞ」

「じゃあ、昔は?」

「執事やメイドがいたはずだが……勇者パーティーは手を下していないのか?」


 そう聞かれて、セロはしばらく眉間に皺を寄せた。少なくとも魔王城に着いたときには真祖カミラしかいなかったはずだ。


「うん。僕たちは一人も倒していないはずだけど……」

「だとしたら、母によって妾と同様にどこかに出されたのだろう」

「なら、帰ってきてくれるかな?」

「さあな。母が戦禍から逃す為に休みを与えただけなら帰ってくるやもしれないが、いとまを出してしまったなら、もう他家に雇われている可能性が高いな。魔王城に長らく勤めていた者たちだ。すぐに士官先も見つかるはずだ」


 セロは「ふうん」と相槌を打って、ルーシーと一緒に裏山の方に歩いて行った。


 魔王城前の二つの道がセロによって閉ざされた現状では、城に通じているのは裏の岩山だけとなる。ふもとの洞窟から入っていただきに出るルートと、岩山に沿って段々となった丘陵を上がってくるルートの二つだけだ。


 先ほど、セロはルーシーと一緒に後者を通って魔王城まで上がって来たわけだが、今度はその道を逆に進んでいる。ところが、その途中でセロはふと立ち止まった。


「セロよ。急にどうしたのだ?」

「いや、ちょっと不思議に思ったんだ。なぜ僕はこの山のふもとに転送されたんだろうかって」


 セロはふいに一抹の不安を覚えた。


 さっと見渡してみても、魔族領とはいえ、ごく普通の岩山に見える。


 魔王城のすぐ裏手にあるのだが、第六魔王カミラを討伐しに来たときには城の正面の坂道から侵攻したので、この裏山のどちらのルートも通らなかった。一方で、聖女クリーンはその気になれば、いつでも城の背後にあるこの山のふもとに誰かを転送出来るわけだ。


 もちろん、法術による転送陣は大量の魔力を消費するから連発は出来ない。それにパーティーを送ることも難しいはずだ。だが、勇者バーバル一人だけを今すぐに寄越すことなら容易に出来る。


 そう考えると、この裏山の道が一番危険にも思えてきた。だから、そのことをルーシーに説明すると、


「ふむん。そういうことか。実のところ、ここはもともと姥捨て山と呼ばれている場所なのだ」

「姥捨て山?」

「そうだ。時折、ふもとに人族が転送されてくるからな」

「まさか、僕みたいに?」

「うむ。なぜこの場所なのかは知らん。だが、この百年ほどそういう現象が起きていることから、どういう理由かは知らぬが、転送先として設定され続けてきたことは間違いあるまい。ちなみにセロをここに送ってきたのは誰だったのだ?」

「王国の聖女クリーンだよ」

「ほう。だとしたら、この地に来た者たちは、代々の聖女に転送されたのかもしれんな」

「僕はたまたまルーシーに助けられたわけだけど、他に転送された人たちはどうなったんだろう?」


 セロがそう尋ねると、ルーシーは遠くにある樹海の先を指差した。


「あの『迷いの森』の向こうにある、どんよりとした湿地帯が見えるか?」

「うん。何だか薄気味悪い場所だね」

「あのあたりが西の魔族領になる」

「西というと……第七魔王の不死王リッチが治めている所領か」

「ほう。勉強熱心なことだな。まあ、ここからだと薄暗いせいで彼奴が住んでいる墳丘墓は見えないわけだが、湿地帯のすぐ手前に小さな城塞都市があるのは分かるだろう?」

「城塞都市というより、砦と言った方が正確じゃない?」

「ふむ。何にしても、あそこにいる」

「ん?」

「セロと同様に転送された人族だ。そのほとんどが呪人だが、おそらく峰にある魔王城を見て、逃げるようにして反対側の森に進むのだろうな。その森に住むダークエルフが憐れんで、砦のことを教えてやっているに違いない」

「…………」


 セロはつい呆然とした。


 ルーシーの話ぶりからすると、まるで定期的に人族が呪いを受けて、その都度こちらに転送されてきたといったふうに聞こえる。いや、実際にその通りなのだろう。


 だとすると、大神殿でも解呪出来ないほどの強力な呪いにかかった人がこれまでに幾人もいたということだ。セロは魔王討伐の過程で真祖カミラから『断末魔の叫び』を受けたわけだが、それでは他の人々はいったいどうやってかかったというのか……


 そもそも、呪いに詳しい神官職だったセロはそんな噂を一度も耳にしたことがなかった。


「これはいったい、どういうことだろう?」


 もちろん、答えなど全く分からなかったが――


 セロはどこか陰謀めいたものを感じ取って、ぶるりと小さく身震いした。


 ついさっきも、吸血鬼のブラン公爵は勇者パーティーに裏切り者がいると示唆したばかりだ。どうやらセロの全く与り知らないところで、何か良からぬことが蠢いているようだ。


 すると、そんなセロに気遣ってくれたのか、


「魔王城の補修などが終わったら、あの砦にでも一度行ってみるといい。今さらだろうが、『呪い』についても何か分かるやもしれんぞ」


 ルーシーはそう言って、「こちらに来い」と付け加えると、裏山の坂道をゆっくりと下りていった。


「どこに行くのさ?」

「セロは新たな魔王になったわけだからな。挨拶をしなくてはいけない」

「挨拶? いったい、誰に?」

「人族でいうところの土地神様のようなものだ」


 セロは首を傾げた。


 魔族が神様を信仰しているなんてそれこそ聞いたことがなかった。


 そのせいか、セロは先ほどよりもよほど間の抜けた表情でも浮かべていたのだろう。ルーシーは「うふふ」とひとしきり笑うと、まるで小悪魔みたいに上目遣いで言ってきた。


「世界最強の一角、土竜ゴライアス様だ。いいか、死ぬなよ」


 挨拶するだけで死ぬようなことがあるのかな、と。


 セロはとても疑問に感じたが……何にせよ、それから数分後に、本当に死に直面するような事態になるとは、さすがのセロでも思ってすらいなかった。

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