第2話 飯食えば ○○が出る出る バカップル
「うん、これはまずいことになった」
「言ってる場合かぁーっ!」
朝っぱらから騒がしいこの二匹の馬鹿どもは、男の有翼人の方がシードル、女のサキュバスの方がシュールリーだ。目下二人が喚いている原因は、シードルにあった。
「はいベッドに仰向けに寝る!」
「ふぁー!? ちょっと待てって、おまっ」
「言い訳無用! 四の五の言わない!」やや強引にベッドに横にさせられたシードルを前にし、シュールリーはすっと彼の腹部に手をやる。適度に筋肉がついていて固い感覚がある。……要するに力が入っている。
「こーら、お腹の力を抜く! わかんないでしょ!」
「ひゃあい!?」言われてシードルが腹筋に力を入れるのをやめると、シュールリーは真剣な表情をして彼の腹部にスーッと円を描くようにして右手の指を押し当て滑らせる。不純な感情は一切感じられないが、手つきがいやらしく感じてしまうのは彼女の容姿が為せる業か。ぐっと指を押し付けていくと、腸の辺りが明らかに異物感があり張っている。
「ここにいる! これ全部出てない便だよ! 何で出て来ないの! その癖太らずカッコいいとかズルでしょ!」
「うるせぇ知らねぇよ! 俺だって溜めたくて溜めてる訳じゃねえよ! 出せるもんならさっさと出してぇよ!」
そう、便秘である。シードルはここ五日間、全く便が出ていないのである。他の種族でも便秘は問題ではあるが、有翼人をはじめとした飛行能力を有する種族にとっては文字通り死活問題である。溜め込んでしまっている便の分だけ体重が増える、つまりそれだけ飛行時の負担が大きくなるという事である。翼には余計に力が必要となるし、飛行時の機動力も低下し空中での動きの制御がしづらくなる。必然的に持ち運べる物の重さにも関わってくる為、場合によっては装備しているものをいくつか外す必要すら出てくるだろう。飛行や装備不足による事故にまで発展した際、その原因は便秘でした、なんて例は少なくない。何より、それが原因だと泣くに泣けず、笑えもしない。そんなわけで現在、シュールリーは触診により便の溜まり所を突き止め、腸内の蠕動運動を促す為のマッサージを行っている……のだが。
「どう!? シー君、出そう!?」
「……あー、駄目だ。全然。気配すらない」五日間溜め込んだ便は、なかなか頑固な様子である。代わりにピスピスと押し潰した空間から這い出たかのように小さな屁が連続して出た。詰まっているものが濃縮されている為か、少量ながらもなかなかのえぐい臭気である。
「「おうぐっふっ!」」二人揃って悶絶する。大変仲が宜しいようで。
「どうしよう……こんなんじゃいつも通り飛べそうにない……というか、飛ぶ事すら無理かも……」
「ホント、今回は重症だね……とりあえず朝ご飯にしましょ。出なくても食べなきゃ生きていけないんだから」
「面目ない……」と、それに呼応するように、シードルの尻からぷすっと屁が漏れた。
「二人ともおはよう。朝ご飯は何にするの?」ネズミの小皿亭の食堂へ向かうと、朝から元気に張り切るリコッタが二人を出迎える。
「アタシは適当なパンと目玉焼き、あと卵サラダ」
「あー……俺はサラダだけでいいかも」シードルはこれから食事をするというのに、溜まりに溜まった便の事を考えていた。これ以上食べたら出すのもきっと大変になる、と。
「おやどうしたんだいシー君? アンタ程よく食べる子がそれだけしか食べようとしないなんて。しかもちょっと元気がないみたいだし。具合でも悪いのかい?」リコッタがまじまじとシードルの顔を窺う。
「あー、いえ、別に何でも……女将さんに心配させるような程の事では……」と言いかけた所を遮って。
「いやー実はねーリコッタさん、うちのシー君ったら便秘なんですよー。これがもう強情でねぇ、何と五日も出てないんだからありゃしない。さっきもお腹さすってあげたんですけれど出てくる気配がないって言うんだから困っちゃって。こんなんでどうやって空飛ぶつもりなのかしら。あっはっはっ」
「あっはっは、じゃねえっ!」堰を切ったように一気に全部ぶちまけたシュールリーの後頭部をスパーンッ、と良い音を立ててシードルがどつく。
「あー、うん、すんません女将さん、こんなところなのにこういう話で」ぐいぐいと馬鹿の頭を下げさせながらシードルは謝罪する。しかしその一方で、リコッタの方は「ふぅーん、成程ねぇ……」と思案顔である。
「お通じ来ないのは辛いもんねぇ。シー君ほどじゃないけれど、アタシも便秘で辛いことがあるからわかるよ。そうさねぇ、そういう時はお通じを改善させる薬膳料理を食べてみるっていうのはどうだい?」
「「薬膳料理?」」二人揃って馬鹿そうなレスポンスである。
「そうさぁ、アタシの生まれ故郷じゃあ食事療法って言ってね、体の事を考えた食事を摂る事で不調を治したり、病気になりにくい健康な身体作りに役立てたりしたもんさ。勿論、便通改善に持って来いの料理だってばっちりさ!」バカップル二人にグッと親指を突き出し、リコッタはバチコンとウインクをする。
「マジで!? わ、渡りに船だぁー! 女将さんそれ作れる!? 今すぐにでもそれ食いたい!」しかし、リコッタの返答は渋いものだった。
「あぁー、言っておいてなんだけれど……ちょいとそれは無理だねぇ。レシピ自体は難しいもんじゃないし、アタシに作れないってわけじゃないけれど……」
「えぇーっ、何でぇーっ!?」ギャーピー騒ぎ出したのは雄の方の馬鹿である。それをどうどうと雌の方の馬鹿が宥める。
「本当にごめんねぇ。それでも、一番大事な材料自体がないんじゃあいくらアタシでも作れっこないからね。しかもその材料、この辺じゃあまず見かけない食材だからねぇ……こればっかりはどうにも」
「材料? そんなに変わったものなの?」宥めている方の馬鹿が相槌を打つ。
「そうさねぇ、"牛蒡"っていう野菜なんだけれど、基本的にこの辺じゃあ食用と思われてないから栽培がされてない野菜なんだよ。生まれ故郷の方ではよく知られたものなんだけれど、他所様からしたら木の根っこみたいで見てくれが悪いみたいでね。こっちに住むようになってからじゃあ、まぁほとんど見たことがないねぇ」美味しいんだけれどねぇ、とリコッタが付け加える。
リコッタの説明にもあるように、牛蒡は植物の根の部分を食用とする、いわゆる根菜に分類される野菜だ。その根は品種にもよるが長く育つものが多く、50センチから1メートル(注:翻訳に際し北大陸共通規格単位をもとに計算)にまで成長する。独特の風味と歯触りの良い食感が特徴で、噛む度に心地良う音が口の中を伝い耳に届く。そんな牛蒡だが、栽培条件の難しさはもとよりその見た目が北大陸(特に現在シードルたちが滞在している北西地域)の住民には不評であり、ごく限られた地域でしか食されていない。この傾向は東部に行けば行くほど薄まり流通もされるようになるのだが、現状ではシードルたちにとっては知る者すら少ないような手に入りにくい希少な野菜であるという事には変わりない。
「牛蒡、ねぇ。確かに聞いた事がねぇな。木の根っこみたいっていうと不味そうだし、この辺じゃ馴染みがない類のものだなぁ……。聞いた感じじゃあ野菜っていうより、どっちかってぇと薬の材料みてぇだし」
「薬っていうのもあながち間違いじゃないかもしんないねぇ。なんたって便秘と言ったら牛蒡っていうくらいの特効薬みたいなお野菜だからね。ほんと、このあたりじゃ手に入らないのが本当に残念だよ」
「ふーん、牛蒡、牛蒡ねぇ……そんなに効き目抜群って言うんなら是非とも頂きたいもんだ。誰か牛蒡が手に入る場所を知ってる人いねぇかなぁ……」
「ちょっとアタシには心当たりがないねぇ。それこそ冒険者ギルドを頼ってみたらどうだい。心当たりがある人がいるかもしれないよ」
「そうねぇ。アタシたちもそうだけれど、あちこち旅する風来坊どもの止まり木だものね。一旦はそこを頼ってみるかしらねぇ」シュールリーが思案すると、シードルは翼をバサバサさせて息巻いた。
「よっしゃ、方針が決まったら俄然食欲出てきた。女将さん、俺にもパンと目玉焼き頼むよ」
「あいよ! シー君調子出てきたねぇ。やっぱりアンタは沢山食べてる方が様になるよ! オーダー入ったよー、パンと目玉焼きと卵サラダそれぞれ2つー!」この女将、商売上手である。
朝食を食べ終えた二人は、そのまま真っ直ぐ冒険者ギルドを訪ねていた。
「あら、シードルさんにシュールリーさん。いらっしゃいませ、今回はどのようなご用件で?」ラミアの受付嬢がにこやかに声をかける。
「やー、ちょっと情報収集がしたくてさ。エメラァさんは牛蒡って野菜知ってる? この辺じゃ珍しいみたいなんだけれど」それを聞いて、受付嬢―エメラァは難しい顔をする。
「牛蒡、ですか……話だけは聞いた事があった気がしますねぇ……確か体にいいお野菜でしたよね? うーん……先輩なら何か知っているかも……ちょっとだけお待ちくださいね」エメラァはシュルシュルと奥の方へと向かう。
ほどなくして現れたのは別の受付嬢、アラクネのケイティである。エメラァの二年先輩であり、キリリとした雰囲気が漂う美しい女性だ。最も、シードルにとってはシュールリーが一番だが。
「話はエメラァの方から伺いました。お二人は牛蒡をお探しだとか。失礼ですが、何かそういう依頼でも?」悪意はないのだろうが、ケイティの口調はやや詰問調だ。無理もない。現在ギルドの依頼には、牛蒡に関する依頼内容など来ていない。となれば、冒険者自身が依頼を持ってきたか、そうでなければギルドが認可していない闇依頼を受けて動いているかのどちらかである為だ。前者ならともかく、後者であればトラブルの原因になる為、先んじて手を打っておきたいというのがギルド職員としての心情だろう。
「あぁ、そんなに気構えなくても大丈夫、めっちゃくちゃ個人的な事情よ。ここ最近うちのシー君ったらお通じが全然来てないのよ。それで宿泊先の女将さんに相談したら、そういうのには牛蒡がいいって聞いたの。でもこの辺じゃ牛蒡なんて見ないでしょう? ここでなら牛蒡が手に入る場所を知ってる人がいるんじゃないかなーって思って」言わなくてもいい事までずかずかとシュールリーが喋る。この口の軽さは交渉上手と紙一重なのだから何とも言い難い所である。
「あ、あはは、そうでしたか……」
「あっ、あーっ! ケイティさん引いちゃったじゃんか! 何で余計な事までしゃべっちゃうかなぁこのサキュバスは!? この口か、この口が悪いのか!?」
「いーじゃんどうせ遅かれ早かれわかる事なんだし! 大体シー君がさっさと出すもん出せてれば何も探す必要なんかなかったんでしょ! この糞詰まり有翼人!」
「うっるっせっ、お前可憐なる乙女が糞詰まりとかいうんじゃねえよ台無しだろうが! せめて便秘と言え罵詈雑言サキュバス!」
「褒めんのか貶すのかどっちにしなさいよ便秘!」
「ぁんだと悪口!」「何よ便秘!」「悪口!」「便秘!」「悪口!」「便秘!」
「どっちもどっちですお二人とも! 痴話喧嘩をしに来たのなら他所でやって下さいませんか!」
「「あっはいすみません……」」
ケイティの雷が落ちて二人の頭が冷めたところで、再び本来の話に戻る。
「ともかく事情は分かりました。シードルさんの体調を改善する為に牛蒡の情報を探している、というわけですね」
「はい」「相違ないです」馬鹿ども、シオシオである。
「でしたらここより南東の方角にあるミニマムビークの村で栽培しているとの話を聞いた事があります。ただ……」
「ただ?」言葉を濁すケイティだったが、早急に便通問題を改善したいシードルが続きを促す。
「少し遠いんです。お二人が普段通り空を飛べるのなら途中の森を真っ直ぐ突っ切ることができるのでしょうけれど、お体の不調を考えると避けた方が良いでしょう。となると徒歩のルートとなりますが、森を迂回しての街道ルートとなると一週間はかかるかと……」
「いっ……!?」
「マジ? そんなのその間にシー君ますますお腹パンパンになっちゃう……」
「と、徒歩で森を突っ切るという選択肢! それならどう!?」
「無茶言わないでください! さほど整備されてない場所なんですから帰って街道を進むよりも時間がかかりますよ!」
「て、定期便とか……」
「残念ながら、そっちの方面の便は出ていません……」憐れ、一縷の望みすら粉砕された。
「ぬあぁっ!? あれっ、もしかしてこれ詰んでね?」
「糞詰まりだけに?」
「言ってる場合か!」シードルがシュールリーの角をバシンと叩く。
「とっ、ともかく……最寄りの牛蒡の栽培地に関する情報は以上です。これ以上はギルドの管轄外となりますので、各々の責任の上で判断しての行動をお願いします。……逆に変な希望を持たせてしまったかもしれませんね。申し訳ありません」
「い、いやいや! ケイティさんの情報はほんとに助かるから! 全く何もわからないよりは確実に大きな収穫だと思う」それとはまた別の新たな問題が浮上したわけだけれど、と口に出すのは流石に憚られた。代わりにシュールリーが自分の角をクシクシ擦る。一方のシードルは何か(ろくでもない)腹案があるようだった。
「……シー君、マジ?」
シードルは一度宿に戻ると、普段装備している籠手と革鎧を外し預ける事にした。他にも最低限の旅の用意だけをバックパックに入れ、重要度の低いものはすべて宿に預けることにした。つまり、装備重量を減らして飛行するという強硬策だった。飛行における装備重量の関係で普段から軽装のシードルだが、普段得物としている槍以外もはや防具らしいものは普通の衣服のみという一般人のような出で立ちだ。
「こうすれば空が飛べるから最短距離で移動できる。徒歩のルートで一週間の所を三日もありゃ辿り着けるようになる」
「にしても防具外すのはマズくない?」
「なーに、それをカバーするのがシュルの役目だ。頼りにしてんぜ」
「ひん……この埋め合わせは何かで回収させてもらいますよー、だ」シュールリーはんべっ、と舌を出した。挑発的な上目遣いと出し過ぎてない舌の長さが、絶妙にかわいさと生意気さを混ぜた魅力的な表情になる。あざとい。
鳥が空へと飛び上がるというと、どのようなものをイメージするだろうか。翼をバサバサとさせてそのまま飛び上がり、羽ばたくたびに上昇していく……というものだろうか。もう一つ加えるなら、足で思いっきり跳躍し、その勢いを借りる形で飛行への足掛かりを得る感じだろうか。では有翼人はどうかというと、このような飛び方では十分な浮力が得られず、飛行ができない。
有翼人が飛行するとなると、まず一定距離の助走が必要となる。またこの際翼の向きが地面に対して水平方向になるよう、上半身を倒し前傾姿勢を取って走る。こうすることで翼に浮力が生まれ、飛行する準備が整う。この浮力が一定にまで達したところで翼の力を使いながら大きく跳躍し羽ばたくことで、有翼人は空へと舞い上がることができるのである。ところが……。
「ふんっぎぃーっ!?」いつも通りに助走し飛び立とうとしたシードルであったが、離陸できない。正確には飛び上がることができても、上昇が上手くいかずまた地面へと降り立ってしまうのだ。そしてそのままつんのめり、情けなくずりずりと足を擦らせた後地面に倒れ伏した。
「お、おかしい……いくらなんでもこんなはずでは……」と困惑するシードルであったが、これにはシュールリーも違和感を感じていた。
「ねえシー君、思ったんだけれどさぁ……助走の時、速度足りてなくない?」
「マジ……? やっぱ体の内側から重くなってるからかな……どうしよ……」
「いきなり文字通り躓かれてもねぇ。ま、それを何とかカバーしてくれってさっき言われたばっかりだし? 天才フラウハミング神官シュールリーちゃんにお任せってもんですよ」しかしそのにかぁっとした笑顔は言葉とは逆に天才とは程遠いほど馬鹿そうだった。
「おぉーさっすがシュル神様ー! よっ、フラウハミングの生まれ変わり!」念の為言っておくが、フラウハミングはサキュバスではないし、その化身とされる姿もサキュバスの形を取ったことは一度もない。
「とりまさっきみたく助走してくれる? アタシがそれに合わせて"追い風"送るわ。上手く飛び立ったらアタシも飛ぶから連れてって」
「おっけオーライ、んじゃ頼むわ」
とても軽いやり取りの後、シードルが助走を始める。それに合わせてシュールリーも彼女の崇める神へと祈祷を送る。
「(空を渡り歩く天空の旅人にして風の女神フラウハミング、気まぐれなるそなたに今一度願いを望みます。願わくば我らに良き旅の導となる追い風を!)」右手を突き出し、信仰心を具現化させる―神の力の一部を借りることで行使する「神官の魔法」である。
「"追い風"!」
"追い風"は、フラウハミングの権能たる風の力を借り、強い風を吹かせる神官の魔法だ。神固有の権能に基づく魔法である為、他の神を信仰しているものにはこの魔法は使えない。
「さぁシー君、これで思いっきり空を飛んじゃって!」
……が、しかし。
「えっ!? シュル"追い風"まだ!? 全然風来ないよ!? 信仰心足りないんじゃなぐべっ!」魔法は不発に終わり、シードルは民家の壁に激突した。
信仰心が足りない! ……というわけではなく、これは彼女が信仰するフラウハミング自体の問題である。この女神は野を吹く風のように気まぐれである、というのは何度か触れてきたが、それは彼女が司る権能の力においても例外ではない。なんとこの女神、神固有の神官の魔法の発動がやや不安定であるという致命的な弱点を抱えているのである。気まぐれな彼女は貸し与える力の強さについても気まぐれ、場合によってはその場にいないのか力を貸す気にならないのか、今回の様に全く効果を発揮しないという事すらある。勿論、逆に絶大なる加護の力を得て爆発的な効果を発揮することもあるのだが……。
「ごっめーんシー君、フラウハミング様ちょっと気まぐれ起こしちゃったみたいで……も、もっかいやるから! 多分今度こそ上手くいくって、連続で失敗するとかほとんどないし!」わちゃわちゃと慌て気味に謝罪するシュールリーだが、そんな保障などどこにもないという事はこの場にいる誰よりわかっていた。
「ぼごご……こ、今度はしっかり頼むせ……フラウハミング様にもちゃんとするように言ってくれ……」したたかに打ち付けた顔面をさすりながら、シードルがもう一度助走体勢に入る。そして彼が駆けだすよりも前に、シュールリーが再度フラウハミングに祈祷を送り始める。
「(ちょっとフラウハミング様ぁ!? 聞いてますぅ!? あなたの気まぐれでシー君壁に激突しちゃったじゃないですかーっ! ちゃんとお力貸してもらえないと困りますぅー! ってことで今度こそしっかりお願いしますよー?)」……こんな祈祷が許されるのも、自由な気質のフラウハミングならではである。だが祈り方が文句たらたらだった為か、それとも単にフラウハミングの気まぐれなのか。
「"追いk"ぶえぇっ!?」
それは、「追い風」と呼ぶにはあまりにも強すぎた。突風、もしくは暴風とでもいうべき猛烈な勢いの風は、離陸体制にあったシードルを易々と持ち上げた上でジェット気流の如く強く吹き付け吹っ飛ばし、同時にシュールリーをも薙ぎ倒した。
「うおぉー!? めっちゃ勢いよく飛ぶ!? 急いで旋回してシュルを拾わないと……」こちらは吹き飛ばされた癖に呑気なものである。上空10m前後の高度まで達したところでゆっくりと弧を描き旋回し、離陸地点付近のシュールリーを探す。と、そこにはみっともない格好で地面に倒れ伏したシュールリーがいた。
「おーいシュルー、拾うから寝てないで離陸準備しろー」
サキュバスの飛行は有翼人のような助走を必要としない。が、その代わりにわずかながら魔力を消費する。また飛行というよりも浮遊と言った方が適切で、精々3~5mほどの高さを数秒維持することができる程度で、それ以上長時間飛び続けるとなると魔力を使い続けるか、他の種族に牽引してもらう、もしくは気流に乗って滑空する必要がある。シュールリーの場合、自力で飛行ができるシードルに牽引してもらっての飛行を行うというわけだ。シードルたちの言っていた「拾う」とはこの事である。
シードルたちが離陸し南東への空路を飛び始めてから約30分後、1時の方角にこちらへと向かってくる者たちが見えた。程なくしてそれが三人組のハルピュイアであることがわかる。ハルピュイアたちもこちらに気が付いたようで、こちらの高度に合わせた後、すいーっとシードルたちに合わせるように飛行し始めた。いきなり高所を取ろうとしてこないあたり、少なくともこちらに敵意を持っているというわけではなさそうだ。シードルたちもそれに応じる為、ゆっくりと旋回するような飛行体制に移る。ハルピュイアたちの一匹が口を開く。
「ぴゅあいーっ、ぴーぴーっ!」甲高いよく通る鳥獣の鳴き声そのものである。一見ちんぷんかんぷんなその叫び声に、シードルはすぐに返答をする。
「ぴゅあいーっ、ぴーぴーっ! ぴょろろろー、ぴぃーぴゅおー」シードルの口から出たのも同じく鳥獣の甲高い鳴き声であった。この鳴き声のようなものは、飛行する種族の間で使用される風の影響を受けずに会話する為の言語、通称「飛空種族語」である(残念ながら翻訳者には飛空種族語がわからない為、その発音をそのまま表記する事にする)。
「ぴぃっ! ぴゅいーぴゃーっ、ぴぃーぴゅるるろろ。ぴゅいっ、ぴおろろろろ?」ハルピュイアの一人がシードルに話しかける。
「ぴゅいー……ぴゅおろろろ、ぴゃあーぴぃー……」とシードルが返すと、ハルピュイアたちは「「「ぴぃぴぃぴぃっ!」」」と笑う。
「ぴぃーきゅいーぴゅおろろろ。ぴっぴぃーぴぴっ!」
「「「ぴっぴぃーぴぴっ!」」」そういうとハルピュイアたちは本来向かおうとしていた方角に飛び去って行った。
「……で、何て?」飛空種族語がわからないシュールリーがシードルに尋ねる。
「あぁ、あの三人組はスパロウウィングまで向かうんだと。んで俺の顔の怪我が気になったのか『その怪我どうしたの?』って。飛ぼうとして失敗したって言ったらまああの通り笑われたよ」シードルが先程の会話の要約を伝える。適当にピーピー叫んでいるようでしっかり会話が成立しているのだから、言語とは不思議なものである。
その後はさしたる遭遇もなく飛び続け、徐々に日が傾き沈むようになった頃、二人は森の中に着陸した。ミニマムビークまでの直線距離を真っ直ぐ飛び続けた結果、全体距離の約3分の1まで進む事ができた。二人とも野営の準備は手慣れたもので、野営地点を決めて程なくした頃には既に簡易の竈が出来上がり、ぱちぱちと良い音を立てながら薪が爆ぜるようになっていた。その後シードルが野兎を一匹狩りで仕留め、ササッと捌いて解体した。毛皮はちょっとした副収入になるだろう。肉の方はシュールリーが摘んできた薬味になる野草と共に鍋に入れてスープにした。
「はぁ……温まる……やっぱり熱のある物を体ん中に入れると違うな。活力が湧くというか、生命力が復活する感じがする」
「ふふん、それもこれもアタシの料理の腕前が良いからよ。敬え、崇め奉れ」シードルは大袈裟に「ははーっ!」と平伏す仕草をする。
「ではシュールリー大神官殿、あなた様の力をもってしてこのお椀の中に新たなる恵み、すなわちおかわりを」
「うむうむ、仕方がないやつだのう。ほーれほれ、おかわりであるぞよー」などとやっていたら、シュールリーが耐えきれず笑い出した。
「あっははっ、何よこれぇ。えらい神官様ってこんなのじゃないよ絶対」
「いやだってシュルが崇めろっていうからさぁ」シードルもからからと笑い返す。
食事を終えるとシードルが先に就寝し、シュールリーが火を燃やし続け不寝の番の体制に入る。この就寝順にもきちんと理由がある。シュールリーは夜目が利く一方、シードルは鳥目なのである。その代わり、シードルは異変があった際にすぐに起きられ、睡眠時間がわずかでも一度目が覚めると暫くは起き続けられる。逆にシュールリーは一度寝入るとなかなか目覚めない。
一人火の番をしている間、シュールリーは今日唐突に始まった強行軍を思い返しながらフラウハミングへの祈りを捧げた。それにしてもこのフラウハミングという神、なかなかにいい加減である。それもひとえに風という掴みどころがなく気まぐれなるものを権能としているからなのだが、ここまで不安定で信用に欠ける神はフラウハミングぐらいのものである。しかし、どこにもいないがどこにでもいる、あらゆる地を旅せし神であるが故に、主に方々を旅する冒険者たちを中心に多くの信仰を集めているのだからなかなかに侮れぬ神である。信徒の方も信徒で、得られる加護について「上振れで得られればラッキー、得られなかった場合もしょうがない」とかなり割り切った考え方をする者が多い。というより、それくらい割り切らないとこの神を信仰し続ける事などできはしないのだ。むしろ加護を得られなかったときにどう立ち振る舞い切り抜けるかを示してこそ、この神を信仰する者としての実力が試されるところでもある。
「(それにしたって、旅の初めにいきなり大失敗は幸先悪すぎよねぇ……。フラウハミング様もそこくらい大まけしてエール送ってくれてもいいんじゃないかしら)」念の為言っておくが、これも祈りである。他の神でならまずこんな愚痴染みた物は祈りとしてささげられないだろうが、フラウハミングならば許される。適当にも程があるかもしれないが、自由なる旅を保証する神はこれくらい出鱈目でも許してしまうくらいには自由なのだ。器が大きいのと適当なのは紙一重、という事だろうか。
更に夜も更け、何事もなく不寝番を交代する頃合いとなった。
「シー君、起きて。交代の時間だよ」
「ふぬーんっ、ぐっ!」起き上がる前に一度大きく伸びをし、シードルが目覚める。
「お疲れ。異常なし?」
「うん、何にもなかった」
「そう。じゃ、おやすみ」
交わす言葉は少ない。静かな世の静寂をなるべく妨げまいとする為、という訳でもないが、余計な事をごちゃごちゃと喋るような必要性がない事を二人とも理解しているのだ。
シュールリーはすぐに眠りに落ちた。彼女が寝入った気配をぼんやりと感じながら、シードルはひたすらに火を見つめていた。
「……何でうんこ出ねえんだろうなぁ」本当に、ポロリと出た心からの言葉だった。そう、出すものさえ出ていればこんな無用な旅をする必要はなかったのだ。便通が良くなかった事は一度や二度ではないし、その度にケツが裂けるような痛い思いをしてきた。実際切れた。しかし、ここまで長い事出て来ないのは過去にない。記録的便秘だ。これは例えお通じが来たとしても、なかなか苦しい思いをしそうだ。
今宵の月は青白い輝きを放つサミィールの満月と、黄金の輝きを放つユゥディルの三日月が見え、鈍い赤褐色の輝きを放つシルアツルは陰っている。これら三つの月は、魔術とは切っても切り離せない関係にある(と、信じられている)。殆どの神々の力は、青白い月であるサミィールが神との術者の間とを仲介しているとされる。その為、月が満ちておりその力を余すことなく享受できる場合は、「神官の魔法」を放つ際により少ない負担で済む傾向がある。なおフラウハミングはサミィールの満ち欠けに関係がない数少ない神の内の一柱である。何なんだお前は。そして黄金の月であるユゥディルは、自然現象の具現化たる妖精たちや、生き物の魂が転じたものである精霊の力を借りる魔術……所謂「妖精霊の魔法」の魔法を行使する際に、それらの存在と術者を仲介する。これも満ち欠けによって負担が軽減される点は同じだ。残る赤褐色の月であるシルアツルだが、この月は術者自身の力を直接使う魔術である「魔術師の魔法」の行使に関わってくる。この魔術は自らの力を使う為月が介入する箇所などなさそうなのだが、放たれる魔法には大きく作用する。月が満ちているほど力が大きくなる……のではなく、制御がしやすくなるのだ。逆に、月が完全に隠れてしまうと制御がしづらく不安定な魔法になり、魔法の暴走や逆噴射といった事故が発生しやすくなる。それすらも自らの魔術の力で捻じ曲げてコントロールすることも可能だが、それは結果として必要以上に力を使ってしまうという事であり、結果として他の月の満ち欠けと同じように「月が満ちている程術者への負担が少ない」という結果に収束している。なお、以前シュールリーが使用していた"一目惚れ"は、このシルアツルの影響を受ける「魔術師の魔法」だ。仮に今宵シュールリーがこの魔法を使う事があったとしたならば、その制御に少し骨が折れたかもしれない。
未明、朝靄がしっとりとした空気を孕みながら漂い、徐々に日の光が差してくる。三つの月も徐々に薄れ、陽光に大地を照らす役目を譲る。やがて日の光が眩しいくらいになった頃、シードルがシュールリーを揺り動かす。
「朝だぜ」
二日目の旅は順調だった。"追い風"を併用した助走も今回は一発で上手くいき、更には上空の風の流れも最適であった。このまま順調に飛び続ければ明日の昼頃にはミニマムビークに辿り着けるようなペースだ。
「しかし言っちゃああれだけど、ミニマムビークって随分と辺鄙な所にあるもんなんだな」その日の夜、夕食用に蛇を捌きながらシードルが話す。
「今日丸一日飛び続けたっていうのに他の誰ともすれ違わねぇ。ギルドで聞いたように定期便も通ってないみたいだし、かなり孤立した村っぽいな」
「この辺じゃ珍しい野菜を生産しているっていうのならそれを名産品にすれば流通が栄えそうなものなんだけれど、難しいものなのかしらね」
「農作物の事はわからねぇが、傷みやすいとかかねぇ。あるいは流通に乗せられる程たくさん作ってないとか」
「どっちもありそうねぇ」などと話しながら、綺麗に捌かれた蛇をシュールリーがナイフで細かく叩きミンチ状にしていく。蛇は可食部位が少ない上に、そのままでは骨っぽくてとても食べづらいので、骨を丁寧に抜き取るか細かく叩いて骨っぽさを無くすなどしなければ美味しく頂けない。流石に細かい骨を一本一本抜き取っていられる程暇ではない為、シュールリーは蛇をミンチにしたわけである。この叩いた蛇に薬味となる野草を加えて臭みを消したものをよく練り、適度な大きさに分けて丸め肉団子にしたものを鍋に手際よく放り込んでいく。所謂つみれ汁である。
「さてと、こんなもんかしらね」小皿にスープを少し取り、シュールリーが味見する。おおよそ満足が行く味だったようで、そのままスープを二人分のお椀に取り分けていく。素材だけ聞けばゲテモノ料理だが、出来上がってしまうと何とも美味しそうなのだから冒険者としての技術力は中々に高い。
「シーくーん、できたよー」
また一夜明け、強行軍を始めてから三日が経った。依然としてシードルの便は出ない。便の癖に強情だ。その日も空は快適で、予測していた通り昼頃になると前方に人々が生活している風景が見えてきた。
「おぉー、やっと着いた。あれがミニマムビークの村か」ゆっくりとシードルが高度を落とし、シュールリーもそれに合わせ着陸態勢に入る。村人の方でもシードルたちの来訪に気が付いたようで、着陸地点に合わせるようにして数名の人だかりができていた。
「どうもこんにちは、北大陸文化圏共通語はわかるかい?」シードルが村人の一人に話しかける。額の角に筋骨隆々な体躯から見るに、種族はオーガのようだ。
「あいこんちゃあ。言葉ぁ大丈夫じゃけえ。こちはミニマムビークっちゅう村で、わぁ名ぁトイシっちゅうが。そちこはなんちゅうがか?」
「「(な、訛りがすごい……!)」」シードルもシュールリーも面食らってしまった。とても同じ言語圏の言葉だとは思えず、頭の中で一旦整理しながら出ないと意味を理解できない。
「(えーっと、『はいこんにちは、言葉は大丈夫です、こちらはミニマムビーク村で、私はトイシと言います。そちらはなんというお名前ですか?』ってところか)」
「(多分それであってると思う)」目だけでやり取りをする二人。意味を整理したところで、シュールリーの方が口を開く。
「トイシさん初めまして。アタシはシュールリーで、こちらはシードル。この村には牛蒡という野菜があると聞いてスパロウウィングから飛んできたのよ」
「あんれまあえらい遠いとこから来なすったな。そげなとこから牛蒡ば探しに来よっと? えんらい物珍しか事もあったげな。この辺のもんらは牛蒡さ見ても棒じゃー木の根じゃーちゅうて食えたもんじゃないっちゅうがか、わざわざ探しに来よるようなもんはおらせんっちゅうに」
「「(き、北共通語おおおおおぉぉーっ!)」」二人は北大陸文化圏共通語の敗北を知った。
結局、同じ北大陸文化圏共通語だというのに意思疎通をするには言葉の壁がぶ厚すぎるという事で、シュールリーが"翻訳"の魔術を使う事になった。聞こえている言葉はそのままに脳内で自動的に意味を翻訳する魔術で、魔術師の魔法に該当する。
「そいで、二人ばどげんして牛蒡ば探しとっとと?」
「それが恥ずかしながら、うちのシードルが酷い便秘で……もうかれこれ一週間以上お通じが来てないのよね」
「はぇーそらえらいこったな。はぁー成程、そいで便通ようしょーが為に牛蒡ば食って糞ばひり出そうちゅうこったな。ようし任せい、いい牛蒡ばあるけんちょっくら来んさい。畑ぇ連れてっちゃるけえの」と言ってトイシ氏は自身の畑へとシードルらを案内する。
「ここば一帯がわぁの畑で、こっちゃの方で牛蒡ば作っとるけん。ほれ、これじゃけに。ほいっとよ!」威勢のいい掛け声とともにトイシ氏が畑に生える茎を引き抜くと、そこから細長い真っ直ぐな根が出てきた。引き抜いたというのにまだ地中に埋まっている部分があるようだ。それからトイシ氏は手慣れた手つきでするするとそれを引き抜き、土を軽く払って二人に細長い根を掲げて見せた。
「こがばわの作っとる牛蒡じゃけえ」
「はぇー、これが牛蒡。えらくでっけぇもんだな。なんか簡単にぽっきり折れちまいそうだ。こりゃ長距離で運ぶとしたら大変そうだな」
「せやろまいて。それに作っとうのもこん村のもんの分くらいじゃけ、他所のもんに回すほどもないけんね。じゃけえここぃらやとこん村ぐらいでしか牛蒡ばお目にかからんとよ。ま、よそんもんには見てくれが良うないっちゅうこって気味悪ごうて食おう思うっちゅうもんもおらせんがな」
「成程ねぇ。それで、この牛蒡頂きたいのだけれど、おいくらかしら?」
「あー、ゴドかぁ? 悪ぃな嬢ちゃん。こん村ぁあんまし金つこうてものんやり取りしとらんのじゃ。大体物々交換かそれに見合うた仕事代わりにやるかしてやりくりしとんじゃ。何分あんまし村ん外のもんとは縁がないけえのお。じゃけん牛蒡と同じくらいのもんと交換すっか、わぁの仕事ば手伝うてもらうかしてもうたら牛蒡ばやるけえ、どないしゅっかね?」貨幣価値も敗北した。
「物々交換、物々交換かぁ……あ、じゃあこれはどうかな。こないだ仕留めた兎の毛皮なんだけれど」
「おぉーええ感じの毛皮じゃのう。これじゃったらー……いやまあわざわざ遠かとこばから来はったけんのう、おおまけのおおまけじゃけえ、そいで牛蒡一本やってもええぞ。ところで二人とも牛蒡ば食い方知っちょらんやろ。わぁのかかあに言う手料理してもらえや食えるけえ。あぁこげなとこまでわざわざ来てくりゅうがけに、こいばちょっちおんまけにしとくけ。ついて来んさい、うちば案内したるけえ」
そういうわけで、二人はトイシ氏の家に招かれ、彼の奥さんが振舞う牛蒡料理をご馳走になることになった。
「よう来はったと。ほんまこんに田舎ん方まで来てくんだってあんがとうなぁ。牛蒡ばぎょうさん食べて出すもんどっさり出したってなぁ。まんまもたんとあるけえよう食べたってな」
トイシ氏の奥さんが腕によりをかけて作り上げた牛蒡料理の数々……牛蒡サラダ、金平牛蒡、牛蒡のかき揚げ、牛蒡の肉巻き、牛蒡の甘酢炒め等、牛蒡の豚汁……も圧巻だったが、何よりも二人の興味を引いたのは、茶碗に盛られた牛蒡入りの茶色の粒々の山であった。
「「米ッ!」」
二人が驚愕するのも無理はない。米は水源が豊かな場所でしか育たず、流通量も少ない高級品である。また米を育てられる程の水源があるという事は、風呂の形式が湯舟を使い入浴するものであるという事を意味していた。そして良い米が育つ所には、その米を使った良い酒も生産されているのである。米一つから分かる情報というのは非常に多い。勿論、米そのものが大変美味で栄養価があるという事も二人が驚く理由の内に入るのだが。
「こ、これは……米を贅沢にも牛蒡や他の食材と一緒に混ぜて、出汁で炊き込んだものか……! 米というと白いものだとばかり思っていたが、こんな調理方法もあるとは……」
「牛蒡、人参、鶏肉、葱……それとこのキノコは……椎茸? なんとも具沢山で贅沢な米……! 味覚が渋滞して情報洪水起こさないかしら……」
「あっはっはっ、なんぞわからんがけったいな事を言いなさるのう。ささ、ぼやいとっても飯が冷めて味無ぅなってまうで、おあがんなさい」
「では……」
「早速……!」
「「いただきまーす!」」
二人はこんな機会は滅多にないとばかりに、真っ先に炊き込みご飯を口に掻き込んだ。途端、溢れ出る椎茸の出汁香る風味が鼻を突き抜け、人参と葱の甘味、鶏肉と椎茸の柔らかな食感と旨味、そして歯ごたえがあり素朴な風味を伝える牛蒡の味と……更にもう一つ隠し味が。
「「胡麻ッ!」」
そう、二人はパッと見ただけでは気づかなかったが、胡麻も一緒に混ぜ込まれていたのである。ほんの僅か、些細な味付けではあるが、その僅かなアシストが絶大な風味を与え、口の中で全ての味覚を包括し、見事な調和を織りなすことに成功している。その旨味を一切邪魔することなく、むしろ旨味を全て倍増させているのが米だ。
「……正直、侮っていた。米は他のものと一緒に食う事で初めてその味が引き立つものだと思っていた。だがこれは……そう、他のものと一緒に調理する事で、その前提を根底から覆している!」
「アシスタントからメインの主役に昇格したかのような味わい……! こんなにおいしいのに他にもおかずがあるだなんて……」
「こ、これもいただこう」シードルは牛蒡の肉巻きに手を伸ばす。肉料理に手が伸びるあたり、彼も男の子である。
ばくり、とがっついて肉巻きを噛み切る……と、途端に肉汁を吸った牛蒡と、牛蒡の旨味を吸った豚肉とがお互いの良い所を引き立たせ、口の中で広がる、広がる、広がる……! そして柔らかい肉の食感と、適度な硬さを残した牛蒡とが、味覚だけでなく触覚でも食事を楽しませてくれる。
「あ、駄目だこれ、止まらんくなるやつだわ」即座に二つ目に手が伸びる。
一方のシュールリーは金平に手を伸ばしていた。薄く細くささがきに削られた牛蒡と人参が、互いを邪魔せず行儀よくまとまりそれでいてぴしりと引き締まるような刺激を内包している。
「あっ、これ落ち着く。摘まみだしたら止まらないわ」
二人ともひとしきり固形物にがっついた後、豚汁をずずいと飲む。豚の甘い脂と味噌とが、口の中を覆い尽くしてまた新たな味覚の旅へと誘う準備を整える。かと思えば、柔らかくホクホクに煮込まれた里芋がねっとりと口の中に広がったり、私が今回の主役だと言わんばかりに牛蒡が豚の風味と共にじんわりと噛み締める程に広がる。それらを一旦リセットするかのように葱がじんわりと爽やかさを伝えては、また他の食材の旨味が畳みかけてくる。
「「おかわりお願いします!」」二人同時だった。
「あんれまあ、二人してようけ食いなさるなぁ。特にお兄さん、そげなほっそりした体してようけ食いなはるなあ。その体のどこい入ってってんねやろ。しかもそれでおって出てっとらへんねやろ? ほんま不思議な体しちょうねえ。羨ましわー」
食べても太りにくいというのは、シードルの血筋における体質的な遺伝だ。基礎代謝が一般的な水準よりも高い為、食べた物を溜め込まずエネルギーとして燃焼させやすい体をしているのである。ただその一方で、すぐお腹が減りやすいため食事量が増えるという弱点も持っている。そして、食べた速度に体の排泄に関する内部処理が追い付かず詰まったのが今回の便秘……と、言えなくもない。そう、元からシードルは便秘しやすいのだ。
そんなシードルの体内事情はさておき、食卓の方は中々に壮観な眺めになっていた。あれほどたくさん並べられていた牛蒡料理の数々が、あれよあれよという間にシードルとシュールリーの口の中へと飛び込んでいき、次々と消えていく。トイシの奥さんも多少は残るだろうと思って多めに作ったはずなのだが、まさかすべて平らげるとは思っていなかった為、その二人の食いっぷりに変なスイッチが入ったのかすこぶる上機嫌である。
「おうお二人さん、わぁの牛蒡ばめがったか?」全て食べ終えた二人に向かって、トイシがからからと笑いながら問いかけると、二人はサムズアップして「「とっても美味しかった」」と答えた。
結局その日はそのままトイシ氏の家で宿をご厄介になる事になり、そのお礼として畑仕事の手伝いを行う事になった。畑仕事に精を出して疲れたのか、二人とも昼にあれだけ牛蒡料理を堪能したにもかかわらず、夕食でもトイシ夫妻の度肝を抜く量をバクバクと食べまくった。そして、そんな牛蒡を文字通り腹いっぱい食べたからか、その翌朝、遂に……。
ドムッ。
「出た……疲れた……俺成し遂げた……大工事だった……疲れた……ケツ痛い……」
まるでフルマラソンでも走り終えたかのような疲労を湛えたシードルがトイレから出てきて、そのままパサリと力なくシュールリーの膝枕に収まった。
「うんうん、偉い偉い。シー君出たねぇ、上手上手」
「待てその言い方はマズい誤解を生む」
それにしても今回のシードルの便は非常に難産であった。冬籠りに備える熊であるかの如く固く固まり肛門に栓をしていた便は並大抵の事では出て来ず、結果的にシードルのケツが限界突破し少し出血した。その後も堰を切ったように溜め込んだブツが射撃魔法の如くドバーッと勢いよく出続け、その度にシードルのケツを痛めつけ続けた。現在のシードルのケツはズタボロである。どうしてこうなるまで溜め込んだのかというのは愚問である。便意が来なかったから出せなかったのだから。
そして、栓をしていたものがいなくなったからか、シードルのケツは今特大の屁がよく出るようになってしまっている。溜まっていたものの名残香だろうか、その臭いも中々にえげつない。などと言っている間にも、ぶすうとよくもまあ元気に出物腫物所構わずといった体で屁が出る出る。一発、二発、三発と、立て続けにはた迷惑なケツである。
「ちょっともー、さっきから何なのぉ!? 愛しのフィアンセの目の前でここまでバカスカブーブーやるぅ!? シー君だから許すけど!」
「ごめん、止めようと思っているんだけど、止まらないっていうか……止められないっていうか……」括約筋が随分痛めつけられているようだ。恐ろしい事である。
「いやはや、今回は本当に助かりましたよ。おかげでお腹の調子がよくなって出すもん出したし!」身支度を済ませたシードルとシュールリーは、トイシ夫妻に別れを告げていた。
「あぁーそげは良かった。それにしてもいい食いっぷりだったて。また何ぞあったらわぁんとこば来ちゅうがええが、食わしちゃるけえの!」
「また来ますねぇ、その時はいいお土産用意してくるから、楽しみにして頂戴な」シュールリーがパチッと軽くウインクする。
「んじゃあまたいずれ! ありがとうございましたーっ!」夫妻に見送られつつ、シードルが助走する。今回はシュールリーの"追い風"なしだ。
「おぉーっ、やっぱり体が軽い! 感覚が全然違う!」すっと軽やかに飛び上がったシードルは、そのまま旋回しシュールリーの元まで体勢を整えながら戻ってくる。
「よーしシュル、拾うぞー。手ぇ出してー」
「お願ーい」とシュールリーが両手を突き出し、ぴょんと跳ねてシードルが差し出した手に掴まり空へと旅立つ……はずが。
「おっぺ!?」シードルの腕がシュールリーに持っていかれ、そのままの勢いでシードルが頭から墜落した。それはつまりシュールリーも同様に顔面を防ぐ事もできずしたたかに地面に顔をぶつけたという事である。
賢い諸君なら原因は察する事はできるであろう。そう、元はと言えばシードルの便通改善の為に食べた牛蒡料理であったが、あまりに絶品過ぎた為元々大食い気質のシードルのみならずシュールリーの食も大変進んだのである。その結果、シュールリーの食べ過ぎによる体重増加の為、シードルのキャパシティをオーバーしてしまったのだ。
「「ぶごぼごほぉっ!」」前進する勢いもあった為、哀れな二人は仲良く顔面で地面を耕す羽目になってしまった。
文字通り、「落ち」が着いたという事で。
・訳者追記
訛りの部分はブチ切れた。
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