11-6 頭のいいバカ

「町屋さん、今日も勉強?」


 ある日の放課後、例によって図書室のひとり用自習席で勉強をしている町屋さんに、私は軽い調子で声をかけた。


「……まあね」


 町屋さんは私の方を一瞥したかと思えば、すぐに机上に広げられた問題集に視線を戻す。

 お昼を一緒に食べなくなってから、彼女と話す機会はめっきりなくなったので、この冷たい態度も致し方ないだろう。


 一時はジャスミンに町屋さんと一緒にお昼を食べてほしいと頼んでいたけど、私がオタクグループと引き合わせて以降、ジャスミンは小浦氏、彩田氏と一緒にお昼を食べるようになったから、きっと町屋さんは今はひとりでお昼を食べているに違いない。

 となると、おそらく便所飯をしている可能性が高い。

 乗りかかった船だし、きっちり町屋さんをトイレから引き離してあげないと。


「勉強もいいけどさ、たまには街に繰り出してみるのもいいんじゃない? そうだ、今流行りのカラフルーティーってお店知ってる? フルーツジュースが飲めるお店なんだけどさ、よかったら今から一緒に行かない?」


 私は畳みかけるように、町屋さんに誘いの言葉を浴びせた。


「……でも、勉強まだ終わってないし」


「これも立派な社会勉強だよ」


 今回は、難しい言葉は抜きで行かせてもらおう。

 私は勢いに任せて彼女の手を引き、この図書室という名の水槽から、外の世界へ一緒に飛び出しそうとした……が、彼女は頑としてその場を動かなかった。


 おかしいな、前は強引に引っ張っていけば上手くいったのに。

 考えてみれば、あの時はずっと一緒に図書室で勉強をしたり、お昼を一緒に食べたりして、ちゃんと信頼関係を築けていたから、私の誘いを受け入れてくれたんだよね。強引さだけで動かせるほど、人の心は単純じゃないってことか。


 さて、じゃあ今回はどうやって連れ出そうか。

 どうすれば、町屋さんの心を動かせるのだろう。

 そんなふうに、私が心の中で思案していると、これまで口数の少なかった町屋さんが私に問いかけてきた。


「……白野さん、前に言ってたよね。孤独な人ほど人との繋がりを求めるって。……それって、私が孤独な人間だってこと? 私がひとりで淋しそうだから……可哀そうな人だから、話しかけたってことなの? そういうことなら、別に私に構わなくていいから。白野さんは人助けのつもりかもしれないけど……同情されるのって、惨めなだけだから」


 これはちょっと、まずい展開になってきたな。

 以前、変に借り物の言葉を使ったせいで、だんだん話が意図しない方向に進んでしまっている。

 ここから軌道修正できるかな……いっそのこと、もう一回時空ミルクを飲んで、最初からやり直した方がいいかもなあ。


 ……いや、そんなに簡単にあきらめるわけにはいかない。

 最後まで最善を尽くして、それでも駄目なら仕方ないけど、まだやれることはあるはずだ。


「……町屋さんは頭のいいバカだ!」


 なんとかこの重たい雰囲気を打ち破ろうと、とっさに私は叫んだ。

 ピンと張り詰めた静かな水面に大岩が投げ込まれたかのように、私の声の波紋は一瞬にして図書室中に広がる。その声に反応して、周りの視線がこちらに集まったのがわかった。


 目の前の町屋さんは、私が突然場違いなほど大きな声を出したことへの戸惑いからか、周りの人から注目されたことに対する恥じらいからか、言葉を発することもできずに、ただただその場で固まっていた。

 私は何とか取り繕うために、声のボリュームを抑えて続ける。


「いや、急にごめん。……つまりね、町屋さんは頭はいいけど、何もわかってないってこと。ちょっと人より勉強ができるってだけで、周りの人のことも自分自身のことも、全部理解した気になってる井の中の蛙だよ。この図書室という小さな水槽から、広い世界に飛び出す勇気のない、淋しい熱帯魚だよ!」


 しゃべっているうちに、自分でもなんだかよくわからなくなってきたけど、とにかく勢いに任せて熱弁してみた。ほんと、バカはどっちだって感じだよね。


「何それ……意味わかんない」


 聞いている町屋さんも、困惑している様子だった。まあ、それはそれで好都合かもしれない。


「わかんないなら教えてあげる。大丈夫、私を信じて」


 私は諭すようにそう告げると、どさくさに紛れて町屋さんの手を引く。彼女は観念したのか、もはやあきれ果てたのか、抵抗する気力もない様子だった。




「どう? 初めてのカラフルーティーの感想は?」


「……うん、美味しい」


 町屋さんは、私に手を引かれるままにカラフルーティーへと来店し、なんとか無事に注文を終えて、席でドリンクを飲んでいるのだった。

 初めてで勝手がわからなかった彼女は、とりあえず注文した、トッピングなしのベーシックなドリンクをストローで吸い上げる。


 かつての常連客である私は、自分好みのトッピング増し増しスタイルのドリンク……にしようかと思ったけど、あまり調子に乗らない方が良い気がしたので、彼女と同様、ベーシックなドリンクにしておいた。


「こんなに美味しいなら、もっと早く来れば良かった。お店の雰囲気も賑やかで楽しいし……」


 町屋さんは、かつて一緒に訪れたときと同様、このお店を気に入ってくれたみたいだ。前回以上に無理やり連れて来ちゃったから、どうなることかと不安だったけど、いずれにしても、町屋さんがこういう賑やかな雰囲気が好きなことは変わらないらしい。

 そうしてしばらくの間、私と町屋さんがこの店で過ごしていると、不意に私たちに元気のよい声が投げかけられる。


「あれ? 白野さんと町屋さんじゃん。こんなとこで会うなんて、超珍しくね?」


「安達さんに有来さん、奇遇だね」


 声をかけてきたのは、ギャルのダチりんとレイちゃむだった。かつて私がギャルチームにいたときは、毎日のようにこの店に入り浸ってたから、きっと今日も来てるだろうと思ったよ。


「あーしら、この店の常連なんだけどさー、二人もよく来てる感じ?」


「二人で来たのは今日が初めてなんだけどね、町屋さんがこの店のこと気に入っちゃってさー」


 ダチりんからの問いかけに、私は町屋さんを前にグイっと押し出しながら答えた。


「いや……私は……」


 私に背中を押されて一歩前に出された町屋さんは、戸惑いながら言葉を紡ごうとするが、ギャルチームの勢いにその小さな声は遮られる。


「そうなん!? なら今度また、あーしらと一緒に来よ!」


「それあり! 次はあーしらが、もっとイケてるトッピング教えてあげるし」


 ダチりんとレイちゃむは、町屋さんの肩を叩いて迎え入れる。

 見た目でいえば、派手なギャル二人と地味な町屋さんとでは、周囲からは不釣り合いな組み合わせに見えることだろう。でも私は知っている、どちらも賑やかな雰囲気が好きで、中身は意外と似通っているところがあるってことを。


 この先どうなるかはわからないけど、きっとダチりんとレイちゃむなら、町屋さんと仲良くなれるはずだ。打算的な私と違って、きっと本当の友達になれる気がする。


「……間違いないない、ナイチンゲール」


 私は町屋さんとダチりん、レイちゃむのやり取りを見守りながら、みんなに聞こえない声でそっとつぶやいた。

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