いつか開けるかもしれない

尾八原ジュージ

今はまだ

 お義母さんが亡くなってから、あなたは寝言が増えた。

 わたしは同じ部屋の、隣のベッドで寝起きしているから、そのことをよく知っている。

 葬儀の後から目に見えて窶れてきたあなたは、今朝も青黒い顔をして朝食の席にやってくるだろう。

 お鍋の中に味噌を溶きながら、わたしは今朝も、あなたの寝言を思い出している。


 お義母さんは悪いひとではなかった、と思う。

 少なくともわたしにとっては、いいお姑さんだったと思う。おしゃべりで、口のきき方に遠慮がなさすぎると感じたこともあったけれど、意地悪はしないし、親切だし、いいひとだったと思っている。

 敷地内同居で、徒歩一分の距離に暮らしながら、世間でいうような嫁姑戦争の気配はなかったと思っている。

 毎年九月になると、わたしは自らすすんでお義母さんの誕生日プレゼントを見繕った。お義母さんはわたしがあげた鼈甲のバレッタを気に入って、長いこと使っていた。


 概ねいい関係だったと思っている。


 あなたとわたしもそうだ。

 夫婦として、概ねいい関係を築いていると思う。

 わたしはあなたのことが嫌いなわけでは断じてなく、お義母さんのことで何かあったというわけでもない。

 ただ、高いところからガラスのコップを落としてみたくなったりだとか、アイロンをかけたシャツをもう一度くしゃくしゃにしてみたりだとか、綺麗に咲いたチューリップの花だけを切って集めてみたりだとか。

 わたしという人間は時々、特に意味のない、くだらないことをやってみたくなる。


 棺の中のお義母さんの髪を、一束とって切った。

 この機を逃したら、もう全部焼かれてしまって触れないんだなと思って、切ってみた。鼈甲のバレッタのことを思い出して、生きているお義母さんが懐かしくなった。

 ものがものだから、下手なところに置けないな、と思った。でも仏壇だとか、通り一遍のところに置くのはつまらないとも思った。生活の手触りがあるところがいいけれど、うっかり落として踏んだりするのは厭だった。

 それで、あなたの枕に入れた。わたしもあなたも枕は絶対に踏まないし、お義母さんにしてみれば、可愛がっていた息子のものだから、いいかと思った。

 それからあなたは、寝言が増えて、窶れて、顔色が青黒くなった。


 あなたの寝言は興味深い。

 眠っているあなたが何を言われているのか、わたしはあなたの言葉から推測することしかできない。

 お義母さんが生前我慢していたわたしの悪口だとか、隠し遺産の場所だとか、不倫の告白だとか、なにか面白いことを言わないかな、と思って聞いていたけれど、そういうことは話さないらしい。

 あなたはこめかみに汗をかき、魘されながら寝言をいう。

「わかったよ、母さん、わかった。開ける。窓、窓をね、寝室の窓」

 そう言いながらも体は動かないらしく、あなたが自分で窓を開けにいったことは、まだ一度もない。

 わたしはベッドの中で耳をすます。風の音に紛れて、寝室の窓をべた、べたと叩く音が聞こえる。

 あれが本当にお義母さんかどうかわからないし、お布団から出るのも面倒なので、わたしも開けてあげたことはまだ、一度もない。

 でも、わたしという人間は時々、特に意味のない、くだらないことをやってみたくなるものだから。

 これから先のことは、わからない。

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