【第2話】死線

逃げても逃げても、後ろを振り返れば先程の男がいる。

それなりに体力に自信はある方であったが、あの男は規格が違う。いくら俺が少女を背負っているとはいえ、顔色一つ変えずにあんなに走れるものだろうか。

段々と俺の呼吸は荒くなってくる。流石にこのままではジリ貧だ。何か打開策は無いかと頭を巡らせる。

そこで俺は一つの名案を思いつく。そもそもこのガキをアイツに渡せば良くないか?何故俺はこんな事も思いつかなかったのだろうか。俺は慌てて立ち止まる。

俺が突然止まったからだろうか、俺を追いかけてきていた男は勢い余り転倒する。しかしその後、直ぐに何も無かった様に立ち上がった。


「あー、お兄さん、あれだ。こいつなら持ってって良いからさ、俺を巻き込まないでくれる?」


俺の言葉を聞いた少女は目を見開き、信じられないという顔でこちらを見てくる。いや、そんな顔をされても俺は知らんがな…というかこいつのせいで俺は巻き込まれているのだから、むしろ妥当な判断だろう。

俺は肩に担いでいた少女を降ろすと、男の方へ押し出す。

少女は首を振りながらこちらを見つめてくるが、俺は目を逸らした。悪いな、俺は平穏に生きたいんだ。助けて欲しいなら他を頼ってくれ。


男はニタニタと笑いながら少女を羽交い締めにする。


「まっ――」


少女が何かを言おうとするが、男の手によって遮られる。

俺は男が少女を捕獲したのを確認すると、後ろを向きすぐさまその場から立ち去る。このまま残っていらん事に巻き込まれたら面倒だ。行動は早いに限る。


「遊星は薄情な奴だなぁ」


セラフが突然口を開いた。薄情も何も初めて会った少女に情を抱く方がおかしいだろう。俺が至って正常なのであって、世間がおかしいのだ。

やれ人助けをしろや、やれ思いやりを持てだの。そんなものは便所の紙と同じだ。吐いて捨てておけばいい。

俺はセラフの言葉を無視して、ゲーセンに向かう。さっきは結局邪魔が入り行けなかったが、やっと行けそうだ。


「後ろからあの子の叫ぶ声が聞こえてるけど」


あぁ、知っているとも。泣き叫ぶ少女の声がこの河川敷に響き渡っている。だからどうした。俺には関係ない。


「遊星、助けないときっと後悔すると思うけどなー」


いーや、しないね。なんたって俺はジィちゃんを殺した人でなしだからな。今更あの少女の助けを拒んだからといって大して変わらない。地獄行きの切符が早めに切られる位だろう。


少女の泣き叫ぶ声は未だに止まない。大分離れて来た筈なのに未だに、鮮明にその声は聞こえてきた。

そんな泣き叫ぶ声から一言、小さな、本当に小さな声で少女が言う。


「──────行かないで遊星お兄ちゃん」


──────────俺は勢い良く振り返り、走り出した。


「セラフ、力を貸せ」


「えぇー!?突然!?僕、貰うもの無いからメリット無いんだけどー…まぁ、久々だし今回はツケといてあげる」


俺の足に風が絡みつく様に吹き荒れる。スピードは二倍、三倍とギアを上げるように加速し、一瞬にして男を過ぎ去る。勿論、先程の少女は既に俺の手の中にあった。


「なんで俺の名前を知っているのかとか、なんで俺をお兄ちゃんと呼んだのかは後でじっくり聞く。だからそこで待ってろ」


俺は少女を雑に降ろすと、先程の男に向かい合う。

男は怒りからか白目を剥き、顔は赤黒く腫れ上がれている。こいつ、本当に同じ人間なのか?


「お前ぇ…お前ぇ…さっきと、さっきとさっきと言ってる事が、ちが、ちが、ぢかうだろぉ!!!!」


男は狂ったように咆哮をあげる。それは人間と言うよりも獣に近いものだった。きっとこの男には既に理性が無く、本能で動いているのだろう。

男はブルブルと震え出すと、突如蹲る。地面を殴っては草を毟り、それをただただ繰り返す。

なんだコイツは。ただのヤバい奴じゃないか。逃げようにもきっとまた追いつかれる。セラフの力を使って逃げてもいいが、どこか別の場所でその後ばったりあったりでもしたら面倒くさい。

しょうがない…ここで殺るか。


「悪く思うなよ!」


俺は加速しながら男に近づく。こんな病気にかかってる奴だ。死んだ所でバレねぇだろ、多分。

それに、こんな奴は死んだ方がいいに決まっている。だったら俺が殺しても変わんねぇ。

蹲っている男の頭に向けて、目にも止まらなぬ程のスピードの乗った蹴りを放つ。これをくらえば死にはしないも気絶くらいはするだろう。

俺の右足がしっかりと男の頭を捉え、頭に当たる。そう思った瞬間、俺の足に激痛が走る。

俺は自分の足に目を向けると、靴とズボンは真っ赤な血で染まり、包丁程の刃物で俺の足の甲が串刺しになっていた。


「あぁ、あぁ、やっ、やっぱりやっぱり刃物は、い、いい。ち、血がいっぱ、ぱいで、きれきれ、キレイだぁ」


男は恍惚な表情を浮かべ、こちらを見ている。対し、俺は何が起こったのか訳が分からず目を白黒させる。足の痛みがそうさせるのだった。

俺は刃物から足を抜き、男から一度離れた。

立つのもやっとな程に痛いが、深呼吸をして心を落ちつせる。

そうして心に平静さを取り戻し男をよく観察してみると、心臓の芽からツタが生えて、右肩へと絡みつく様に伸びている。それは男の右腕を包み込む様に包丁に似た刃物を形成していた。

これは厄介なことになった。俺は右足を負傷し満身創痍。俺には現状物理的に攻撃する武器が無い。

対する相手はデカい刃物を持ち、尚且つあの俺の速さに反応し、足を刺す程の俊敏さだ。

頭のおかしい病人だと思い完全に油断していた。

辺りを見回し武器になりそうなものを探すが、そんなに都合よく河川敷に落ちているはずもない。俺は今持つ手札だけで奴を倒さなければいけない。


「ちょっと何してんの!負けそうじゃん!!」


「うるせぇ!大した能力じゃないお前のせいだろうが!!何かもっと使えるもんはねぇのかよ!!」


俺はセラフに激昂しながら問いかける。カッコつけて出てきたは良いが今はこちらが圧倒的不利な状態じゃないか。クソっ、力を過信し過ぎた。


「もう!さっきから他力本願過ぎじゃない!?まぁ、遊星が死んだら困るから助けるけどね!」


セラフがそう言うと、俺の目の前に、初めてセラフと会った際にセラフが持っていた鎌が現れる。が、直ぐにそれは消えてしまう。


「おい!それ使わしてくれるんじゃねぇのかよ!!」


「説明するからちょっと黙って!!『ソフィア』もそっちの世界には基本居られないの!だから遊星の右腕を媒介にして出現させる!!」


ソフィアとはさっきの鎌の事だろう。そのソフィアは俺の右腕を媒介にすると言っていたがどういう事だ。

説明の意味を考えていると、刃物男はこちらに走ってくる。そのスピードは特別早いものでは無いが、何か違和感を感じる。


「とにかく、僕の力を使う時みたいに右腕を振って『ソフィア』の名前を呼んでっ!!」


男が目の前にきた瞬間俺は右腕を大きく横に振り、言われた通り名前を呼ぶ。


「───────頼む、ソフィア!!」


男の刃物が俺の顔を掠めた瞬間、空中にソフィアが遅れて現れ、俺の手の軌道に合わせて動いた。

ソフィアは惜しくも男を捉えきれず、男にかすり傷をおわせる程度で消えてしまった。だが、危機を感じたのか男は俺から一旦距離を取る。


「こんなのあるならさっさと教えろよバカ!!」


俺はセラフに暴言を吐きつつも集中は切らさない。相手との間合いをしっかり見極め、いつでも右腕を振るう準備をする。


緊張が肌を突く。ヒリヒリと肌で感じるこの空気はまさしく命のやり取りだった。

いつ死んでもおかしくない。いつ殺してもおかしくない。

気づけば俺は笑顔を浮かべていた。


「生きてる…生きてるぞ」


俺は無意識の内にそう呟いていた。そうか、俺は生を実感したかったのか。だから毎日何もない人生に飽いていたのか。

先程刺された足の出血が酷くなってくる。刃物で刺された痛みを初めて実感し、改めて人を攻撃しうる武器なのだと認識する。

そろそろ足も限界に近い、次の一撃で全てが決まるだろう。


「かかってこいよ、イカレ野郎」


男は俺の煽りに反応することも無く、無言でこちらに走り出す。確かにあの刃物は驚異ではあるが動きは素人だ、真正面から突っ込むだけ。単調で単純明快。あれなら俺も動きを合わせられる。


「セラフ、行くぜ」


俺は無傷の左足へ力を集中させる。しっかりと地面を踏み締め蹴り出すと俺も男へ向かって走り出した。

男は右手を突き出しこちらに考え無しに突進してきた。

ここまで予測通りだ。俺は残った左足のチカラを使いバックステップをする。目の前に居るはずだった俺は既に居らず、男の刃物は宙を切った。

貰った!!


「ソフィア!!刈り取れ!!」


俺は先程の様に右腕を振るう。

必ずここで命を刈り取る。

地獄からの使者ソフィアはゆっくりと登場し、男に目掛け振り降ろされる。それと同時に、男の刃物が俺の顔の目の前に来ている事に気づく。


「─────ッ!!」


こいつ、刃物が伸びてやがる!!さっき感じた違和感はこれか!!ダメだ、もう間に合わない──────そう思った瞬間、大きな破裂音と共に目の前に火花が散る。

俺は半目で何とか目を開け確認すると、刃物の軌道が僅かに逸れ俺の頬を掠める程度に留まった。

男の攻撃が逸れた後、ソフィアは男の体をしっかりと捉え、体を左右対象に切断した。左右の口角が上がったまま死んでいく男はその瞬間何を考えていたのだろうか。

俺は力尽きるようにその場に崩れ落ちる。


「ハァ、ハァ…勝った…のか?」


切られた男の体は砂塵となり消えていき、まるでそこには初めから何も無かったかのように清らかな空気が流れ込む。


「はぁ、危なかったね…助けが入らなかったら遊星死んでたよ」


「助け…?」


セラフが言う助けとは一体なんだろうか。俺は周りを見渡し、セラフの言葉の意味を理解した。


「危ない所だったな」


そこには、こちらに歩いてくる黒の背広を来た男女二人組がいた。

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