11-9 ひとりじゃない

 せっかくミズキの不登校を防いだと思ったのに、今度はナナセがこんなことになるなんて。

 何回やり直しても、この世界は想定外のことばかり起こってしまう。


 そんなことを考えながら、私は毎度おなじみ乳神商店を訪れる。

 店内は相変わらず静まり返っており、ぜんぜん人の気配を感じない。

 私はいつも通り、一直線でレジへと向かう。


「時空ミルク、いくらですか?」


「6円だよ」


 私はレジのおばあさんと、いつも通りのやり取りを進める。


「じゃあ、時空ミルクひとつくだ――」


「あれ? 白野さん、奇遇ね」


 そしてそのまま、いつもの流れで時空ミルクを購入しようとしたそのとき、気配もなく背後から近づいてきた人物にそれは遮られた。


「えっ……酒井さん!?」


 声の主は、かつてのクラス委員長、酒井さんだった。

 ここで会う想定をしてなかったから、めちゃくちゃテンパっちゃったよ。


「そんなに驚かないでよ」


「ごめん、いると思ってなかったから。酒井さん、よくこのお店来るの?」


「なんとなく、気になって入ってみたのよ。白野さんは?」


「私はけっこう来るよ。お気に入りのお店なんだー」


「ここ、いろんな種類の牛乳あるもんね」


 初めはそれが理由で通ってたけど、最近は完全に時空ミルク目当てで来てるんだけどね。


「それで、何買おうとしてたの?」


「ああ……あの時空ミルクってやつ」


 彼女から尋ねられて、私は正直に答える。別に時空ミルクの存在を隠す必要はないからね。


「すごい、牛乳に時価ってあるのね。私も買おうかな」


 どうやら酒井さんも興味津々のようで、私に続いて時空ミルクを購入していた。

 そして私たちは、それぞれの手に時空ミルクを握りしめて店を出る。


「じゃあさっそく――」


 店を出るやいなや、彼女はビン牛乳の蓋を開けた。


「ちょっ、ちょっと待って! それ飲んだら、もしかしたら過去にタイムトリップしちゃう……かもしれないよ?」


 もっと慎重になろうよ。6円のミルクなんて、怪しいでしょ。

 何度も飲んでる私が言えたことじゃないけどさあ。


「時空ミルクだけに? じゃあ、私は小学生の頃に戻ろうかな~」


 そう言うと彼女は、手にしていたビン牛乳を一気に飲み干した。酒井さんって、意外と思い切りのいい性格なんだな。


 ……そういえば、ほかの人が時空ミルクを飲むところって、見たことないんだよね。

 タイムトリップ……しちゃうのかな?


「――――んん!?」


 飲み終えた瞬間、酒井さんは目を閉じてうつむいた。

 私はしばしの間、固唾を飲んでその様子を見守る。

 すると突然彼女は顔を上げて、パッと目を見開いた。


「んおいし~! 美味しすぎて、一気に飲んじゃった」


 大袈裟なリアクションだなあ。

 まあ時空ミルクの美味しさを考えたら、そのぐらい感動しても不思議じゃないけどさ。


 ……あれ? そういえば酒井さん、どこにも飛ばされてない? 

 いや、ひょっとしたら意識だけ飛ばされたって可能性も……。

 でも、飲んだ後のフラフラして倒れる感じもなかったし、やっぱり何も起こってないっぽいな。


「……なんともない? 意識がトリップしちゃったってことは?」


 私は念のため、バカみたいな確認をしてみた。


「ある意味美味しすぎて、意識が飛びそうにはなったかな~」


 酒井さんは冗談っぽく返してくる。

 どうやら、誰でもタイムトリップできるわけじゃないらしい。

 これはつまり、私が牛乳に選ばれし特別な存在だったってことかな。


「っていうか、タイムトリップの話、本気で言ってたの?」


 彼女は真剣な表情の私を見て、頭がおかしくなったと思ったのか、ちょっと心配そうな顔をしていた。


「……うん。実は私、何度もタイムトリップして高校生活をやり直してるんだよ。……なんてね」


 信じてもらえないことはわかってるし、どうせ今からまたやり直すんだから、細かい説明をするつもりはない。

 そして私が、手にしているビン牛乳を飲もうとしたそのとき、酒井さんは私の目をじっと見つめて、優しく語りかけてきた。


「もし白野さんが、ほんとにタイムトリップを繰り返してるんなら、きっとやり直したくなるような困難に何度もぶつかってるってことよね。今の私には想像もつかないような、辛い経験もいっぱいしてきてるんだと思う。でもね、どんな過去でも未来でも……もちろん今だって、白野さんの目の前にいる私は、いつでも味方だからね。ひとりじゃないから……私のことも信じてくれていいからね」


 普通タイムトリップしてるなんて言うやつには、まともに取り合わないよ。不意打ちで私の心に突き刺さる言葉を投げかけてくるのは、ほんとずるい。


「なんでそこまで、私のことを……?」


「それは、私にとって白野さんは……。何度もタイムトリップしてるなら、その理由もわかるでしょ?」


 言葉を選びながら答える酒井さんは、少しはにかんで私を見つめていた。

 彼女がタイムトリップのことをどこまで本気で信じてくれているのかはわからない。

 私がタイムトリップすれば、きっと彼女は今ここで私にくれた言葉も忘れてしまうのだろう。

 でも、今日ここでもらった言葉は、私の中にいつまでも残り続けると思う。


「ありがとう、酒井さん」


 感謝の言葉を告げて、私は時空ミルクを飲み干す。

 ああ、私はきっと人生を何周したって酒井さんの人間性には敵わないんだろうな。

 最後に見た彼女は、出会った頃と変わらない優しい表情をしていた。

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