第3話 吸血鬼ルーシーは憎まない

「おい、生きているか?」


 つん、つん、という感触が右頬にあった。


 どうやら、枝先か何かで何度も突かれているようだ。


 光の司祭セロは「ん……」と呻いて、ゆっくりと瞼を押し上げた。


 どうやらうつ伏せになっていたみたいで、まずセロ自身の両手がすぐに視界に入った。なぜか浅黒くなっている。そういえば、光の円陣で焼かれたんだっけ……


 と、セロは思い出しつつ、ゆっくりと上体を起こした。


 ダメージはそれほど受けていないようだ。実際に、聖女クリーンはセロを転送しただけだった。


「おお……よし。生きているのだな?」


 セロは声の主を見つめた。


 眼前では吸血鬼らしき少女がしゃがんで、セロをじっと見つめ返してきた。


「――――っ!」


 起きがけだったが、セロは一気に目を覚ました。


 というのも、その吸血鬼の少女がさながら美しい彫像のようでつい目を奪われたからだ。


 いや、もしやこれは『魅了』か。精神異常を引き起こす攻撃でも受けているのかと、セロもすぐに警戒したが、肝心の吸血鬼の少女はきょとんとしたままだ。


 第六魔王のカミラも吸血鬼の真祖だったので、戦いながらもとてもきれいな女性だなと感心させられた。もちろん、真祖カミラは明らかに『魅了』をセロたちにかけてきていたし、逆にセロたちはきちんとアクセサリなどで対策も取っていた。


 それでも、煌めく銀の長髪に、すっきりとした鼻梁と淡い唇。


 何より、月明りだけで消え入りそうな儚げな外見なのに、双眼だけは赤い宝石のように輝いていて――真祖カミラの美貌には、対策をしてもなお、心底ゾっとさせられたものだ。


 そんなカミラによく似た少女がなぜかセロの前にいる。


 カミラからは大人の女性の色気が隠しようもなく漂ってきたが、この少女からは何色にも塗れていない無垢な印象があった。


「君は……いったい誰だ?」

「名を聞くのならば、まずは貴方から名乗るべきだろう?」


 吸血鬼の少女はそう言って頬を膨らませたので、セロは素直に答えてしまった。


「あ、ああ……すまない。僕は……セロだ」


 魔族に対して名乗るのは、危険以外の何物でもなかった。


 そもそも、セロの名前は勇者パーティーに所属する光の司祭としてよく知られている。人族にとって魔王が討伐対象であるように、魔族からすれば勇者一行はお尋ね者みたいなものだ。


「ふうん。やはり、貴方がセロか」


 だが、吸血鬼の少女はその場で立ち上がると、


「聞いて驚け。わらわは真祖カミラが長女、ルーシーだ」


 それだけ言って、腰に手を当てて、「ふんす」と平たい胸を張ってみせた。どうやらそこだけは母親のカミラから何も受け継がなかったらしい……


 とはいえ、セロはやや首を傾げた。


 吸血鬼の少女ことルーシーの真意が掴みかねたからだ。


 それよりも、セロはむしろ別のことに驚いていた。あれほど胸の内で身を貪るように渦巻いていたドス黒い執念が、今ではきれいさっぱりとなくなっていたのだ。


 セロもよろよろと立ち上がって、周囲を見渡してみた。


 どうやら岩山のふもとにいるようだ。洞窟が大きな口を開けている。


 一方で、その山に沿うように段々と丘陵が上がっていって、その先の峰には見覚えのある城があった――魔王城だ。間違いない。あれはたしか第六魔王こと真祖カミラの居城だったはずだ。


「ということは……ここは、王国北の魔族領か」


 ただ、その魔王城は半壊していた。


 先の討伐でモンクのパーンチや魔女のモタが派手な立ち回りをしたせいだ。


「ふむ。やっと気づいたか。貴方には責任を取ってもらう」

「責任?」

「そうだ。少しの間、遊びに出かけて帰って来たら、住処があんなふうになってしまった。雨漏りがひどい。何とかせよ」

「…………」


 半壊しているのだから、雨漏りがひどいというレベルじゃない気もしたが……


 セロはとりあえず、「はあ」と大きなため息をついた。


「僕を殺すつもりはないのか?」

「貴方を殺す? なぜだ?」

「僕は第六魔王の真祖カミラを倒した。君の母親だろう?」

「うむ。その通りだ。だから、どうした?」

「僕は、お母さんの仇だ」


 セロは、はっきりと告げた。


 いっそここでルーシーに討たれても構わないと思った。


 仲間に役立たずだと見捨てられ、憧れていた二人からはゴミでも見るかのように蔑まれたのだ。神官職としての出世も見込めず、おそらくもう人族の領地に戻ることも出来まい。


 今のセロには何も残されていなかった……


 この身もとうに呪いに塗れてしまったことだろう……


 死ぬのか、不死者として魔族になるのかは分からないが、いずれにしても光の司祭としては最も忌避すべきことであって、また『賢者』になりたいと強く願っていたセロの存在意義アイデンティティに関わることでもあった。


 が。


 ルーシーは「ふむん」と、首を九十度ほども傾げてみせる。


「貴方が何を言いたいのかさっぱり分からない。もしや、妾の住処を直したくないと駄々をこねているのか?」

「い、いや、そういうことじゃないよ」

「ならば、きちんと直してくれるわけだな?」


 セロはまた大きなため息をついた。


 議論が全く噛み合わない。そもそも、セロは死に急いでいるわけで、そんな気分のときに壊した住処の話なんてしたくもなかった……


 だが、そこはセロも神官職になるだけあって、もともと生真面目な性格だ。セロはやれやれと肩をすくめてから渋々と答えた。


「分かった。住処は……一応、僕にも責任があるから直すよ」

「うむ。それならば構わない。では、早く直しに行こうではないか」

「いやいや、だからそうじゃなくてさ。僕は君のお母さんの仇なんだよ。本当にそれでいいの?」


 さらにルーシーは柔軟にも、今度は体全体を右に傾げた。


「仇というのは何だ?」

「君の大切なものを奪った人という意味だよ」

「たしかに、母は大切ではあったな」

「でしょう? だったら、僕のことが憎くはないの?」

「ん? 全く憎くはないぞ。そもそも、母は貴方にだまし討ちされたわけでもないのだろう?」

「まあ、たしかにそうだね……正々堂々と戦ったよ。本当にギリギリの戦いだった。君のお母さんはこれまで戦った中で一番強かったよ」

「ならば、母も本望だろう。私もそのような戦いで死にたいものだ」

「……え?」


 セロはつい言葉を失った。


 そして、やっとルーシーの本意に気づいた――


 魔族とは不死者だ。もちろん、人族が心臓を貫かれれば死ぬのと同様に、魔族も魔核を壊されたら消滅する。だが、基本的には肉体や精神のピークでいったん成長が止まって、そのまま不死性をもって生き続けることになる。


 だからこそ、魔族はそんな長い生の気晴らしに戦い続ける。


 魔族同士で戦い合って、互いに格付けをして、その上位にいる者が広い領地を得て統治者である魔王を名乗る。人族の世界に王国が幾つも興るように、魔族でも種族によってまとまって複数の王が立つ。


 そんなふうに戦いに明け暮れた魔王にとって、戦場で死ぬということは不名誉には当たらない。それどころか、ルーシーが言う通り、戦いで死ねるのならば本望でさえある。それほどに魔族とは過酷で強烈な種族なのだ。


「そうか。なるほど。戦って、死ぬことこそ……本望か」


 セロはふと、そう呟いた。


 その瞬間、何かが胸の内で弾けたような気がした。


 呪いに蝕まれたはずなのに、なぜこれほどに気分が晴れやかになったのか。今、やっと分かった気がした。心と体が求めているのだ――死と。誉れと。何より、戦いも。


 つまり、セロはすでに不死者となって魔族に変じていたのだ。


 この浅黒くなった肌も、聖なる陣で焼けついただけでなく、セロが魔族になった証左なのだろう。


 もちろん、全ての魔族が浅黒いわけではない。実際に、吸血鬼ルーシーの肌は白磁のように美しい。何にしても、セロがいったいどんな種族になったのかはまだ分からないが、魔族として魔力マナが安定していけば、たとえば吸血鬼に牙があるように、いずれ身体的な特徴もはっきりと出てくるはずだ。


 セロはじっと空を見上げた。


 魔族領だというのに、王国の空と何ら変わりはなかった。


「抗って……死ぬか」


 セロは己の右拳をギュっと握り締めた。


 こうして魔族に変わった以上、セロも種族のルールに従うべきではないのか。戦って、抗って、何もかも出し切って、そんな修羅のような生き様の先で死に果てることこそ、今のセロにとって、望むべきあり方なのではなかろうか……


 もとが生真面目だからこそ、セロはつい長考して、そういう考えに至った。


 もちろん、何と戦うべきかはまだ決めかねていた――


 それはいずれやってくるだろう勇者バーバルかもしれないし、何なら聖女クリーンなのかもしれない。あるいは、他の魔王か、セロをこんな身の上に貶めた呪いか、はたまた運命そのものか……


 何にしても、セロは空から峰の方に視線を移した。


 ふう、と。今日何度目かのため息をつく。


「行こうか。魔王城へ」


 セロはやっと、わずかに笑みを浮かべた。


 もっとも、そんなセロとルーシーとの出会いが世界を大きく変えていくことになろうとは――このとき、二人とも、もちろん知る由もなかった。

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