第2話 聖女からも婚約破棄されました
「どうして……」
こんなことになったのか、と。
光の司祭セロは悔やみながらも、王城の中庭までやって来た。
胸中の疼きを片手で何とか押さえつけながらも、いったん「ふう」と呼吸を落ち着けてから、噴水前のベンチにゆっくりと座った。
その直後だ――
遠くで花火が上がった。
おそらく王城の大広間で祝宴が始まったのだろう。玉座にて第六魔王の討伐報告をしたときは、セロが呪いにかかったことは伏せていた。だが、祝宴にセロが欠席した以上、そろそろ余計な詮索が始まって、噂もすぐに広まっていくはずだ……
セロもそう易々と呪いに負けるつもりなどなかったが、それでも呪いつきこと『呪人』は何かと誤解を受けやすい。そのことを考えると、今は少しでも早く大神殿に行って、解呪の方法を探るなり、呪いの進行を止める治療を受けるなりして、この呪いとしっかり向き合った方がいいのかもしれない……
「むしろ、皆が祝宴で浮かれているうちに、すぐにでも大神殿に向かおうか」
セロは鬱々と呟いて立ち上がった。
すると、遠くで足音がした。
視線をやると、中庭の入口に騎士団の小隊がいた。
騎士たちを引き連れている者は――聖女クリーンだ。セロと同い年の婚約者でもある。
すらりとした体つきで、煌めく聖衣を身に着け、いつも微笑みを絶やさず、軽やかなアッシュブロンドの長い髪が風になびいている。
実は、神官職のセロにとって、クリーンもまた憧れの存在だった。もっとも、同じ村出身だった勇者バーバルとは違って、クリーンとは昨年まで面識すらなかった。
ただ、その聖なる力の凄さは、どんな場所にいてもよく耳に入った。曰く、
何にしても、聖女クリーンとは、そんな桁違いな逸話に事欠かない人物だった。
もっとも、聖女は戦闘職ではなく、本来は大神殿の祭祀祭礼の為に存在しているので、勇者パーティーに加わって戦うことは一度もなかった。それでも、その実力については、セロはもちろんのこと、勇者バーバルをも超えているのではないかと噂されるほどだ。
だから、セロが昨年、たまたまこの中庭ですれ違い様に、クリーンから話しかけられたときには天にも昇る気持ちになったものだ。
賢者と聖女は
そんな伝承について書物で読んだことはあったが、まさかまだ司祭でしかないセロがその栄誉にあずかるとは思ってもいなかった。あのとき、クリーンはこの中庭でセロを名指しして、将来の夫としてその力を認めてくれたのだ。
そんなクリーンが慈しむようなやさしい笑みをセロに向けた。
セロはどぎまぎしながら、御前に跪いた。
「聖女クリーン様、お久しぶりです」
「ええ。セロ様もお変わりはありませんか?」
「…………」
セロはつい無言になってしまった。
変わりなら……当然あった。呪いを受けたのだ。
正直にそのことを言うべきかどうか迷ったが、大神殿の協力があればいずれ解呪出来るはずだとセロは信じて、今はあえて説明しなかった。
それにもう一つだけ、いつもとは違うことがあった――セロの神官衣のポケットには婚約指輪が入っていたのだ。第六魔王討伐の暁に渡そうかと思って、先に大枚をはたいて購入していたわけだが……残念ながら今はそんな気分にはなれなかった……
クリーンはそんなセロの様子に首を傾げつつも話を続けた。
「祝宴はすでに始まったようです。それなのにこんなところでどうなさったのでしょうか?」
「ええと、その……ちょっとだけ、風に当たりたくなったんです。クリーン様こそ、今到着なさったようですが、何かご用事でもあったのでしょうか?」
「はい。少し調べ物をしておりました。新しい魔王が誕生するかもしれないという報せを受けて、その真偽を確認する為に手間取ってしまったのです」
「まさか! 第六魔王の真祖カミラを倒したばかりだというのに?」
「ええ、本当に嘆かわしいことです」
現在、王国で知られている魔王は七体いる――
太古には七十二体もいたとも言うから、ずいぶんと減ったものだが、もともと魔族はその領地で戦い合って、互いに格付けをする傾向があるので、魔王の数の多さはあまり意味をなさない。むしろ、七十二の中堅どころよりも、七体の強大な魔王の方がよほど厄介だとも言える。
だが、そのうちの一体が討伐された直後に、新たな魔王が即座に就くなど、セロは聞いたこともなかった。あるいは史書に記載がないだけで、実はそのような事例が秘匿されてきたのだろうか……
「いったい、どのような魔王が生まれたのですか?」
セロはつい興味本位で尋ねた。
もっとも、聞いたところで、勇者パーティーからはすでに外された身だ。あまり意味のない質問だなと、セロ自身もすぐに気づいて何だか胸が苦しくなった……
すると、クリーンの目つきは急に険しくなった。
「確証はまだ持っておりません。だからこそ、私がここに来たわけです」
「……え?」
「貴方に最初にお会いしたのは、たしかこの中庭でしたね。懐かしいものです。向上心が強く、自己犠牲も厭わず、法術が苦手とはいえ内包する
「それはいったい、どういうこと――」
と、セロが言うよりも早く、聖女クリーンは『聖防御陣』を張った。
セロの周囲に光の円陣が形成されていく。まるでセロをその中に閉じ込めるかのように。
「こ、これは――?」
本来なら聖職者に対して光の陣で囲んでも意味はない。
だが、セロがそっと手で触れてみると、ジっと指先が焦げついた。そのことにセロは呆然自失した。それほどまでに呪いが全身を蝕んでいたのだ。
「
聖女クリーンは顔色一つ変えることなく、淡々とそう尋ねてきた。
もっとも、円陣の中でぼうっと突っ立っているセロには答える余裕などなかった。
「答えは――『
セロにはその言葉の意味がよく理解出来なかった。
今まさに魔王認定されようとしているのだ。これではまるで呪人に対する異端審問だ。
すると、聖女クリーンの背後に控えていた騎士団の小隊が唐突に二つに割れた。その間をこつこつと、わざとらしく足音を立てながら悠然と歩いてくる者が一人だけいた。
セロは思わず、「馬鹿な」と呟くしかなかった。
「そういうことでよろしいのですね、勇者バーバル様?」
騎士たちの隊列を抜けて、勇者バーバルは聖女クリーンのすぐ横に立ってから、さりげなく頬にキスをしてみせると、その華奢な肩にいかにも気安く、ぽんと左手を乗せながらにんまりと笑った。
「ああ、その通りだ。だから、呪いが反転してしまう前にさっさとこの屑野郎をどこかに消してくれ」
「バーバル!」
セロは叫んだ。
婚約者に手を出すなど許されることではなかった。
が。
勇者バーバルは卑屈な笑みを浮かべ続けた。
「セロよ。まさか貴様は、賢者が聖女と番いになれるとでも、本気で信じていたわけじゃないよな?」
そう言って、勇者バーバルはやれやれと頭を横に振って、いかにも無知は救えないなといったふうに両肩をすくめてみせると、
「そんなものは祭祀祭礼の形式上の話だ。もとより、俺とクリーンはずっと前から出来ていたのだからな」
「…………」
セロは驚きのあまり、無言で
信じたくはなかった。追放のことも含めて全て嘘だと言って欲しかった。
だが、セロは背後にあった円陣に背中を焼かれて、「うっ」と前のめりになって倒れてしまった。その場に四つん這いになりながら、セロは上目遣いで勇者バーバルに視線をやった。
「しかし、バーバル。君には……王女のプリム様という婚約者がいたじゃないか?」
セロの問い掛けに対して、勇者バーバルは「ふん」と鼻で笑った。それから右拳をギュっと固く握って、堂々と言ってのける。
「強き者が全てを得る! ただそれだけのことだろう?」
セロは聖女クリーンをちらりと見た。
その表情からはとっくに慈しみの笑みは消えて、今では憐憫さえも浮かんでいなかった。
さながら汚物でも見るかのように――クリーンは呪いに蝕まれてしまったセロを魔物同様に見下していた。
「さあ、聖女クリーンよ。さっさとその目障りな屑野郎をどこぞにでも消し去ってくれ」
「しかし、勇者バーバル様。お言葉ですが、この場ですぐにでも処刑なさった方がよろしいのでは?」
「これでも、もとは俺のパーティーにいた者だ。王城の中庭で殺してしまっては、醜聞以外の何物でもないではないか。しかも、俺だって一人でこっそりと抜けてきたが、今は祝宴の真っ最中なんだぞ?」
「では、捕らえて、後ほど処刑でもすれば――」
「くどい! 言ったはずだ。もう目障りなのだ、と」
聖女クリーンがいかにも御しがたいといったふうに頭を横に振ると、勇者バーバルはクリーンに腕を回して肩を組んでから、愛の言葉でも囁くにように言った。
「なあに。責任は取ってやるさ。他の魔王同様に、すぐに俺が処分しに行けばいい。何せ、俺はあの真相カミラを討った勇者なのだからな!」
「……畏まりました。そのお言葉を信じます」
聖女クリーンはそう応えると、『聖防御陣』をじわじわと狭めていった。
セロの全身を針で刺されるかのような痛みが走った。呼吸がろくに出来なかった。そのせいで眼前の二人に対して何も言うことも出来なかった。
助けても。さよならも。ふざけるなも。もちろん、いつか必ず復讐してやるとも――
後悔も。諦めも。哀しみも。憎しみも。そう、何一つとして言えずに――
セロは胸の内から一気に込み上げてくるドス黒い感情と共に、『聖防御陣』に飲み込まれて、その場から転送させられてしまった。
残されたのは、ポケットから落ちた婚約指輪だけだった。
もっとも、勇者バーバルはそれに気づくと、近づいて踏みにじってから大声で言った。
「さあ、祝宴の続きだ! 皆で祝おうじゃないか!」
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