11-2 ヒーローミルク

 その日の放課後、私はひとり図書室を訪れた。

 久しぶりに来たこの場所は、相変わらず張り詰めた静けさに包まれている。

 今ではすっかり心地よくなったこの水槽の中を、私はスイスイと進んでいく。

 そして、ひとり用の自習席で黙々と勉強している少女のもとへとたどり着いた。


「あの……町屋さんだよね? 突然ごめんね、私は同じクラスの白野。ほら、今日から登校してきた」


 周りで勉強している人の迷惑にならないように声を潜めて、私は勤勉少女の町屋さんに話しかける。


「……ああ、委員長になった」


「そうそう、覚えててくれたんだね」


「……それで……何か用?」


 突然絡んできた私に対して、町屋さんはちょっと迷惑そうな顔をしていた。

 考えてみれば、ひとり用の自習席で勉強してるのって、基本的には集中したいからだろうし、クラスメイトとはいえ仲良くもない人から話しかけられるのなんて、普通にうっとうしいよね。

 とはいえ、今さらそんな細かいことを気にする私じゃない。


「いやさ、偶然町屋さんを見かけたから、これから一緒にどっか遊びに行かないかなあと思って」


 もちろん、偶然なんかじゃないけど。


「あの……私まだ宿題終わってないから……」


 町屋さんは机の上に広げた問題集をじっと見つめながら話す。まだ今回初めての絡みだし、こういう回答が来ることも想定内だ。


「そっか、わかった。じゃあさ、明日のお昼一緒に食べようよ。ってことで、また明日ー」


 私は無理に彼女を連れ出すことはせず、とりあえず言いたいことだけ言って、この場はすぐに引き下がる。

 今回の目的は、明日の昼休みに彼女と一緒にお昼を食べる約束をとりつけることだ。今日の昼休みも、酒井さんに気を取られているうちに、いつの間にか姿が見えなくなっていたから、この世界線でもきっと、お昼を一緒に食べる友達はいないはず。

 ということで、現在進行形で便所飯をしているであろう彼女を救うことが、まずは最優先事項だ。もうこれ以上、遅れは取らない。




 そして翌日の昼休み、私は行動を開始する。


「ねえ、一緒にお昼食べない?」


「あの……ごめんなさい」


 私が声をかける前から立ち上がりかけていた彼女は、そのまま素っ気ない態度で振り切るように教室を出ようとする。

 昨日ちゃんと言っといたのに、まったく困ったもんだよ。

 まあ、私が一方的に約束しただけだから、彼女からしたら知ったこっちゃないかもだけどさ。

 ――だが、ここで引き下がる私ではない。


「購買にお昼買いに行くんでしょ? 私も一緒に行くよ」


 私は町屋さんにくっついて購買まで行くことにした。

 そして、そのままの流れで近くのベンチで一緒にお昼を食べ始める。


「ごめんねー、無理やりついて来ちゃって」


「あの……どうして私なんかと? 昨日の図書室でも、そうだし……」


 町屋さんは私と視線を合わせることなく、うつむき加減でパンをかじっていた。


「だって、ひとりは淋しいでしょ? 孤独を深く知る人ほど、人との繋がりを強く求めるものだしさ」


「でも……ひとりでいるのが好きな人だって、いるんじゃないかな……」


 かつての町屋さんが私に授けてくれたありがたい言葉を、本人に向かって投げかけてみたけど、なぜか当の本人には響かなかったみたいだ。どうやら使うタイミングを見誤ったらしい。


「そうかもね。でも、少なくとも町屋さんはそうじゃないでしょ?」


 私は構わず町屋さんを言いくるめた。

 町屋さんは人と話すのが得意じゃないだけで、けっしてひとりが好きってわけじゃないことを、私はとっくに知ってるんだからね。

 何はともあれ、私は町屋さんの便所飯を無理やり阻止することに成功した。とりあえず、第一ミッションクリア。




 それからしばらくの間、私は町屋さんと一緒にお昼を食べることにした。ちょっと目を離すと、またトイレに逆戻りしちゃうからね。

 そんなある日、想定外の出来事が発生する。


「ミルク、ヘルプミー!」


 授業前の休み時間、私に助けを求めてきたのは、金髪碧眼の美少女、ジャスミンだった。

 あまり深く関わりすぎると、また彼女を変な方向に突っ走らせてしまいかねないから、ここは慎重に対処しないと……。


「ジャスミン、どうしたの?」


「実は……ワタシとしたことが、消しゴムを忘れてしまったデス。このままだと、授業を受けられないデス。これはもう……サボるしかないデスか?」


 考え方が短絡的すぎるって。どんだけサボりたいんだよ、この子は。ここで道を踏み外したら、消しゴムじゃ消せないレベルの後悔をすることになるからね。


「ちょっと待ってて」


 私は自分の筆箱から消しゴムを取り出し、半分にちぎって彼女に手渡した。


「はい、これ使って。あと、サボりは絶対ダメだよ。ぜんぜんクールじゃないし、ジャパニーズ文化でもないからね」


「センキュー。これがジャパニーズ文化、おもてなしデスね。自らの大切なモノをちぎって分け与えるなんて、アニメのヒーローみたいデス!」


 ジャスミンは、まるでヒーローに憧れる子供のような眼差しで、私を見つめていた。

 この子はいつも大袈裟なんだよなあ。

 そんなに大層なことをしたわけでもないし、自己犠牲の精神を持った正義のヒーローと重ねられても困るよ。

 ……そんなにじっと見てても、さすがに顔はちぎってあげられないからね。


「言ってくれたら、私の消しゴム貸したのに」


 ジャスミンが去った後、酒井さんがすかさず私に話しかけてきた。


「もしかして、消しゴム二個持ってた?」


「消しゴムだけじゃないわ。シャーペンや蛍光ペンなんかも、誰かに貸せるように予備を持ってるし、文房具以外にも、ハンカチやティッシュ、体操服にジャージ、靴紐、歯ブラシ、リップクリーム……」


 いやいや、サービス過剰すぎるよ。品揃えが、ちょっとしたコンビニレベルじゃん。


「すごいね、そこまで準備してるなんて」


「白野さんも委員長なら、これぐらいの備えは必要よ。クラスメイトから助けを求められたとき、応えられなかったらどうするの?」


 委員長って、どこぞのネコ型ロボットか何かなの? たぶん委員長にそこまで求めてるクラスメイトはいないと思う。


「いやあ、私はそんなに周りから期待されてないから大丈夫だよ」


「白野さんのそういう気楽さは、ある意味羨ましいわね」


 たぶん酒井さんぐらいになると、親とか周りの人からの期待もそうとうなものなんだろうなあ。

 そして、その期待を裏切らない振る舞いができるっていうのもまた、彼女のすごいところだよね。


 あまりにもすごすぎて、実は酒井さんって人生二周目なんじゃないかと思うことすらあるよ。……なんて、私が言うことじゃないか。

 きっと私なんかじゃ、何周したって酒井さんには追い付けないんだろうな。

 ……やっぱり、委員長は酒井さんに任せとけば良かったかも。

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