第4話 餃子と共同作業


 自分が好きだからと言って、相手が好きとは限らない。

 

 いや恋の話とかではなく、人間関係の話でもない。

 そんな大それた話ではなくて、食べ物の話だ。


 今になって気づかされる。

 自分がおいしいと思ったものを人に食べさせたい。

 自分が作った料理でおいしいかったと感動させたい。


 わたしが考えていたのはそればかりだったのではないだろうかと。

 そこには見えない相手に対する思いやりが欠けていたのではないかと。


 たぶんそうだったんだと思う。

 だから料理人としてわたしは失敗したのだ。


 本当に今さらだと思う。それでもこうして出会えて、それに気づけて良かったと思えた。だから今日は『やり直し』の料理を作ろうとメニューを決めた。


「今日はさ、餃子を作ろうと思ってね。ちょっと手伝いをお願いしたいんだ。どうかな? 手伝ってくれるかな?」


 ツレはわたしの心の中は知らない。知らないままに、エプロンを腰に巻かれて、キョトンと自分のことを指さしている。二人しかいないのに。


「もちろん! 今日は餃子の皮を包むのを手伝ってほしいんだ。それにね、餃子はいろんなアレンジができるんだよ。餡はもちろん、タレだっていろいろ……」


 そう。二人でたくさん話そうよ。何が好きとか嫌いとか。

 どうとしたいとか、したくないとか、なんでもいい。


「……今日は二人で究極の餃子をつくろうよ!」



 📞 📞 📞 📞



 ――また来てしまった。

 このまえはみっともないとこを見せてしまったから、なるべくなら顔を合わせたくなかったのに。

 それはあちらもおんなじなのかな。かれは腫れものにでも触るみたいにぼくをそおっと見ている。


 もうぼくは、毒を盛られたなんて思っちゃいない。すこし考えればわかることなのに、あのときどうしてそんなふうに疑ってしまったのだか、でも口じゅうしびれてめまいはするし、尋常じゃない量の汗がだくだく出るし、もうおしまいだ、ってそう思いこんじゃったんだ。


 がれきの家にもどってしばらくすると、からだの変調はおさまった。おさまってしまうと自然にわらいがこみあげてきた。うふふふ、ぼくはなにをこわがってたんだろう、って。あははは、だってあのひとがそんなひどいことするわけないじゃないか、って。

 あのひとを信じていいんだって思うと、がれきのすき間にきゅうくつそうにおさまる空をも、ぼくは祝福してあげられる気分だった。


 だからそんな目でぼくを見なくていいんだよ。だけれどかれは、まだ気にしているのかな。いっしょにごはんをつくろうっていうのはもしや、「毒なんか入れないよ」って示したいのかな。

 たがいのきもちをわかり合うのって、むずかしいな。でもそうだっていいや、料理をするってたのしそう。とりわけ、すきなひとといっしょにつくるのならば。


 それからしばらく、ぼくはかれと並んで、ひたすら餡を皮につつむ作業にとりくんでいる。なんだかなつかしいのは、むかしこんな料理をつくったことがあったから――なんだろうか。

 記憶をたぐってみようとして、すぐやめた。ぼくには記憶なんてものがほとんどないから。おぼえておく価値のある思い出なんてもの、これまでの人生にぼくは持ち合わせてなかったから。


 餡をぜんぶつつんでしまうとかれは、それをフライパンにのせ火にかけた。

 焼く?

 そうじゃない、とそのしゅんかん、ぼくは思った。焼くんじゃなくて、煮るんだよ。スープに入れて煮るんだよ。それに、もっとちいさくなけりゃ。

 どうしてそんなに確信をもって言えるのか、そのときはわからなかった。理由はわからないけど、それはもうぜったいだった。


 ところがくやしいことに、焼いたのも美味しいんだな。黒い液体に油を垂らしてつくったソース。それが焼いてぱりっぱりになった皮とぴったり合ってさ。いっしょに放りこんだ餡からは肉汁が口のなかにひろがってもおたまんなくって、ちがうちがうこれはちがうぞ、って首をよこに振るのに手は止まらないんだ。


 その手が止まったのは、どこかべつの、なんだか覚えのあるおうちにいるように錯覚したから。そのときぼくのとなりから男のひとは消えて、いつのまにかぼくは、女のひとのうでに抱かれていた。お母さんにちがいないとなぜか思った。顔も知らない、いたかどうかさえもさだかじゃないお母さん。


 お母さんの手ほどきをうけて、ぼくは餡を皮につつんでいた。自分がにこにこわらっているのが、鏡を見ないでもわかった。

 声を出そうとしたとたん、ぼくは元のおうちに戻っていた。いっしゅんのことだった。でも十分だった、それがほんとの記憶だってぼくにはわかったから。

 ああ、やっぱりぼくにはお母さんがいたんだ。そんなのあたりまえだろって仲間たちにはわらわれそうだけど。


 はじめてぼくは、記憶を愛おしいと思った。かれがラムネの瓶をあけ、しゅぽんとはじけた音が、世界がぼくを受けいれてくれたしるしのように聞こえた。


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