第5話「聖女の名は」


『待ってくれよぉ』


例の金魚のフンはいまだしつこく私にくっついてくる。


このまま、あの男と野宿なんていやだ。


だから私は急ぐ。


「そうやってスタスタ行かずにさぁ、景色を楽しもうぜ」


「そっ」


「見ろよ。あっちの丘。この時期なんて花か忘れたけどいちめんに咲いてキレイなんだぜ」


「⋯⋯荒れ果ててる」


「あ⋯⋯」


魔王軍による被害がここにも⋯⋯


「とにかくなんか話そうぜ。聖女さま名前くらい教えてくれても良くない?」


「悪いわね。私、知らない人に名前を教えちゃいけませんって教わっているので」


「もう知らない人じゃないだろ? あんたは俺の命の恩人だ。

縁はもうできてる」


「急ぐ」


「だから待てって」


「⋯⋯」


無視無視


「聖女さまはどうしてそんなにクールなの? もっと笑顔にいこうぜ。そしたらもっと幸せだ」


クール?


面白いこと言うわねこの猿。


10人はいた勇者パーティーのメンバーはひとり死に、またひとり死にでどんどんいなくなっていった⋯⋯

ついにはゼオンと私の2人だけ。 仲間が死んでいくたびに、それを嘆き悲しみ、涙を流していくうちに

感情なんてものはとっくに乾いてしまった。


だから今の私は⋯⋯


「残りっカスだからよ」


「は? 聖女さま何言って⋯⋯」


「そうなのよ」


「はぁ? ⋯⋯まぁいいや。ところでこれからどの街に立ち寄るの?」


「水の都よ」


「水の都って“ウォータス”のこと?」


「そうよ」


ラグーナの上に築かれた水の都ウォータスはキレイな水で知られた街。


魔王を倒したらぜひ行きたいと思っていた。


幸い魔王軍による被害もない。


憧れはゴンドラに揺られながらの水上散歩。


建物と建物の間を通る狭い水路を抜けていって流れる景色を眺めながら癒されたい。


それにテラスで紅茶を啜りながら水に浮かぶ街並みを眺めているのも悪くないわ。


「はぁ⋯⋯」


ゼオンと来たかった⋯⋯


***


「何ここ⋯⋯」


「こりゃひどいな⋯⋯」


ドブ水じゃん⋯⋯


しかもなんて悪臭。


鼻をつままずにはいられないわ。


飲み水でも知られた名水が茶色く濁ってなんて有り様なの。


魚の死骸までぷかとぷかと浮いている。


これではこの街に疫病が蔓延するわけだわ。


「とりあえずゴンドラに乗る?」


「乗れるわけないでしょ。臭いが服につく」


「だよな」


「しかもなにちゃっかりと私と一緒にゴンドラに乗ろうとしているのかしら」


「え⁉︎ そういうつもりじゃなかったの?」


「当然」


「これも魔王軍による被害なのか⋯⋯」


「いいことを思いついたわ。この水をキレイにしたらお茶ぐらいはしてあげる」


「本当か?」


「できるものならね」


「まっかせな。それで聖女さまはどうするんだ?」


「手紙を書いてくる」


「手紙?」


***


敬愛するグリザード領主 ゼオンへ


訪れた水の都ウォータスに異変が起きていて調査をはじめました。


聞いたところによると、魔王が倒れる前後から透き通っていた水が濁り、ついには腐臭を放つほどに腐ってしまったとのこと。


資源である水を失ったウォータスの財政は行き詰まり、街には職を失った人たちで溢れています。


またドブ水の影響により繁殖したネズミにたちよって瞬く間に街に疫病が流行り、死の街と化しています。


配給の食糧を求め教会に集まっている人たちの姿を見かけました。


そこである違和感を覚えました。


教会の主人(あるじ)であるミネルバ教の教徒たちの身なりがとてもよいこと。


彼らには人に分け与えるほど食糧があって資金もたくさんあること。


そして今やミネルバ教の力はウォータスの役人たちを凌ぐほど。


思い返せばなぜかグリザード領にウォータスの水が流通し、ミネルバ教の教徒たちが布教活動をしていました。


グリザード領に異変が起こる前に彼らの行動に警戒をしていて下さい。


勇者ゼオン、あなたならきっとなんとかしてくれると信じています。


                                          ミレイナ


***


「聖女さま。水をキレイにする準備ができたぜ」


「はやかったわね。それじゃあさっそくやってみせて」


「いいぜ。 俺はこの樽にかき集めた石灰岩を詰めた」


「それで」


「いいか。この樽に汚れた水を注ぎ込む。すると、石灰岩で磨いかれたキレイな水が樽の底に開けた穴からポタポタ出てくる」


猿の割には教養があるようね。


「驚くなよ」


でもね⋯⋯


「アレ? 汚い水のままだ。どうしてだ?」


「それはね⋯⋯」


私はおもむろに樽に手を当てた。


『ヒール!』


まばゆい光に”金魚のフン猿“が腕で目を隠す。


「いいわよ」


猿が目を開けて驚く。


「どうなっているんだ⁉︎」


猿が驚くのも当然、樽の底から出てきた水は本来の透明さを取り戻していた。


「いったいどうやったんだ聖女さま⁉︎」


「魔法よ」


「魔法⁉︎ 」


「この水には腐る魔法がかけられている。厳密に言えば源に魔法石が沈められているってところかしら。

その魔法石から水を腐らせる魔力が染み出している」


「いったい誰が何のために?」


「水を独り占めして、お金を儲けをしたい人たち⋯⋯ってところかしら」


「だったら俺がそいつらをぶっ飛ばせばいいんだな」


「その必要はないわ。私、荒事が嫌いなの」


「じゃあどうするんだよ」


「こうするの『ヒール!』」


私が流れる汚水に手を当てた瞬間、ウォータスの水は甦った。


「すげぇ!」


ウォータスの人たちも歓喜より先に戸惑いの声をあげる。


「私の勝ちね」


「いつから勝負をしていた⁉︎」


「お茶は無しね。そしてここでさようなら。旅のお供はここで結構よ」


「⁉︎ ちょっと待ってくれよ!」


「協力してくれたお礼に私の名前を教えてあげるわ。 私はミレイナ。聖女ミレイナよ」


「ミレイナって魔王を倒しったっていうあの⋯⋯」


「そうよ。だからはじめっから私に護衛のお供なんていらなかったの。じゃあね」


「あっ待って!」



***


ここから仕切り直し。


ひとりの旅を満喫しよう。


「⋯⋯」


私ってなんのために旅しているんだったかな⋯⋯


観光?


いいえ。


じゃあ⋯⋯


「⁉︎」


誰かいる!


前方に2人⋯⋯


建物の影に隠れてる。


ローブを着てる?


顔が見えない。


路地を歩いたのがマズかった。


あれはミネルバ教のーー


『いたぞ!』


背後から⁉︎


剣を構えたローブの男が迫ってくる。


背中を刺された時の恐怖が身体をすくませる。


ダメ。逃げないと。


“キーン”


「⁉︎」


「護衛のお供やっぱ必要だっただろ。聖女さま」


「あなた⋯⋯」


「さぁ、どうする輩ども! 今度は剣を弾き飛ばすだけじゃすまねぇぞ!」


「「ひっ!」」


ミネルバ教の信徒たちが一目散に逃げ出す。


「さぁ⋯⋯立ちなよ」


差し出されたその手を私は手に取った。


ゼオン以外の男性の手を握るのはこれがはじめてかもしれない⋯⋯


「どうした?」


「⋯⋯ありがとう」


「あ⋯⋯あっ、なんつーか。照れくさそうにする聖女さまもけっこうかわいいな」


「う、うるさい⋯⋯」


「ははは、ごめんって」


「ーー次の街、さっさと行くわよ。クラン」


つづく
















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