空飛ぶバカップル
子供戦車
第1話 二人はバカップル
※北大陸文化圏共通語翻訳済み。
「「んひいいいいいいいいぃぃ!!!!」」
石造りの古城の物見塔に、男女の間抜けな叫び声が響き渡る。その声を追うように、ズドゴゴゴゴ……と大きく重いものが猛スピードで転がるような重い音が連なる。
「シー君もっと早く飛んでえぇーっ! 大岩が迫ってきてるうぅーっ!」
「これでもフルスピードだってのおおおおお! てぇーかシュルが重いんだってぇーのおぉーっ!」
「ひっどーい! 女の子に向かって"重い"なんてデリカシーがなさすぎーっ! そりゃー美味しいもの食べるのは好きだけどーっ!」
「いっぱい食べてるからねえぇー、知ってるよおぉー! 美味しそうに食うから好きだよおぉーっ!」
「ありがとおおおぉー、でももっと速く飛んでえぇーっ!」
まるでベテラン漫才師のような掛け合い。しかし、二人は決してふざけているわけではなく、至って真面目に、この危機的状況と対峙している。つまり、自分たちを押し潰そうと転がってくる大岩から逃げている。……飛んで。
空中を一定のリズムでザッ、ザッ、と泳ぐように、男の背に生えた鳥獣の翼が羽ばたく。男は
「も、もうちょいで塔の出口だ! さすがにそこを出たら岩も引っかかって止まるだろ……いや止まってくれマジで頼む……」と、懸命に羽ばたくシードル。彼の頭の中では、塔の出口を破壊してさらに転がり続けるのではという最悪のパターンが想定されていた。
「うわーんシー君頑張ってぇー、フラウハミング様ぁ、ご加護をおぉー……」情けのない声で自らの信仰する神の名に縋るシュールリー。そんな嘆願が風の女神フラウハミングに届いたのか、飛び続ける二人の前にようやく物見塔の出口が見える。
「んおおおおお突っ込むぞおおお! シュルぅー!」
「シーくぅーん!」
ぐっ、とシードルの腕がシュールリーを引き寄せる。シュールリーもそれに応じるようにして、今一度力強く羽ばたき勢いをつけシードルに並び……お互いの顔が向き合う。握った手を離さないまま、お互いの開いた手がお互いの腰を抱き寄せる。そのまま衝撃に備える体制のままもつれるようにして塔の出口を潜り抜け……ずさぁと不時着したのちごろんごろんと転がる。それと同時に、大きな衝撃音が轟き瓦礫の破片による土煙が巻き起こる。失速しつつ数メートル転がったのちに止まった二人は、暫くその場で呆然と大の字に伸びていることだけしかできなかった。シードルの予想した「最悪のパターン」には至らなかったようだ。……が、岩は塔の入り口を完全に塞いでしまい、再び塔に入ることはできそうにない状態になってしまった。
「……逃げ切ったな」
「うん、逃げ切ったね」
ようやく現実感を取り戻したのか、ぽつりと漏らすように口を開く二人の冒険者たち。
「疲れた……腹も減ったし、今日はもう飛べないわ……うー、翼の付け根がいてぇ……」
「シー君ホントお疲れ、よく頑張りました。えらいえらい」起き上がり翼を曲げ伸ばししてほぐすシードルに、シュールリーが子供でもあやすかのように頭をなでる。
「でもどうするよ? 塔の入り口、完全に塞がれちまったけれど。お宝手に入れそこなっちまった」
「罠作動して割とすぐだったからねぇ。見事に箱ごと岩でぺしゃんこ……今回は諦めるしかないんじゃないかな……。まあ、それもこれも、誰かさんが宝箱の罠を外しそこなったのが原因なんですけれどねー?」
「むぐぐ、面目ない……」
「そう落ち込まないの。それよりも一旦帰りましょ? 今回は残念だったけれど、古城の調査依頼としては達成できてるし、成功報酬は受け取れるでしょ。それに、魔物も全くなかったわけじゃないし、討伐報酬も少しは貰えそうじゃない」
「……うーん、まぁ割に合わないけれど、しゃーないか……」
翼をもつ二人は、トボトボと拠点にしている街への帰路に就くのであった。
「……というわけで、アルスヶ丘の古城はあんまり稼ぎにならない魔物が少しねぐらにしている程度で、金目のものはほとんどない場所でしたとさ。野盗の類が根城にしてないのは行幸ってとこかね。定期的に見張ってりゃ大丈夫だろ。……あ、あと物見塔への入り口は内側からデカい大岩で塞がれてるぜ」
そう言って、シードルは手書きの城内マップつきの報告書を冒険者ギルドのラミアの受付嬢へと手渡す。受付嬢は記入に不備がないかを確かめた後、「確かに受け取りました」と笑顔を見せる。
「今回はお疲れ様でした。それでは成功報酬の500ゴドと……魔物の討伐報酬の150ゴドですね。こちらの受領書の方にサインをお願いします」
「(うーん、しょっぱい!)」心の中でそう呟きながら、シードルは受領書にサインをし、報酬を受け取る。その表情を見て心中を察したのか、受付嬢はくすっと笑う。
「まぁ、ダストラットですからね。たくさん倒しても1匹10ゴドではあまり実入りがなく、シードルさんたちには物足らないでしょうね」
ダストラットとは、体高20㎝程の大型のネズミのような魔物で、その名の通りまるで埃にまみれているかのような灰色のもこもこした体毛が体を覆っている。温厚な性格ではあるが、雑食性で繁殖力も強く、しばしば食糧難の原因となることもある。その為、ダストラットの生息地域では定期的に駆除依頼が出されることも珍しくない。体毛は衣類に利用されるが、その毛質はあまり良いわけではなく、ダストラットが討伐しやすくありふれた魔物であることもあって、市場価値はあまり高くない。なお、肉は食べられないこともないが、臭いが強くあまり食用に向かないこともあり、動物の餌や肥料に加工されることが多い。駆け出し冒険者の小遣い稼ぎとしてはまあまあ悪くはないのだが、それなりの腕前を持つ中堅冒険者であるシードルとシュールリーには、あまり旨味のない魔物と言えるだろう。
「うへぇ、顔に出てたかい……」
「ごめんねぇー、ウチの子ほんと顔が正直で……」シードルの頬をシュールリーがぐりぐりと指で押す。シードルは「あぐぅ、いだい、やめぇ」などと漏らすが、その顔はまんざらでもなさそうである。
「ふふっ、ごちそうさまです。仲が良いお二人を見ていると、こちらまで楽しくなりますね」と受付嬢が言うと、二人ほぼ全く同じタイミングで。
「シュルをあんまり付け上がらせんでください……調子に乗ってウザ絡みし始めますんで」
「でしょお? でもシー君アタシのだからあげらんないの、ごめんなさいねぇ♡」
言い終わらないかどうかという内に「そういうとこだぞシュル!」とシードルが翼をバシリと羽ばたかせてツッコミを入れる。これには流石の受付嬢も苦笑いである。
依頼報酬を受け取った後二人が向かったのは、冒険者ギルドの隣に佇む宿屋兼食事処、「ネズミの小皿亭」である。二人は現在この店を生活拠点にしており、そろそろ滞在して一ヶ月が経過しようかというところだ。店内は他の利用客でごった返しており、なかなかの賑わいを見せている。
「いらっしゃい――おや、シー君とシュルちゃんかい。お帰り! どうだったい、今回は」明るく声をかけたのは、この店の主であるワーラットの女性、リコッタ=フレッシュである。身長130㎝前後でネズミのような耳と尻尾を持つワーラットは、二人が拠点としているスパロウウィングの町では珍しい種族である。小柄な種族ではあるが、ややふっくらとしたシルエットと顔のほうれい線が、種族的中年代層であることを物語っている。
「いやぁ、今回は残念賞だ。見立て通りお宝になりそうなものはあったにはあったんだけど、罠の解除でしくじっちまってさぁ」
「あらまぁ、それは気の毒だったねぇ。まぁ、気を落とさずまた頑張んなさいな。お腹減ってるでしょ、何にするの?」リコッタがメニューを差し出し、注文票を構える。
「とりあえず揚げ芋一皿とウィスキー、俺はロックで」
「アタシもロック。他はまた追加で頼むわね」
「はいはい、揚げ芋とウィスキーのロック二つね。オーダー入ったよぉー!」よく通る声を響かせ、リコッタは厨房へと引っ込んでいく。
「しかし参ったな。もう少し稼げてたら籠手を新しいやつに買い替えようと思ってたんだが、こりゃもう少し使い続ける必要があるな」シードルは左右の腕にはめられた籠手をチラッと見てから、店のメニューに目を走らせる。件の籠手はというと、左側の籠手の中央部分がべこべこに凹んでおり、打撃武器で何度も打ち据えられ、それを何とか修理して騙し騙し使用していることを容易に想像させる。右側の籠手も大きな損傷はないものの、いくつもの傷が付き、ところどころ擦り切れている。
「アタシも薬品類をまとめて買っておこうかと思ってたんだけどねぇ。もうしばらく節約って感じかしら。あ、アタシこのグリルチキンステーキね」
「んじゃ俺も同じやつにしとこうかな。パンはどうする? 俺バゲット」
「アタシもバゲット。サラダはシーザーでいい?」
「あいよ。んじゃ店の人来たらついでに頼むわ」
やり取りのスムーズさが完全に熟年夫婦のそれである。と、ほどなくして。
「お待たせしましたぁ、揚げ芋とウィスキーのロックお二つです。ご注文は以上でお揃いでしょうかぁ?」ワーキャットの給仕娘が揚げ芋と酒をテーブルに並べる。芋はホカホカの湯気を立てており、揚げたて熱々であることを物語っており、グラスに入った琥珀色の酒は、カランと軽快な音を立てることで目と耳でも楽しませようとしている。
「ありがとさん。んでちょっとすまねぇ、追加だ。グリルチキンステーキを二つとバゲットを二つ、あとシーザーサラダ。サラダの取り皿は二つね」かしこまりました、と言って給仕がその場を離れる。
「んじゃま早速……」シードルとシュールリーがグラスを持ち上げる。
「また次はしっかり稼ごうねぇ、ってことで」にかっとシュールリーが笑ったのに合わせるようにして。
「「乾杯っ」」かつん、と軽く快いグラスの音。そしてそのまま、グラスの中のウィスキーは二人の喉へと流し込まれる。
「くふぅ……あぁー、いいわぁー、鼻へと香りがすぅーっと抜けるぅ」そう言いながらシードルがカランカランとグラスを回し、氷を弄ぶ。
「毎度のことだけど、ビール以外も充実してるお店ってありがたいわぁ」シュールリーはグラスを傍らに置き、揚げ芋をいくつかほおばっている。
「ん、おいし。揚げたては最高。シー君も食べないとみんなアタシがもらってっちゃうよ」
「飛ばすねぇ。メインディッシュ控えてるのに大丈夫かよ?」と言いつつも、シュールリーに食べ尽くされては大変だとばかりにシードルも揚げ芋に手を伸ばす。そうやって山盛りだったはずの芋の山が半分くらいに減った頃にサラダとバゲットが届き、更にそのサラダも半分に減る頃に芋が消え、ようやく。
「お待たせしました、こちらグリルチキンステーキでございまーす! 熱いのでお気を付けくださーい!」
「おほぉー来た来たぁ!」
「待ってましたぁー!」
揚げ芋の皿を片付けてもらい、さらに追加のウィスキーを注文する。そしてお待ちかねのメインディッシュにナイフとフォークを突き立てる二人。柔らかい鶏肉にナイフが突き立てられると、その肉が溜め込んでいた肉汁がこれでもかと言わんばかりに溢れ出す。馬鹿二人が「おほー」だの「うひょー」だの知性ゼロの歓声を上げながらその肉を切り取り、手頃なサイズに切り取ったバゲットにその肉汁を十分に吸わせてから肉と一緒にそれを口の中に運ぶ。
「あぁー……至福。明日重すぎて飛べなくてもいいわ」そう言いながらシードルはもう一口肉汁を吸わせたバゲットを頬張る。
「いやぁシー君飛べなくなるのは困るんだけどぉ? でも食べてる顔かわいいからいっぱい食べて♡」グイっとグラスを傾け、シュールリーが残っていたウィスキーを全て飲み干す。頬は綺麗に赤く染まっており、傍目から見ても酔っている様子だ。
と、そこへ。
「おぉーん? 随分と魅力的な女連れてんじゃねえか兄ちゃん」
「がっはっはっ、兄ちゃんよお、こんないい女貧相なお前さんにゃもったいねえぜ、俺様たちによこしな!」
唐突に声をかけてきたのは、2mほどの大柄な体躯に緑肌の種族……オークの男二人組だった。片方は右目の上に大きな傷跡があり、もう片方は両肩に斧を意匠化した刺青を入れている。
筋力に優れる彼らオークからすれば、確かにシードルのような有翼人は些か華奢に見える。そして、オークによくある困った価値観なのだが、男とは力強さや逞しさこそが全てであり、強い者こそが上に立ち、支配し、全てを得る権利があると考える傾向がある。責任感の強い者であれば、弱き者を庇護するために戦う良き戦士にもなり得るのであるが、思慮なく短絡的な者たちがこの手のトラブルを起こすのもまた少なくなかったりする。
「それに、姉ちゃんよく見りゃあその角に翼と尻尾! アンタサキュバスってやつだろう?」
「サキュバスって言やあ、男といっぱいセックスしてくれるエロい種族だろ。ふっひっひっ! おい姉ちゃん、俺ぁイチモツにゃあちいとばかし自信があんだぜ? そこの貧相な兄ちゃんじゃ満足できなくなるぐらいヒイヒイ言わせて楽しませてやるぜぇ?」がははと笑うオーク二人組に絡まれたシードルとシュールリーは、しかしこの状況においても冷静であった。軽く目線だけでお互いの動きを伝え合い、わずかな間で作戦を立てる。むしろ、シュールリーに至ってはオークたちが話しかけてきた段階で動き始めていた。テーブルの下に隠されたシュールリーの両手の人差し指に、徐々に魔力が集まり、ピンク色に光っていく。それと同時に、彼女の金色であるはずの髪の色が、根元の部分から徐々に青色に変わり、青色だった瞳も金色の白黒目へと変化する。切り裂かれたかのような縦長の瞳孔は、徐々に細く狭まりその鋭さを増していく。
「(あんまり出しすぎるなよ?)」表情だけでシードルが伝えると、
「(勿論。じゃ、そろそろやっちゃうわね)」と、同じくくすくす笑いの表情だけでシュールリーが返す。そして、次の瞬間、ぎぃっと音を立てながら椅子を引き、指先を背中で隠しながら唐突にシュールリーが立ち上がる。何事かと軽く呆気に取られたオークたちが二人とも思わずシュールリーに目を向けると。
「はいバーン!」シュールリーの両手の指先からピンク色の光弾が発せられる。それが見事にオークたちの目に当たり、二人同時に天を仰ぎ、呆けたような表情になる。そして次の瞬間には、いつの間にかオークたちの背後に回ったシードルが飛び上がり、両者の頭をがっつり掴む。
「ほーら、運命の相手とごたーいめーん!」掴んだ頭を捻り、互いの顔面を向かい合わせてガツンとぶつける。オークたちは「ぐへぇ!」だの「ぶへぇ!」だのと痛そうな叫び声をあげる。普通ならこの後「何しやがる」と激昂したオークたちが二人に襲い掛かる、はずなのだが……。
「……」
「……」
長い沈黙。いや、微かに堪えきれず、くすくすと漏れる男女の笑いを押し殺す声。そして、それは唐突に破られる。先に手を出したのは傷の入ったオークだった。唐突に予備動作もなく、むんずと掴む! ……入れ墨のオークの股間を。
「むぅっ!」と一瞬声を上げた入れ墨のオークだったが、しかしそれもすぐにそうまんざらでもない表情になり、掴まれるがままにさせる。そして刺青のオークの方も傷の入ったオークの股間にパシッと手を伸ばし、こねくり回すように掴む。
「むぉっ……!」と声を漏らす傷のオークだが、やはりその顔はまんざらでもない……どころか、怪しい笑みを浮かべ息を荒げている。
「おう……お前、なかなかいいモン持ってんじゃねえか……女ヒイヒイ言わせただって? 上等じゃねえか……俺相手でも同じことができるか試してみろよ」
「お前の方こそ結構な上物じゃねえか……そんな立派なモン女にくれてやるなんざもったいなさ過ぎて馬鹿馬鹿しい。俺がしっかりしごき倒してやるぜ」
二人とも完全に上気しているのは、誰の目にも明らかであった。店内の客は唐突なむさ苦しく生々しいやり取りを見せつけられドン引きする者や、馬鹿げたやり取りに腹を抱えて笑う者などでにわかに騒ぎが大きくなりつつあった。
「まあまあお二人さん、仲が宜しいのは悪い事じゃあねえが、場所はわきまえるべきだよな? ここは飯を食う場所だ……ハッテンするならどっか他所へ行こうな?」途中で破顔しないよう両手で思いっきりふくらはぎをつねりながら、シードルがオークたちに促す。
「おっと、そうだな……悪いがお楽しみは場所を変えてからだぜ」
「おう、ならとっとと行こうぜ。俺ぁ今からお前の穴という穴をガバガバの使い物にならなくするのが楽しみでしょうがねえぜ、ぐへへ……」
ひどく下品な感情を隠すつもりもなくなったオークたちは、そのままいそいそと会計を済ませ退店する。その後のことは想像するに難くないが、あまり鮮明にしたくはないことは間違いない。そして、その二人がいなくなったのを確認したところで、ついに堪え切れずシードルとシュールリーの感情の堰が決壊した。
「だっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ! ふぁーっ、ひぃーっ! いくらなんでもあそこまでガチになるか!?」シードルは机をバンバン叩きながら笑い転げる。目元の両端には涙も浮かんでいる。
「いや、多分あれは元からそっちの素質があったんだと思うよ? いくら"一目惚れ"をかけたからって、人目も憚らずいきなりあんな風にがっつくのはよっぽどじゃないとあり得ないから」
シュールリーがオークらに放った"一目惚れ"は、彼女の十八番である精神作用魔術の一つだ。いわば一種の魅了魔術で、光弾を受けた後最初に注視した相手に対し強い恋愛感情を芽生えさせ、尚且つ一種の興奮状態に陥らせることにより理性的な判断を行うことを難しくさせる。だからといって、"一目惚れ"がかかってすぐにおっぱじめようとさせるような効果はない。シュールリーが指摘したように、元からそのようなことをしでかすような気質があったならば話は別だが。
「ちょっとお二人さん、あんまり店の中で派手な騒ぎは起こさないでくれるかい? 特にシュルちゃん! アンタその姿、魔力を抑えたとはいえ魅了の魔法使ったでしょう。他のお客さんが過敏になるから控えて頂戴な!」騒ぎを聞きつけて二人のテーブルにやってきたリコッタが、魔力を放出し徐々に元の姿に戻りつつあるシュールリーを咎める。
「えぇー、女将さんこれくらいは正当防衛の範疇だと思うんですけどぉー」本人曰く「キュートな角度」にねじ曲がった角をこすりながら、シュールリーがリコッタに許しを請う。角をこするのは、彼女が困っているときにする癖だ。
「屁理屈言わない! シュルちゃんや、アンタにとっちゃ大したことじゃないのかもしれないけれど、アタシら一般人にとっちゃ知識がないから何をやってるかよくわからないんだ。そこんところはわかっとくれよ!」
「ふぇーい……」やむなし、といった具合にシュールリーが降参する。
「んじゃあまあ、なるべくさっさと俺たちもお暇することにしましょうかねぇ。ほら、残りとっとと片しちまえよ」シードルがいそいそとテーブルに残っている食べ物を口へと突っ込み、グラスのウィスキーをあおる。シュールリーもそれに倣い、そそくさと残りを平らげた。
食事を終えた二人は一旦宿の部屋に戻り荷物を整理してから、スパロウウィングの町の大衆浴場へ向かった。ここではいわゆる「蒸し風呂」を提供しており、住民たちの憩いの場として活用されている。シルバーウィング帝国内では入浴の文化は珍しいものではなく、主要な都市や町村では大体このような大衆浴場が設けられている。川や湖などの自然の水源が近くにない地域は水に関する魔術を操れる者たちによって蒸し風呂が提供され、水源がある地域では湯の張った浴槽による風呂を提供することが多い。一部の大都市ではその両方を兼ね備えた浴場を提供する例もあるようだ。
「んじゃ、入り終わったら休憩場の入り口で待ち合わせな」
「りょっかーい、んじゃシー君また後でねー」二人は互いに50ゴド分の貨幣を受付で支払い、それぞれの浴場へと向かった。
「……はぁーっ」
シードルは蒸し風呂の中で俯きながら、ちらちらと視界の端で他の利用者の様子を窺う。汗をじっとりとかき、蒸気で肌を蒸らしながら、ただ静かに変化が起こるのを待つ。変化とは、別に大したことではない。新たに蒸し風呂内に入る者が現れたとか、逆に出ていこうとするものがいるだとか、座る位置を変えようとする者がいるだとか、タオルで汗を拭き取ろうとする者がいるとかである。
「(……結構経ったな……。ちゃんと計ってないけれど、体感5分前後か……? 次誰か入ってきてから1分後くらいに出るか……いや、出ていく奴が現れてからにするか……)」そう、何てことはない、彼なりに自然で気まずくないタイミングを見計らって出ていこうとしているだけなのである。至極どーでもよい。だが、彼の中では誰かが出入りするタイミングや他の動作と重なるタイミングに連なるようにして出ていくのは、何となく不自然で気まずい感じがするのだ。蒸し風呂を堪能し満足したタイミングで勝手に出ていけばいいだけのことなのだが。
「(……よし、今……いや、出ていく奴がいるな……もうしばらく待つか……あづい……)」馬鹿である。
「ふぅっ、あぁーっ、んんー……」一方こちら、女風呂側のシュールリーである。蒸し風呂内のベンチに腰掛けたかと思うと、彼女は両手を組んで天井に突き上げ思いっきり伸びをした。かと思うと、今度は肩や翼を回したり、腰やふくらはぎを揉んだり、角をタオルでこすり上げたりと、なかなかに落ち着かない。今回の冒険では飛行しての全力移動があったので全身に疲労が回っているのだろうとは察しが付くが、蒸し暑く汗をかく蒸し風呂内でよくもまぁ、といった風体だ。そして、その度にたゆんと揺れる。サキュバスは基本的に他の種族よりもバストサイズが大きくなる傾向があり、他種族基準で見れば彼女も十分大きい方である……が、サキュバス基準では彼女は平均よりもやや小さめだ。もっとも、本人は「あまり大きすぎても入る服を探すのが難しくなりおしゃれの幅が狭まる」と思っている為、現状で満足しているようだ。パートナーが既におり、そして互いに満足している事から来る安心という名の余裕だろうか。ついでに下腹部にも手をやり、認知したくないが触れてしまわねばならないといった体で恐る恐るその肉を摘まむ。
「……」これには徹底してのノーコメントである。しかし、これは甘えの肉であることも彼女は理解していた。シードルは彼女のこの肉の事を「それもシュルらしさ」と受容しており、むしろチャームポイントの一つであるとすら思っている。だが、そのシードルの優しさに甘え続けてしまうと、際限なく下腹部はその体積を増やし続ける。今は良くても、膨れ上がりすぎてはいつかシードルも呆れてしまうのではないか? しかしシードルは魅力の一つでもあると認知しているようだし、ある程度の肉があったほうが良いのではないか? 丁度いいぐらいの塩梅に自信が持てず複雑に揺れる乙女心だが、いつもこの問いに答えが出ることはなく、代わりに溜め息が出る。シードルが優しさから腹の肉を受容しているのか、それともシードルはデブせ……ふくよかな体型が好みで現状に満足しているのかは、物心ついた頃から付き添った仲であっても未だにわからない事である。
風呂から上がった二人は、定番である牛乳をぐびっとする。腰に手を当て徐々に顔ごと瓶を傾け一気に飲み干す由緒正しきスタイルである。
「っかぁー! やっぱ格別! 一日を締め括る至高の一杯! キマる!」飲み終えた牛乳のグラスを休憩スペースのテーブルに置き、シードルが椅子にドッカと腰を落とし込む。
「あぁー体に染み渡るー……アルコールとはまた違う心地良さぁ……恵みを得られた幸運に感謝、フラウハミング様ぁ」同様にグラスをテーブルに置いたシュールリーは、シードルとは対照的にぷしゅうと気が抜けたかのようにゆるゆると座る。フラウハミングへの感謝の言葉もふにゃふにゃで、気まぐれに各地を巡りあらゆる言葉を聞くとされるかの女神にも到底しっかりとは聞こえないことだろう。そのままシュールリーは机の方に体を預け、自分が飲んだグラスをシードルのグラスにこつんと当てる。
「……今日もお疲れ様だよ、シー君」
「ん。シュルもお疲れ。もすこしゆっくりしてく?」
「やー、あんまり長居してもお邪魔だし、チャッと帰っちゃおう。宿の方がもっとゆっくりできるし」
「あいあい」
二人はぐぐーっと背中を伸ばし、翼を数回バサバサとさせてから腕を振り下ろし、その反動の勢いのままに立ち上がる。外へ出ればとうに日は沈み、夜道は家屋の軒先に吊るされた明かりや窓から漏れる明かりとで彩られていた。
至極当然の事だが、二人は同じ宿の同じ部屋を借りている。そして有翼人とサキュバス、種族は違えど年頃の男女である。それが一つ屋根の下、二人だけの個室である。やるものはやる。飯を食えばいずれ糞となり出ていくのと同じくらい当たり前の事である。それを子細に綴ると清く健全な書籍であると言えなくなるので、各々が持つであろう素晴らしき脳みそで補完していただきたい。
さてここで一つ、昼の出来事を思い出してほしい。無法者のオークがシュールリーに「サキュバスは男といっぱいセックスをするエロい種族」と言い放った。また、男性との行為によって生命力を吸い取りそれを糧とする、などとも言われているようだ。となれば絶賛夜の営みの真っ最中であるシードルの生命が危ぶまれるところであるが……結論から言うと、それは無知で無教養な者たちがまことしやかに囁く戯言で、誤解も甚だしい情報だ。確かにサキュバスの体は、個体差すらあれど一般的な種族平均よりも扇情的でグラマラスな体型となる傾向にある。だがサキュバスがそのような体型に成長すべく生まれたのは、この種族が精神作用の魔術に長けている事に関係づいている。精神へ作用する魔術は、いわば一種の精神的な誘導である。相手がこちらに魅力を感じている所に魔術的な介入で精神を一押しする事で、魅了されたり圧倒されたりする。これが逆に醜悪な見た目をした老婆であった場合、相手は魅了するどころか多少なりとも心を身構えさせてしまい、魔術をかける事が難しくなる。まして性行為に及ばせる程に欲情させるなど、よほどの特殊性癖者相手でなければ無理だろう。かけたい魔術の感情と180度真逆の感情を持つ相手には、精神魔法はまず効くことがない。つまりサキュバスはその容姿をもってして、相手を無意識に精神作用の魔術にかかりやすい状態にしている……魔術を使う前から魔術を使っているのだ。さらに、容姿が魅力的であることは交渉事で有利に働き、魔術による精神作用を使わずして相手を思いのままに行動させるのにも一役買っている。しかし、これが他種族から「己が良いように生きる為に男を篭絡し手玉に取る性悪女」と思われるようになり、いつしかそれは「セックスをすることで相手から生命力を吸い取る」という形の縷言へと変貌していってしまったのだ。勿論、一定の教養がある者ならこの俗説が間違ったものであるとわかるのだが、件のオークの様に無教養な者が多くいるのも現実である。
一通り恋人たちの夜を楽しんだ二人は、気だるげに宿の天井を見上げる。そして、答えを求めるわけでも、まして隣にいるパートナーに尋ねるわけでもなく、ポツリとシュールリーから言葉が漏れる。
「……どうして子供が生まれないんだろうね」
そう、二人はこれまで何年も前から……それこそ、二人が斯様な冒険者の身となり旅立つよりも以前から、何度ともなくこうした夜を過ごしたのだが……シュールリーが身籠る事はなかった。
「こんなにも深くお互い愛し合っているのにね」再び漏れるシュールリーの声色には涙ぐむ思いすら感じられた。二人の名誉のために明言しておくが、これはシードルやシュールリー個人の身体的問題に起因するものではない。だが同時に、これは二人が互いを愛し合う上でどうしても避けられない問題でもあった。
基本的な一般論を話そう。犬は同じ犬であるならば、犬種は違えど互いに交配し合い、子を産むことができる。猫もそうだ。またこれは近縁種ならとりあえず子を成すことまではできるようで、犬と狼、虎とライオンなどの交雑種というものが存在する。だが、鳥とはどうやったって交配ができない。蛇や蜥蜴とも無理だ。生物的に違いすぎるのだ。そしてそれはこの世界における自然の摂理であり、二人の間にある残酷な現実でもある。二人は互いの種族的な問題により、子を成す事ができないのだ。お互い背中に翼をもつ者同士であるのに、その部分は同じではなかったのだ。では有翼人は有翼人と、サキュバスはサキュバスとしか子を成せないかというと、そうではない。有翼人は翼と腕が一体化した種族であるハルピュイアと交配が可能だ。だが他に交配ができる種族はかなり限られており、彼らと同様に羽毛を持った種族でなければ交配できない。その一方でサキュバスは多くの獣人種と交配可能だ。が、こちらも基本的に鱗、羽毛、虫、そして植物の特徴を持つ種族とは交配ができない。また、これらの特徴を含まないエルフやドワーフ、ホビリトル(小人)、オーク、オーガ、ゴブリンなどは、それらの種族同士で交配が可能のようだ。
子を成せないだけであっても、二人が愛し合っているのであればそれで良いのでは? というのはごもっともな疑問だろう。だが、ここにも二人の間柄ならではの問題がある。二人が生まれ育った故郷であるリトルウィングの村では、子を成してこそようやく夫婦として認められる風習があるのだ。勿論、そのような風習は村の外を出れば通用しないのであるが、幼少の頃から生まれ育った土地の風習ともなると脳に刻まれるレベルで刷り込まれており、頭では理解しつつもそれに慣れ親しんでしまっており、守らなければ何となく心が落ち着かないむず痒い気持ちになってしまうのである。二人ともいずれはリトルウィングの地で骨を埋めるつもりでいる為、またそれを抜きにしても子を持つことへの純粋な憧れがある為、何とかして二人の間に子が生まれる方法はないかと模索する為にこのような旅をしている。だが、今のところ二人の旅の成果は芳しくなく、むしろ無理である事の説得力を増させるような情報しか得られていない。それが自然の摂理であり、一般論だ。それに異なる事をしようとすれば失敗するし、馬鹿だ阿呆だと罵られる事になるだろう。しかし、愛故に自然の摂理に抗って子を成す事を望む二人を、どうして愚かだと罵れようか。
「今はまだ、生めないってだけさ」シュールリーの問いから何拍も遅れて出たシードルの言葉がこれである。いずれ生める。今の常識ではそうでないだけだ。そう言い聞かせるような言葉だった。
「……おやすみ」「うん、おやすみ」太く長い溜息をつき、互いが意識を眠りへと手放す。シュールリーの方だけは、彼女の神たるフラウハミングに奇跡を願って祈りをささげた。具体性など何もない、漠然とした祈りだった。
そう、この物語は英雄譚ではない。神の寵愛による異常な能力や不正な才覚によって弱い者虐めをした後嫌味な台詞を吐いたり、逆恨みによる逆襲劇を繰り広げるわけではない。優柔不断により振り回す一夫多妻からなる痴情の縺れもなければ、容易に篭絡される癖に地位だけはやたら高い世間知らずを手籠めにする展開もない。最終的には子を産むことを目的としながら、旅人としての領分での生活を二人でひーこら言いながら楽しむ様子を見る、一種の観察録である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます