11-8 犯人
牧場の牛たちですら、まだ眠っているほどの早朝。私はひとり学校に来ていた。バレー部の朝練のときですら、ここまで早い時間に登校したことはない。
なぜこんな時間から学校に来ているかというと、今日が私の日直の日だからだ。
でも私は、日直の仕事など一切せずに、誰もいない教室の様子を外からこっそり見守っていた。
私の推理が正しければ、犯人は必ずこの時間、この場所に来る。そうなるように、事前に撒き餌もしておいた。
もし彼女が牛乳を持って現れたら、私の机に牛乳をまき散らそうとしている犯人という動かぬ証拠になる。
どのぐらいの間、待っていただろう。まだ登校して来るには早すぎる時間の静かな教室に、人の気配を感じた。
来るかもしれないとは思っていたけど、来てほしくないとも思っていた。
でもこうなってしまっては、見過ごすわけにはいかない。
私は物陰から、その人物の姿を確認する。
――そんな、まさかそんなはずはない。
これは何かの間違いだ。
でもここまできて、このまま見なかったことにするわけにもいかない。
「…………何やってるの?」
私は教室の中に入り、恐る恐る声をかける。
眼前には確かに、ビン牛乳を両手に持って私の席に向かう、ナナセの姿があった。
「……見つかっちゃったね。もしかして、わたしが来るってわかってた?」
目の前の少女は、悪びれもせず答える。
頭の中が真っ白で、整理が追いつかない。
私の推理では、ここにナナセが来るはずじゃなかった。
ぜんぜん別の人物を犯人だと思い込んでいて、ナナセは容疑者とすら思っていなかった。
「なんで……なんで、こんなことをするの?」
私は絞り出すように問いかける。
あの優しいナナセが、こんなことをするはずがない。
きっと何かわけがあるはずだ。
誰かに無理やりやらされたとか、何か弱みを握られているとか、そういうのっぴきならない事情がきっと。
「……ミルクがわたしのことを忘れて、ほかの子とばっかり仲良くするから……。だから思い出させてあげようと思って……今日はミルクに直接伝えるために、こうして……」
彼女は両手に持ったビン牛乳を掲げて、落ち着いた声でゆっくりと語る。
そんな理由で彼女が、ミズキや私にこんな酷いことをするなんて、信じられなかった。かつてミルクの神様の話をしてくれた彼女が、牛乳をぶちまけようとするはずがない。
目の前の少女は、もはや私の知っているナナセではない。そうとしか思えなかった。
「こんなことしなくても、私ナナセのことは覚えてるよ。ずっと友達だと思ってたよ」
「じゃあ、どうしてわたしに声をかけてくれなかったの?」
「それは……」
たしかに、かつての私はナナセのことを忘れてしまっていたけど、少なくとも今はちゃんと覚えている。
なぜ、もっと早く声をかけなかったのだろう。後回しになんてするべきじゃなかった。一番大切なことだったのに、優先順位を間違えてしまった。
……それはそれとしてだ。たしかに私の行動に反省すべき点はあるけど、今の彼女の行動は間違っている。
こんなふうに牛乳を粗末に扱おうとする行為を肯定することはできない。
ましてや、クラスメイトを傷つけ、結果的に不登校に追い込むほどの内容ともなれば、いかなる事情があったとしても、とうてい許されざる行為だ。
「たしかに私も声をかけなかったけどさ、それはナナセだって同じでしょ。普通に話しかけてくれれば良かったんだよ。そしたら、こんなややこしいことにならなかったのに。……私の知ってるナナセは、こんなことする人じゃないはずだよ。ねえ……前のナナセに戻ってよ……」
私はすがるように懇願した。すると目の前の少女は、真剣な表情で滔々と言葉を返してくる。
「前のわたしって何? 小学生だったころのわたし? それとも、高校に入って最初に出会ったころのわたし? 林間学校でカレーを作ったとき? 料理部で一緒だったとき? ……ねえ、どれがほんとのわたしなの? 教えてよ、ミルク」
「……どういうこと? なんで知ってるの? カレーを作ったとか、料理部だったとか……なんで……」
林間学校は本来この学校には存在しない行事だし、今回のタイムトリップで私は料理部に入ってはいない。それはかつての私がタイムトリップした世界で体験した出来事だ。
そのときのことを、ナナセが覚えているはずがないのに、それなのになぜ……。
「なんで? そんなのわかんないよ。自分が知らないはずの記憶が、頭の中でぐるぐる回ってるんだよ。どれがほんとの思い出なのか、わたしにもわかんないよ。わたしはいったい誰なの? ここにいるのは、ほんとのわたしじゃないの? ねえ……わたし、どうしたらいいの? ……助けてよ、ミルク」
目の前の少女は気が狂ったように言葉を吐露し続けていた。
私にも何がどうなっているのかわからないけど、たぶんナナセには私がタイムトリップした世界の記憶が断片的に残っているようだ。
その記憶の欠片が、今のナナセを苦しめている。
……いや、もしかしたら今までの世界のナナセも、そういう記憶を背負って、苦しみながら生きていたのかもしれない。
どうすればナナセを救えるのだろうか。
目の前で必死に助けを求めている少女のために、今の私に何ができるのだろう。
何が最良の選択かなんてわからないけど、結局私に取れる選択肢はひとつしか思い浮かばなかった。
「ナナセ……ごめんね」
ほかに言葉が見つからなかった私は、その一言だけを残して教室を後にした。
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