第7話 春の訪れと天ぷら
まったくもって人生とは不思議なものだ。
料理する事、食べる事を楽しめる日がまたやってくるなんて思いもしなかった。
でもツレと出会ったあの日から、熾火だった想いははっきりと明るさと熱を取り戻した。もっとも昔のような燃え盛る炎ではない。ただし簡単には消えることのない、静かな熱量を持った炎だった。
改めてわたしは自分の望みを知った。
美味しいものを作りたい、美味しいもをたべる笑顔が見たい。
それだけで良かったのだ。ただそれだけが望みだった。
だから今日はちょっと特別なごちそうにしようと思った。
「今日の晩御飯は天ぷらにしようと思うんだ。どうかな?」
ツレは天ぷらの言葉に早くも目をキラキラさせている。
そう。天ぷらと言えばごちそうだ。それだけでもテンションが上がる。
しかも今回、わたしが作ろうとしているのは『揚げたて天ぷら』なのだ。
天ぷら屋さんのカウンターでしか味わえない、完璧な揚げたてを楽しめるコース。
今回はツレにそれを食べさせてあげたいと思っていた。
いや正確には違うかな。わたし自身が一緒に食べたいと思ったのだ。
「海の幸と山の幸、揚げたての天ぷらはどれも最高においしいよ!」
ツレはうなずくとさっそくエコバッグを用意する。
そうそう。もちろん一緒に買い物に行く。
何が好きか、何が苦手か。何を食べたいか。そんな会話がまた楽しいのだ。
もう自己満足だけの料理に興味はない。
目の前のキミが楽しめる料理、わたしが作ることを楽しめる料理。
いつか。そう、いつか。
そんな楽しい料理を提供できるお店を開いてみたいな。
と、ツレが不思議そうにわたしを見ているのに気付く。
どうやらちょっとにやけていたらしい。
こんな風ににやけた表情が出てしまうのもまた本当に久しぶりのことだ。
「天ぷらの具材を考えてたらつい、ね。春は美味しいものがそろうんだよね。やっぱりエビとキスは外せないし、野菜とキノコとか、アスパラなんかもいいよね」
それから二人でおなじみの散歩コースを通って、いつものスーパーに向かう。
天気は快晴。空気はまだ肌寒いけれど、春は間近だ。桜もちらほら咲き出した。
これからもっともっと楽しい日が続いていくのだろう。
もっともっとたくさんの美味しい料理を二人で作って食べるのだろう。
そんな風に思っていた。
だからこの時のわたしは気づいていなかった。
春は出会いと同時に別れの季節だったことに……
📞 📞 📞 📞
まったくもって、人の世のめぐりあわせは不思議なものよ
この男、ちかごろすこぶる目がかがやいておる。料理人としての意欲を取り戻したと見えるの。よき出会いが、関わった者みなをよき方向へと導くこともあるのぢゃな。
おかげで
今宵は天麩羅。その名を聞くだけで顔がゆるんでしまう。いうておくが、旨い飯につられてこの
揚げたてならではの衣の感触をたのしむため塩で味をつけるのも一法ではあろうが、吾はつゆにくぐらせるのが好きぢゃ。つゆを含んだ衣がくったりふやけて、滲み出たつゆが口にひろがる。とはいえ、つけ過ぎは禁物ぢゃ。繊細な味の白身の魚のなかまで、つゆが侵すようでは興ざめというもの。
つぎつぎ皿に天麩羅が置かれて、吾もいそがしい。しめじに舞茸、海老に鱚。大葉には塩をふりかけ、玉葱はつゆにつける。さすがに追いつかなくなり箸をやすめると、こやつはさめた茶を飲み、すこし間をとった。料理に関する心づかいはまこと見上げたものぢゃ。
その半分でもよいから、ほかのことにも気をまわすことができれば、もっとうまく生きることができようものを。とは思うが、人にはそれぞれ分がある。分を
ひとつだけ、そうとばかりもいっておられぬのは、あの
自然のなりゆきに
こやつが気づくとは期待できぬし、吾にできることもたかが知れておる。
どうしたものか喃。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます