第4話[山雨来たらんと欲して風楼に満つ]
桜のシーズンも過ぎ去り、白神さんの新たな始発点から、1週間ほどが経過した。
昼休みの
その後は、特に心配するようなこともなく、平和な日々が続いている。
……と言いたい所だが、ここ最近
原因は明白、白神さんのことだ。
「俺らの学年にあんな可愛い子いたか?」「俺、ちょっと話しかけてこようかなぁ」「あんな子を見逃していたとは…」「目の保養になるわぁ…」
と男子達の喧騒があちこちから聞こえてくる。一応、白神さんのいるクラスは隣で、うちのクラスメイトという訳ではないのだが。
とにかく、ここ数日はその『あの子可愛くね?』話題で持ちきりだった。
「………」
自分の机で、本を開いてはいるものの、知り合い絡みの噂が飛び交うのもあってか、内容が全然頭に入らない。まるで、身体の免疫システムが外から来る病原体を弾くみたいに、本の中身が脳に定着しない。まったく腹立たしい。
一度、読書について考えるのをやめ、俺は片手で本を開き、残った方の手で軽く頬杖をつきながら、静かに過去を振り返る。
あの出来事の後、白神さんは開き直ったかのように明るく振る舞うことにしていた。それはもう男女分け隔てなく、身栄えなく。
「昨日のドラマ見た?凄かったよね!」「あ、そのアニメ私知ってるよ。面白いよね〜」「あ!あそこの喫茶店オシャレだよね〜。今度みんなで行かない?」「ほわぁ〜、そのお弁当美味しそ〜!ねぇねぇ、作り方教えてくれない?」
怒涛の連鎖。他人への不安や恐怖心を、好奇心に置き換えたことにより、その無限の探究心は底尽きることなく、内なる興味の渇きを癒す。
最初に出会った頃の印象はどこへいったのやら。
周りももしかしたら最初は戸惑いもあったのかもしれないが、慣れれば無害な生物でむしろ愛くるしい小動物だと分かる。今では随分と可愛がられていることだろう。前髪を切って印象が明るくなったのもポイントが高い。
特に男子からは絶大な人気を得ている。そりゃ容姿も良くて、興味本位で突然話しかけられるチャンスも多少なりあるとなれば、年頃の男たちが心動かない筈がない。そうなれば噂になるのだって、大した時間も必要ないだろう。
思春期
そんなこともあり、そこらの有象無象たちが、白神さんに興味を持つのも理解できるわけで……………。
(俺も最初見た時は、びっくりしたし………)
完全に目の毒だった。
危うく一目惚れかけた。
何らかの
パタリと本を閉じ、諦めたように机に突っ伏す。
(これは集中できんわ)
お手上げだ。一回寝よう。短時間の昼寝は良いことだって言うしな。うん。
ある研究では、5〜30分の昼寝で体内の炎症レベルが下がり、認知機能の改善に繋がることが分かったらしい。俗に言うパワーナップだ。
喧騒の中ではあったが、俺は運良く
・・・
「おーい、部室行こうぜい」
陽は手に持った鍵を弄びながら、俺を呼び掛ける。その隣には夏人もいた。
俺は「おう」と適当に返事を済ませ、鞄を肩に掛け2人の所に合流する。
そして部室に向かおうか、という所でちょっとしたイベントが発生した。
「あれ〜?
嘲笑を込めた声で俺たちを呼び止めた主は、別クラスの
夕暮れ時の空を思わせる青紫のマッシュ髪に、
とはいえ、性格の方はもっと分かりやすく『強き者を助け、弱き者を潰す』を体現したかのような腹黒さと完璧主義を持ち合わせている。
今もこうして俺たちを呼び止めたのは、皮肉の新発明を思い付いたからであろう。
「相変わらず、朱城さんたちと一緒にいる君は場違い感が拭えないなぁ」
弁えろよ劣等種、とでも言いたげな、ゴミを見るような目で一瞥する。それに対し何かするでもなく無言を決め込む。
「…ふんっ」
それが面白くなかったのか目を逸らし、今度は陽をターゲットにした。
「君たちはこれから部活かい?精が出るなぁ、懲りずにまだヒーローごっこか」
蔑む口調で炯はペラペラと喋り続ける。
「君も見る目がないね、朱城さん。こんな奴と関わると、君の市場価値が落ちるとこまで落ちてくよ」
「そんなことをわざわざ言いに私らのとこまで来たのか?いやぁ精が出るな〜、坊ちゃん」
ニヤリと悪い笑みを浮かべる陽。
ここが教室前の廊下であることも忘れ、互いに火花を散らしていく。
ちらほらと、野次馬まで出る始末だ。
「…口を慎めよ。僕はいずれ、この学校の……いや、世界のトップに立つ男だ。お前も、あの
「
炯は形の良い顔を怒気で歪ませ、チッと大きく舌打ちしたあと、何も言わずにその場を後にした。
その背中に向かって陽は大きく手を振り、見送った。
「あばよ〜好敵手さん!」
「…
ったく、と夏人は正直なコメントを残す。そして、
「秋、あんなのは気にしなくていいんだかんな」
とそう言った。
「…あぁ、分かってる」
勿論、夏人の優しさに対しての言葉であった。
・・・
部室前に辿り着き、鍵を開け中に入ろうという所で、新入部員の白神さんもぱたぱたとやって来た。
「こんにちわ〜」
「よっす、深冬ちゃん!今日も可愛いねぇ〜!」
「もぎゅ」
案の定、陽に捕まりギュ〜される。
「お前ら仲良しだな〜」
夏人がやれやれと、その様子を見ながら言う。
「あ、夏人さん、こんにちわです」
「おす、白神ちゃん!」
と片手を上げ、軽快に挨拶に応える。
この2人は、1週間前の白神さん部活歓迎会にて出会った。
互いに人見知りするタイプでもないので、数日も経てば普通に接していた。
「秋さんもこんにちわ」
「…おう」
かく言う俺は、そんな今、校内トレンドトップの白神さんに対して、未だ慣れない状態だ。なんとまぁ情けないことか。
こうして新メンバーも増えたことで、この部活は以前よりも活気付いていた。
陽は、俺と白神さんの間に入り、ドカッと勢いよく2人の両肩を組む。
「んじゃ、続きはコーヒーでも飲みながら話そうや!」
さあ入った入った、と俺と白神さんの背中を押しながら部室に入る。
苦笑を浮かべながら、夏人も後に続いた。
––––なんやかんやで喫茶研究部、全員集合だ。
・・・
この部活の主な活動内容は、やはり生徒達の悩み相談の解決及び解消である。しかし当然ながら、毎日生徒が来るというわけでもないため、こうして机を向かい合わせ、コーヒー片手にお喋りしてそのまま解散なんてことも、けして少なくない。
それに悩みを持つ生徒が、直接ここへ来るというのも極めて
白神さんもそのレアケースに該当する。そもそも、自分の悩みを…モノによるがコンプレックスにもなるようなことを、他人に、ましてや同年代の生徒に話そうと言うのがあり得ない。それでも一定数の悩み相談が成立するのは、このイケイケ男女コンビのお陰だ。
チラリと2人の談笑している様を流し見る。
古月さんの話によれば、2人は以前からこうしたことを幾たびも行っていたそうだ。古月さんも昔、陽たちに助けてもらったことがあるらしい。まさに現代のスーパーヒーローだ。
–––––コンコン、と扉の軽やかに鳴る音が響く。
「入ってどうぞ〜」
とそれに応えたのは夏人だ。
ガラリと戸が開くとそこに立っていたのは、青白い輝きを放つ銀色の髪と、
その姿を見た陽は珍しく「げっ」と苦虫を噛み潰したような反応を催す。
「あら、今日はみんないるのね」
音楽的で耳触りの良い声を奏でながら、透き通るような藍玉眼で室内を見渡し入ろうとするが、ぴたりとその足取りを止め、白神さんの方を見つめていた。
「あなたは白神深冬さん…ね。あなたもここに用があって来たのかしら?」
「あ、いえ…最近ここの部員になりました。白神深冬です。あれ、初めまして……ですよね?どこかで会いましたっけ?」
どこか納得いかない様子を示している。当然と言えば、そうなのだろう。
「ごめんなさいね。つい、いつもの癖が出ちゃったわ」
そう言いながら、白神さんの近くまで歩み寄り、
「私は
と丁寧に挨拶を交わした。それを見た俺は、無意識に喉を鳴らし身構えてしまう。白神さん以外の他2人もおそらく同様だ。
彼女の声、しぐさ、見た目からは畏敬の念を抱かせるのに十分過ぎる魅力を持ち合わせていた。
例えば、この場にいる陽と白神さんも、冠雪に負けず劣らずのルックスを兼ね備えている。だが冠雪の美しさはそれとは違う。明らかに人間らしさが欠如している。この人形めいた完璧な造形は見る者を魅了し同時に畏怖させる。
そういう危険な魅力を放っていた。
陽に言わせれば、「食えない女」だ。
「こいつ、
「あらかたではなく全校生徒、全て、ね?」
とぶっきらぼうに説明する陽を諭すように訂正する。
その畏怖の念をさらに助長させる彼女の特性、『
見たもの全てをメモ書きも使わず記憶するという稀有な能力だ。世界でも60数人しか発見されていないらしい。
それを聞いた白神さんは「ほへ〜」と紅玉色の瞳を、夜空に浮かぶ星々のように輝かせ、興味ありげな熱い視線を送り光らせた。
「それってどういう感覚なんですか?ひとめ見たら全部覚えちゃうんですか?疲れたりしませんか?小さい頃の記憶も残ってるんですか!?」
「白神さん、落ち着いて。どうどう…」
俺が
「ふふ、そうね。…でもあなたが思うより不便かも知れないわね」
「ん?そうなんですか」
「なんでも記憶するというのは、忘れられたいことも忘れられないということなの。深冬さんも恥ずかしいこととか悲しいこととか、忘れたい記憶ってあるでしょう?」
そこまで言えば白神さんも理解するだろう。
「忘れたくても忘れられない……」
忘却とは、それほど重要なプロセスなのだ。俺たちは忘れたい記憶を、時間が解決し、或いはそれを上回る記憶で埋め尽くしてくれる。
–––––しかし冠雪はそうではない。
彼女の見る
これが、冠雪の持ちえる畏怖の正体だ。
「まぁその話はまたいずれ。…今日はあなた達、喫茶研究部に良い話があって来たの。興味ある?」
首を小さく傾けながら、試すような口調で言う。
「はいはい!ありまーす!」
手を思い切り上に挙げ、アピールする。
こういう事には白神さんは前向きだが、一方で今回、陽はそうではなかった。
「それはその内容次第だな。つまんなかったら月まで吹っ飛ばすぞ」
「あら、それは素敵な旅行になりそうね。お土産は月の石でも良いかしら?」
と喧嘩腰の陽の神経を逆撫でするようにあえて好意的な口調であしらう。
このままだと、ここが戦場にでもなりそうだ。
「と、とりあえず2人とも落ち着いて」
と夏人が両手で抑えるように宥める。
それに呼応する流れで俺からも言う。
「立ち話もなんですし、俺たちは喫茶研究部です。コーヒーでもどうですか」
人当たりの良さげな表情で応えた。
「…えぇそうね。是非頂くわ」
・・・
「どうぞ」
「えぇ、ありがとう」
冠会長が。
あの冠雪会長が。
用意した机と椅子に腰掛け、こうしてコーヒーができるまで待っていたということ自体が違和感でしかない。さっきの天坏炯の台詞を借りるなら「場違い感が凄い」だ。ここに来る人物としては間違いなくレアキャラである。
そんなことを気にするわけでもなく、カップを口元まで運び上品な所作で音を立てずに一口つける。
「良い仕事をするわね、橡くん。生徒会のお茶汲み係にしたいくらいにね」
「やりませんよ。…でもありがとうございます」
自分の座っていた定位置に戻りながら、形式的な返答をする。
そんな様子を見かねたのか陽が会話に割って入る。
……めちゃくちゃ睨みを利かせて。
「おい、さっさと本題に入れ。要件はなんだよ?」
「口の利き方には気を付けることね。年長には気を使うものよ」
「はっ、年上サマはそんなに偉いもんなのか?テメーとはたかだか1年しか違わねーだろが。それともなにか?遂に生徒会長サマになったもんだから、お山の大将、気取っちゃってんのか?」
「あら、気のせいかしら。ここは喫茶研究部じゃなくて動物研究会だったかしら。お猿さんはお呼びじゃないの。それとも一芸として真っ赤なお尻でも見せてくれるのかしら?」
うわー、もうバチバチにやりあってんな、この2人。何これ、マフィアの会合か何かか?ガチで抗争とか起きちゃったらド真ん中にいる俺ら、蜂の巣になって全身で呼吸できるようになっちゃうな、これ。
夏人が2人を落ち着かせている間、ちょんちょん、と腰を突かれ、そっちの方を向くと、コソッと白神さんが小声で訊ねる。
「あの2人って仲悪いんですか…?」
「ん〜…どうなんだろ?」
曖昧な回答になってしまう。
ただ正直、この場の空気には入りたくないとは思う。
「……冗談よ。それは置いておくとして、あなた達、この学校にある幽霊屋敷のこと知っているわよね」
「あぁ、あの廃墟のことか」
ここにいるメンバー全員が、あれか、と思い出す。
この学校にいる生徒なら、知らない人などほとんどいないくらい有名な話だ。
正面の校門から入って左、日が入りにくく暗い林の中にそれは静かに佇んでいる。
前に気になって観察してたのを思い出す。
2階建の古びた建物で、幽霊でも出そうな雰囲気を漂わせている。1階には窓がなく、正確には木の板で塞がれ中は見えないようになっていて、その機能は果たされていなかった。入口には鍵がかかって中には入れないようになっている。
「この学校が建てられる以前からあの廃墟は存在していてね、何度も解体工事が行われたのだけれど、連続4回で不慮の事故に遭って結局そのまま。こうして今も建っているわ」
話によると、少し前まではサッカー部やら野球部やらが、倉庫代わりに使ったり更衣室として使用していたが、不気味だということで部員からクレームが来たり、新しい倉庫等ができたことで次第に使われなくなったという。
「つまり話って言うのは…」
「そ、あの幽霊屋敷を使って見る気はないかってこと」
「え、いやでも、いいんですか?俺たちが使って」
「えぇ、どうせ他に使いたいなんて物好きもいなそうだし、何よりあそこは元々喫茶店だったそうよ」
「え…そうなんですか?」
そう言われると俄然興味が湧いてくる、と言うより欲しくなってしまう。そんな場所を部活動という名目で使えて、読書とコーヒーを嗜むことができるなんて、夢のような話だ。
白神さんなんかは、幽霊屋敷のくだりからもう興味を惹かれてたようで、
「いいですね!そんな場所で部活動ができるなんて、私、凄く興味あります!」
どうやら好感触のようだ。しかしそれは幽霊屋敷だからなのか、元喫茶店だからなのかまでは不明だが。
「まぁ、使えるってなら俺も賛成ですけど、電気とか水の方はどうなんでしょうか?」
「最もな質問ね。でもその心配は必要ないわ。少し前までは部活動で利用した手前、そのあたりは問題なく使えるわ。ガスはちょっと難しいけど。あと顧問の先生には私から伝えとくわ」
とはいえ、普段使われなかった場所ともあるので、掃除や備品の移動など、やらなきゃいけない仕事が山積みになるだろうが……。
「夏人と陽はどう思う?」
「お、おぉ、俺も良いと思うぜ。確かに秋の言う通り、こんなチャンスは二度と来ないかもしれないしな…はは…」
とか言いながら、なんか小刻みに震えている。よく見たら顔色悪いし。もしかして、幽霊とか苦手なヤツなのか?
「それで、3人からは賛成の意見が出ているけど……あなたはどうかしら?」
一同の視線が陽に集まる。
「………」
ふう、と、わざとらしいくらいに大きく息を吐くと、陽の視線はまっすぐを向いている。
どうやら
「あぁいいぜ。その話乗った!」
「じゃあ決まりね」
・・・
「はいこれ。ここの鍵ね」
と陽に鍵を渡す。
「じゃあ私は用が済んだので、これで失礼するわね……っと」
会長が俺の方を見て手招きする。「こっちに来い」とのことらしい。
幽霊屋敷内の掃除は一旦他のメンバーに任せ、俺と冠会長は建物の裏に回っていた。
なんだか妙な緊張感があるな…。
「どう、部活は?」
「いや、まぁ、それなりに楽しいとは思います」
と曖昧に返す。
「陽からも色々聞いてるわ。あなたの活躍」
怖っ。アイツ、何を話したんだよ。て言うか、普通に話せてんのか?実は仲良いだろ、アンタら。
「深冬さん、中々面白そうな子ね。あの子の悩みを解決へ導いたのもあなただって聞いたわ」
「俺は別に何もしてませんよ。少なくとも白神さんが前向きにならなければここまで綺麗に事が運びませんでしたよ」
「そうね。あなたの持つ知識と深冬さんの持つ実行能力。これらが上手く填まらなければ、こうまでならなかったでしょうね」
そういう彼女の物言いには何か嫌な含みを感じられた。
「何が言いたいんですか」
「あなたも薄々分かってるんでしょ?あなたは白神深冬を縛った。あの子にレッテルを貼り付け、ラベリングをして蓋をしたの。基本的帰属錯誤って言葉、聞いたことあるわよね」
無言で頷く。
基本的帰属錯誤とはバイアスの一種であり、その人の気質や性格に重きを置き、
例えば、喫茶店で過ごしているとき、別の客にコーヒーをこぼされ服が汚れてしまったと仮定しよう。それがひと段落したとき、飲み物をこぼした相手の原因をどう解釈するだろう。殆どの人はその相手を「不器用」だとか「不注意」と本人の性質が問題だったと決めつけるだろう。しかしそのコーヒーをこぼしたのが自分だったらどうだろう。「混雑してて」「コーヒーがなみなみ注がれていて」「そこで躓いて」などと言うに違いない。
自分の立ち位置が入れ替わるだけで、原因の解釈が変化する。これがこの帰属バイアスの
「人は他者の行動を説明するとき、外側の影響より、内面の影響を過度に評価する。あなたはそうやって彼女を歪めた。洗脳みたいなものね。人の内側に介入するということは、結果はどうあれ、その人の人生の歯車を狂わせるということになるわ」
つまりこの人の言いたいことは、落とし前をつけろ、という事だろう。
彼女の藍玉眼が研ぎ上げた氷柱のような光を放っていた。
「なぜ私が、あなたのそれを知識と呼び、知恵と呼ばないか分かる?それはあなたの考えではないからよ。知識と情報は確かに重要よ。ただあなたのは知恵までは達してない。ただの借り物。ショウペンハウエル曰く、読書とは、自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらうことである、らしいわ。あなたのそれは、ありきたりで、筋道に沿っていて、立派で、綺麗な
「…そうかもしれないですね、それは否定しません。でもそれはお手本が良かったから、先人にならって真似ただけです。真似ることが良いから真似たわけではありません」
「ふぅん、なるほどね。…まぁでも考えてみれば、この結末はあなた1人の責任と結論づけるのも早計ね。あなた1人の行動力では、こうはならなかった。バックにいる朱城陽があなたをそうさせた。あの子の言葉には現実を歪曲させる力がある。本物のカリスマ性。あなたたちの、この奇妙な出会いも運命の悪戯なのかしらね」
「運命……ですか」
「あなたは信じる?」
「…それはないですね。その考えは思考放棄の何者でもないと俺は思います」
きっぱりとその意見を切り伏せる。
俺はこういう取留めのない概念が苦手だ。占いだとか、運命だとか。
ある哲学者曰く、運命とはある存在が創り出した虚構であるという。言い換えれば、人間は将来を決定付けられ変えられないという話だ。
今の俺たちは、無限の選択肢とその結果の上に成り立っている。結果は正しく受け入れるべきであって、それを否定したり目を背けるものではないというのが、今の見解であった。
冠会長は形の良い唇に手を当て、クスクスと
「そこは相変わらずなのね。初めて出会った頃のあなたも、そう答える筈だものね。悪くはないけど…そうね、
「そうですね。ただ、
と下手なユーモアで返してしまう。
気付けば、冠雪は俺の方に少しずつ接近していた。
「似てきているわね、
そう言い終わるのと同時に、冠雪は俺の胸に指を当てツーっと線を引くように上へ上へとなぞっていく。
「––––––」
くすぐったい。
ゾクリとする。
背中に変な汗を感じる。
自分の体温が上がっていくのが分かる。
その指づかいが妙に色っぽく艶かしい。
このままだと変な気持ちになりそうで、すぐにでも距離を置きたい。
が、しかし体が意思に反して、動かなかった。
完全に蛇に睨まれた蛙だった。
「勘違いしないでね。私はあなたのことを高く評価しているの。一石を投じるとあなたみたいなのは、複雑な波紋を帯びるから、つい面白くてね。……年下の後輩にくどくど小言を並べてしまうのは年長者の悪癖なのだけれど、でもやっぱり一生に一度の学生生活、良い思い出にしたいじゃない?だから最後に一つだけ」
彼女の指が首元まで到達するとなぞるのは止め、今度は微笑を浮かべるその端麗な顔を俺の耳元に近づける。
そして、僅かに差す木漏れ日まで凍り付かせるような低い声でこう言った。
「–––––私を失望させないでね」
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